70.騎士の反撃
およそ三ヶ月の長い航海が終わり、船はイズガルズの港に向かう。
今回はなかなか面白い旅だった。港に着いたらセリウスにあの白い人魚みたいな獣や、新しく訪れた国から持ち帰った辛いスパイスなんかの話を早く聞かせたい。
上甲板から望遠鏡で港をのぞけば、いつも着ける桟橋に彼とその愛馬の姿を見つける。隣にいるのは部下の兵士だろうか?
伝書鳩で知らせた予定より少し早く着いちまったというのに、もう居るなんて健気な奴だ。
港に着くと碇を下ろして帆を畳み上げ、船と桟橋の間に木の板が掛けられる。それをゆっくりと下りながら、いつも通り吹き上がる潮風に髪をかき上げてあたしは彼に笑いかけた。
「セリウス!三ヶ月ぶりだな。」
彼はあたしの顔を見ると酷く切なく微笑み、駆け寄るとこの手を優しく取って下り切るまで支えてくれる。彼のその様子を、隣に立っていた若い兵士が珍しいものを見るように見つめた。
「良くぞ、お戻りで。」
船を下りきったあたしを見つめて金の瞳が優しく揺れる。あたしはそんな彼に預けていた手で、その腕をぐい!と思い切り引いて彼の体を抱きしめた。
「ただいま!」
驚いた彼は一瞬の間のあとに、その手をあたしの背にゆっくりと回し、強く抱きしめて「お帰りなさい」と小さく呟く。その彼の姿にますます兵士が目を見開き、その手を口元に当てて見守った。
「おいおい、俺も居るんだけどな〜?」
そうあたしの後ろから降りてきていたコンラッドに声をかけられると、そっと離れたセリウスはあたしの腰に手を回しながら余裕の笑みをコンラッドに向ける。
「ああ失礼、副船長殿。まったく気付きませんでした。三ヶ月間彼女を預かって頂き感謝します。」
そう返すセリウスにコンラッドはにこやかに青筋を立てる。
「わざわざお迎えどーも、騎士団長殿。そもそもステラはうちの船長なんだがね。」
相変わらずバチリと火花を散らす二人の様子を見てあたしはため息をつく。
「ったく、お前らも飽きないね。」
セリウスはつんとコンラッドから目を逸らすと、後ろに控えた兵士に視線を送った。
「とりあえず、入港手形をお預かりしましょう。こちらは今回から王都港にて入関の担当となるジョン・ワトキンズ。...何を惚けている、早く受け取れ。」
「っは、はい!!」
呆然としていた兵士が意識を取り戻すように反応する。
「コンラッド、手形を。」
「はいはい女王様。」
あたしが手を後ろでに出せば、コンラッドが懐からその手に手形を差し出す。美しい細工を施された手のひら大の板状の金印は、国王となったルカーシュから特別に賜ったものだ。
“いついかなる時もステラ・バルバリアの保有する全ての船の入港、並びに滞在を認める”
と王家の紋章と共に記された入港手形をワトキンズに差し出して微笑んでみせる。
「これから世話になるな。うちの船をよろしく頼む。」
彼は手形を受け取りあたしの顔をまじまじと見ると
「は、はい」
と顔を赤らめた。
「見惚れる暇があるなら手続きを進めないか。」
セリウスの声にまた彼はハッとして
「も、申し訳ありません!」
と書類を取り出し、何やら書き込んで
「確かに控えました!これにて手続きは終了となります!」
とあたしに敬礼をして見せた。
まだ初々しいその動きにあたしが微笑ましく頷くと、セリウスはあたしの手を取る。
「長旅でお疲れでしょう。食事でも?」
「いいね。陸の食事が恋しかったんだ。」
コンラッドが眉間に皺を寄せているのを見て、あたしはその後ろの人物に声をかけた。
「リゼ!荷下ろしの点検を頼む!あとコイツがサボらない様にちゃんと見てやれ!」
名を呼ばれたリゼ...、かつてのリゼリア嬢はあたしの声に「はいっ!船長!」とその柔らかな声を張り上げる。
彼女をこの緋色の復讐号に連れて来た当初は、あたしを心底信じられないという目で見つめ激しく困惑し、迎えた屈強な男達に酷く怯えていた。
がたがたと体を震わせる彼女に見かねたあたしは、時間をかけて船内の全てを案内して回った。
「ここは砲列甲板。砲台が並び、砲手達がここで敵の船へと鉛玉を撃ち込む。こいつは砲手長のジャックだ。」
「ここはギャレー。厨房だ。こいつは料理番のジャン。飯に差はつけない。お前もここで出来た飯を食う。」
「船内の倉庫兼寝室だ。これはハンモックっていう寝台だな。...心配するな、お前は女だからあたしの部屋で寝かせてやる。隣の倉庫を見るか?山羊と鶏、羊もいるぞ。」
船内を案内し終わって船長室の扉を開ければ、彼女はその部屋を見廻ししばらくその調度品の数々に見惚れていた。
「ベッドを一台新調しておいた。お前はここで寝起きする。ドレスもないしお前の服はこの男物のシャツとズボン、その重たい前髪は切って髪はくくれ。」
「お前に力仕事は期待しない。船内の物品の管理、荷下ろしの点検。後は船医のビクターが助手を欲しがってる。ついでにチビどもに読み書きと計算を教えろ。」
「ここに居るのは全員が魔力無しだ。お前は魔力無しを何も無いと言ったが、そもそもこの船に魔力なんて必要ない。お前の頭と努力だけが評価される。しっかり励みな。」
その言葉を聞いた彼女は不安げに、しかしほんのわずかな光をその目に灯した。そしておもむろに、あたしに向かって床に手をつき頭を下げた。
「...わたくしの身柄を引き取っていただき感謝します。“スフェリア”バルバリア様。命の限り貴女に...」
あたしはそう答えた彼女の頭をすぱんと叩く。
「船長と呼びな。あと口調も直せ。その“わたくし”とか言うお上品な名乗りは今すぐやめるんだね。」
「お前は今から海賊なんだから。」
船員達はあたしを殺し掛けた経緯にしばらくは複雑そうな対応をしていたものの、彼女が元来の真面目さで必死に船の仕事や習慣に馴染もうと努力する姿を見て、ゆっくりと心を開いていった。
半年間と三ヶ月の航海のうちに船の暮らしに慣れた彼女は、今や長い濃紫色の髪を高く括り上げて靡かせ、眉上でまっすぐ切り揃えた前髪から覗く同じ色の大きな瞳に確かな光を宿らせている。
荒れ狂う嵐を経験し、砲弾飛び交う戦闘の最中で救護に奮闘した彼女に、かつての暗い面影は無い。
「副船長!戦利品にあったはずの魔導方位磁針が見当たらないわ!」
「なにいっ!?そういえば昨日リックとフィズが遊んでんの見たぞ!おいリック!!」
「うわやべっ!!」
コンラッドが肩を怒らせて駆けていくのを尻目に、あたしはセリウスの手を取り馬に跨った。
「で、岩陰に隠れた白いヒレを見てコンラッドやジェイドがローレライだ!って騒ぐから二晩かけて追っかけてみたら、結局カバみたいな顔の獣だったってわけ!」
あたしがそう言うとセリウスが口元に手を当て笑う。
「ふふっ、人魚の正体がそのようなものだったとは。貴女の話は聞いていて飽きませんね。」
「ああ、お前にも見せてやりたかったよ。あの間抜けヅラの獣をさ。海中の藻をのんびり食んでてなかなか可愛いやつだった。」
あたしがそう言って手元の肉を口にすると、セリウスが顎の下に手を当ててあたしを見つめた。
「貴女を待つ間は長く耐え難いはずなのに、こうして話を聞いていれば共に旅をしたような気さえして来るのだから不思議なものだ。」
「待つ間も楽しみになると言うものです。」
あたしはその慈しむような柔らかい金の瞳に少し怯む。いつもこういう時にばかりその美男ぶりが無駄に発揮されるのはなんなんだ。
「だからそういう目をやめろって。反応に困るんだよ。」
「その恥じらう顔が見れるのですから、やめるわけには行きませんね。」
あたしが火照る頬を誤魔化すために目を逸らしてワインに口をつければ、セリウスはさらに目を細めた。
「...ステラさん。俺は貴女の為ならば千年でも待てます。」
「どうか俺と契りを交わしては下さいませんか。」
彼がそうゆっくりと語りかけながら、あたしの手にその大きな手をそっと重ねた。
男らしいのに長く優美なその指に包まれ、鼓動が早くなる。流れる黒髪の奥から金の瞳がこちらを穏やかに見つめ、あたしの瞳を捕えた。
彼の手のひらから熱が伝い、あたしの体に熱を持たせる。手くらい何度も触れたと言うのに、どうして彼に迫られる度にその雰囲気に当てられてしまうのだろう。
「...そのやり方はずるいだろ。」
あたしがなんとかそう返すも、彼はその形のいい薄い唇を上げて見せた。
「貴女を手に入れる為なら小狡くもなります。それに、こうされるのはお嫌いではないでしょう?」
しっかりと効いている事が見透かされているようで、あたしはますます肌が熱くなる。
「う、うるさいな。そんな事してもお前の望む言葉は返してやれない...。」
そうぼそぼそと呟くも、彼は落ち込む様子も見せずあたしの頬に手を当てた。
「俺が執念深い男だと知っているでしょう。どれだけかかろうと、必ず貴女を落として見せます。」
「俺の心に居るのは...ステラさん、貴女ただ一人。永劫に変わる事なく貴女を愛し続ける事を誓いましょう。」
彼の唇から紡がれる直球な愛の言葉に全身がぼわっと熱くなり、あたしは思わず俯いてしまう。
「...ばっ、....馬鹿...!」
それだけなんとか絞り出して黙り込んだあたしを見て、セリウスは満足そうに微笑んだ。
「やはり貴女は、可愛らしい人だ。」
お互いが元々自信があって気の強いタイプなので、迫る分には問題ないのですがいざ迫られると怯んでしまう...、そんな所だけ実は似たもの同士のふたりです。
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