81.再会 後編
※前半セリウス視点、後半ステラ視点になります。
馬を急がせ彼女の船に戻るも、日の落ちて暗い甲板にその姿は見当たらない。
「彼女は何処だ。」
ロープの整理をしていた若い船員に訊ねれば、彼はその肩をすくませた。
「さあ、知らねえ。さっきネルガルと出てったよ。」
二人でこの船を出て行っただと!?
彼女は夜には帰ると言ったはずだ。気が変わるほどあの男の側に居たいと言う事か。
夜から出かけるとなればおそらく、酒が入るだろう。
会話が盛り上がり、彼女はきっと飲み過ぎる。酔って頬を赤く染めたステラさんの肩を抱いて、ネルガルが安宿へ彼女を連れ込む。
「離れた絆を確かめ合わないか」
などと、あの深く男らしい声で囁いて。
照れたようにふわふわと笑う彼女を抱きしめ、唇を重ねて、そして、そのまま...!!
身の毛がよだつような嫌な想像が、一瞬のうちに駆け巡り、頭を満たす。
ああくそっ!!ネルガル、あの男...!!もはや10年来の再会がなんだというのか!彼女に何かあれば殺してやる...!!!
湧き上がる嫉妬と怒りに魔法が勝手に発動し、髪がぶわりと舞い上がる。
「お、おお...。」
船員の男が俺を見て後ずさる。
俺はその胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
「本当に場所に心当たりはないのか。」
「ひっ!?さっ、酒場か賭場じゃねえのか!?」
声を上擦らせる男の胸ぐらから雑に手を離し、踵を返す。
先ほどまで酒場にいたが二人は来なかった。
賭場は可能性が薄そうではあるが、手掛かりが無い以上は当たるほかないだろう。
賭場の入り口に着き、黒服が声をかけるのを無視して扉を開ける。
賭博に興じていた客たちが、俺を見るなり何故か怯えた目をして固唾を飲む。俺は嫌味なほどに派手な店内を見回す。が、二人の姿はない。賭場は可能性は低いと思っていたが、やはりハズレか。
「ちょっとちょっと、何その殺気。お客様達が怖がるからやめてくれませんかねえ。」
聞き覚えのある軽薄な声に振り向くと、ルドラーが心底迷惑そうな表情でこちらに歩み寄った。
「彼女とネルガルという男が来なかったか。」
その名前を聞くとルドラーは大きく目を見開く。
「ネルガル...、あのネルガル!?」
「10年前に死んだと思われていた男だ。来ていないならいい。」
俺がそう吐き捨ててその場を後にしようとすれば、ルドラーが「あららぁ」と面白がるような声を出した。
「あいつ生きてたんだあ。団長殿、まずいですねえ。もうすぐステラは海に戻るんでしょ?せっかく結婚したのにもう奪われちゃうなんてカワイソー。」
ルドラーは口元に手を当て、いやらしい笑いを浮かべる。
ブチッとこめかみが音を立てると同時に俺は指を鳴らす。その瞬間、彼の首元でボッ!!と音を立ててネクタイが消し炭となり、ルドラーは慌てて尻餅をついた。
「じょっ、冗談でしょ!?あんた本当に騎士かよ!?」
「黙れ。俺は今機嫌が悪い。」
しかし手掛かりがない以上、街を探し回ってもおそらく彼女は見つからないだろう。ルドラーのおかげもあってはらわたが煮え繰り返るほど腹立たしいが、無闇に動き回って行き違いになっては意味がない。
やむなく屋敷に戻り、彼女の居ないがらんとした寝室の壁を思い切り殴る。
ソファにどかっと身体を預け、頭を抱える。
彼女と奴の身の毛もよだつような想像が次々と思い浮かんでは思考を満たし、耐えきれず見に纏う雷光がバチバチとソファを焼き焦がした。
布の焦げる匂いの中で自らの髪に爪を立てる。
何も出来ないのに気だけが迅って行く。
身を焦がすような嫉妬と焦りで、頭がどうにかなりそうだ。
これほど耐え難く狂おしいというのに、俺はここでただ待つ事しか出来ないと言うのか...!!!
————————
馬車から降りると、いつも通り屋敷の門衛の騎士達があたしを迎える。
「お帰りなさいませ、奥様。」
「ああ、ただいま。今夜もご苦労だな。」
そう声を掛ければ、彼らは顔を見合わせる。そしてあたしになんとも言えない表情を向けた。
「どうした?」
怪訝な目を向けて返すあたしに、彼らは困ったように小さく下唇を噛む。ちらりとあたしをもう一度見ると、言いづらそうに言葉を濁した。
「いえ...、その、どうぞご無事で。」
「...お気を付け下さいませ。」
「はあ?」
あたしがそう返すも、彼らはもう話せることは無いとでも言うように目を瞑ってしまう。
なんだ?寝室に虫でも出たか?
意味がわからないまま玄関へと入り、階段を登る。
ゆっくりと寝室の扉を開ける。
珍しく部屋には灯りがついていない。セリウスはもう寝てしまったのだろうか。
真っ暗な部屋に、手探りでマッチと火付け棒を探す。いつもはセリウスが魔法で火をつけてくれるのだが、こんな時のために念の為用意してくれていたはずだ。
しかし閉ざされた部屋はあまりに暗すぎて、何も見えない。窓の厚いカーテンを開けようと、あたしは手を伸ばす。
カーテンを少し開けたその瞬間、激しい衝撃と共に壁に背中を叩きつけられた。
「っ!?」
痛みで瞑った目を開けると暗闇の中からぎらつく金の瞳があたしを見下ろした。窓から差し込む微かな月光の筋が、ようやくセリウスだと認識させる。
驚いたあたしが声を上げようとするが、間髪入れず手首を強く握られ、壁に押し付けられる。
「夜には帰ると言った割には、随分と遅いお戻りでしたね。今が何時だと思っておられるのですか。」
セリウスは室内を震わせるような低い声で迫りながら、あたしの手首をギリリと捻り上げた。
「いっ...!!わ、悪かった、って...!」
強い痛みに声を上げながらなんとか答えるが、彼は力を緩めない。
「悪かった...?どの口が言うのか。」
彼からめらりと強い殺気が放たれる。
「深夜までずいぶんとお楽しみだったようだな。俺の事すら忘れるほど。」
普段あたしに向けられることのない、強い口調に思わず息を飲む。こちらの動揺も気に掛けず、彼はじりじりとあたしを追い詰めた。
「あの男との逢瀬に熱を上げて、どこまで許した。」
彼はこの手を捻り上げたまま、あたしの顎に触れる。
「この唇か。」
親指があたしの唇を撫で、思わずびくりと震えてしまう。そしてその指は首筋を撫で下ろし、鎖骨をなぞった。
「それともこの肌か。」
「な、何言って...!あいつとはそんなんじゃない!」
狼狽えたあたしがそう答えるも、セリウスは嘲るように薄く笑う。
「あんな目をしておいてよくもぬけぬけと。初恋の相手に骨抜きにされ、深夜までうつつを抜かして...、あの男の腕の中はそれほど居心地が良かったか。」
「っ...!!」
な、なんでネルガルが初恋の相手だなんて知ってるんだ!?今まで誰にも言ったことなどないのに!
「う、うつつなんか抜かしてない!!お前、おかしいぞ!」
初恋の相手だと知られた羞恥心と、いきなり詰め寄られた怒りが無い混ぜになり、あたしは思わず怒鳴り声を上げる。
「おかしい?それは貴女の事ではないのか。俺と言う夫がありながら、その身を奴に委ねて来たのだろう!」
彼がダン!!と顔の側の壁を殴り、びくっと目を瞑る。彼のその大きな手があたしのうなじを掴んで、強引に上を向かせた。
「っ、何する...!!」
痛みに声を上げるが、彼は金の瞳をぎらつかせ、あたしに向かって激しい怒りを顕にする。
「いいか、貴女は俺の妻だ!俺の女だ!!」
「やつが初恋の相手だろうが、例えその手に抱かれようが、俺から逃げられると思うな!!」
彼はそう吠えるとあたしを押さえつけ、首筋に噛み付いた。彼の鋭い犬歯が肉に食い込み、思わず悲鳴を上げる。
「...貴女が思い知れるよう、印を付けて差し上げよう。」
セリウスが首筋から口を離す。優しげな声色で笑いながら、彼はくっきりとつけられた噛み跡を指でなぞった。
「本来人間にかける術では無いが、誓いを破った貴女が悪いのだ。」
彼はその手のひらを自らの唇に添えると、薄い舌でぺろ、と湿らせる。
「なに、その耳飾りと同じこと。貴女の体液を取り込んだ男は、みな焼き尽くされてしまえばいい...!」
彼は恐ろしくも妖しい笑みを湛え、凄むようにこちらを見下ろす。そしてもう一度その手で噛み跡に触れると、ぎゅうと力を込めた。
その瞬間、彼の手の中で噛み跡が熱く燃え上がるような感覚に襲われる。
「ッ...セリウス...!!」
「ああ、まだ俺の名を呼んで下さるのですか。光栄なことだ。」
彼はそう微笑むと、その手を離す。
「...これで貴女に口付け、その身を抱けるのは俺一人。まったく、...何故最初からこうしなかったのでしょう。」
「どこまでも自由な貴女の事だ。いつかこうなる事など...、分かっていたと言うのに。」
彼は自嘲するように笑って、あたしの頬を撫でて悲痛な笑みを浮かべた。
あたしはその笑みに何故か少し、締め付けられるような気持ちになるが、ここまで乱暴をされて怒りが湧かないはずもない。
「...満足したかよ、この野郎...!」
怒りのままに彼に向かって吐き捨てる。セリウスはそんなあたしに切なく微笑んだ。
「...いいえ。」
「上書きしない事には、気が済みません。」
彼はそう言うなり、握っていた手首をぐいと引いて、あたしを抱き上げる。そしてその身体を無理矢理ベッドに組み敷いた。
強引に唇を奪われ、あたしは彼を睨みつける。このまま好き勝手されてたまるか!
「もうやめろ!痛いんだよさっきから!」
彼の体を蹴り、その手を跳ね除けるが、鍛え上げられた男の力には敵わない。乱暴に手首を頭の上に押さえつけられ、あまりの痛みにもう一度怒鳴りつけてやろうと思ったその時。
こちらを見下ろす彼から、ぽたり、とひと粒の涙が頬に落とされた。
「愛しています。貴女の心が無かろうと。」
ぱた、...ぱた、とその金の瞳から熱い涙が落ちて、あたしの頬を濡らしていく。あたしはその姿に驚き、息を止めてじっと見つめ返す。
彼は目頭を赤く腫らし、溜め込んだ涙を降らせながら、酷く悲しげな表情でその瞳を揺らした。
...ったく、手のかかる。
あたしはため息をつくと、彼の胸ぐらを掴む。そしてぐいと引き寄せてその唇を奪った。
「...遅くなって悪かった。不安にさせたのも謝る。」
彼は濡らした長いまつ毛を震わせ、目を見開く。
あたしはその金の瞳を真っ直ぐ見据え、口を開いた。
「でもな、お前は大きな勘違いをしてる。あたしはあいつと身体を重ねるどころか、あいつがセルデアから連れ帰った妻と息子に会いに行ってたんだ。」
「飯を食ってけって引き止められて、海賊に憧れる息子に話を聞かせろってなかなか帰してもらえなかったんだよ。それで遅くなった!分かったか!!」
セリウスはその言葉を聞くと、その目を見開いたまま唇を震わせる。そしてつぶやくようにこちらに問いかけた。
「それは...本当の、事なのですか...。」
彼が信じられないと言った目でこちらを見るので、あたしはその様子に怒鳴り返す。
「こんな事で嘘をつくか!信用できないならお前も連れてって会わせてやる。王都外れのアルスナー村、川沿いにある煉瓦造りの小さな家だ!」
「あとな、あいつはもう船に乗らない。鍛冶屋として身を立てたからな。」
あたしがそう答えた途端、彼は何かに耐えるように目を細める。そして力が抜けたように、こちらに倒れ込んだ。
彼はあたしを強く抱きしめる。耐えきれないようにその肩を震わせて、押し殺すような嗚咽を漏らした。
首元に頭を埋め、ぐす、ぐす...、と泣く彼の背中をあたしはポンポンと優しく撫でる。
「...お前がそんなになるなんて思わなかった。心配させて悪かったよ。」
そう言ってセリウスが落ち着くようにその背を撫でれば、彼はその腕にぎゅうと力を込めた。
「俺は...、思い違いで、...貴女に...、酷い事を...。」
セリウスが嗚咽の隙間から途切れ途切れに言葉を漏らす。そんな彼にあたしは笑って、その髪を撫でてやった。
「許す。術も解かなくていい。」
そう答えたあたしの言葉に、彼は驚いてその顔を上げる。
「...このような、非人道的な術を...あ、貴女は、許されると...!?」
「お前がそれで安心できるなら構わん。」
狼狽えるセリウスの目を見て微笑めば、彼は唇を噛み締め、またぽろりと涙を溢す。
「体液の交換をしなきゃいいんだろ。歯形さえ消えれば別に困らないからな。...消えるよな?」
「っ...消えます...。」
「ならいいや。早めに治癒術で消してくれ。」
こく、と頷く彼の涙をあたしはぺろりと舐め取ってやる。
「ふふ、しょっぱい。泣き虫め。」
「...誰の、せいですか...。」
「お前を待たせ、無理をさせてる事は重々承知だ。でもあたしは、紛れもなくお前の女だからな。わかったか。」
「...はい...。」
彼は絞り出すようにそう言うと、あたしをまたその腕で強く抱きしめた。
「...で、誰から初恋だなんて聞いたんだ?」
「...副船長殿です...。」
「へえ、そうか。」
「...なるほどな。」
あたしはセリウスの髪を撫でながら、コンラッドが泣くまで殴る事を心に誓うのだった。
結婚後もセリウスには常に“いつかステラが居なくなってしまう”という不安感が強くありました。今回セリウスが怒りに任せて強引に術を掛けてしまいましたが、独占欲の強い彼が今後も精神を保って行くには、遅かれ早かれ何らかの術をかける事になっていたのかもしれません。




