76.新婚
新婚初日、のんびり日常回です。
「絶対に嫌だ」と絶叫したあたしに「そんなに抵抗されると虐めたくなります」なんてのたまって押し倒してきたセリウスを思いっきり引っ叩き、湯浴みを終えて渋々部屋に戻る。
「おかえりなさい。」
先ほど叩かれたと言うのに嬉しそうに迎えるセリウスはすでに服を着ており、頬にくっきりと残ったはずの手の跡は魔法で治したのかすっかり消え去っていた。
「...引っ叩かれたのになんで機嫌がいいんだお前は。」
あたしがぞっとしてそう言うと、セリウスは歩み寄ってあたしを後ろから抱え込んだ。
「貴女が俺をこうしたのですよ。もはや憎まれ口も抵抗も愛おしいのですから、仕方がないでしょう。」
彼は幸せそうに微笑んであたしのこめかみにキスを落とす。
あたしがそうした...?まさか、散々口説きに抵抗してきたせいでこいつの性癖が狂っちまったってことか...!?
ますます青くなるあたしに、セリウスは構わずキスを降らせている。
「それにしたって、結婚が決まるまではここまでじゃなかったろ!急にデレッデレになりやがって不気味だっつーの!」
あたしがそう言って身じろぎするもびくともしない。
彼はそんなあたしの抵抗をいなしながら感慨深そうにため息をついた。
「それは、なんとか結婚に漕ぎつけねばと必死でしたし、気を抜けば貴女に襲われそうになるわで余裕がありませんでしたから。」
「しかし今となっては俺の手中。どんなに愛でても襲っても許されるとなれば気も抜けますよ。ずっと貴女を抱えて歩きたいくらいです。」
どこへ行くにも抱えて歩かれる状況を想像して思わず「やめろ」と嫌そうな顔をすると、彼はますます愛おしそうにあたしの髪に顔を埋めた。
「はあ、可愛らしい。意味がわからない。何なんですか貴女は。」
いや、お前の意味がわからないし、「何なんだ」はあたしのセリフだよ。
これがいわゆるマリッジハイってやつか?
まさかあのセリウスがこんなにおかしくなるなんて思わなかった。頼むから落ち着いてほしい。
「あーもーわかったからさ、あたしの服どこ?このでかいシャツ一枚じゃどこにも行けないんだけど。」
挙式前にあたしの服を何着かと必要なものを運び込んでもらったはずだ。とは言っても大したものはない。せいぜいいつも使う香油や紅、まだ読めていない本くらいだ。
「服ならクローゼットに入れていますよ。お望みなら男物の服も新調しますし、俺からもドレスを送らせていただきます。」
「ドレスはいらないって知ってるだろ。」
「俺がただ着せたいだけです。」
「はあ?あたしを着せ替え人形とでも思ってんのか。」
あたしがキッと睨めば、セリウスはパッと腕を解いて慣れた動きでひざまずいた。
「俺としたことが失礼致しました。たまにで構いませんのでどうかお召しになっていただけませんか。この通り。」
「...お前のそのポーズ、なんか安くなってないか。」
「いえ、これは本気の嘆願ですから。どうか何卒。」
彼にそのいたって真剣な目をこちらにじっと向けられ、思わずつい吹き出してしまう。
「ふっ!あはは!仕方ないな。たまにならかまわない。絞められなくて重たくないやつな。」
その答えが余程嬉しいのか、彼は目を瞑って控えめに拳を握った。
セリウスに後ろを向かせていつもの服に着替え、軽く化粧をして髪を纏める。
「そろそろ長くなってきたな...。座った時に尻で踏んじまう。切るか。」
あたしがそう言えばセリウスが「なっ」と声を上げる。
「切ってしまうのですか!?」
「いや切るよ普通に。つっても腰の上くらいまでだけど。」
その答えを聞くとほ、と彼は息をつく。
「お前も例に漏れず長いのが好きなわけ?」
「そういう訳ではなかったのですが、ステラさんの髪が特別美しいので...。この国でその髪色は、貴女以外に見たことがありませんから。」
そう言われて、なるほどね、とあたしは納得する。
「母さんによると、血の流れがミケリアにあるらしくてね。商船を持っていた祖父が連れ帰った祖母の血がやたらと濃いんだと。」
「ミケリア...!?本当に存在したとは...。伝説にある太陽の精霊の棲まう土地と聞きましたが。」
その言葉にあたしはあはは!と笑う。
「月の精霊が棲まう土地があれば太陽だってあるさ!まあ、ミケリアはこの国の真裏にあるからな。」
「一度行ったが熱くて砂漠だらけのとんでもない土地だったよ。あたしと同じ髪の人間がそこら中にいた。」
あたしの話にセリウスは興味深そうに顎に手を当てて感嘆した。ついでにあたしも気になっていることを聞いてみる。
「あたしが髪を伸ばすのは海賊団のシンボルとして目立つからだけどさ、お前はなんで伸ばしてるわけ?」
あたしの言葉にセリウスは顎の手を離して答えた。
「俺の場合は髪が魔法の媒体になるからですよ。この家系に伝わるもので、いざという時は髪に魔力を宿らせることでより強力な魔法が展開できるのです。」
そういえば、あの工房を破壊した時のセリウスは元々髪を結い上げていたのにそれを解き振り乱していた。ただ似合うから伸ばしていたわけではなかったんだな。
「ふうん、なるほどね。...なあお前、風魔法で切ってくれよ。いつもカットラスで切っちまうんだが下に取りに行くのが面倒だ。」
「俺が切るのですか...!?」
「え、駄目か?」
「駄目ではありませんが、上手くできる保証がありません。」
「いいよ、いつも適当なんだ。やってくれ。」
あたしが髪を縛って目印を作り後ろを向けば、セリウスはおそるおそるその髪を手にする。
「...いきますよ。」
「ん。」
指先ですっと線を書くようにして髪がサクッと切れる。セリウスは手に握った髪の束をこちらに見せた。
「切れました。」
「ありがと。ゴミになるからそのまま燃やしといてくれ。」
そう返せば彼は少し残念そうな顔をする。
「何か、勿体無いですね。」
「残しといても何にも使えないだろ。」
あたしの言葉にセリウスはため息をついて、彼の手の中で髪がボッと燃え上がり跡形もなく消えた。
縛っていた髪を解けば、ざんばらに髪は切れていたものの、すぐに毛先がぴょんと跳ねて切れ目がわからなくなってしまう。
「面白い毛質ですね。」
「そうか?とりあえず腹減ったよ。朝飯にしよう!」
あたしが立ち上がって腕を伸ばすと彼はふふ、と微笑んだ。
「なあ、お前んとこの飯...朝から多くないか?パンとチーズはいいとして一人分のオムレツに卵3つはやりすぎだろ。あとなんで牛乳とこの緑色の飲み物と二つあるんだ。腹がちゃぷちゃぷになっちまうよ。」
あたしが出された朝食にげんなりして言うと、セリウスはおかしそうに笑った。
「確かに、あなたと俺たちでは体格が違う事を彼らに伝え忘れていました。これは騎士の肉体形成の為に組まれた食事ですからね。食べ切れない分は俺が処理しましょう。」
「ああ、頼む。あたしは朝はパンと紅茶があればいいよ。自分で淹れるからさ...。」
死にかけて屋敷に世話になった時はスープのような物ばかり出て来ていたので、ここの騎士達がこんな大層なものを朝から平らげてるなんて知りもしなかった。
あたしも少食ではないが、食べ過ぎれば軽業に近い戦技に支障が出てしまうのでいつも満腹にはしない。
「では後で魔導炉の使い方を教えましょう。好きに使えた方が楽でしょう。」
「お、それは楽しみだな。」
魔道具というのは面白い。魔石を嵌め込んだそれは魔力がないと最初の発動は叶わないものの、それさえ行ってしまえばつまみ一つで火が出たり水が出たり。
船に使えればどんなに便利だろうか。しかしうちの船員達はほとんどが魔力を使えない上に、故障して暴発した時に止められる人間がいない物を使うのは恐ろしい。
「いいですか?このつまみを時計回りに捻っていけば火力が大きくなります。最初に戻せば火は消えます。」
見習い騎士の少年達が仕事をしながら見守る中で魔導炉の使い方を教えてもらう。
「へえ!面白い!いいなあ魔導炉、船で使えればな...」
「魔力持ちの技術者を乗せればよいのでは。」
「高ぇんだよあいつらは!魔法の火や水を使う為に人間一人乗せる金で砲台が買える。それにそいつ一人が死んだら使えなくなるなんてリスクが高すぎる。」
「なるほど...。」
あたしはそういうと側にある“茶葉”と書かれた陶器のポットを見つけ、開けて香りを嗅ぐ。
「お前んとこの茶葉やたら渋いんだよな...。何使ってる?」
「特にこだわりはないので適当なものを。」
「やっぱりな...。見てくれからしても質が悪い。芯芽が入ってないし細かすぎる。」
あたしがそう呆れるとセリウスはさっぱりわからないと言った顔をする。
「酸化して香りもない。うちで降ろしてるやつに変えさせろ。」
「俺には違いがわかりませんが、お好きにどうぞ。」
「セルヴァンテの淹れるやつを飲んでてわからないってどうなってんだお前の舌は。」
「はあ...。」
腑に落ちない顔で言うセリウスに呆れ、あたしは額に手を当てて天井を仰いだ。セルヴァンテの淹れる紅茶ははっきり言って極上だ。茶葉の良さは言うまでもなく、きっちりと工程を守り最高の蒸らし時間で出して来る彼の腕に叶うものはいないだろう。
「お前、料理ができるんだろう?」
「まあ基本的なものは。」
「味付けとか考えるだろ。」
「いえ、塩と胡椒だけですので適当です。」
「えっ。」
そう言えばオムレツにしてもスープにしても、素材と塩胡椒の味しかしなかった。それで違和感のない料理だったからまったく気づかなかった...。
うちの船の料理番は、船員達が飽きないようにとスパイス、魚醤、ハーブなどありとあらゆる調味料を駆使してくれる。正直言ってこの素材と塩だけの料理が続くなんて、とてもじゃないが満足できる気がしない。
「...料理本を持って来て読んでやる。調味料もあるだけ集めてやるから、味付けを増やしてくれないか。頼むよ。」
そう見習い騎士達に頼んでみれば少年たちは顔を見合わせてぱあっと目を輝かせた。
「いいのですか!僕たちの賄いにも使っても!?」
「好きなだけ使ってくれ。」
「やったぞ、ジュリアン!この味気ない食事からついに解放だ...!」
「うん...!」
少年たちはわあっと抱き合って喜び合う。あまりに今までの彼らが不憫すぎて、眉を顰めてセリウスを見れば、セリウスは肩を上げて見せた。
「そんな顔をされましても、俺がこれで育ってきたので。」
「...不憫だな、お前も。」
「出世すれば好きなものが食えると思えば、鍛錬に身が入りますよ。」
その後は散歩がてら訓練場で励む騎士達を眺めていたのだが、見ているうちにだんだんとそわそわして来てしまう。
「ちょっと体操がてら動きたい。セリウス、付き合え。お前体術もできるんだろう?魔法ナシな。」
「組み手ですか。」
「うん。」
実際やってみれば、セリウスはその身長に加え手足のリーチがとんでもなく長い。ただの蹴りだけでなく、意外にも軽やかに回し蹴りなんかも繰り出して来る上に拳も速いと来た。
あたしは避けるのは得意な方だが、さすがに力では敵わない。せっかく脚技を入れてもぽいっと軽々と放り投げられてしまう。ならばとこちらの体のしなやかさを活かして、するんと懐に潜り込んでその体を抱きしめてやった。
「!?」
まさか組み手中に抱きしめられると思わなかったのかセリウスが固まる。瞬時に体を離し、肘で強かに鳩尾を打てば「ぐっ!!」と声を漏らしうずくまった。
「あたしの勝ち!」
そう言って見下ろしてやれば鳩尾を抑えていたセリウスがこちらを見上げて苦笑する。
「やられましたね。」
休憩がてら先ほどの魔導炉を使って紅茶を淹れる。渋くてしょうがないのでミルクを温めてその中でゆっくり煮出しながら、勝負に勝てたあたしは上機嫌に歌った。
「Grydens låg
Runde grydelåg klirrende
Det rasler
Er teen klar endnu」
「その歌は?」
「ルデンスト公国の紅茶を煮出す時の民謡。可愛い歌だろ。」
「なんと歌っているのですか?」
「“丸いポットの蓋が鳴る、紅茶はまだかな”って。」
「それは...可愛らしい。」
「だろ。好きな歌だ。」
厨房の作業台に寄りかかって興味深そうに見ていたセリウスに、出来上がったそれにはちみつを入れて渡してやる。セリウスは一口飲んで少し驚いた顔をした。
「こんなにまろやかに飲みやすくなるとは。」
「美味いよな。凪の日はどうしようもないから、よくこうやって紅茶を入れて時間を潰すのさ。焦った気持ちも落ち着く味だろ。」
そう微笑んでその場の休憩中の少年たちにも振る舞う。そして改めて彼の隣に寄りかかって自分のカップに口をつけた。彼はこちらをじっとしばらく眺めた後、あたしをそっと抱き寄せてその頬にキスをする。
「ちょっ!?人前で!」
「俺の家です。何が悪いのですか。」
悪びれない姿にあたしは紅茶に口をつけてただ唸る。
あんなに初めの頃は赤面して恥ずかしがってたくせに、たった一年と少しで随分余裕たっぷりになりやがって。
「この後はどうします?運び込んだ本でも本棚に詰めましょうか。」
「それは助かるな。ひと月も休みをもらっちまったら暇で仕方ないし、本でも読むかね。」
寝室の豪華で巨大な本棚に、木箱から本を詰めていく。
異国を訪れるたびに両手いっぱい本を買うので、コンラッドからいつも文句を言われるのだが、こんな本棚があれば困らないな。こればかりはセリウスはなかなか気が利いていると認めざるをえない。
上機嫌に鼻歌を歌いながら大量の本を詰め、それでも空きのある状況に思わず笑みをこぼせば、手伝っていたセリウスが微笑ましそうにこちらを眺めた。
「本当に異国の本がお好きなのですね。」
「まあな。その国の本を読めば知らない習慣や伝承、料理に歴史、学問までわかる。こんなに楽しい事はないだろ。」
あたしはそう言って一冊取り、ぱらりとめくる。
「...Kāpēc tu mani nemīli? Es gribu redzēt šīs skaistās acis, kas ietītas plīvurā...げ、これ恋愛小説だ。しくじったな。」
あたしがそう言えば、セリウスが目を丸くする。
「またこの前と違う言語を流暢に...。執務室でもたまに呟かれていましたが、あなたの言語能力には驚かされる。」
「まあこればっかりは趣味みたいなもんだからな。その代わり、料理も編み物も難しい計算もからっきしだよ。お前みたいにきっちり何かをするなんて絶対に無理だね。」
「...確かに。あなたの服を預かった時は驚きました。木箱の中に革の団子が入っているのかと。しかも隙間に下着まで混ざっていて、どうしたものかと思ったものです。」
それを聞いて思わず笑ってしまう。
手持ちの服なんて少ないので畳む事もない。自分のクローゼットから適当に下着と一緒に木箱に押し込んだのだ。よくなめした柔らかい革はシワもつかないから問題ないし。
「じゃ、あの下着を全部きっちり畳んでくれたのはお前か?悪いことさせたな。まあ、またどうせぐちゃぐちゃになるけど。」
「...貴女という人は...。」
セリウスは少し顔を赤らめながら額に手を当てた。
あたしには恥ずかしげもなく触れて来るくせに下着では照れるのか。よくわからんやつだな。
昼食を取り終わった頃、門衛の騎士によりファビアンからの贈り物が届いたと知らされる。
開けてみれば木箱の中には黄金色の液体の入った豪華な瓶が何本も詰められていた。
「なにこれ?...蜂蜜酒?」
ラベルを読み上げればセリウスがため息をつく。
「...ファビアンめ。この国の古い習慣ですよ。蜂の多産にあやかって新婚夫婦は蜂蜜酒を飲み、子作りに励めと。」
「...!!」
思わずその内容にあたしは赤くなる。
なんっつう余計なお世話な習慣だ!あの人をからかうのが好きでたまらない性格のファビアンらしい。まあ、その蜂蜜酒とかいうやつの味は気になるけど...。
「飲んでみますか?今晩。」
「っ!...別にそういうあれじゃないからな!味が気になるだけだ!」
そう言ってそれを抱えて背を向ければ、セリウスが笑いながら呟いた。
「...あいつはいい仕事をしたかもしれないな。」
「聞こえてるぞ」と睨めば、彼は笑顔のまま「失礼しました。」と返すのだった。
木箱には蜂蜜酒の瓶と共に手紙が一通差し込まれていた。高そうな箔押しの便箋を開けてみれば、ファビアンの優美な文字が流れるように綴られていた。
———結婚おめでとう、セリウス。
僕からの心ばかりの選別を受け取って欲しい。
ところで、巷では蜂蜜酒にちなんで蜜月旅行なんてものが流行っているそうだ。どうせ一月も休みをもらえば暇だと感じる君達だろう。奥方を誘って行って見ては?ちなみにお勧めは今花盛りのファレングス地方、いい地酒のある温泉地だ。
二人の夫婦円満を願って。
ファビアン・ラングロワ———
「...だそうです。行ってみますか、ファレングスへ。」
「地酒に温泉か...、いいな。」
あのファビアンの提案に乗るのは若干癪だが、その響きは悪くない。
正直、この屋敷でひと月もだらだらしていたら、いくら本があっても陸がうんざりしてしまいそうだ。海に出れない代わりに陸の旅もいいかもしれない。
というわけで、タイトル通りの溺愛セリウス爆誕です。今までステラが手に入らず、色々耐えていた反動でベタ甘になってしまいました。手懐けられない虎のように見えていたステラも、今のセリウスには仔猫にしか見えていません。次回、新婚旅行回です。