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86.手紙

前半ステラ視点、後半セリウス視点です



「すごいな...。この中に赤ん坊がいるなんて不思議な感じだ。わっ、動いた!」


あたしはヴィオレッタの許しを得て、彼女の膨らんだ腹部に触れていた。


「ふふ、この一ヶ月ほどでずいぶん大きくなりましたの。急に足元が見えなくなって歩くのが難しくなりましたわ。」


ひと月でそんなに大きさが変わるものなのか。

しかしなるほど、確かにこう膨らんでいては足元がおぼつかないだろう。妊婦というのは歩くだけでも困難になるものなんだな。


「あと4ヶ月は産まれないんだろう?その間にまだ大きくなるとすれば...大変だな。」

「ええ、けれどつわりが酷い最初の方が辛く感じましたわ。ファビアンが随分心配して、食べられそうな物をたくさん探してくれましたの。」


彼女は少し離れた場所でセリウスと会話するファビアンを見やり、柔らかく微笑む。

あたしも同じく彼に視線を移し微笑んだ。


「あのお調子者のファビアンの献身ぶりには驚かされたよ。実に夫らしい振る舞いだった。君は随分愛されてるらしいな。」


ヴィオレッタはその言葉に少し照れたように頬を抑えると、夫の隣のセリウスへと視線を移す。


「セリウス様の様子にも驚きましたわ。ファビアンの話ではほとんど笑われないと聞いていたのに、ステラ様には常に柔らかい笑みを向けていらっしゃるもの。」


彼女に言われて、あたしも少し照れてしまう。


「まあ、その...男ってのは、好きな女の前では性格が変わる生き物なのかもな。」


あたしがセリウスを見ながらぼそりと溢すと、彼女もファビアンをじっと見る。そして顔を見合わせて、あたしたちは同時に笑った。


「おや、随分打ち解けたみたいだね。どうだい?話してみて。」


ファビアンがにこにこと彼女の元へ歩み寄り、その後ろからセリウスも続く。ヴィオレッタは彼の問いかけに、あたしを見てにっこりと微笑んだ。


「こんなに雰囲気のあるお方なのに、話しやすくて不思議。飾らないお人柄で、心奪われたセリウス様のお気持ちが分かりましたわ。」


彼女に視線を向けられたセリウスが、照れたように咳払いをする。あたしはその様子がおかしくて笑った。


「気に入ってもらえたなら何よりだ。あたしは海に出てる事が多いが、文をくれたら必ず返そう。セリウスに預けてくれれば伝書鳩で送らせるよ。」


セリウスもあたしの言葉に頷く。


「鳩に風魔法の魔石を装着させたので、送れる枚数と往復の速さも向上しました。より連絡が取りやすくなったかと。」

「それで君、しょっちゅうお手紙書いてるわけ?結婚前よりずいぶん頻度が上がったなあと思ってたんだよね。」


ファビアンにそう言われたセリウスは、わかりやすく目を逸らす。ファビアンは笑いながらヴィオレッタに話しかける。


「頻繁にやりとりしてるからどんな内容なのかなって覗いてみたら、二人ともつまんない文章でびっくりしたよ。セリウスが報告書風なのはわかるとして、ステラさんまで航海日誌か軍事電報みたいなんだもの!」


あたし達はその言葉に、同時にぼっと顔を赤らめた。


「わ、悪かったな!」

「伝わればそれでいいだろう。」


その様子にファビアンとヴィオレッタはくすくすと笑う。


「こう見えて似た物同士なんだよねえ。何かの長を務めるとそうなっちゃうってこと?」

「ふふ、そうかもしれないわね。全く正反対に見えて、お二人にはどこか似た雰囲気がありますもの。」


あたしとセリウスはその言葉に顔を見合わせる。

こいつとは共通点が少ないと思っていたが、確かに。


「“文書は的確に簡潔であるべき”という感覚については、確かに共通していますね。」

「そうだな。それに手紙で何もかも書いてしまったら、話す楽しみが減るだろ。」


あたし達が軽く笑えば、ヴィオレッタが納得したと言う表情をして口元に手を当てた。


「なるほど...、ではわたくしもステラ様へのお手紙は簡潔であるべきでしょうか。」

「その必要は無いかと。ステラさんはご令嬢達には随分と愛情深く手厚い文を綴っておられますから。」


セリウスは物言いたげにあたしをちらりと見やる。

あたしは少し恥ずかしくなって口を尖らせた。


「お前にやるような手紙をお嬢さん方に送れるわけないだろ。使い分けてんだよ。」

「違うよねえセリウス?“俺には手紙で愛を囁いてくださらないのですか”ってヤキモチ妬いてるんだよねえ?」

「黙れファビアン。」


ファビアンが面白がって口を挟むと、セリウスはほんの少し顔を赤らめる。あたしはその姿におかしくなって、いたずらっぽく彼の肩を小突いた。


「なんだ、そういう事ならそう言えばいいのに。よしわかった、次の航海では“セリウス嬢”に向けてあまーい日報を綴ってやるよ。職場で腰が砕けても文句言うなよ、お嬢さん。」


ずいっと彼の目の前に迫りその顎を軽く掴んでやれば、セリウスは慌てて後退りした。


「け、結構です!」


セリウスは顔を背けてますます顔を赤らめる。

その姿にあたしとファビアン達はどっと笑い声を上げるのだった。






————





ステラさんを早朝に船へと見送った後、俺も1日の仕事をつつがなく終わらせて書類を纏める。


執務室の窓から夕陽が差し込み、室内を茜色に染めている。彼女もおそらく昼には目的地に辿り着き、仕事を終わらせた頃合いだろうか。出立前の彼女の話では、今回の航海は周辺国を軽く周るだけなので五日で戻れると言う。


伝書鳩もそろそろ戻ってくる頃だろう。

俺は窓際に置かれた小さな巣箱の餌入れに、戸棚から取り出した麻袋から麦を補充する。


鳩は魔石を装着させたおかげで移動速度が格段に上がり、隣国ほどの距離であれば半日もせずに戻って来れるようになったのは喜ばしい。


そもそも、ステラさん自体は頻繁に便りをよこす性格ではなかった。しかし今や俺の性分をよく理解している為か、上陸のたびに無事を伝える便りを出してくれる。面倒くさがりですぐ憎まれ口を叩くくせに、意外に柔軟できめ細やかな彼女が愛おしい。


麻袋の紐を結び直していると、背後の窓から羽音が聞こえる。振り向けばコツコツ、と窓を嘴でつつく白い鳩。俺は胸が浮つくのを感じながら、その窓を開けて鳩を腕の上に迎え入れた。


「ご苦労だったな。」


鳩の羽根を撫で、体に留められた革のポーチを外してやる。鳩は軽く羽根を繕うと巣箱へと降り立ち、麦をついばんだ。


俺は革のポーチに小さく収められた紙を取り出し、革紐を解いてそれを机の上に広げた。


彼女の飾らない性格を写したような達筆な字の連なりを、俺は指でそっと撫でる。


“現在、昼十二時半。隣国アルヴヘイムはジェノバ港に上陸。海域に敵船の影なく、商船団に欠けはない。荷下ろし後、目当ての羊毛を買い付ける予定だ。それと、お前の望みの手紙を二枚目に。”


ざらついた羊皮紙にいつも通りの簡潔な文章。

しかし最後に記された内容に俺は目を丸くする。


何のことかと紙をめくり二枚目を出せば、金の箔押しの高価な便箋に打って変わって驚くほどの文字量。

俺は思わずその紙を持ち上げて、内容に目を凝らした。


“ 春の日も終わりに差し掛かり、柔らかな陽気はお前を思わせる。この手紙が届く頃には、早朝に離れた愛しい夫がつつがなく1日を終えている事を願う。


こちらは隣国アルヴヘイムに到着し、荷下ろしと昼食を済ませて手紙をしたためているところだ。


この国の人間は皆穏やかで大人しいが、恥ずかしがり屋な気質が多い。その様はまるで会ったばかりのお前のようで、懐かしい気持ちにさせられる。


同時に、お前の顔が数日見れないと思えば寂しいものだな。今回は短めの航海とはいえ、いつも陸で待たせてしまうのを許して欲しい。だがいつ何時も、心にお前が居るのは覚えていてくれ。


無事に終われば五日後の昼、そちらに帰還する予定だ。


次に訪れる国は美しい細工の櫛が評判だと聞く。滑らかな黒壇はお前の長く艶やかな髪に似合うだろう。国に戻り、手ずからその髪を漉くのが楽しみだ。


早く仕事を終わらせて、

セリウス、お前の顔が見たい。”


読み終わると同時にかあ、と顔が熱く火照る。

彼女の口から発されるとは思えない言葉の数々を目に入れるたびに熱が纏い、鼓動の高まりに思わず胸を抑えた。


この文章を、彼女が。


信じられないその文字の羅列に俺はまた最初から読み返し、そしてますます全身が熱を持っていく。


そして何より最後の一言。


“セリウス、お前の顔が見たい”


トドメのようなその文句にぎゅうと胸が潰され、彼女の美しい笑顔が鮮明に思い出される。

俺は乙女のように吐息を漏らし、よろりと壁にもたれかかった。


屋敷にて彼女が令嬢達に書き付けるその内容を眺めたことはあったが、自分宛となるとわけが違う。


こんなにも甘く、己が欲している台詞ばかりを続けて送られた事が今までに一度でもあっただろうか。

身を熱らせるその一言一句に、ため息が出てしまう。


普段の振る舞いもさながら、出した手紙にこんな物が返ってくれば、令嬢達が彼女に夢中になるのも頷ける。まさに、腰砕けの口説き文句だ。


やられた...。


と思うと同時に、その内容が嬉しくてたまらず、俺は手紙を胸に押し当てる。


しばらく目を瞑り内容を反芻してから、俺はそっとその手紙に文字を視認阻害させる魔法を施して、引き出しの中にしまいこんだ。


こちらも何かやり返したいところだが、さっぱり文章が思いつかない。


実際目の前にすればそれなりに口説けるようになったと思っていたのだが、手紙で口説くことに関しては頭が真っ白になるばかり。


改めて彼女の言語能力の手練れさを思い知りながら、俺は筆を取った。


“十七時現在、職務終了。こちらは依然変わり無く。

其方がご無事で何よりです。

明日明朝、陛下の地方慰問にてエストラへ参ります。


二枚前を拝読いたしました。

貴女は俺をどうなさりたいのか。

戻られたらお覚悟を。”


したためた手紙と共に、ラングロワ夫人から預かった手紙を持たせ、鳩を離す。


魔石の風魔法を纏いながら、鳩はハヤブサのような速度で空へと消えていった。






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