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88.黒髪




「セリウス、一緒に上がってくれるか。飯がまだでね。」


早朝に港に着いたおかげで、慌ただしくて朝食を摂る時間がなかったのだ。


船員達には、あたしが入港手続きをしている間に取り始めるよう指示を出しておいた。

大急ぎで手続きを終わらせてくれたワトキンズに敬礼を受け、あたしもようやく飯にありつける。

荷下ろしは腹ごしらえの後だ。


セリウスが馬を繋ぎ、あたしの後から続いて甲板へと上がる。


「おっ、騎士団長殿だ!」

「おはよー団長殿!」


甲板で朝食を食べながら挨拶する若い船員達に、セリウスが軽く頷いて手を上げる。


「セリウスか。今朝もご苦労さんだな。」

「副船長殿、無事で何よりだ。」


おや、いつの間にかヴェルドマン呼びじゃなくなってるじゃないか。あれだけ気の合わなかったコンラッドとようやく打ち解けたらしいな。

あたしはその様子に微笑みながら、後ろを歩くセリウスに声を掛けた。


「お前の方は?」

「済ませてあります。」

「そうか、じゃあ待たせる事になるな。」


あたしは甲板で朝食を配っていたジャンから皿を受け取ると、上甲板へ上がり船長室の扉を開ける。

普段なら甲板で船員達と食事を共にするところだが、早朝から馬を飛ばしてきたセリウスを労ってやりたいのだ。


テーブルに皿を置き、紅茶のポットを火にかける。

帽子を脱いで椅子に腰掛けると、セリウスもマントを外し、慣れた様子であたしのベッドへと腰を下ろした。


その姿を見て、かつて酔い潰れたセリウスをここに連れ込み、説教を食らったことを思い出す。


添い寝くらいで激しく狼狽え、あたしに“危機感を持て”と説いていた彼も、恋仲となってからは何度も通った為にすっかり馴染んでしまった。


室内にはリゼのベッドもあるものの、彼女を嫌悪している彼はその周囲には全く寄り付かない。彼の中では存在しないものとして割り切っているらしい。


「まだ六時だ。寝てて構わないよ。」


パンを齧りながらそう言うとセリウスは微笑む。


「ご冗談を。五日ぶりの愛しい妻を見ている方がいい。」


あたしはその甘ったるい言葉に、思わずパンをごくりと飲み込む。


「...顔を合わすと相変わらずだなお前は。もっと甘い文章でやり返してやるべきだったかね。」


そう言って照れを隠すように、水気を奪うパンをもう一口かじる。そしてもぐもぐと咀嚼したまま、まだぬるいポットの茶をカップに注ぎ、ぐっと喉へ流し込んだ。


セリウスはそんなあたしを楽しげに眺めていたかと思うと、おもむろに立ち上がる。そのままゆっくりと背もたれの後ろへと歩み寄り、この身をふわりと包み込んだ。


「まったく。あの手紙にはしてやられましたよ。勤務中に届いていたら腑抜けて後の仕事が出来ないところでした。」

「へえ、ずいぶん喜んでいただけたようで何よりだ。」


あたしがにやりと笑えば、セリウスは苦笑しながら側の棚から自分のカップを取り出す。そしてそれを机に置きつつ、悪戯っぽい笑みをこちらに向けた。


「ですから、戻られたらどうしてやろうかと楽しみにしていたのですよ。」


彼は言い終えると、その笑みのままあたしをじっと見つめる。あたしは若干怯みかけて、彼の弱みを思い出し取り繕った。


「...あたしに言えないことがあるのに?」

「それはまた、別で潔くお叱りを受けますので...。」


だったら早く言えばいいのに、いったいなんなんだか。


彼は頑なに詳しく語ろうとしない。誤魔化すようにあたしの背後でふつふつと沸き始めたポットを火から下ろし、二人分の紅茶を注いでいる。


そんな彼の後ろ髪をじとっと睨んで、ふと引き出しの中の櫛のことを思い出す。戻ったらすぐ渡してやろうと思っていたが、さてどうしたものか。


「...叱る前に土産を渡しちまっていいものかねえ。」


ぼそりとそう零せば、彼は切れ長の目を丸くする。


「もしや、手紙のあの櫛ですか。冗談かと思っていましたが...。」

「そんなつまらない冗談はつかないさ。...で、今欲しいか?それとも叱られ終わってからにするか?」


あたしは彼が差し出した紅茶を受け取りながら笑って尋ねる。

セリウスはカップを置いて、むむ...と少し考え込んでから「今で、お願いします。」とこちらを見た。


「叱られたせいで戴けなくなると困りますので...。」

「ほう?そりゃよっぽどの内容らしいな。」


あたしがわざと睨んで見せると、彼は肩身が狭そうにぐっと口をつぐんだ。


まあいいや。どうせ夜にはわかるんだろう。

どんな内容であれ、潔く叱られるとまで言ってるんだ。自分からやると言った土産を渡さなくなるほど、あたしも器が小さいわけじゃない。


「ちょっと待ってろ。」


あたしはそう言いながらパンを手早く食べ終わると紅茶をぐっと煽る。カップを置いて引き出しを開き、黒い包みを取り出した。


そして立ち上がると彼の手を引いてベッドに座り、自分の隣に座るよう促す。

隣に腰掛けたセリウスは、期待してか膝の上でおず、と手を握り合わせた。


あたしは子供のようなその姿に少し唇を綻ばせると、包みを彼に差し出した。


「ほら、開けてみろ。」


彼はそっと受け取ると、黒い包みと金リボンの包装を目にして頬を綻ばせる。


「...俺の色ですか。喜ばせるのがお上手で。」


そう言いながらリボンにそっと指をかけ、しゅるりと引いて解いていく。


彼の膝の上で丁寧に包装紙が開かれると、中から漆黒の櫛が現れた。

青く偏光するその色合いはまさに鴉の濡れ羽色だ。


「これは...美しい。」


セリウスがその櫛を持ち上げて、透かし細工をまじまじと眺める。


「希少な幻の青黒壇なんだと。お前の髪の色みたいだろ。」


セリウスはそれを聞くと「粋なことを...。」とつぶやきながら、その櫛の角度をゆっくりと変え微笑んだ。喜んでいるらしい彼の様子に、こちらも頬が緩んでしまう。


...せっかくだからもう一つ喜ばせておくか。


「あとな。いつもは降ろした商品のついでに土産をやってるが、その櫛はお前にしか買ってない。」


その言葉に彼は目を見開く。


「貴女が、俺だけの為にこれを選んだのですか?」


驚く彼にあたしは微笑んで「そうだよ。」と答えてやる。


すると彼はみるみるうちに口の端をにやけさせて、がばっとあたしを抱きしめた。


彼の鍛えた腕に思いきり抱き込まれて、思わず「ぐえっ」と声が出る。ぎゅーーーっと音がしそうなほど長く抱きしめ続ける彼に、あたしはなんとか声を絞り出した。


「く、くるし...!」


あたしのうめき声にセリウスははっとして力を緩める。そしてぷはあ、と息を吐くあたしの頬を彼は心底愛おしそうに撫でた。


ひたすらに潰されてこちらはまだ息が整ってないと言うのに、彼はにやけたまま我慢できないようにあたしの唇に口付ける。


彼の深い口付けの合間に、あたしは溺れそうになりながら息を吸う。うなじまで抱き込む彼の大きな手は、あたしが離れる事を許さない。


そしてやっと彼の唇が離れた頃には、あたしは息苦しさに若干涙目になってしまっていた。


「...愛おしすぎて、困りますね。」


セリウスはこちらがぜえぜえと肩で息をしている姿を満足そうに見つめ、うっとりとつぶやく。


「お前、ちょっとは、タイミングを...。」


息も切れ切れに文句を言うあたしを見て、彼は何を思ったかまた抱き寄せて頬擦りをする。

今度は柔らかな抱擁であることに安堵しつつ、あたしはなんとかその腕の中で息を落ち着かせた。


...まったく、こういう時のこいつと来たら。

抑えの効かない大型犬でも相手にしているようだ。彼の背中越しに、ぶんぶんと振れる犬の尻尾が見える気さえしてくる。



付き合ってからわかった事だが、セリウスのあたしへの触れ方はなんというか、ひどく本能的だ。


ガラス細工のように優しく触れられたかと思いきや、いきなり乱暴に掻き抱かれて、こちらが本気で苦しむほどのキスをされたりする。

布団の上ではなおさらに、まさに獣という表現に相違ない。


...恋愛に疎かったおかげだろうか。

何かで学んだ行動というより、ただ彼がそうしたいとばかりに感覚のまま触れているとしか思えない。


その触れ方は、騎士として厳しく抑圧された裏側の、彼の素の性格を垣間見ているような気がしてしまう。


上品な振る舞いを身に付け、騎士道に縛られているだけで、本来のこいつはかなり荒っぽい男なんじゃなかろうか...?



...とまあ何にしろ、今のセリウスがやたらと喜んでいる事は十分に伝わったからよしとしよう。

しばらくして息がようやく整ったあたしは、彼の背中をぽんぽんと叩いた。


「ほら。櫛、貸しな。せっかくだから梳いてやる。」

「...それも冗談ではなかったのですか。」


セリウスは信じられないとばかりに目を見開く。

そして櫛をこちらに手渡すと、わかりやすくにやける口元をその手で隠しながら背を向けた。


向けられた大きな背は、うきうきという擬音が目に見えるようだ。


ふふ、可愛いやつ。


「そういう嘘はつかないよ、あたしは。」


そんな彼に優しく言いながら、髪を梳いてやる。

さらりとした黒髪は梳く必要などないのではないかと思うほど滑らかだ。


けれど同じ色のこの櫛が通るたびに彼の髪は磨かれて、さらに美しく艶を増していく。


「いつ見ても真っ直ぐで綺麗な髪だな。あたしの癖毛と交換して欲しいよ。」


丁寧に梳かしながらそう零せば、彼は「とんでもない。」と口を開く。


「貴女のその柔らかな癖毛が美しいと言うのに。空気を含んで靡く様は、まるで獅子のたてがみのようだ。」


まるでわかっていない、と言わんばかりに答える彼の例え方にあたしはつい笑ってしまう。


「随分勇ましい例えだな。たおやかな黒髪と獅子のたてがみのような髪の夫婦か。それだけ聞けば絶対に男女逆だと思うだろうね。」

「それは...、間違いありませんね。」


そう返しながら、セリウスも釣られるようにその背を震わせた。


そんな事を話しつつしばらく梳いていけば、セリウスの髪は滑らかに艶めいて、見事に美しく毛先まで纏まった。


「うん、充分だろ。」


あたしはその仕上がりに、達成感を感じながら櫛を置く。

ゆっくりとセリウスはこちらに膝を向けて、確かめるようにさらりと髪に指を通した。


「...ありがとうございます。」


礼を言う彼は、髪のおかげかさらにその端正さが増した気がする。


「いい櫛とは、こうも違うものなのですね。人に髪を梳かれるというのもなかなか悪くない。ですが...。」


そう言って見つめる彼にあたしがきょとんとすると、彼はあたしへと覆い被さり、そのままベッドに沈めるように組み敷いた。


「触れられているうちに、貴女の髪を乱したくなりました。」


見下ろす彼の梳かれたばかりの絹のような黒髪がさらさらとしなだれ落ちて、思わず目で追ってしまう。


「まっ、...待て待て待て、今はそう言う流れじゃなかっただろ。」

「では、どう言う流れがお好みで?押し倒す所からやり直しましょうか。」


はっとして慌てるあたしに彼はにっこりと微笑んで見せる。


「いや押し倒すなっつってんの!」


あたしが怒鳴っても、彼は嬉しそうにこちらを見下ろしたままだ。


「それは無理なご相談で。夜から陛下とのご同伴もあり、そこで俺は貴女に叱られる事がわかっているのですよ。今襲わねば機会を逃します。」

「いや、なんで叱られる側が開き直ってんだよ...。」

「もう覆せませんから、開き直るしかありません。」


あんなにあたしの追求に気まずそうにしていたくせに、その気になったセリウスは余裕の笑みを浮かべている。


残念ながら今までの経験上、こうなったこいつは止められない。


全力で抵抗しても無駄だとわかっているなら、もうその後の対処をするしかないのだろう。

五日ぶりに会う今日は「頻度が高すぎて嫌だ」なんて切り札も封じられているのだから。


あたしは大きくため息をついて、彼の目を睨む。


「隠し事が何かは知らないが、後で覚悟しろよ。」


その言葉を聞くや否や、セリウスがパチンと指を鳴らし外の環境音が消える。同時に扉がガチャンと施錠され、窓のカーテンがシャッと閉まった。


「ええ、...謹んで、お受けいたします。」


低い囁きと共に、彼は金の瞳を細める。


大きな手のひらをこの手に重ね、指を絡ませながらあたしに口付ける。あたしはそれを受けながら、厚いカーテンの向こう側へと視線を向けた。


...いくら音を消したって、荷下ろしが残ってんのに戻らなきゃ流石に怪しまれるに決まってる...。


その後の冷やかしがありありと浮かぶ様で、あたしは遠い目をするのだった。







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