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82.ルドラーの過去



「よお、暇つぶしに来てやったぞ。」


賭場の扉を開けて、あたしは煌びやかな店内に足を踏み入れる。ルドラーに声をかければ、彼はいつも通り感情の読めない笑顔を浮かべた。


「ステラ!よく来てくれたね。しかも一人かい?」

「今夜は夜会があるからさ、あいつの仕事終わりまでちょっと遊ぼうかと思ってね。」


そう言ってあたしはバーカウンターの椅子に掛ける。ルドラーも隣に掛けたところで、バーテンから泡立つシャンパンが速やかに注がれる。あたしがそれに口をつけると、ルドラーがこちらに少し寄った。


「なんだ、まだ夜会なんか出てるの?任務は終わったんでしょ。」


あたしはしゅわりと弾ける炭酸を喉の奥に送ると、グラスを置いて答える。


「ルカーシュが王になっても“元・現王派”のやつらが消える訳じゃないからな。時々顔を出すよう言われてんのさ。」

「ふぅーん、大変だねえステラも。騎士団長殿と結婚なんかしちゃったせいで、余計に“英雄サマ”の座から降りれないでしょ。今からでも俺に乗り換えない?」

「結婚しても口説いてくるなんてお前もなかなかしぶといね。その冗談は聞き飽きたよ。」


はあ、とため息をつくあたしに、ルドラーはこちらの手を取って口付ける。


「俺は本気だよ、ステラ。人妻になってより魅惑的になったってものさ。どう?あいつに飽きたら俺を味見するってのも悪くないんじゃない?」


薄紫色の目を細めて囁く彼の手を、あたしは振り払った。


「やめとけ。あたしに手を出したら火傷で済まないよ。」


振り払われてもめげずににこにことルドラーは微笑む。


「ふふ、君と熱く燃え上がれるなら本望ってものさ。」


そんな彼の目をあたしはじっと見て言った。


「いや、本当にお前が燃えちまうよ。物理的に。」

「へ?物理的?」


きょとんとする彼に、あたしは真面目に答えてやる。


「あたしの身体には、“体液の交換をした男を焼き尽くす”っていう魔法が掛けられてんだよ。」

「は...、はああ!?なにそれ!?あいつが掛けたってこと!?」


珍しく大声を出してルドラーが大袈裟に驚く。

あたしはもう一度シャンパンに口をつけた。


「そ。だから今、セリウス以外の男に対してあたしは無敵ってわけ。」


そう言ってにっと笑えば、ルドラーが目を剥いて両手を広げる。


「いやそういう問題!?実質貞操帯じゃん!うっそでしょあの人...!独占欲えげつなさ過ぎて引いちゃうんだけど!!」

「貞操帯は言い方が悪すぎだろ。ていうか別に困ってないし、むしろ女として最強じゃないか。唾液一つでどんな男も殺せるんだぞ?」


そう返すと彼は真底呆れたように大きなため息をついて、シャンパンを一気に煽った。

そしてコン、と音を立ててグラスを置く。

 

「あーあ...、じゃあもうホントに手ぇ出せないじゃん!これから俺は何を楽しみに生きたらいいわけ?」


カウンターにうつ伏せになって泣き言を言うルドラーにあたしは呆れた。


「あたし以外にも女はいるだろ。」

「俺はステラが良かったの〜!!ああもう!この際だから訊くけどさあ!ステラ、昔のこと忘れてるだろ!」


何のことがわからずあたしは頭に疑問符を浮かべる。


「何の話だよ?」

「俺が“鴉”に入る前!」

「ええ?そんなの知らないって。」

「ああもうやっぱり〜!もう、ちゃんと話すから聞いて!?」




————俺がまだガキの頃の話だよ。

あん時の俺は、酷く腹が空いててさ。

たまたま目立つ髪色のステラが市場で財布を出したのを見て、思わずそれを奪って逃げたんだ。


「あっ!?待てこらお前!!」

「ステラ、逃すんじゃないよ!」


同じ髪色の女にそう言われて、ステラは走って追いかけて来る。必死で路地裏まで逃げ込んだところで、ナイフを顔の目の壁にぶん投げられてさ。鼻先に触れるくらい近くに刺さったナイフに、俺はびびってへたり込んじゃった。


「財布を返しな。今返したら許してやる。」


同い年くらいの女の子なのに、男みたいな喋り方するからびっくりしたよ。目の前の少女に俺は怯えながら財布を恐る恐る返した。


「みすぼらしいな...お前、孤児か。素直に返したから飯くらいは食わしてやる。おいで。」


そう言ってステラは市場まで連れてってくれてさ、串焼き肉に、両手に抱えるくらい大きな輪っかみたいなパンを買ってくれたんだ。子供のくせに慣れた様子で買い物して、中央広場の階段に座って「ほら食べな。」って。


財布を盗んだのに、なんで飯を食わせてくれるのかさっぱりわからなかったけど、俺はもう無我夢中で食ったよ。久しぶりのマトモな食い物の美味かったことといったら。

...未だに時々思い出して買うくらいには、感動的な味だった。


「おいおい、取らないからゆっくり食べな。喉に詰めるぞ。」


そう言って優しく笑うステラに俺はドキッとしちゃって、その瞬間に咽せちゃった。


「ほら、言わんこっちゃない。」


ゴホゴホ咳き込む小汚い俺の背中をさすってくれるもんだから、ますます心臓は激しく脈打って、体温が上がったよ。ステラはそんな気も知らずに俺に話しかけた。


「お前、いくつ?名前は?」

「12。...ルード。」


すっかり真っ赤になった俺がぼそぼそ答えたら、ステラはにこっと人懐っこい顔で笑った。


「何だ、同い年じゃないか!あたしはステラ。ステラ・バルバリアだ。バルバリア海賊団のカーラの娘だよ。」


それを聞いて今度は別の意味で心臓が跳ねたよ。

バルバリア海賊団のカーラって言えば超有名な大海賊だもん。正直あの時は腹が減り過ぎて、財布しか見てなかったから全然気付かなかったんだ。


「お前、どうせ孤児なんだろ?どこの孤児院だ?」

「...孤児院、行ってない。」

「じゃあ食い物にも困るだろ。うちの船に来るか?」


急な誘いにびっくりして、でもそれから...海を思い浮かべて俺は暗い気持ちになった。


「...海は嫌いだ。弟が流されて死んだ。」


ステラは俺の言葉にちょっとだけ目を見開いて、それから俺に優しく気遣うように声をかけた。


「...そうか。悪いこと聞いたな。じゃあ孤児院に連れてってやる。このまま行けばお前、野垂れ死ぬぞ。」

「...行かない。」

「なんでだよ?」


ステラは俺に向かって不思議そうな顔をした。誰にも話す気なんかなかったけど、なんでかステラになら話してもいいかなって気になって、俺は言葉を続けた。


「...俺、母さんに捨てられたんだ。二年前に弟が死んでから母さんはおかしくなってった。そのうち博打にのめり込んで借金がかさんで、手紙を残して居なくなっちゃった。」


「しかも借りてた先があの“鴉”。それで借金のカタに組員として働けって、雑用ばっかりさせられて。1週間前に排水溝通って逃げてきたんだ。」


「孤児院に行ったら見つかっちゃう...。でもゴミ漁りじゃ腹も膨れない...。俺、どうしたら...。」


泣き言を言う俺に、ステラはふうんと相槌を打った。


「そりゃ可哀想だが、どうするつもりだ?お前のその汚い身なりじゃどこでも働けない。浮浪者が嫌なら船に乗るか、“鴉”に戻るしかないだろ。」

「ぜったい船は嫌だ!それに戻ってどうしろって言うのさ!俺に一生奴隷みたいに働けって!?」


怒りに任せてそう怒鳴ったら、ステラは肩をすくめた。


「どっちも嫌ならしょうがないね。ま、あたしだったら、どうせなら組の中でのし上がって全員部下にしてやろうって思うけど。」

「簡単に言わないでよ!さすが船長が約束されてる奴は言うことが違うね!」


ステラはその言葉を聞いてぷっと笑う。


「船長が約束されてる?んなわけないだろ!母さんは娘だろうが実力でしか見ないんだ。あたしはまだまだ下っ端だけど、絶対に勝ち取って見せるってハナから決めてんだよ!」


「見とけ!領海を犯すアガルタの奴らの首を片っ端から取ってやる。小娘だと舐め腐ってる男達を追い抜いて、あたしは絶対に船長になってやるから!」


そう言うステラの顔は少女に似合わないほど誇り高く、俺はその輝きに目を奪われた。鮮烈な夕焼け色の髪に光を湛えたエメラルドの瞳が、俺の心に強く焼き付いた。


同時に俺は思った。

俺も、俺だってそんな自信があれば。いつか船長となったこの子の瞳に映りたい。この子の隣に立てるような力を手にしたら、その目で俺を見てくれるだろうか。


「...で、お前はどうなんだ?このまま逃げてコソ泥で終わるのか?」


俺はもう、「逃げます」なんて引き下がれなかった。


「...“鴉”に戻る。」


「俺も、...俺もやるよ。最底辺からでも上り詰めてやる。這いつくばってでも勝ち上がって、あいつらに頭を下げさせてやりたい。」


立ち上がって瞳に炎を宿した俺を見て、ステラはにっこりと笑った。


「いい顔になったじゃないか?どっちが早いか競争だな。」


「...じゃ、あたしはそろそろ戻るよ。母さんが待ってる。」


優しい笑顔を向けてステラが立ち去ろうとするから、俺は思わず呼び止めたんだ。


「なあ!もしも...もしもだよ?俺が“鴉”のボスになったら、...結婚してくれる?」


俺の言葉にステラは振り向くと、太陽みたいな笑顔で答えた。


「考えとく!」





「...て訳で、俺は歯ァ食い縛って汚い事に手を染めながら、死ぬ思いで2番手まで上り詰めたってわけ!」

「へえ〜。」

「他人事みたいに返すのやめてくれるかい!?」


ルドラーはぷんぷんと怒りながら言葉を続ける。


「そのニ年後に賭場で再会した時からずーっと俺を避けて、まともに取り合ってくんないしさ!せっかくうまく取り入って兄貴分がついた話も無視するし...。傷ついたよあの時は。」

「だからお前、賭場で初めて会った時からあんな馴れ馴れしかったんだな。あたしはてっきり頭のおかしい奴に目をつけられたと思って...。」


正直、いきなり知らないやつに会った瞬間手を取られて「ステラ!会いたかった!ああ、やっぱ可愛いなあ!ねえ俺、ステラの為に上手く上り詰めるからちゃんと見ててよね?未来のお嫁さん!」なんて言われて恐怖でしかなかったんだよな。


「うう、やっぱ忘れられてたんだ...。そんな気は薄々してたけど怖くて聞き出せなかったんだよねえ...。」

「いや、ルードの事は覚えてたよ。けど名前も変わってるし、見た目も()()()()からそんなサラサラ髪の美少年になってるなんて思わないだろ。」


まさかルドラーがあの時のルードだったなんて、本当に思いもしなかった。はっきり言って出会った時のルードは排水溝を逃げて来た為か、悪臭はするし泥に塗れて髪の色も茶色にしか見えなかったのだ。


人間、身を整えるかどうかでずいぶん違って見えるもんだな。今の話を聞くまで全く気付かなかった...。


「必死でアプローチしても途中で入って来たネルガルに心奪われちゃうし、ようやく俺の番が回って来たと思ったら騎士団長殿に掻っ攫われるし、はあもう、俺の人生って何〜!?」


そう言ってルドラーはシャンパンのボトルをバーテンからひったくり、自分でドボドボと注いで一気に煽った。あたしはなんだかその姿が不憫で、彼に微笑みかける。


「怖がらずにちゃんとルードだって伝えてくれてたら、あたしだってここまで酷くあしらわなかったよ。」


柔らかく微笑んだあたしの表情を見てルドラーは瞳を潤ませる。


「はあもう、俺の馬鹿...!ねえ今からやり直すからあいつと別れて戻って来てよ〜!!それに俺、もうすぐなんだ!もうすぐボスの座が手に入るんだよ!?」


あたしの手をぎゅうと握る彼にかつての気弱なルードが重なって、あたしは彼を宥めた。


「そりゃ無理な話だ。とにかく、あのルードがここまで成り上がったんだからいいじゃないか。十数年ぶりの再会って事で、ほら。乾杯!」

「うう...乾杯...。」


彼と軽くグラスを合わせて口につける。

まったく、今までのアレは全部そう言う事だったなんてな...。こいつにはずいぶん悪いことをしちまったね。


そこまで思ってふと、こいつにカマをかけたあの日を思い出す。


「そういえばお前、その割にあたしをしっかり殺そうとしてたよな?」


そう尋ねるとルドラーは目を見開いて肩を上げた。


「俺がステラを殺すわけないでしょ!?手足だけ使えなくして俺のモノになってもらおうと思ったの!」


その答えを聞いてぞっとする。やっぱりこいつは振っておいて正解だったか。


「お前...、すっかり考え方が裏社会の人間らしくなっちまって...。」

「10年以上いるんだから当たり前でしょ!ステラも似たようなもんなんだから文句言わないでくれるかな。」

「ふふっ、違いないな。」


あたしが笑えば彼も釣られたように笑って、グラスの中の泡を見つめた。


「あーあ、まったく。結局、俺やコンラッドみたいな小心者じゃなくて、団長殿みたいに真っ直ぐぶつかれる男が勝ったってことね...。はあ、若さっていいなあ...。」

「コンラッド?あいつは違うよ、兄貴分だぞ。」

「はあ〜...。これだもんねえ...。」

「はあ?」


あたしを見て大きなため息をつく彼に、若干不服ながらもシャンパンを飲み干す。とはいえ、そろそろいい時間だな。椅子に置いていた帽子を被って、あたしは立ち上がった。


「...ま、いいや。いい暇つぶしになった。ごちそうさん。」

「ええ、もう行くの?」


ルドラーが残念そうな声を上げるので、そんな彼にあたしはにっと笑ってやる。


「ああ、またな。“ルード”。」


“ルード”は一瞬目を見開く。そしてその薄紫色の瞳が熱を持ち、切なく微笑んだ。


「うん、...またね、ステラ。」




ルドラーがやたらとステラに固執していた理由が明かされました。ルドラーに真正面から告白する男気があればまた結果は違ったかも...。というわけで、セリウスと合流に続きます。

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