83.新人の憧れ
王城の別邸にてメイド達に着替えを頼み、いつもの男装姿となる。
あたしの腕に礼装の袖を通すメイドから「ご結婚されたのにドレスにはいたしませんの?」と尋ねられる。やはりあたしはこっちの方が落ち着くのだと答えれば「確かに見慣れすぎてしまったせいか、男装の方がしっくり来ますわね。」なんて彼女達は笑った。
練兵場を抜け、兵舎からセリウスの居る執務室に向かっていると、部下らしき騎士を連れたファビアンと出くわす。
さらりと輝く金髪を靡かせ、透き通った青い目があたしを捉えてにっこりと細められた。
「おや、ヴェルドマン夫人じゃありませんか!お久しぶりですね!」
「ああ、今朝方に海から戻って来てな。この前はいい酒をどうもね。」
握手を交わしてそう笑えば、ファビアンはにやりとする。
「ふふ、セリウスからも珍しく礼を言われましたよ。ずいぶん気に入って頂けたようで。」
妙に含みのある笑顔でにこにこと見つめられて、あたしは言葉に詰まった。
「な、なんだよその目は...。ていうかそいつは?待たせてるんじゃないのか。」
ファビアンの後ろに静かに控えていた若い騎士が、あたしの言葉にほんの少し肩をぴく、と上げる。ファビアンは彼を振り返ると、その背中を押してあたしの前に立たせた。
「ああ、失礼しました!ちょうど先週うちの騎士団に入ったばかりの新人でしてね!ほら、名乗らないか。」
新人と呼ばれた彼は慌ててびしりと敬礼を取って見せる。
「アイザック・テンバー!15歳です!若輩者ではありますが、誠心誠意、騎士道精神に順じる所存であります!」
燃えるような赤毛に明るい緑の目。顔立ちは幼いが精悍で、こちらをしっかり見据えて物怖じしない姿はなかなかに気概がありそうだ。
「よろしく、アイザック。あたしはステラ・バルバリア・ヴェルドマン。緋色の復讐号の船長かつ、お前んとこの団長の妻だ。」
そう言って手を差し出せばアイザックは目を見開き、震える手で握手を返した。
「あ、あの団長殿の奥方様であられますか...!な、何卒お見知り置きを!」
その様子にファビアンはおかしそうに笑う。
「彼、セリウスにえらく憧れてましてね。どうせならあの堅物より僕に憧れてくれてもいいんですけど、“理想の騎士とは違う”らしいんですよねえ。ねえ、失礼じゃない?アイザックくん。」
そう言ってファビアンはアイザックの脇腹を軽く小突く。
「副団長殿はすぐそうやっておふざけになる...。厳しく常に冷静で、大人の魅力溢れる団長殿を見習って頂きたいです。」
そう言ってむくれるアイザックに、あたしとファビアンは目を合わせると思わず笑い出してしまう。
「ふふっ、大人の魅力溢れるだって?お前にはそう見えてんのか!」
「あははは!ね?面白すぎるでしょ。あの騎士道野郎をこう言うんですよ!」
震えて笑うあたしたちに、アイザックはさらに不満げな表情で訴えた。
「な、なぜお笑いになるのです!?氷のように感情を閉ざし!気品を纏い!洗練された理想の騎士ではありませんか!!」
「ふっ!こ、氷のよう...!い、いや、悪いな!うちの旦那をそこまで買い被ってくれてありがとね...。」
「あはは!せ、洗練された理想の騎士...!...おいでアイザック、彼女と一緒にいる時のセリウスを見せてあげよう!」
腹を抑えて涙を浮かべるあたし達に、アイザックはさらにむくれながら疑問符を浮かべる。廊下を歩みファビアンが執務室の扉を開くと、いつもの重々しい長机でセリウスは書類と向き合っていた。
午後の柔らかな日差しを窓から受けて、黒髪が艶やかにさらりと流れる。書類に落とされた視線は涼やかで、長いまつ毛の影が金の瞳に落ちる様は実に耽美だ。整った目鼻立ちは陽光の中でその輪郭を美しく際立たせている。
その姿を見てアイザックが惚れ惚れとため息をついた。
そしてセリウスはこちらに気付き顔を上げると、足を踏み入れたあたしに柔らかく微笑んだ。
「ステラさん。...お待ちしていましたよ。」
彼のその優しげな笑みを見て、背後でアイザックが目を見開く。あたしはいつも通り彼のもとへ歩み寄り、机に腰掛けるとその頬を撫でた。
「ただいま、セリウス。いい子で待ってたようだな。」
「“待て”だけは慣れたものですから。」
彼があたしの手を取ってそっと口付ける。
アイザックは顔を赤らめ、見てはいけないとでも言うようにばっと両手で隠した。
「いつ頃お戻りで?」
「今朝方にな。昼間ルドラーんとこで暇を潰して来た。」
「また懲りずに口説かれに行ったのですか。...それで、賭けの成果はいかがでしたか?」
「えっ、あー...。うん、まあまあかな。」
うっかりルドラーとの話なんてしたら、めんどくさい事になるに違いない。あたしが言い淀むと彼は訝しむように眉根に皺を寄せた。
「...何か俺に隠し事が?」
「昔話を少ししただけだ。お前をまた泣かせるような話は一つもないから安心しな。」
「っ!それはお忘れ下さいと言ったでしょう。」
頬を赤らめ、目を逸らす彼の頭を撫でてやると、その姿を見てアイザックがさらに薄緑の目を大きく見開く。そして小さな声で「だ、団長殿が...泣かされ...?」と呟いた。隣でファビアンが肩を震わせる。
その様子に気付いたのか、セリウスはあたしの背後で壁際に控えた二人を見やる。それから気まずそうにわざとらしく咳払いをした。
「居たのかお前達...。何の用だ。」
何でもないように冷静さを取り繕う彼に、ファビアンはにこーっと口の端を上げた。
「先ほどちょうどステラさんに彼を紹介したところだったからね。ついでに夫婦の会話を見せてあげようかと思って。」
「余計なことを...。」
眉を顰める彼にあたしはアイザックを振り返り、もう一度セリウスを見て口を開く。
「ずいぶん若い子を入れたんだな。お前達の現場は相当過酷なんだろ。大丈夫なのかよ。」
セリウスはこくりと頷いて彼を見やる。
「ええ。2週間前の王都魔法剣技大会にて彼の実力を確かめました。アイザックは大人達を飛び抜けて首位を得ている。陛下とそこのファビアンとの協議の結果、精鋭の中で磨かれるべきかと。」
「へえ、セリウスとなんだか似てるじゃないか。やるね、お前。」
あたし達に視線を向けられ、アイザックは真顔のまま嬉しそうに頬を染めた。それを見てファビアンも「はいはい!」と手を挙げる。
「僕も過去に同じ大会でセリウスに次ぎ二等を勝ち取って!その後も同じ戦で戦績を上げてここにいまーす!」
「新人を評価している時に言うことか、ファビアン。」
「生意気な新人にアピールしておくいい機会でしょ!大型魔法に頼って護りの薄いセリウスを幾度も助けて来たのはこの僕でーす!」
あたしはその様子に思わず笑ってしまう。
なるほどな。そういう経緯でファビアンは副団長の座を得ていたのか。実力はもちろん十二ぶんにあるのだろうが、彼らしく世渡り上手なことだ。
「アイザック、先ほど紹介されたそうだが俺からも伝えておこう。」
セリウスがアイザックに目をやり口を開く。
「彼女は俺の妻であり、陛下の友人でもある。分かっているだろうが“スフェリア”を冠し、全海域の海賊を纏め上げる船長だ。気取らず人当たりは良いが、礼儀を欠くような真似は許さん。」
「はっ!!」
セリウスにしっかりと釘を刺され、アイザックがびしりと堅く敬礼する。
「おいおい、あんまり脅かしてやるな。変に気を遣われるのは好きじゃない。」
「そうだよセリウス。これからも会う機会は多いんだ。アイザックには彼女の実践的な戦闘技術も学ばせておきたいし、あまり強張らせるのもよくないよ。」
あたしたちがそう言うとセリウスはむ、と唇に指を当てた。
「...そうか。では程々に。」
そう声をかけられてアイザックはまたも「はっ!」と敬礼をする。ファビアンはその様子に微笑むと、机に手をついてセリウスに話しかけた。
「ところでこれから夜会に行くんでしょう?今夜は僕も参加するから同じ馬車に乗せてよ!」
「断る。」
スパッと言い切った彼の頬をあたしはぷにっとつつく。
「ケチくさいなお前、乗せてやれよ。」
「っ、...貴女がおっしゃるなら仕方ありませんね...。」
少し頬を赤らめながらその手を取る彼にファビアンがガッツポーズをした。
「やった!いやあセリウスと違ってステラさんはお心が広いなあ!」
「そもそもお前がうるさくなければ...。」
セリウスが眉間に指を当ててはあ、とため息をつくがファビアンは彼をイタズラっぽく小突く。
「ええ?どうせステラさんといちゃつきたいだけのくせに〜。」
「そうだよ、ほっときゃずっとべったりなんだからファビアンが居てちょうど良いだろ。」
あたしもついでにそう言えば、セリウスは焦って握ったあたしの手を引いた。
「ステラさん、そのような事を人前で...!」
その様子を見たファビアンがニヤニヤと口元に手を当てて楽しそうにほくそ笑む。
「へえ〜?“ずーっとべったり”なんだ〜?いや〜わかるよ?陸にいる間は離したくないもんねえ!」
「黙ってろファビアン。...おい、なんだその目は。」
セリウスがファビアンに一喝するとそのアイザックの視線に気付き、そのままの口調で不機嫌そうに声をかける。ぼんやりとしていたアイザックははっとして、言いづらそうにセリウスに答えた。
「いえ、その...御三方がお並びになると絵画のようで。その上、あの厳しい団長殿が見ない表情ばかりされるので...。」
その言葉を聞いて、セリウスは気まずそうな顔をする。あたしとファビアンは顔を見合わせて意地悪く笑うと、アイザックの方を向いた。
「アイザック、こいつは真面目さと実力は折り紙付きだけど、お前が思ってるよりそりゃあもう可愛いやつだよ。」
「そうそう!特に彼女の前ではもう、別人みたいに甘々デレデレに緩み切っちゃうんだから〜!真面目に書類仕事してるかと思えば、しょっちゅうラブレター書いてるの知ってる?」
「おかげで伝書鳩が休みナシで疲れ切っちまって困ったもんだよ。」
「やめてくれ...。」
調子に乗るあたしたちの後ろで、セリウスは目元を覆って顔を赤らめる。
その様子を見てアイザックはしばらく黙る。そしてうんうんと何度か頷くと、なぜか目を輝かせた。
「なるほど...!団長殿は非常に愛妻家であられるという訳ですか...!!」
「平素では己の心を常に厳しく律し、愛する奥方様にのみ感情を現されていると...!」
「やはり、団長殿は私の理想の騎士像です...!!」
そう言って両の手を胸の前で握り合わせる彼に、予想外過ぎてあたし達は目を点にして、顔を見合わせる。
「人の見方にも色々あんだねえ...。」
「憧れの力ってすごいですねえ...。」
セリウスはますます居づらそうに目を覆ったまま、アイザックに声を絞り出した。
「もういいから...、とにかく俺を見るな...。」
アイザックは解釈不一致で肩を落とすかと思いきや、憧れの騎士セリウスが愛妻家である事実はさらに好感度を上げたようです。ついでに、実力ある美しい妻を娶る事も彼の憧れに追加されました。このまま憧れ続ければ、いつの日か第二のセリウスとなるやもしれません。このまま夜会へと続きます。




