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80.再会 前編

前半ステラ視点、後半セリウス視点です。



「だーっ!!暇すぎる!!船が気になる!!!」


本を投げ捨ててそう叫べば、あたしを抱えて書類仕事をしていたセリウスがびくりと体を跳ねさせる。驚いたはずみで彼の握った羽根ペンは、ガリッと音を立てて書類に大きく線を引いた。


「...急に大声を出さないでください。何事かと思いました。」


彼はそう言いながら、くっきりと斜めに斜線が引かれてしまった書類を持ち上げてため息をつく。


「だって暇なんだよ!もう3週間もだらだらしてるんだぞ!?」

「休暇ですからね。これ程休めるのはもう今後無いかもしれませんよ。」


彼が諭すようにあたしの頬にキスを落とす。けれどあたしはその腕の中でジタバタと足を動かした。


「もう十分だ!体がなまる!あいつらの船の管理がどうなってんのか気になって仕方ない!絶対コンラッドのやつニス塗りサボってる!!」


セリウスは咄嗟に机の上のインクが倒れないように慌てて押さえる。そして動きを止めたあたしが「ううう...」と不満げにうなるのを見下ろして、もう一度ため息をついた。


「仕方ありませんね...。これが終わったらお連れしますから、もう少しお付き合い下さい。」


「...ほら、いい子ですから。」


彼があたしの髪を大きな手で撫でる。優しげな低い声で囁かれ、あたしは渋々おとなしくなった。


彼のその年齢に似合わぬ落ち着いた声音で囁かれると、まるで弱いところをくすぐられるような感覚になって、つい言う事を聞いてしまう。


年下のくせに、この3週間ぽっちですっかりあたしの扱いを覚えちまいやがって。なんてその顔を見上げれば、彼はこちらを見下ろして満足げに微笑んだ。




セリウスの馬で港に向かう。

桟橋に停められた見慣れた戦艦の姿に何故だか妙に安心して、ほっとため息をついた。


錨止めに馬を繋ぎ、甲板に立てかけられた板を登って行くと、なにやら聞き覚えのある声がする。


「リーゼーちゃーん、もう仕事終わりたいなー♡」

「駄目に決まってるでしょう。船長から言いつけられたニス塗り、ずっとサボってるの知ってるんだから。」

「どうせ舵輪だけだろ?すぐ終わるんだから後で大丈夫だって、あと1週間ある...し...」


彼は板を上り切り甲板に姿を現したあたしを見るなり、言葉を途切れさせ目を見開いた。


「コ・ン・ラ・ッ・ド〜?」


あたしが笑顔でわざとゆっくりそう名前を呼べば、コンラッドはその顔を引き攣らせる。


「スッ、ステラ...!?いやっえっと、リゼとはその...!」

「は?じゃなくてお前、ニス塗りやってないな!?船が港にあるうちに早めにやっとけって言っただろう!!」

「えっ、いやごめんごめんごめんって!!!やる!!今からやるから!!」


あたしの怒鳴り声にコンラッドが大慌てで倉庫に駆けて行くのを確認してふう、とため息をつく。


「まったく...、やっぱり予想が当たったな。リゼ、お前も手伝ってやってくれるか。」


あたしがそう言えば、リゼはこくりと頷いた。


「まだ1週間あるのに戻りが早いのね、船長。」

「ちょっと様子を見に来た。お前がコンラッドを監督してくれてるみたいで何よりだよ。」


あたしはリゼの頭をポンと撫でる。彼女は口元に手を当てて微笑んだ。


「ふふ、サボってばかりよ。船長に早く戻ってもらわないと困るわ。」


その笑みを見た途端セリウスがにわかに強い殺気を纏い、ゆっくりと彼女に歩み寄った。


「貴様...、彼女の温情を履き違えるなよ。」


セリウスの右手がバチバチっ!!と青い雷を弾けさせる。


「俺は決して許す気はない。貴様などいつでも殺せる事を肝に銘じておけ。」

「...っ」


彼の地響きのような威圧にリゼが震えて後ずさる。あたしは慌ててセリウスと彼女の間に割り入った。


「やめろセリウス。ラディリオが主犯なのはお前もわかってるだろう。責める相手はリゼじゃない。」


リゼはセリウスにとって父親を死に導いた直接的な仇だ。彼の気持ちも痛いほどわかるが、弱みを握られ利用された彼女も結局はラディリオの被害者の一人に過ぎない。


「この女の香水で俺は貴女を手にかける所だった。貴女の為に堪えますが、こいつの笑顔など虫唾が走る。」


「俺が貴様を燃やさぬうちに視界から消えろ。」


セリウスはそう吐き捨てると、ぎろりとリゼを睨みつけて背を向けた。


「ほら、もう行きな。」


小声で背中を押してやるとリゼは慌ててその場を離れた。あたしはその姿を見送ると、背を向けたままの彼の袖にそっと触れる。振り向いた彼の頬を撫でると、彼はその手を優しく握ってこちらを見つめた。


「...貴女は優しすぎる。自分を殺しかけた女を船に乗せるなど。」

「何言ってんだ、優しくなんてないさ。死ぬまで雑巾みたいにこき使ってやるつもりなんだから。」


そうわざと大袈裟に言って笑ってみせる。その姿に彼は呆れたように微笑んだ。


「そんな気は毛頭無いでしょうに。」




セリウスが落ち着いたところでほっとしていれば、中甲板の扉が開かれる。先ほど倉庫に駆けていったコンラッドがニスの缶を持って現れた。


「そうだ、ステラ!ちょうど今懐かしい顔が戻って来ててな。もう上がってくるから待ってろよ。」


懐かしい顔?

誰のことか思い浮かばずきょとんとしていれば、ゆっくりと甲板への階段を昇る木の軋む音がする。扉が開かれると、腰を曲げて大柄な男がそこを潜った。


男が顔を上げ、にっと笑う。


「ステラ、10年ぶりだな!」


あたしはその声に目を見開く。

この男らしい深みのある低い声...、あたしよりも頭ひとつ大きい屈強な体躯。堀の深い顔に似合う無精髭...、顔に刻まれた古傷...!!




———————





「ネルガル...!?嘘だろ、なんで...!!」


ステラさんが信じられないと言わんばかりに声を裏返す。ネルガルと呼ばれた俺よりも高身長で体格の良い男は、その薄灰色の瞳を細めた。


「あの後セルデアに流されてな。ようやくこの国に帰って来れた。ずいぶん大きくなったなあ、ステラ!」


濃紺の髪をたなびく黒のバンダナで縛り、その下から覗かせる瞳は鋭く力強い。

男の言葉を聞くと、彼女は少し涙ぐんで彼の腕に勢いよく飛び込んだ。


「ネルガル...!!あたしはお前が死んだと思って...!!」

「ははは!俺もそう思った!でもしぶとく生きてる!」


感動の再会と言わんばかりに抱き合って笑う二人に驚き、完全に置いてけぼりとなる。声を失いつつも馴れ馴れしいネルガルとやらに苛立ちを感じたその瞬間、副船長のコンラッドが苦々しく俺に囁いた。


「ステラが15の時に戦で消えたネルガルだ。あいつの初恋の相手だよ。お前も俺と同じ気持ちになりやがれ。」


ステラさんの、初恋の相手!?


慌てて二人をもう一度見れば、仲睦まじく手を取り合っている。その上、ステラさんは目を潤ませて男を見つめているではないか。激しい焦燥感と嫉妬が同時に襲い、思わず俺は彼らの間に立ち塞がった。


「失礼、彼女の夫のセリウス・ヴェルドマンだ。ネルガル殿とやら、お初にお目にかかる。」


俺がそうわざと低い声で睨みつけ手を差し出す。男は少し驚いた顔をした後に、にっ!と笑って俺の手をがっしりと掴んだ。


「おお、俺はネルガル・フォックスだ。よろしくな。お前さん随分と男前だな!ステラに夫がいるなんて不思議な感じだ。」


明確な敵意を向けたと言うのに、快活な笑顔で返されて思わず面食らう。ステラさんは俺を見ると、満面の笑みでネルガルの背をぽんぽんと叩いた。


「ふふ。セリウス、紹介するよ。こいつはネルガル。あたしが15の時、船にいたんだが敵の砲撃で海に落ちてね。まさか本当に生きてるだなんて...。」


彼女はネルガルを見上げて嬉しそうに微笑む。彼も彼女を見下ろして優しく微笑み返した。


「いい女になったな。見違えたよ。」

「そっ、...そうかな。お前も10年で男ぶりに磨きがかかったんじゃないか?」


ネルガルの褒め言葉にステラさんはわかりやすく頬を染める。彼も返されたその言葉をまんざらでもなさそうに受け止め、彼女を抱き上げた。


「わっ!?あはは、急になんだよ!」

「あの頃からどれくらい重くなったかと思ってな。背が伸びた割に意外に軽いな、お嬢さん。」

「ふふ、お前がでかいからそう思うだけさ。」


その片腕に抱き上げられ、彼女はその肩に触れ柔らかくその口元を綻ばせる。いつも俺に抱きかかえられる時は反抗して憎まれ口を叩くと言うのに、なんだこの差は。


まるで二人の世界と言わんばかりのその様子に大きなショックを受けながら、柔らかな笑みを向けられるネルガルに激しい嫉妬心が湧き立った。


ステラさんの眼差しはうっとりとして熱を持つ。

なぜそんな顔をこの男に向ける。その微笑みは俺の為のものだろう。

握った右の拳に、めらりと炎が燃えた。


「もういいでしょう。ステラさん、こちらへ。」


俺がわざと低めた声でそう言えば、ネルガルはたった今俺に気づいたように「おっと、すまんすまん。」と余裕のある笑いと共に彼女を下ろす。彼女はまるで彼にしか興味が無いように、その逞しい腕に触れた。


「なあ、セリウス。こいつとは10年ぶりなんだ。ゆっくり話がしたい。いいだろ?」


彼女に花のように微笑まれて、思わずぐっと言葉に詰まる。いつもなら彼女をすぐさま奪い返すところだが俺は拳を握る。10年来の仲間との再会に水を差せば、きっと酷く彼女は落胆するだろう。むしろ俺に腹を立て、最悪失望するかもしれない。


嫌だ、許したくない、と胸の内が叫んでいるが、彼女に「くだらない嫉妬で再会を阻むなんて見損なった」などと吐き捨てられれば、俺は耐えられる訳もない。

一瞬奥歯を食い縛るが、すぐに無表情を装い俺は言葉を絞り出す。


「...わかりました。では俺はこれで。」


上機嫌な彼女は俺の様子に気付かない。しかしネルガルは気付いたようで、気遣うように声をかけた。


「帰るのか?せっかくなら昔のステラの話を聞かせてやろうと思ったんだが。」


まるで彼女の事をなんでも知っているかのようなその口ぶりに俺は激しく苛立つ。二人の思い出話を聞きながら、彼女の熱い眼差しが貴様に注がれるのを指を咥えて見ていろと言うのか。


「結構だ。失礼する。」


踵を返す俺に「夜には帰る!」と彼女は嬉しげな声を掛けた。俺の気も知らず、いい気なものだ。



桟橋に繋いでいた馬を解こうとすれば、コンラッドが降りてきて俺に声をかける。


「なあ、お前耐え切れないだろ。もうすぐ終わるから飲みに行こうぜ。」

「なぜ俺が副船長殿と?俺はそちらの恋敵だったはずだ。」


苛立つ俺がフン、と顔を背ければ、彼は俺の肩に馴れ馴れしく手をかける。


「だからだよ。今のお前の気持ちはよおーく分かるってことさ。ネルガルを消してやりたいくらいだが、ステラに嫌われるのだけは避けたい。そうだろ?その上休暇でやる事も無けりゃ、夜まで頭がおかしくなるぜ。」


「俺がお前に負けちまった時みたいにな。」


淋しげに笑う彼の言葉はまさに図星を得ていて、俺は黙り込む。


「気を紛らわせるには酒が一番。ほら、行くぞ!」






「だからあ!俺はちゃんとアプローチはしてたんだって!ステラが鈍すぎたの!」

「まあ、...その気持ちは分かる。」


すっかり酔っ払ったコンラッドが煽ったジョッキをダン!とカウンターに置く様子に俺は頷く。飲み始めは敬語を使っていたものの「逆に腹立つからやめろ!」と詰め寄られたおかげで口調を崩していた。


「あいつはほんっとうに恋愛に関しては朴念仁なんだよ!俺が兄貴分だって言った事をずっと本気にしてやがったんだぜ!?」

「そこについては概ね同意だが、何故そうまで分かっていて正直に想いを告げなかったんだ。」


俺が静かにジョッキを置いてそう言えば、彼は悔しそうに目を瞑る。


「ここまで信頼された上で関係が壊れる怖さがお前にわかるか!そのぶん男らしいとこを見せてやろうと俺だってさりげなく...。」

「その“さりげなく”が悪手だったな。馬鹿正直に伝えない限り、彼女は男を男だと思わないのだから。」

「お前と違って俺は幼馴染の時間が長すぎたんだよ!なのにポッと出てきてステラを奪いやがって!」

「俺は正面から向き合っただけだ。責められる謂れはない。」


そう言い返せば、コンラッドは「ちくしょう!この野郎。」とまたエールを煽った。


「...ま、お前もネルガルに勝てるかどうかは怪しいけどな。悔しいけどあいつ、仕事はできるしいい奴でさ。しかも見た目も声もステラの好みドンピシャ。」

「...っ。」


やはり彼女はああいう年上の男が好みだったのか。髭が似合う男が好みでしたか、と聞いて「そうだな」と返されたあの日を思い出す。焼けた肌に無精髭、古傷のある渋い顔立ち。はっきり言って俺と正反対だ。


そんな初恋の相手が10年越しに生きていたなんて、ステラさんでなくても浮き足立たない訳がない。船で別れてから数時間。もうすっかり日は落ちている。二人はあの船で懐かしい思い出にでも浸っているのだろうか。


「あの頃のステラは分かりやすくネルガルにぞっこんだった。あの跳ねっ返りがあいつの言う事には素直に聞くもんだから、ガキだった俺は何かと悔しい思いをしたもんだよ。」


確かに、彼女は「いい女になった」と褒められて少女のように頬を染め、急に抱き上げられても嬉しそうに口元を綻ばせていた。あんなに素直な態度など、俺にはなかなか見せてくれない。


そこまで考えて俺はハッとする。

ネルガルにだけ素直なら、関係を迫られれば受け入れてしまう可能性もあるという事か!?


何故俺は怒りに任せて彼女とあの男を二人きりにしてしまったんだ!同行して阻むチャンスはあったのに俺自身が振り切ったなんて、大馬鹿でしかない。


10年という歳月をスパイスに、長らく熾火になっていた恋心が燃え上がり「やっぱりネルガルが好きだ」なんて言われてしまったら。


そして今のこの瞬間、彼女はあいつと唇を、ましてや身体を重ねていたら!?


あの熱っぽい目であいつを見つめ、その名を囁いて組み敷かれる姿が生々しく脳裏をよぎる。俺はぞっとして、ガタンと椅子から立ち上がった。


「彼女を迎えに行く。」

「おーおー、行ってこい。ちょうどいい時間だろ。」




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