84.セリウスとファビアン
しばらくしてセリウスの書類仕事が終わり、待たせていた馬車に乗り込む。
セリウスに手を引かれ彼の隣に腰掛けると、その後からファビアンが向かいの席へと腰掛けた。背を浮かせてセリウスの腕が回されるのを待つが、一向に抱き寄せられないので、あれっと彼を見やる。
目が合ったセリウスはあたしの姿にわずかに口の端をにやけさせたかと思えば、慌ててごほんと咳払いをする。それを見てあたしもはっとして背もたれに背を預けた。
...そうか、ファビアンの前では流石にこいつも抱き寄せないよな。あまりにも日常になり過ぎて、いつの間にか受け入れるのが癖になってしまっていたようだ。
「いつものように抱きしめていいんだよセリウス?どうぞ、僕の事はぜーんぜん気にしないで!」
ファビアンが心底楽しそうにニコニコと笑いかけると、セリウスは「やかましい」と一言放って顔を赤らめた。
「あはは、照れちゃって!」
ファビアンは楽しげに笑い、一息置いて彼を眺めて柔らかく微笑んだ。
「セリウスが幸せそうで僕は嬉しいよ。あのままじゃ絶対生涯独り身か、晩年になって変な女に捕まると思ってたからね。」
そう言い終えながらファビアンがけらけらと笑うと、セリウスが不機嫌そうにじろりと彼を睨んだ。
「俺を何だと思っている...。」
「え?クソ真面目騎士を遂行する精巧なゴーレム。最近愛を知って人間になったんでしょ。いやあ泣けるよね!」
「お前な...。」
あたしはそのやりとりに思わず吹き出してしまう。
「ふふっ、あはは!上手いこと言うもんだな。」
「ステラさんまでその様に思っていたのですか。」
セリウスに怪訝な目を向けられ、あたしは肩を震わせる。
「いや悪い、そこまでは思ってないよ。なんだかんだあたしの前では割と感情的だったし。」
それを聞いてファビアンがさらにニマニマと微笑む。
「そうみたいだねえ。常に仏頂面だったセリウスが随分と表情豊かになって。出会った頃からすると考えられないよ。」
あたしはその言葉に少し興味を持つ。子供時代のセリウスはそんなにも無感情な少年だったのだろうか。
「出会った頃っていうと、13歳だったか?当時のこいつが気になるな。」
ファビアンはあたしの問いかけに、待ってましたとばかりに嬉しそうに口の端を上げた。
「そりゃーもう生意気で子供らしくない子供でしたよ!僕との最初の一言目、何だと思います?よりにもよって“私語を慎め”ですからね!」
「それは、お前が叙任の式典中にひたすら話しかけてくるから...。」
その姿があまりにも想像に容易くて、またもあたしは笑ってしまう。
「それで僕が愛想良く爽やかに挨拶しても“そうか”で終了!その後の手合せや訓練でもニコリともしないし、僕を吹っ飛ばして気遣いすらしない!正直、大っ嫌いでした!」
ファビアンはそう言い切ってセリウスに満面の笑みを向ける。
「へえ?お前、ファビアンに嫌われてたのか。」
彼の屈託のない言葉にあたしが目を丸くすると、セリウスは気まずそうに眉根に皺を寄せた。ファビアンはその様子にくつくつとおかしそうに笑って、話を続けた。
「でもねえ、ある日の任務でセリウスが魔物の群れに突っ込んで一掃した後、潜んでいた取りこぼしに気付かず深傷を負いまして。その時にたまたま同じ隊にいた僕が助けたんですよ。」
「なのにこいつ“感謝する”だけ言って大怪我で次の目標に向かおうとするから、僕、思わずこのかったい頭をぶん殴りまして!」
ファビアンはそう言って、己の拳をぐっと握って勢いよく殴るふりをして見せる。
「そしたらあろう事か、“止めるな。任務を遂行するのが騎士たる役目。父が望む限り、俺はいかなる時も完璧な騎士でなければ。”みたいなことを腹から死ぬほど血流しながらのたまうんですよ。治癒魔法使ったって普通ならしばらく立てないのに。笑っちゃいますよね!」
ファビアンはセリウスを見ながら笑い、あたしはその内容に目を見開く。
たかだか13歳にして、そこまでの決死の覚悟を親に持たされていたのか...。
あたしは年端も行かない少年が血を流して戦場に立つ状況を想像して心が痛み、セリウスを思わず見やった。セリウスは居づらそうに若干身じろぎする。
「で、僕腹立って!しこたまこいつを殴りました!後で治しましたけど!」
ファビアンがそう言ってあはは!と笑う。
「それでもこいつ全然ピンと来てなくて。目も死んでるしもう見てらんなくてね。僕がコイツをサポートしないと、どんどん死地に突っ込んでくんだなあと思ったんですよ。なんかもう“騎士として早く死にたい”って感じでしたもん。だよねセリウス?」
彼に視線を向けられたセリウスは、目を瞑るとため息をついて「...そうだな。」とこぼした。
あたしはそのやりとりを見て、いつか屋敷でセリウスが語った言葉を思い出す。
“俺は強くあれと育てられ、俺を産んだ母に感謝せよと言われ続けるのが苦痛だったのです。”
“惜しまれるくらいなら、後継など気にせず父と余生を生きて欲しかった。俺はそんな犠牲など要らなかったのに。”
父親の望む様に騎士としての生を強いられ、自らを産み亡くなった母への負い目が、少年期の彼をそこまで追い込んだのだろうか。
「それで無茶するセリウスを助け続けたら、あれよあれよと昇進して、僕もこいつもこんな地位まで来てしまいました。その間に部下が出来たりルカーシュ殿下付きになったりして責任感が付いたのか、自殺願望は無くなったみたいですけどね。」
顔を背けるセリウスを見ながらファビアンは微笑んだ。
「だから僕はいま本当に、セリウスが全力でステラさんに甘えているのが嬉しいんですよ。人間としての欲求とか自分自身の願望とかを持てるようになったのは貴女のおかげですから。」
へらへらと笑っていた彼の青い目にじっと感慨深く見つめられて、あたしはなんだかむず痒くなる。
「それはファビアンが下地を作ってきたからだろう。雑な扱いばっかしてるけど、お前のことを信頼してるからだってのは見ててわかるさ。なあ?セリウス。」
あたしに声をかけられ、図星なのかセリウスは目を逸らして黙り込む。なんともまあ、素直じゃないやつめ。
「そっかあ!じゃあ僕に感謝してもらわないとねえ!僕が居なけりゃステラさんとのハッピー新婚ライフも無かったかもしれないよ〜?」
ファビアンがけらけらと笑い、セリウスの膝を指でつつく。セリウスは眉根に皺を寄せて窓の方を向いたまま、ぼそりと「...感謝する。」と呟いた。
あたしたちはその姿を見て、目を見合わせて笑い出す。
「あはは!その上、相手がステラさんで心底良かったと思ってますよ。僕みたいなタイプや頭の悪い女なら、絶対仲良く出来なかったでしょうからね!」
「急に怖いことを言い出すじゃないか。夫の親友から品定めされてたのかあたしは。」
そう笑えば、ファビアンはにっこりと微笑む。
「そりゃあもちろん!ろくな女じゃなけりゃ適当に遠ざけてましたよ。まあ、お会いした時から好印象でしたし、竹を割ったようなその性格と実力は賞を差し上げたいくらい満点ですけどね!」
「あっはは!親友賞を頂けるなんて光栄なこった。」
膝を打って笑うあたしに、黙って聞いていたセリウスが呆れた顔を向けた。
「そこは無礼だと怒るところでしょうに。」
「今のを聞いちまったら気持ちは分かるからな。親心みたいなもんだろ。」
あたしが頷けば、ファビアンがにっこにっことセリウスに繰り返した。
「そうそう!親ゴコロ親ゴコロ!」
「お前が親になるのだけは御免被る。」
そう言うセリウスにファビアンがにこーっと微笑む。
「それがー、僕、親になるかもしれないんだよね。」
「何!?」
セリウスが目を見開くと、ファビアンが嬉しそうににへら、と笑う。
「今日、実はうちの奥さんも夜会に参加するんだけど、その報告の為なんだよねえ!この前、丁度性別がわかったところで、男の子だってさ〜!」
「へえ!めでたいじゃないか!」
「でしょ〜?」
あたしがそう言うとファビアンも、にへにへと口元をにやけさせた。セリウスは信じられないと言った面持ちでファビアンをまじまじと見つめる。
「お前が...人の親に...。」
「ええ?何?失礼〜!」
そう言って彼は頬を膨らませるとすぐさま悪戯っぽい顔になり、またセリウスの膝をつついた。
「セリウスだって他人事じゃないよ?ひょっとすれば、ステラさんが既に身篭ってる可能性もあるんだから!」
「...!」
セリウスはそう言われて目を見開くと、こちらを振り向く。あたしが「そんな顔されても、まだわかんねーよ。」と肩をすくめて見せれば、ファビアンが笑った。
「僕に言わせれば、セリウスの方が親になるのは心配だけどねえ。そのまま君の分身に育てられそうじゃない?」
確かに、こいつの説教くさい性格じゃ瓜二つの堅物騎士が完成してしまいそうだ。
あたしがセリウスの顔を見て吹き出せば、彼はぐっと黙り込む。ファビアンはその様子に肩を震わせると一息ついてこちらに向き直った。
「...それでね、今日はうちのをステラさんに会わせたいのが本題でして。うちの奥さん、気は強いんですが社交界から遠ざかっていたので、令嬢達との付き合いが苦手なんですよね。友人もおらず一人屋敷で待たせるのは僕も心苦しくて...。」
彼はわざとらしく眉を下げてはあ、と深いため息をついて見せる。
「...そこで、少し歳上で貴族らしさのないステラさんなら、うまく付き合えるのではないか!?と気付いちゃいまして!いやあ身篭ると何かと不安らしいんですが、僕に言えない女性の悩みとかも話しやすそうでしょ?僕を助けると思って!ね!お願いしますよ!」
打って変わって彼らしい屈託のない笑顔で饒舌に畳み掛けられ、あたしはその小芝居に呆れつつも笑った。
「気が合うかどうかは嫁さん次第だろうが、まあ構わないよ。その代わり騎士の妻らしい返答はしてやれないがな。」
「もちろん!いや〜助かるなあ!引っ込み思案の猫みたいな子なんですよ〜!」
彼がそう言ってわかりやすく目尻を下げるのをみて、あたしはくすりと笑った。セリウスをデレデレだなんだとからかっていたこいつも、結局人の事は言えない様だな。
「令嬢達で手一杯なのにまた引き受けて...断っても良いのですよ。」
セリウスが呆れつつこちらを気遣うが、あたしは微笑んで返す。
「いや、いずれ子が出来た時の為に当事者の話を聞けるのは悪くない。素直に教えを請おうじゃないか。」
そう答えれば彼は少し驚き、小さなため息と共に柔らかく微笑んであたしの手を握った。
「...そのようにお考えだとは...。俺は幸せ者です。」
ファビアンはニマニマとその様子を眺めながら、口を開いた。
「確かに僕らは幸せ者だよねえ。愛する人に我が子を産んでもらえるなんて、男としてこれ以上の事はない。...支える事しか出来ないのがもどかしいよ。」
そう彼がこぼしたと同時に車体がゴトンと揺れる。どうやら馬車が目的地に到着した様だった。
「さ、行きますか!うちの馬車はどこかな〜!」
ファビアンとセリウスが親友となった経緯でした。今でこそ危なっかしいとステラの世話を焼くセリウスですが、かつての彼の方がよっぽど生き急いでいて危なっかしかったのです。ファビアンに世話を焼かれ続けた結果、今の彼が出来上がったのかもしれません。




