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87.黒壇の櫛





「ふうん、これが噂の櫛ね。なかなかいい品じゃないか。」


訪れた国の宝飾店にて、あたしは飾られた櫛を手に取る。すると待ってましたとばかりに、きっちりと髪を纏めた初老の店主がすすっと隣に現れた。


「美しい品でしょう。職人の手によって細工が施された黒壇の櫛は、当店の一番人気でしてね。いや流石にお目が高い、お手に取ったそれは最も高級な品でございます。」


店主はあたしの肩書きを知ってか、そう言ってわざとらしく持ち上げる。

しかしその言葉通り、手に取った櫛は木製とは思えぬほどの艶と滑らかさ。蔦が絡み合うような繊細な透かし細工には職人技が光っている。


元々この櫛の情報は令嬢達の手土産として、そして他国の金持ちに売りつけるつもりで記憶に留めていた。けれどもセリウスにあのキザったらしい手紙を冗談で書いているうちに、さぞ彼の髪に似合うだろうと自然と思い出していたのだ。


「そちらの材質は青黒壇という、黒壇の中でも幻と言われるほど希少な物です。光を受けて青く偏向する様子が美しいでしょう。」


ふむ、確かに。

青みがかった漆黒の黒壇は、セリウスの流れる髪の色を思わせる。あいつに贈るにあたって、これ以上おあつらえ向きの物はないだろう。


しかし...あんな手紙を書いておきながら同じものを令嬢達に配り、ましてや売り捌くなど、流石にあいつも不機嫌になってしまうだろうか。


ちょうど昨日の朝方に、セリウスからの返信が来たところだ。どうやらあの甘過ぎる手紙はそれなりに効果を発揮したらしく、“貴女は俺をどうなさりたいのか。”という一言に、あいつのウブな反応が詰まっているようで思わず笑った。


しかし文末の“戻られたらお覚悟を。”という言葉には正直ドキリとさせられた。

奴の“お覚悟を”は大抵、あたしが逃げ出したくなるほどの甘い囁きと、その後の人に言えないあれやこれが込められているのだ。


戻ればそれが待っていると思うと、頬が熱を持つ。


少しでもあいつの仕返しを逃れる為には、やはり機嫌は取っておくべきだろう。

商機を逃すのは惜しい気もするが、たまにはあいつだけに渡す土産というのも悪くないか。


「貰おうか。一番いい紙で包んでくれ。」


あたしが口を開くと、店主は満面の笑みで「ありがとうございます。」と櫛を持ってカウンターに引っ込んだ。

軽く支払いを済ませると、店主は美しいあしらいの鮮やかな紙を並べる。


「色のお好みはございますか?どうぞ、リボンもお選び下さい。」


カウンターに並べられた紙には植物を模した細やかなエンボス加工がされている。

白、黒、赤、青。この四色から選ぶなら...、間違いなくあいつには黒だろう。リボンは金だな。


あたしがそう伝えると、店主は示された紙で丁寧に包みながらこちらを伺う。


「察するに、貴婦人のご友人への贈り物でしょうか?」

「いや、夫だ。」

「おっ、...ご主人ですか。」


驚きにあたしの言葉を繰り返しかけて言い直した店主に、思わずあたしは笑ってしまう。


「髪が腰まであってね。ちょうどその櫛の色だ。」


その言葉に店主はほう、と珍しそうに漏らす。


「かの国の騎士団長殿とご結婚されたとは存じておりましたが、そうでしたか。美男であられるとの噂ですから、長髪もお似合いなのでしょうね。」

「腹立つほど似合ってるのは間違いないな。」

「イズガルズの英雄騎士殿を一度拝見したいものです。」


あたしが笑えば、店主は微笑みながら器用に金のリボンをかけてこちらに差し出した。


「どうぞ。気に入られるとよいですね。」

「ああ、どうもね。」


包まれた櫛を受け取って店を出る。


その足で船長室へと戻り、櫛を引き出しにしまい込んだ。そして昼前にリゼとコンラッドから預かった積荷のリストにチェックを入れながら纏める。


それが済めばぶつぶつと呟きながら、今回の航海で得た情報の諸々を海図に書き込んでいく。そしてしばらくしてなんとかひと段落つき、ふうとため息をついた。

...さて、そろそろかね。


あたしは立ち上がってうーんと伸びをすると、机の上の懐中時計に目をやった。

針が刺すのは十五時。あと一時間で出航予定だ。

予定よりも早くに仕事が終わったことにあたしは満足して、一人微笑んだ。


すると、コツコツ、と窓をつつく音。

伝書鳩が戻ってきたのだ。


あたしは鳩を迎え入れると、革のポーチを外す。

収められた手紙を開くと、どうやらセリウスとヴィオレッタからのようだ。


封蝋を割ってヴィオレッタからの手紙を開く。

優美な文体で綴られた文字は、少しファビアンのものと似ている。

やはり夫婦とは似通うものなのだろうか。



“セリウス様よりあまり長文は送れないとお聞きしましたので、冒頭の挨拶を省かせていただきます。


ステラ様の航海の程はいかがでしょうか?

こちらは体調も良く、お腹の子も順調です。


早速あの後、ご紹介頂いたご令嬢方から温かなお手紙を受け取り、サロンにまでお誘い頂きました。きっかけを下さったステラ様には頭が下がるばかりです。


それから、明日のかの演劇について、とても楽しみにしております。また劇場でお会いしましょう。”



彼女が健康かつ順調であることにあたしはホッとする。しかし最後の文の意味がわからない。

かの演劇?劇場で会う?

いったい何のことだろうか。


首を傾げながら、セリウスからの手紙も開く。

そこにはセリウスの堅く丁寧な字で、いつも通りの簡潔な文が記されていた。



“十二時現在、こちらは昼休憩の時分です。

ミスタリアへのご到着、安堵致しました。


明日の朝、港へご到着の予定は変わりありませんか。

陛下より同日夜に劇場へ同行せよとの事です。

お叱りは後で受けます。お許し下さい。”



また劇場の単語が出てきた。

なんだ?さっぱり想像が付かない。


しかも、その件でセリウスはあたしが不機嫌になると思っているらしい。“お許し下さい”なんて書くほどとは、相当あたしにとって不都合な何かがあるという事だろうか。


しばらく思い当たりそうな事を頭の中で探してみるものの、全くピンと来ない。

だがまあとりあえず、早めに国に帰るべきだという事だけは伝わった。





————





予定通り早朝に港に戻ると、いつもの様にセリウスが馬で迎えに来ていた。


「セリウス!あの手紙は何だったんだ。」


あたしは開口一番にそう言いながら歩み寄る。セリウスは駆け寄ってあたしを抱きしめるが、言葉を返さない。


「おい、聞こえてるだろ。劇場なんかであたしに叱られるような何をやらかしたんだよ。」


セリウスはそっと離れてあたしの顔を気まずそうに見る。そして言いづらそうに口を開いた。


「申し訳ありませんが...夜までお話出来ません。ただ、俺にも抗う術がなかった、とだけお伝えさせて下さい。」

「はあ?何だよ、女優にでも手を出したか?あたしにあんな術をかけといてそんな事なら、軽々しく触れてきたその手を切り落とすが。」


“抗う術がなかった”に付随しそうな予想を口に出し彼を睨むと、セリウスは打って変わって微笑んだ。


「有り得ませんのでご安心を。貴女にそこまでの嫉妬心があったとは嬉しいですね。」

「どこで喜んでんだよお前は。」


あたしがセリウスの胸を小突くと、彼はもう一度嬉しそうにあたしを抱き寄せる。まあ、そう言う事でないなら一つ不安要素は減ったか。


彼の腕に収められてなすがままにいれば、少し離れた所からこちらを伺う者がいる。ちらりと見れば声を掛けづらそうに、入港関門のワトキンズが半笑いであたしに視線を送った。


「ああ、悪いね。ほら、どいたどいた。」


あたしはそう言うとセリウスを押しのけながら胸元から入港手形を差し出す。

押しのけられたセリウスは残された片手であたしの腰を抱きながら、邪魔をするなとばかりにワトキンズを睨んだ。


「ひっ、申し訳ありません!」


眼光を受けたワトキンズが、入港手形を受け取りながら後ろに後ずさる。


「大人気ないぞ、お前。」

「上官の妻が危険な領海外から戻ったのですよ。少しは控える配慮を覚えさせなくては。...いいから早く終わらせろ。」


ワトキンズは「は、はい!」と大急ぎで書類を書き上げると、焦ってあたしに入港手形を返却した。


まったく可哀想に。仕事をしているだけで上司にこの言われよう。しかもワトキンズはまだいいとこ17、8の若造だろうに。


セリウスは自分が若くして厳しい縦社会で生きてきたおかげで、相手が若造だろうが容赦がない。加えて2メートル弱のその体躯に見下ろされれば、さぞ恐ろしいに違いない。


あたしはすっかり縮み上がったワトキンズを不憫な目で見て、その頭をぽんと撫でた。


「うちのが悪いね。勘弁してくれ。」

「とっ、とんでも!!...ありません...。」


ワトキンズが目を見開いて顔を赤くし、その一瞬後でセリウスを見てさあっと青くなる。わざと威圧するように視線を向けるセリウスの頬を、あたしは呆れながら引っ張った。


「だから、その目を、やめろ。」






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