12-13.令嬢たち
セリウスをちらりと見やるが、相変わらず無言と無表情を決め込んでいる。どうやらこいつから動いてもらうのは期待できそうにない。
あたしは給仕からワイングラスを受け取り、気付けに一口飲んでから辺りを見回す。すると、こちらに興味津々な様子の令嬢達と目が合った。
...よし。
「やあ、お嬢さん方。目が合ったね」
あたしに急に話しかけられた令嬢達は、驚いた様子で慌ててカーテシーの形を取る。
「あたしはステラ・バルバリア。緋色の復讐号の船長を務めている。王弟殿下にお招き頂いたはいいものの、夜会の作法には慣れなくてね」
「...よければ教えてもらえないか?」
なるべく優しげな表情を作りそう言うと、令嬢たちはぽっと頬を染めた。
「わ、わたくしたちで良ければお力になりますわ」
その言葉にあたしは内心ほっとしつつも、にこやかに彼女達に笑みを向ける。
「いやあ、助かった。付き人のセリウスは教えてくれない上に小言ばかりなものだから」
「まあ、そうでしたの!」
「珍しいと思ったら、付き人としていらっしゃったのですね」
あたしの言葉に令嬢たちがくすくすと笑うと、後ろに控えているセリウスが若干不服そうにした。
こいつから受けた、王城でのひたすら厳しい行儀作法の授業に腹が立っていたのは事実なのだ。
言葉少なで説明不足のくせに、彼に倣って礼をすれば「指が揃っていません」椅子に腰掛ければ「足を組んではなりません」とダメ出しばかり。
令嬢達に笑われて眉根に皺を寄せる姿は、少しいい気味だ。
「じゃあ、まずは一つ目の質問をいいかな」
「ええ、どうぞ」
「可愛いお嬢さんたちのお名前を訊いても?」
あたしが微笑んで尋ねると、令嬢たちは少し照れたように頬に手を当てる。
「まあ、うふふ。わたくしはリディエルと申します」
「エルミアと申します」
「マリエラと申します」
ふむ、この名前。聞き覚えがある。
あたしは馬車の中で頭に刻み込んだ資料の記憶を手繰り寄せた。
「...ジュリアーノ公爵令嬢に、ティエンヌ公爵令嬢、ルスティノス伯爵令嬢だね」
「まあ、ご存知でしたの?」
令嬢たちが驚いた顔をすると同時に、セリウスもほんの少し目を見開く。ふん、どうやらあたしの記憶力を舐めていたようだな。
「もちろん。船長だからね、人の名前を覚えるのは得意だ。ドレスを着るのは苦手だが」
軽く冗談めかして口の端を上げるあたしに、令嬢達も釣られて笑う。
「ふふ、それで男装をなさっているんですの?」
「ああ、似合わないだろうか?やはりドレスの方がいいかな」
あたしがそう言うと、令嬢達がばっと手を胸の前で合わせて前のめりになった。
「いいえ、本当にお似合いですわ!」
「あまりにも素敵なので、お声を聞くまでどこかの貴公子かと思ったほどです!」
彼女達のその目には熱がこもっており、あたしは少し後ろに後ずさる。
「あ、ありがとう。ならこのままでいるとしようか」
「ええ、ええ!そうしてくださいまし!」
彼女達のその声に、周囲の視線が少し集まる。
「あらエルミア!そちらの美しい方は?」
他の輪にいたエルミアの知り合いの令嬢がこちらに合流する。
「テレーズ!こちらはステラ・バルバリア様とおっしゃって...!」
あたしを紹介しながら見上げるエルミアは、うっとりと目を輝かせている。
この様子ならもう少し距離を縮めて見るのも問題ないだろう。顔も広そうだし、この娘を足掛けにすれば都合が良さそうだな。
「ああ、そんなにかしこまらないでくれ。ステラでかまわない。その代わりあたしもエルミアと呼んでもいいかい?」
「もっもちろんですわ!」
予想通りエルミアが頬を染めて目を輝かせるやいなや、思いがけずテレーズもこちらにぐいと体を寄せた。
「ステラ様!わたくしも!わたくしもテレーズとお呼びくださいな!」
するとリディエルとマリエラがあわてて声を上げる。
「まあ、お二人だけ抜け駆けだなんて!」
令嬢達の掴みは良好。
その後も令嬢たちの繋がりで十数組のグループを渡り歩き、順調に貴族達と歓談を重ねた。
しかし、一夜の夜会に一体何組の貴族が集まっているのやら。あちらこちらへとその手を令嬢達に引かれひたすらに話し続けて、もう二、三時間は経っただろうか。
流石のあたしでも名前と顔を一致させる作業に脳が疲弊してしまった。
背後に控えるセリウスに至っては、本当に付き人に徹していて少し話題を振られても「ああ」とか「いえ」くらいしか言わないし。
令嬢達にも笑顔一つ見せず、無表情かもしくは軽く眉を顰めるばかりで全く役に立たない。
まったく、一人でどれだけ捌かせる気なんだ。
「ステラ嬢、どちらへ」
「バルコニーだ。外の空気を吸わせてくれ」
セリウスはそれを聴くと、背を向けていなくなる。
ふう、ようやくお目付け役から解放か。
あの高身長と無表情のせいか、背後にいられると妙に圧を感じるんだよな。
バルコニーに出ると外は街灯の灯りのみで薄暗く、星空が瞬いていた。同じ星空だというのに船で見るよりくすんで見える。
「はぁ〜...つっかれた...」
元々大人数の人間を使う仕事だが、さすがにこんなに気を使って大勢と話すことは少ない。
先ほど覚えた人の顔と名前と爵位を脳内で順番に反芻する。
「ティリエンヌ伯爵のとこが金髪の背の高い娘、ミレーヌ公爵のとこが赤毛のそばかすの...」
バルコニーの柵にもたれかかり外を眺めながら、しばらくの間そう呟いて記憶を合致させていく。
これが難しい計算などでなく人の名前でよかった。他のことはともかく、言葉に関する記憶力だけはあたしは自信があるのだ。
そしておよそ半数を数え終わったあたりで、隣にすっとセリウスが現れる。
「初めから飛ばし過ぎではありませんか」
セリウスはあたしの様子を見ていたのか、少し眉を顰めながら一枚の皿とワイングラスを差し出す。
グラスにはたっぷりの赤ワインが、皿の上には満遍なく数種類の料理と小さなパンが盛り付けられていた。
「これ、あたしに?」
「ほぼ何も口にしていないでしょう」
そう言ってずい、とこちらに皿を押し付ける。
「その為に離れてたのか?...お前の分は」
「俺はこう言った場は気乗りしないので、食事を済ませてから来ています」
彼は表情を固く崩さぬまま答え、あたしに皿を握らせた。
ふうん、人を気遣えるところもあるんだな。正直なところ、あたしの事をあまり良く思っていないと感じていたから意外だった。
「...ありがとな」
あたしがふわりと微笑むと、セリウスは一瞬固まり目を逸らす。表情はいつもと変わらず読みにくいが、よく見ればその耳元は少し赤く染まっている。
おや。なるほど、わかってきたぞ。こいつが目を逸らす時はどうやら照れているらしい。
待てよ?
なんだ、じゃあ今日馬車の前で会ってあたしの姿を見た時もただただ照れていただけって事か?この皿の上の料理も、あたしが何を食べるだろうとあの真顔で悩みながら選んでいたのだろうか。
あたしはおかしくてくすりと笑ってしまう。
「何がおかしいのですか」
セリウスは怪訝な顔をする。
「ふふ、いや。お前って意外と可愛い奴だなと思ってさ」
「なっ...!」
セリウスはそういうと頬を赤く染める。
わかってしまえば本当にわかりやすい。お嬢ちゃん達に負けず劣らず清純なやつだ。
「からかわないで下さい。ステラ嬢」
セリウスはそういうと眉間に皺をよせて厳しい口調で嗜める。あたしは気にせず皿の料理を口にした。
「はいはい、ていうかその嬢っていうのやめてくれよ。むず痒いしそんなタチじゃないからさ。もっと砕けたやつにしてくれ」
「......」
セリウスは眉間に皺を寄せたまま黙り込む。
まただんまりか。まあいいや。ずっと会場は騒がしくてさすがに耳が疲れていたところだ。
あたしは気にせずバルコニーによりかかってもくもくと料理を頬張る。さすがはお貴族様の為の高級なもてなし料理。パンはやわらかいし何を食べても美味いなー。
「........ステラ、さん」
セリウスがぼそりとつぶやく。
振り向くとセリウスが顔を赤くして目を逸らす。
「で、殿下もそう呼んでいらしたので。...俺は女性をそのように慣れ慣れしく呼ぶのは普段しませんが...」
セリウスは言い訳するようにぼそぼそと続ける。こいつ、人生で一度も女性経験がないのだろうか?
なんとまあピュアな奴なんだ。
あたしはついからかいたくなってしまう。
「じゃあ何度か試しに呼んでみれば?そしたらそのうち慣れるだろ。やってみな。ほらほら」
あたしがそう言ってフォークを軽く振ると
セリウスは赤くなる。
「...ステラ...さん。ステラさん、...ステラさん...」
呼びながらどんどん赤くなっていくもんだから、なんだかあたしも照れてしまう。まさか本当にやるとは思わないだろ。
「も、もういいよ。ところで美味いなこれ!鴨肉か?初めて食べた。さすがいいもん食べてるよな、お貴族様って」
逆にそのピュアさに当てられてしまったので、そう言ってあわてて話を逸らす。
「こちらではよくある料理ですが...。普段はどんなものを召し上がっているのですか」
「え?山盛りの芋だろ、塩漬け肉、焼き締めた硬パン、豆...あとはその場で獲れた鯨、魚、海鳥かな。どうしようもない時は船底のネズミを食ったこともある。不味いし腹は壊すし最悪だった」
「...戦場の食事より酷い...」
セリウスは表情はあまり変わらないものの、露骨に嫌そうな顔をする。話しているうちにだんだんこいつの感情の動きがわかるようになって来た。
「あははっ!そんな顔するなよ。とにかくあたしは嬢なんてタマじゃないんだ。外の国には珍しくて美味いものもあるし、どんな食事でも最高のラムさえあれば言うことなしだ」
そう言ってフォークを置くとセリウスの手にあったワイングラスをついと取り上げて煽る。
うーん、流石にこれはいいワインだ。普段はラムばかりだがたまには悪くない。
口の端を思わずぺろりと舐めると
セリウスはこちらを興味深そうにじっと見る。
「なんだよ、あたしの顔に何かついてる?」
「いえ...。女性らしくないのだなと...」
「何を当たり前の事を言ってんだ。女らしくなくて悪かったな」
「いえ、そう言う意味では...」
セリウスは何かいいかけるが、思いつかないように口を閉じた。まあ、貴族社会で育った人間にはお行儀の良くない女が珍しいんだろう。
「さあてそろそろ戻るか。もうずいぶん夜も更けたし帰れるだろ」
セリウスは胸元から懐中時計を取り出す。
「...そのようです。殿下にもお声がけしなくては」
あたし達は賑やかな会場へのドアをくぐった。




