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94.真似事1




「このfecri というのは?」

「“朝”って意味だ。areは“男性形”tenceは“良い”だから are fecri tence で“おはよう”」

「 are fecri tence 」

「おっ、発音いいねお前」


 早朝、王城の執務室にて。セリウスはあたしの持ち込んだ本を覗き込みながら教えたセルデア語を繰り返す。


 なんでも、来国したセルデアの大使があの演劇を観賞し、“セリウス”の身体的特徴からセルデアの血を引く事に気付いたのだとか。


 そして国に戻った大使によりセルデア王が劇の内容を知らされた結果、随分と気を良くしたらしい。

“一月後に観劇に訪れたい。その後彼に是非合わせて欲しい”と言った内容の王直筆の手紙がルカーシュのもとに届けられ、彼はそれを快諾したという。


 そんなわけで、セリウスは急遽来月までにある程度のセルデア語を覚えなくてはならなくなり、話せるあたしが教えているという訳である。


「じゃ、さっき教えた言葉と合わせてみようか」

Are fecri (おはよう)tence . (ございます。)suvir till(ご機嫌は)xenta (いかが)ritte ?(ですか)

「いいね。これはあいさつの基本形だから使いまわせるよ。fecri をfente(昼)に変えたりnatre(夜)に変えるだけでいい。」

「ふむ...」


 セリウスは頷くと、教えた単語を何度か繰り返す。


「ま、セルデア語は言語の中でも簡単な方だよ。難しいアガルタ語が喋れるならなんてことないさ。」


 あたしがそう言えばセリウスは本から視線をこちらに移し、少し眉を下げる。


「だといいのですが...、俺は言語習得は苦手でして。敵性言語は必修なので見習い時代になんとか納めましたが、腕立て500回の方が楽だと感じましたよ」


 苦々しげに、少し懐かしむような口調で話すセリウスにあたしはくすりと笑う。


「お前は意外と脳筋だからなあ」


 そう言ってからあたしは、彼がたどたどしい言語を喋る姿が見れるのでは?と少し意地悪な興味が沸いてしまった。

 そのまま机に手をついて彼を下から覗き込む。


「お前の苦手なアガルタ語、ぜひ聞いてみたいね。よく使うやつでいいから喋ってみてくれよ」


 セリウスはぐいとあたしに下から詰め寄られ、困ったように苦笑する。あたしの頬に触れ、「また意地悪な顔をして...」と唇にキスを落とした。


 唇を離した彼は思い出すように少し目を瞑る。


「戦場でよく使う言葉ですか...。でしたら...、」


 うむ、と頷いて彼は口を開いた。


「mi shehapro et hashtach shel ha'uma shlanu hem mordim.(我が国の領域を侵犯せし不逞の輩よ)」


「lech mefao shaniakach lechet ha'rosh.(去ね、さもなくばその首貰い受けん)」


「ani omer lech. am ata ma'arich et hayehem shel bani artzech, nichna.(汝らに告げん、同胞の命惜しくば投降せよ)」


「...あたりでしょうか」


 彼から発されたあまりに仰々しいそれらの言葉にあたしは思わず吹き出す。


「ふっ!あはは!!なんっつー古臭い言い回しだよ!そのくせ無駄に発音いいし!」

「そう言われましても。文句なら教えたユーゲル顧問騎士におっしゃって下さい」

「ふふふ、その顧問騎士ってのはおいくつだよ!どうせじいさんだろ!」


 あたしが腹を抱えて笑うとセリウスは若干不機嫌そうにした。


「それは違いありませんが...。顧問は実力ある退役騎士が務めるものですし。しかし、こうも笑われるのであれば後進の為に指摘するべきでしょうか...」


 そう言いながら真剣に考え込むので、あたしは口元の笑みを堪える。


「いや、いいんじゃないか?敵国の騎士にそんな風に怒鳴られたら迫力あるだろ」

「ふむ...?そうでしょうか」


 彼は顎に手を当ててそう呟いた後、思いついたように顔を上げた。


「俺の口調が古いのであれば、ステラさんのアガルタ語はどのような言い回しをするのです?」


 セリウスが興味深そうにこちらを見るので、あたしはにやりと口の端を上げる。


「お?聞きたいか?全然違うぜ」

「是非。今後使えるやもしれませんし」


 こくりと頷くセリウス。

あたしも思い出すように少し考え、口を開いた。


「あいつらは船の事を女性名詞で呼ぶだろ?だから、」


「ani holech lidchof kador ofret litchat shel hazona!(アバズレのケツに鉛玉突っ込むぞ!)」


「pachadan shale yechul letzet mehivtan shel ama! ani edfuk otech im kador tutach.(ママの腹から出れない臆病者!砲弾でノックしてやるよ)」


「ha'isha hazu hi motrot avorech. ani ashim lech kma mechnasiyim ktzrim hadshim.(お前らにその女は贅沢だ。あたしが新しいショーツを履かせてやる)」


「...なーんてな」


 と言い終わって笑ってみせると、


「口汚すぎる...」


 と彼は目を見開いて絶句する。

あたしはセリウスのありえないと言わんばかりの表情にあはは!と笑った。


「賊の言葉遣いに文句言うなよ。あたしがお前みたいな喋り方してたらよっぽど変だろ」


 そう言って彼の頬をつんとつつけば、セリウスも呆れたように笑う。


「まあ確かに、敵前で啖呵を切らない貴女は想像がつきませんね。よく回る口を分けて欲しいくらいです」

「あっはは、やめとけ!お前が啖呵切ってる姿なんて想像できないよ。そのままでいてくれ」


 あたしが笑いながら彼の肩を叩くと、彼は「そうでしょうか?」と首を傾げた。


「ふふ、すっかり脱線しちまったな。続きをやろうか」


 あたしのその一言で彼は本を手に取り、またセルデア語の授業へと戻る。セリウスは始業までの半刻ほど、あたしに教わりながら真面目に取り組んだ。



———



「...そろそろ始業ですね。朝礼を始めねば」


 セリウスが本をぱたんと閉じて立ち上がる。


「もうそんな時間か。じゃあ、あたしもそろそろ行こうかね」

「シュリー嬢のお招きでしたか。お気をつけて」

「ん」


 セリウスにキスを頬に落とされ、あたしも唇に軽く返してやる。


 今日は国東部のシュリー嬢の屋敷で開かれるサロンに顔を出す日だ。その為、どうせ王城で礼装を借りるなら、とセリウスと共に早めにこちらに着き、時間になったら別れる予定だったのだ。


 そんな訳でこれからセリウスは朝礼、あたしは別邸で着替えである。


 だが、軍隊の朝礼と言うならセリウスが取り纏めるのだろう。彼がどんな挨拶をしているのかには少し興味がある。


「...せっかくだからお前の朝礼、見て行こうかな」


 あたしがそう言えば彼は軍服の襟を正しながら微笑む。


「構いませんよ。たいして面白いものでもありませんが」

「なあに、騎士団長をしてるお前を見たいだけさ」


 あたしが微笑み返すと、彼はマントを羽織り「では、切り替えましょう」と騎士らしく表情を整えた。






 訓練場にて各隊による点呼が終了し、セリウスが登壇するのをあたしは観覧席から眺める。


 壇上に上がったセリウスは一つ咳払いをすると、険しい顔で低い声を響かせた。


「お早う、騎士兵士諸君。このところ“部下が寒暖差で風邪を引いた”などと嘆かわしい報告が各騎士団長から上がっている。」


「騎士たるもの体調管理は基本中の基本。怠る事は恥と思え。この程度で風邪を引く輩は雨晒しの戦場で三夜もすれば死ぬだろう。」


「我が王国軍に軟弱者は必要無い。強靭たる肉体が戦場での生き残りに差を付ける。鍛錬に良く励みたまえ。以上だ。“イズガルズに栄光あれ”」


 セリウスがそう言い切ると騎士達はピシリと引き締まって敬礼し“イズガルズに栄光あれ”と勇ましく繰り返す。

 そして早くも朝礼が終了し各々が持ち場へと捌けて行ってしまった。


 なんだ、もう終わりか。軍のトップの挨拶って言えばもっと長ったらしいもんじゃなかったっけと思うものの、非常に簡潔な挨拶は実にセリウスらしい。


「随分短い朝礼だな。想像してたのと全然違ったよ」


 観覧席からセリウスのそばまで歩みながらそう言えば、セリウスはこともなげに頷いた。


「元はかなり長かったのですが、俺の代で辞めました。朝礼は兵の気合いさえ入れば良く、長い挨拶など無駄に尽きる」

「へえ。保守的かと思えば、意外とその辺は改革派なんだな」


 あたしがそう言うと、ファビアンがひょこりと彼の隣から顔を出した。


「だって僕長いと寝ちゃいますもん!おはようございます!」

「おはよう。団長補佐が寝てる朝礼は逆に見てみたいところだが」


 彼に挨拶を返しながら笑うと、訓練場の土を慣らしていたエルタスが手を止めて振り向く。


「実際、前団長の朝礼では立ったまま寝ていらっしゃいましたよ」

「いや嘘でしょう。いくら団長補佐とはいえ...」


 同じく土を慣らしていたアイザックが呆れて笑う。


「いいや。まったく器用なもので、団長補佐の居眠りは目を瞑って聴き入っているようにしか見えないんだ」

「今度の慰霊祭の式典で見れるさ。あれはなかなかに技術点が高いぞ」


 横にいたヴィゴとザイツも笑えば、ファビアンは「ふふん。1番の特技だからね」と自慢げに胸を張った。

わかりやすく引いた顔をするアイザック。

その場の全員が笑いに包まれ、和やかな空気となる。


「...さて、今度こそ行こうかな。お仕事頑張んなよ、旦那様」


 笑い終えたあたしは練兵場の出口に足を向けながら振り向き、ちゅ、と彼に向かってキスを投げてやる。


 それを受けたセリウスは少し驚いた顔をした後に「...はい、お気をつけて」と嬉しそうに頬を緩ませた。


 先ほどの厳しい剣幕の持ち主とは思えないその柔らかな笑顔に、あたしは気分を良くしながら外へと足を運ぶ。


 本当にこういう時のあいつは可愛い。そんな顔を見せられれば、こちらも1日やる気が出るというものだ。などと自分の頬がにまりと上がるのを感じながら、あたしは別邸へと向かった。




 その頃、訓練場から見送ったセリウスはエルタスにそっと声を掛けられていた。


「団長殿、お顔が緩み切ってますよ」

「!...失礼した」

「やだセリウスかわい〜」

「やかましい。仕事に就け」



———



 シュリー嬢の屋敷に着くと、いつも通り客室へと通される。円形のティーテーブルを囲んだ彼女らはあたしを見ると立ち上がって美しくカーテシーを取り、微笑んだ。


「ステラ様、お待ちしていましたわ!」


 嬉しそうにこちらに歩み寄るシュリー嬢の手を取ってあたしも微笑みを返す。


「ああ、夜会ぶりだね。今日も皆華やかだな」


 そう言いながら彼女達を見回せば、皆一同に似通った宝飾品を身につけている上に少し雰囲気が変わった気がする。


「なんだ、お揃いのブレスレットなんか付けて可愛いね。それにシュリー嬢。髪を染めたのか?似合っているよ」


 あたしが彼女達をそう言って褒めると、全員がにっこりと笑みを交わした。

 含みのあるその笑みにあたしは目を丸くする。


「ふふ、意外と気付かれないものですわね。このブレスレットは劇場の限定販売品、“海賊女王と黒の剣”略して“海剣”の“二大英雄モデル”ですのよ!」


 そう言って全員が嬉しそうにこちらに腕を出すと、金細工に夕焼け色のガーネットとブラックオニキスが寄り添うように嵌め込まれ、メダル状の金プレートには王家の紋章に重なるように錨と剣の紋章が彫られている。


 これは...。あたしとセリウスの髪色、そして船と騎士を表しているのか。

つまり、あたしとセリウスを現したデザインってことか...?


 劇場でこんなものが売られていたとは...。ルカーシュにしろあの支配人にしろ、なかなかやってくれるものだ。そして許可を貰ってないぞ。おい、これは金を貰うべき案件じゃないのか。


「まさにお二人の髪色を表しているようで素敵でしょう?この紋章なんて実にロマンチックで...」

「お、おう...」


 あたしが上手く言葉を返せないでいると、令嬢達は耳飾りやペンにハンカチ、ブローチまでも出してくる。しかもそのどれもに錨と剣の紋章がつけられているではないか。


「何度も繰り返し観てすっかり虜になり、これは買わなくてはと...!」

「常にお二人を感じていたくて...こう言うのを東国では“オシカツ”と言うそうですわ!」

「へ、へえ...」


「わたくしのこの髪色も、今とても流行っておりますの!毛先に赤を入れる事を“バルバリアカラー”と申しまして、発明したフィリエ髪結店はなかなか予約が取れませんのよ」


 そう言えば確かに、街にも似たような髪色の女達がいたな...。地毛の毛先に赤を入れるなんて奇抜な流行りだと思っていたが、あたしの真似事だったとは。ていうかこれも許可を貰ってないぞ。髪結店に文句を言いに行くべきか。


「ステラ様とお揃いだなんて羨ましいわ」

「うふふ、素敵でしょう?そうだわ!どうせならここの皆んなでやりませんこと?」

「まあ!とってもいいお考えね!」


 ...しかし、彼女達のあまりに楽しげな表情にそんな気もどこかへ行ってしまう。

ま、いいか。別に困るもんでもないし、お揃いだなんて可愛らしいじゃないか。


 そんな風に頬を綻ばせれば、彼女たちはくるりとあたしを向き直る。


「それにしたって私達はご本人に会えるのですもの、これ以上の役得はありませんわねえ」

「ささ、ステラ様!おかけになって!セリウス様とのお話を聞かせてくださいませ」

「わたくしたち、とーっても楽しみにしていたのですから!」


 彼女達に詰め寄られ、色とりどりの甘い菓子で囲い込まれる。ただの近情報告会と思えば、そ、そういう集まりだったとは...。


 あたしは「う...」と冷や汗と共に言葉を詰まらせた。




日常ですが、この後ちょっとした事件に繋がります。

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