表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/158

78.蜜月旅行 後編



「どこを見ても、草原、草原、草原...。最初は綺麗だなんて思ってたが、流石に飽きるな。」


ステラさんがそう言って俺の胸に寄りかかりあくびをする。


「海も同じようなものでは?」

「そうだけどさ、風が吹けば気持ちいいもんだよ。馬車じゃ息が詰まるばっかりだ。」

「ふむ...。」


確かにその気持ちはよくわかる。長旅のために用意しただけで、俺も決して馬車が好きなわけではない。

俺は馬車に繋いでいた愛馬を解き、鞍をかけて彼女をその上に引き上げた。


「残り一頭で馬車が引けるのか?」

「うちの馬は大きい上に脚が強いので問題ありませんよ。」

「へえ、こんなに可愛いのにすごいねお前は。」


彼女はそう言って馬の首を優しく撫でる。


この馬達は一般的な馬に比べて一回り大きい。そして、そもそも我が領地の主だった名産品は馬である。愛馬、ガーレはその中でも黒烈種と呼ばれる漆黒の毛並みの巨馬であり、同種は王家にも献上されている。

それでも彼女からすると“可愛い馬”で済まされてしまうのだから笑ってしまう。


「風を感じたいのでしょう。飛ばしますからしっかり掴まっていて下さい。」


そう言って馬を草原に走らせれば、彼女は腕の中で柔らかな髪を靡かせて笑う。馬も馬車に繋がれ退屈していたのか、風の中で機嫌良く駆けた。


「あはは、楽しい!今までこんな風に走らせることなんて無かったもんな!」

「ええ!こいつも楽しんでいるようです!」


過ぎ去る風と響く蹄の音の中で声を張って交わせば、ゆっくりと山の向こうに夕陽が落ちていく。馬は軽やかに駆け、草原の波を分け入るように進み行く。


夕焼けに染まった草原は彼女の髪の色そのままで、ふと、そこに溶け込む彼女が腕の中で消えてしまいそうな錯覚に囚われた。急いで手綱を引き、前足を上げた馬の上でぎゅうと抱きしめると彼女は気付かず楽しそうに声を上げた。


「わぁっ!あはは!なんだよ急に!」


夕焼けを纏った彼女を抱きしめて、その髪に顔を埋める。彼女は確かにここにある。柔らかい髪、柑橘のような甘い香り。この髪も、香りも、抱きしめるその身体も全て俺のものだ。


「俺の...、ステラさん...。貴女は、俺のものですから。」

「どうしたんだよ、変なやつだな。」


彼女はそう言って俺の腕の中で笑う。


「...夕陽の中で、貴女が消えてしまうかと思いました。」

「あはは!なんだそれ!そんな儚い女じゃないだろあたしは。」


彼女は心底おかしそうに腹を抑えて笑う。

ますます愛おしくて、俺は彼女を抱きしめる腕に力を込めた。彼女はぎゅうと抱きしめられて微笑みながらため息をつく。


「心配しなくても、必ずお前のところに帰ってくるよ。どこかに消えたりなんてしない。」


ステラさんは俺に抱きしめられたまま、この頬を撫でる。その長い指に手を当てて頬擦りすれば、彼女は腕の中でこちらに少し身じろぎして、もう片方の頬にキスを落とした。


「愛してるよ、セリウス。あたしの騎士様。」


夕陽の中で柔らかく微笑む彼女に胸が熱くなる。

ああ、愛おしい。この人の笑顔は、どうしてこうも俺をたまらない気持ちにさせるのか。


「...愛しています。俺の姫君。」


彼女を抱きしめたままキスをする。柔らかな唇に触れその舌をなぞり、彼女が俺のものなのだと心に刻み込める。唇を離した彼女が息を吐いて、整えながら笑った。


「...女王じゃないんだな。あたしを姫なんて呼ぶのはお前くらいだ。」

「貴女は美しい海の女王だが、俺にとっては可愛らしい姫君です。あなたのその二面性が...どうしようもなく愛おしい。」


彼女のエメラルド色の瞳を真っ直ぐに見つめれば、少し怯んだその瞳が馬の進む先に視線を移した。


「...あの町!ファレングスの町じゃないか?青い屋根の風車が見える。」


俺もその視線に合わせれば、沈みかけた夕陽の中で灯りの燈る町と回る風車達が見えた。そしてその周囲には一面の広大な花畑が広がっている。


「そのようですね。...せっかくですから、あそこまで駆けますか。」

「ん!行こう!」


俺は手綱を握り、あぶみを蹴る。

馬は嬉しそうに嘶いて、勢いよく駆け出した。





町に着くと宿屋にて手続きを済ませる。

彼女は部屋に入り、靴と上着を脱ぐなりベッドに飛び込んだ。


「んー!ふかふか最高っ!いい宿だな!ほら、お前もおいで!」


彼女に促されて自分もベッドに沈み込めば、ちょうどいい弾力に厚みがあって柔らかい。

俺を向いて横向きに寝転んだ彼女が微笑む。


「この後は飯だろ、あともちろん酒だろ?それから温泉!さいっこうだなあ!」

「おや、ベッドに呼ばれたので誘われたのかと思いましたが。」

「ちげーよ馬鹿っ!すぐそっちに持ち込もうとするんだから油断も隙もないな。」

「貴女に隙が多すぎるだけでは?」


俺がそう微笑めば彼女はむくれる。

可愛らしいその表情に思わず笑ってしまう。


「ふふ、...今日は部屋に食事を頼んでいるのでゆっくりなさって下さい。長旅お疲れ様です。」

「そういう気が効くとこ、好きだぞ。お前もお疲れさん。」


彼女は俺に軽くキスをして、うーんと伸びをする。

その長く美しい四肢が伸びるのを目で追いながら、少しその気になってしまう。


しかしここで襲って食事も温泉も逃したとなれば相当不機嫌になるのは目に見えているので、今回ばかりは我慢する。きっと湯上がりで酒の入った彼女はより甘美に決まっているのだから。




「んー、ふふ!美味い!花の香りの酒は多種あれど、すみれの酒は初めてだ!」


ステラさんはそう言うと瓶をかかえて頬擦りをする。この町で作られるというすみれの香りの蒸留酒は、その度数の強さを感じさせないほど甘く芳しい。


「確かにこれは...飲み過ぎないように気を付けねばなりませんね。」


俺がグラスの中の青みがかった薄紫色の液体を眺めれば、彼女は満足そうに笑った。


「まだ温泉があるんだもんな、一杯に留めておくか。それにしても、道中でもここでもいい酒に出会えるたあ国内の旅も悪くないもんだね。」

「ええ。俺も遠征以外で旅をするのは初めてですが、なかなか良いものですね。」


そう零せば彼女が頬杖をついてこちらに目を向ける。


「そのお前の遠征ってのはいつも何をやってんだ?」


俺は自分の目の前の肉を一口大に切り分けながら答えた。


「主に大型魔獣や賊の討伐、内乱の鎮圧、上陸してきた外敵の排除ですね。」

「ふうん、討伐に戦ね。城内のあの戦いとはまた違った感じか?」


彼女は俺の切った肉を口にしながら興味深そうに尋ねた。俺はナイフを置いて口を開く。


「ええ、かなり違いますね。俺の派遣される先は常に激戦地ですので。その上、敵国アガルタは科学大国ですから、奴らとの戦では鉛と火薬の雨が降る。」

「でもお前は光の盾が張れるだろ?」

「魔力の消費にも気を遣わねばなりませんからね。塹壕を掘って撃ち合う泥臭い戦いになります。敵大隊に魔法が届くまで近づいた所で、大規模魔法を複数展開し一掃するのが俺の役目です。」

「意外だな。もっと余裕綽々なのかと思ってたよ。」


目を丸くする彼女のその言葉に俺はふ、と笑ってしまう。


「相手とて勝算が無ければ攻めてきません。手を替え品を替え、六年前は飛行船から投下される爆弾に前線は死屍累々でしたよ。次は何が出てくるやら。」

「飛行船...って船が飛ぶのか!?恐ろしいな...。」

「何やら巨大な風船のようなものでした。速度は出ないようでしたので撃ち落としましたが。」

「へえ、そんなものまで撃ち落とせるのか。さすがあたしの旦那様だね。」


そう小突かれてつい嬉しく思ってしまう。戦闘能力を誉めそやされる事は数あれど、彼女の称賛に適うものなど無い。その上、冗談でも旦那様だなどと呼ばれるのは悪くないものだ。


「そう言えば、お前は風魔法で飛べたりしないのか?」

「...出来ないことはないと思いますが、飛ぶ必要性を感じませんね。」

「出来るのかよ...。飛べたら戦闘が楽そうだけどな。」

「魔法は敵に当たれば良いのです。わざわざ俺が的になる必要はないのですよ。」


そう笑えば「そんなもんかね。」とつまらなそうに答えた後、彼女は伸びをする。


「さあて、そろそろ温泉にでも行くかな。ずいぶんいい寝巻きまで用意してあるようだし。」


この宿ではローブが寝巻きとして提供されているらしい。白いシルクのそれは上質で手触りがいい。彼女がそれを抱えて部屋を出ようとするのを俺は引き留める。


「そちらではありませんよ。」

「え?だってこっちに浴場があるんだろ?」

「大浴場は混浴ですよ。俺が許すはずがないでしょう。部屋の奥に専用のものがあるのでそちらへどうぞ。」

「部屋に温泉があるのか!?お前、どんだけ高い部屋取ったんだよ!」

「ご心配なく。これでもそこそこ稼いでいますので。」


そこそこと言ったが、軍属中の最たる高給取りは俺である。彼女とて大海賊を率いる身であり、その上俺達には陛下からの褒賞もあるので金には困らない筈なのだが。どうも彼女は宿に金を掛ける性質ではないらしい。


「ったく見栄張りやがって。ま、混浴は確かに困るけど。」


そう言いながら彼女は鼻歌と共に奥の扉を開ける。

そして開けた途端わあ、と歓声を上げた。


「こりゃすごいな。随分雰囲気のある浴場だね。」


俺もその後ろに立って見れば、円形の優美な浴場は白い大理石で作られており、大きな窓に並べられた蝋燭に火が灯されぼんやりと空間を照らしている。窓の向こう側には淡い月が見えており、薄暗いその空間をより雰囲気のあるものにしている。


「これを独り占め?贅沢だねえ。」

「残念ながら、二人占めですね。」

「はあ!?一緒に入る気かよ!?」


そう言う彼女を抱きしめて俺はキスを落とす。


「今更何を恥ずかしがっておられるのですか?俺の裸など見慣れたでしょう。」

「見慣れない!!っていうか絶対そういうことになるから嫌だ!!せっかくの温泉が満喫できないだろ!」


彼女はそう言って俺の胸を押し、この腕から逃れようとする。


「手を出さないって約束しない限り、絶対嫌だ!!」


俺を見上げて睨む目は真剣である。

新婚かつこの雰囲気で手を出すなと言うのははっきり言って酷では?と思いつつも、そこまで言われては仕方ない。


「わかりました。約束しましょう。」


俺がため息をつきながらそう言うと、彼女は「絶対だからな」と念を押した。




彼女に「先に入っとけ!」と押し込まれ乳白色の湯に浸かってみれば、思っていたよりも熱くない。むしろその温度はぬるいくらいで、長く浸かる分には良いということなのだろうか。そしてこの湯、温泉成分のせいかなんとなくぬめりがある。


「...あんまり見んなよ。」


そう言ってステラさんが薄い布をまとって浴場に足を踏み入れる。白いその布は体を洗う為のものだが、それ一枚を纏うだけの姿は実に扇情的で、思わず顎に手を当てまじまじと見てしまう。


「あのな、見るなっつってんだろ。」


彼女は俺を睨むと湯に足先をつけ、ゆっくりとその身体を湯に沈ませる。同時にはあ...、と小さな吐息を吐くので思わず体が熱を持った。


「...狙ってやっているのですか。」

「何の話?」

「いえ、何でも。」


乳白色の濁った湯の中に胸まで浸かった彼女は、肩に湯をかけてもう一度息を吐く。湯が彼女の谷間にたぷんと溜まり、流れ落ちていく。


「あ〜...、こういう柔らかい湯もありだな...。いつまでも浸かってられそうだ。」


そう言って表情を緩ませる彼女は可愛らしい。


「前から思っていましたが、ステラさんは風呂がお好きなのですね。」

「ん〜?まあ、そうだなあ。潮風ってやっぱりベタつくし湯を浴びるとさっぱりするだろ。うるさい喧騒から離れてゆっくり落ち着けるし、風呂はかなり好きだな。」


そう言って彼女はまた、はあ...と心地よさそうな息をつく。彼女の肌が温まり、徐々にその肩がほんのりと赤く色づくのが美しい。


初めて彼女の部屋で湯浴みを見てしまった時は必死で見ないようにと努めたが、夫婦となり彼女の身体を知ってしまった今では見ない方が勿体無いとすら思ってしまう。


「はあ...。髪と体、洗わないとな...。出たくないけど...。」

「洗って差し上げましょうか?」

「だっ、誰が頼むかばーか!お前は自分をちゃんと洗っとけ!」


そう言うとざばっと彼女は立ち上がる。纏っていた薄い布が水を含んでぴったりとその身体に張り付き、その肉感的な姿に思わず感嘆してしまう。


「これは...なかなか、素晴らしい眺めですね。」

「何が!?見てないでちゃんと体洗え!」


近くにあった石鹸を投げつけられ、咄嗟に受け止める。仕方なく俺も布を腰に巻いて立ち上がった。


「...っ!!」


俺の薄布を巻いた姿を見て彼女が頬を赤らめ、ばっと顔を逸らす。まあ、彼女がああなっているということは俺も変わらないと言うことだ。美しい女体と違って男の体など面白みも何もないと思うのだが、照れる彼女は可愛いらしい。


「あっち向いてろ!」という彼女に従い、髪と身体を洗い終わりざばっと湯を浴びる。彼女を振り向けば、美しい身体にきめ細やかな泡を纏う姿に目を奪われる。

その腕を伸ばして泡に手を滑らせる仕草は優雅だ。


「こら!あっち向いてろっつったろ!」


そう言って慌ててばしゃっと湯を浴びれば、彼女は浴槽に入ってしまった。もう少し見ていたかった、なんて思いながら俺も再び湯に浸かる。


「ステラさん、こちらへ。」


俺が軽く手を広げれば、彼女は渋々こちらへと寄る。

俺の腕に収まるとこの肩に頭を預けた。


「明日は花祭りなんだっけ?フロントのやつが何か言ってたよな。」

「ええ。様々な屋台が出て花畑で踊るのだと言っていましたね。観光にはちょうど良いでしょう。」

「へえ、祭りは好きだ。楽しみだな。」


そう微笑む彼女は湯の中で足を伸ばす。俺は彼女の体に腕を回して、ぬめりのある湯の中でその肌に手を滑らせた。


「っ...!おい、約束は。」

「何か?妻を愛でているだけですよ。」

「......。」


「祭りがお好きならば、異国の祭りも知っておられるのですか?」

「そうだな、変な祭りとかも...いっぱいあったよ。」

「例えば?」

「果物を投げ合ったり、色付きの粉を掛け合う祭りだろ。っ...それから、高いやぐらに登る祭りとか...。」

「ほう、それに何の意味が?」

「果物は...豊穣を祝う為...だったか...っ、色付きの粉は...か、神の祝福...とか...。」

「それから?」

「やぐらに登るのは...ど、度胸試し...で...っ...んん...もう......焦らすのやめろっ!!」


彼女が愛撫に耐えきれずそう言うと、俺はにま、と笑ってその顔を覗き込む。


「おや、そういうことはしない約束でしょう。」

「だって、お前が...変な触り方ばっかするからっ!!お前のせいだ!!」


赤くなってそう怒鳴る彼女が可愛らしくて、俺は彼女にキスを落とす。


「...では、遠慮なく。」






———————




いつもの習慣のおかげで、五時ぴったりに目が覚めてしまった。


布団の隣に視線をやれば、はだけたシルクのローブを纏うステラさんがすうすうと穏やかな寝息を立てている。夕焼け色の髪が乱れてふわふわと跳ね、同じ色の長いまつ毛が呼吸と共に微かに上下している。何も塗られていない薄紅色の唇はふっくらと柔らかそうだ。


俺はその寝顔の頬をそっと撫でる。彼女が少しだけ身じろぎして、ふわりと微笑んだ。


「...リウス...」


ぎゅうと胸が愛おしさに潰され、頬が緩む。

俺の夢を見ているのだろうか。


彼女の夢の中にまで俺の居場所があるのだと思うだけで、幸福感で満たされていく。強く抱きしめたい気持ちを抑えて、彼女の頬に口付けを落とした。


いつもならばたとえ雨が降ろうと鍛錬に向かうのだが、この場に好きに魔法を打てるような場所はない。せっかくやる事がないのであれば、二度寝というものをしてみようか。物心付いてから毎朝決まった時間に起きる事を強いられ、そんなものは許されなかった。


彼女の身体に優しく腕を回し、その額に口付けると布団をかけ直す。彼女の甘く柔らかな香りに包まれ、俺は目を瞑った。





「セリウス、おーい。起きろー。」


ステラさんの声と共に体が揺すぶられる。その柔らかな声が心地よく、もう少し...と瞼を閉じたままでいると唐突に足裏をくすぐられる。


「っ!?ふふ、っはは!おやめ下さい!」


笑いながらばっと起き上がり、しつこくくすぐる彼女を抱きしめる。


「久しぶりにお前の大きめの笑い声を聞いたな。これからたまにこうするか。」

「仕返しされたいという表明ですか?」


そう言って彼女の脇をくすぐってやれば彼女は身を捩って笑い声を上げた。


「ちょ、やめ!あはは!悪かったって!」


そう言って抱きつく彼女を再びこの胸に抱き寄せる。

どちらともなくキスをして見つめあい、小さく笑い合った。



軽く湯を浴びて運ばれてきた朝食をゆっくりと摂り、身支度を終わらせて宿の一階まで降りる。フロントの初老の男は愛想良くこちらに挨拶をした。


「おはようございます、ヴェルドマン様、奥様。本日はご夫婦で花祭りに参加されるのでしょう?」

「ああ。」

「でしたら、女性には衣装を貸し出しておりますよ。」

「衣装?」

「ええ、女性は花祭りの主役ですから衣装を着るしきたりです。無料ですのでぜひどうぞ。」

「ええ?着ないと参加できないのか...。」


彼女が面倒そうな顔をするが、俺は微笑んでその背に触れる。


「せっかくですから。お待ちしていますよ。」


そう言えば彼女は「仕方ないな...。」とため息をついた。女中に促されるまま彼女は廊下の奥の部屋に消えてゆき、俺はロビーのソファに掛けて戻るのを待った。




「に、似合わないよな...。」


俺の前に現れた彼女は、白いリネンの民族衣装に身を包んでいた。


大きく肩と胸元を出したその衣装は縁取るように花の刺繍が施され、胸の下で絞られてその豊かな谷間を強調している。ところどころ刺繍が施された白いロングスカートはふわふわと揺れる。柔らかな髪は下ろされ、花冠が彼女の髪を彩る様はさながら花の妖精のようだ。


今までにない雰囲気を纏う彼女に息を止めまじまじと見つめれば、彼女は頬を染めた。


「こんな可愛いの似合わないって言ったんだけど、着ないとダメだっていうから...!じ、自分でも変だってわかってるからじろじろ見るなよ!」


捲し立てる彼女があまりにもいじらしくて、思わず俺はその頬に触れる。


「なんて可愛らしい...。俺は春の女神を妻にしたようだ。」

「...っ!!恥ずかしい事を堂々と言うな!」


俺の手のひらから上目遣いでこちらを睨むエメラルドの大きな瞳がたまらない。思わず抱き上げれば、彼女が慌てて声を上げる。


「わ!?だからすぐ持ち上げるのやめろっ!」

「貴女が可愛らしいのがいけないのでしょう。」


その様子を見てフロントの男が微笑んだ。


「ははは、英雄のお二人がこんなに親しみやすい方々だとは。神話のようなお姿なのに会話は新婚のご夫婦らしく微笑ましい。」


そう言われ彼女がますます顔を赤くして腕の中で縮こまるので、俺も小さく彼に微笑み返す。


「彼女は女神だが、俺はそれに当てられた只人に過ぎない。素晴らしい衣装だ、...感謝する。」




外に出れば、彼女と同じ衣装の女性たちが楽しそうに祭りに参加している。老いも若きも同じ衣装に身を包んだその姿に少し安心したのか、隣に隠れるように立っていた彼女がほっと息をついた。


花々で彩られた町並みは美しく、花のアーチが町中に立てられている。屋台がいくつも軒を並べ、音楽が至る所で奏でられる様は実に賑やかだ。


「へえ、良い感じじゃないか!」

「美しい祭りですね。女性が主役というのも頷ける。」



華やかな町を歩き、屋台で買った風車の形の菓子を頬張って彼女が微笑む。彼女の口元についたジャムを指ですくって口にすれば、頬を赤らめた彼女に頭をはたかれてしまった。


足を止めた屋台にて、花を模った首飾りを首元に合わせて見せる姿に銀貨を出そうとすれば「本気で欲しいわけじゃない」と慌てて止められる。中央の広場では女達によって炭酸で割ったすみれの酒が振る舞われている。喜んで受け取った彼女が、その味に頬を抑えるのを微笑ましく眺めた。


祭りのアーチは花畑へと続き、草原の中咲き誇る花々の中央に建てられた花の柱の回りで音楽と共に女性達が回るように踊っている。それに合わせ手を叩く男達の人だかりの中近づいてみれば、ステラさんの元に少女が駆け寄りその手を取った。


「女の人なら踊らなくちゃ!私たちが主役なんだから!」

「あはは!いいけど踊り方知らないよ!」

「大丈夫、教えてあげる!さあ、裸足になって!」


祭り好きな彼女は靴を脱ぐと、腕を引かれるまま機嫌良くその輪に交わる。簡単な踊りをすぐに覚えた彼女は、女達と白いスカートをひらめかせて楽しそうに回り、踊った。


俺にはそのような順応力は無いので驚かされつつも、その美しい踊りに目を奪われる。陽光と花びらの中でひらり、ふわりと裸足で舞う彼女はまさに春の女神らしく、幸せな夢でも見ているようだ。


しばらく眺めていれば、彼女が少女に何か囁かれる。それと同時に女達がその白いスカートをなびかせながらひとり、ふたり、と次々に男の元へと駆け寄る。なんだろうかと思えば、彼女も軽い足取りでこちらへと舞い戻った。


彼女は俺にふわり、と微笑むと、たおやかな仕草でその花の冠から白い花を抜き取り俺の胸元にそっと差す。



「“私の一輪を愛しい貴方へ”」



「...想い人に愛を告げるものらしい。」


少し頬を染めたまま柔らかく微笑む彼女に胸を貫かれ、たまらず強く抱き寄せる。


「わっ!?こら、苦しいってば!」


慌てた声を上げた彼女に少し力を緩め、頬擦りをしてまた抱きしめる。


「本当に貴女という人は...俺の心をどうしたいのですか。幸せが過ぎて、どうにかなってしまいそうだ。」


絞り出すような俺の言葉に、彼女はふふっと笑う。


「大袈裟だなあお前は。どうにかなる前にほら、手を取りな。この後の踊りに誘いにきたんだから!」


そう言う彼女の手を取れば、楽しげな音楽が奏でられ、女達の手を取った男達が次々と踊りに加わっていく。


「いや、俺は、こういうものには...!」

「何言ってんだ、踊りながら覚えるんだよ!祭りで踊らないなんてもったいない!」


戸惑う俺に笑う彼女につられ、花畑へと誘われる。次第に盛り上がっていく音楽の中で手を取り踊れば、まるで心が浮くようだ。


春の風が暖かく、日差しは優しい。

花舞う草原で俺達は笑い合い、にぎやかな祭りの雰囲気に身を任せるのだった。





そして次の日。


祭りは終わったはずなのだが、町の屋台に人だかりが出来ている。


「なんだろ?名物か何かかな。」


彼女が近づけば、こちらに気づいた人々がわっと歓声を上げた。


「まあ!ご本人だわ!」

「有難いわねえ!」

「いやあ、まさに絵の通りのお二人だね!これは家宝にしなくては!」


何事かと彼らのその手を見れば、額に入れられた絵が抱えられている。しかもその絵には、花畑の中で俺と彼女が手を取り合う姿がやたらと美麗に描かれているではないか。これではもはや宗教画だ。


「なっ!?はあ!?ちょっと!!誰に許可取ってやってんだこれは!」

「いやあ、まことに美しい姿でしたから、絵に残さないなんて無理な話です!これで町がさらに盛り上がりますよ。」


彼女が店主らしき男に慌てて話しかければ、にこやかに返される。そしてそれを買い求めていたと思われる客たちが次々に声を上げた。


「こんな辺鄙な町に来てくださって、ありがとうございます!」

「これは語り継がねばなりませんなあ!」

「わたし、隣村の子に自慢できます!」


俺と彼女はその勢いに押され、思わず顔を見合わせ同じように長いため息をつく。だが、いや待て。この絵があるという事は...。


「彼女だけ描いたものはあるのか。」

「もちろんこちらに!」


差し出されたその絵には花の中で舞う美しい彼女が描かれていた。ふむ、なかなかいい仕事をする。

これは期待通りだ。


「買おう。いくらだ。」

「はあ!?何言ってんだお前!?やめろ!!」

「2500ですね。」

「そうか、安いな。その額もつけてくれ。」

「はい、まいど!」

「無視して取引するんじゃない!!」


彼女が俺の服を引っ張って何か言っているが、これはいい買い物をした。


絵を残すという発想は無かったが、このように彼女の姿をそのままに部屋に飾れるのはすばらしい。

...時々絵師を雇うのもありかもしれない。



戻った屋敷でその絵を部屋に飾った俺は、旅の思い出に口元を綻ばせるのだった。




合間合間に書いてたらながーーーくなっちゃいました。日常や掛け合いを書くのは楽しいです。需要があればいいのですが...!評価や感想、リアクション等貰えると喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ