10-11.社交界
いよいよ社交界入り当日。
「うう...お貴族様ってのは毎回こんなに重ね着してるのか?窮屈ったらないな」
襟の詰まったシルクの長袖のシャツに、体にフィットした刺繍入りのベスト、仕立ての良い光沢のあるジャケット、襟元のフリル、手袋...。
「何をおっしゃいます!これでも女性のドレスに比べたら随分と軽装なのですよ」
着替えを手伝ってくれている王弟付きのメイドの一人が口を尖らせる。
「うげ...今後ドレスは着ないことにするよ」
そう答えるとメイド達はふふふ、と笑う。
一通り着替え終わり、髪を仕上げてもらうと大きな鏡の前に立つ。
「本当にお似合いです...!」
「お胸も潰しましたし、背もおありですから、美しい貴公子にしか見えませんわ!」
「ああ、惚れ惚れいたします...!」
メイド達がそれぞれに褒め言葉を掛けてくれるのがなんだかむず痒くて、あたしは首の後ろに軽く手を当てた。
「お嬢ちゃんたちがきっちり着付けてくれたおかげだよ。...ありがとな」
そう笑うと、メイド達は両手を頬に当ててきゃあと顔を赤くした。
着替え終わると、ルカーシュとセルヴァンテが待つ部屋に戻る。
「待たせたな」
あたしがそう言うとルカーシュが書類から顔を上げて微笑む。
「なんと、凛々しい仕上がりですね。男の私が霞んでしまいそうだ」
「あんたのなりで言われると説得力に欠けるな」
夜会用の艶やかな青い礼装に身を包んだルカーシュはまさに絵物語の王子のようだ。
さらりと揺れる銀髪に知性を感じさせる鮮やかな緋色の瞳は誰をも魅了するだろう。
「さ、お二人とも。セリウス様が下で馬車を用意しておられます。こちらは今夜の舞踏会に出席される貴族とその令嬢方の名簿です」
控えていたセルヴァンテがそう言って羊皮紙の書類を手渡す。目を通せば3枚に渡ってずらりと貴族達の名前と階級で紙が埋め尽くされていた。
「う...なんだこの名前の数は...」
「ふふ、馬車の中でしっかり覚えて頂きますよ」
にこにこと笑うルカーシュにこちらも笑顔を作って見せる。
「はっ、人の名前を覚えるのは得意分野だ」
舞踏会の会場に着くと、絢爛豪華な大広間は既に大勢の着飾った人々で賑わっていた。
咽せ返るような香水と化粧の匂い。豪奢な絹地に高価なレースやフリルを身につけた人間が、一晩の夜会にこんなにも...。この夜会にかかる金で一体船が何隻買える事だろうか。
そんな事を思いながらも既に出来上がった会場の様子を眺め、あたしはルカーシュに尋ねる。
「おい、遅刻したんじゃないか?」
「ふふっ、いいえ。舞踏会は身分の低い者から先に入場するものなのですよ」
ルカーシュがおかしそうに口に手を当てて笑う。
「ふうん、お偉いさんは遅れて悠々登場ってか」
貴族のやり方は何から何まで気に入らないな。
まあ、ここで波風立たせるつもりはないが。
そしていざ入場、と言う時だった。
セリウスがあたしの隣で立ち止まり、す、と腕を差し出す。
「なんだよ?」
「いえ、女性にはエスコートを...」
「いらん」
それを聞いたルカーシュがくすくすと震えて笑い出す。
「ふ、振られてしまったね。セリウス、“男装の麗人”はエスコートしなくていいんだ。意味がなくなってしまうからね」
セリウスは表情は崩さないものの、わかりやすく顔を下から上に紅潮させた。
「おい、腕。そのまんまだぞ」
あたしが差し出されたままの腕をこつんと肘で小突いてやるとセリウスは赤面したまま素直に元に戻した。
なんだ、可愛いところもあるじゃないか。
着替えたあたしと馬車の前で会った時は、あたしを見るなり険しい顔をして視線を逸らすもんだからこのクソ無愛想野郎と思ったが。
これに免じて撤回してやる。
入場すると、そこにいるほぼ全員の視線がこちらに注がれる。流石は王弟、大勢の視線にも慣れた様子でにこやかに気品のある笑みを浮かべている。
「王弟殿下、いつ見てもお美しいわ...」
ざわめきの中で令嬢と思われる囁き声を拾う。
「あのヴェルドマン騎士団長様が夜会に出られるなんて珍しいわね...」
「隣に並ぶ殿方はどなたかしら...」
なるほど、貴族の令嬢達というのは本当に噂好きらしい。常に新しい話題や流行に敏感でないと生き残れない社交界においての彼女らの生存戦略なのだろう。
「本日はお招きいただきありがとうございます。サヴォワール夫人」
ルカーシュが挨拶するとサヴォワール夫人と呼ばれた女性は優雅なカーテシーを見せて微笑んだ。
「まあ、王弟殿下におかれましてはご機嫌麗しゅうございます。よく来て下さいましたね。あら、今宵は珍しくヴェルドマン騎士団長様もおられますのね!ご令嬢たちが喜びますわ」
夫人の嬉しそうな言葉にセリウスは真顔のまま答える。
「恐縮です」
「あら、そちらの方は...?」
夫人があたしに気づき尋ねるとルカーシュが笑顔で答える。
「以前お話ししていたステラ・バルバリア嬢です。
本日は是非とも彼女を紹介したく参りました」
「まあ!では貴女が“レジェス”バルバリア様の...!若い頃のあの方に良く似ていらっしゃるわ」
夫人は口元に手を当てるとあたしを見て懐かしむような表情をした。
「お初にお目にかかる。ステラ・バルバリアだ。バルバリア海賊団、緋色の復讐号の船長を務めている」
あたしはそう言い彼女の手を取ると彼女はにっこりと微笑む。年齢は40代ほどだろうがその佇まいは年齢を感じさせないほど優雅で妖艶さがある。
「お会いできて嬉しいですわ。お母君の事は殿下からのお手紙でお伺いしました。まだとても信じられませんが......まことにお悔やみ申し上げます」
彼女は残念そうに静かに目を伏せる。
あたしは胸に手を当てて礼をした。
「お心遣い、感謝する。貴女は前王陛下の側で尽力されたと聞く。母が世話になった」
「いいえ、わたくしは愛する前王陛下のお役に立ちたかっただけ。手の届かない海を護っていただいたお母君には感謝しておりますのよ。どうか今夜はお楽しみになってね」
そう、今夜招かれたのは前王の愛妾サヴォワール夫人主催の夜会だ。彼女は貴族社会のカリスマであり、流行の最先端。前王存命時はその社交力の高さを駆使して広く政治に役立てたという。
つまりは前王、ひいては王弟派だ。
そして彼女の下に今夜集まった貴族達は王弟派が圧倒的に多いと言う事だろう。ルカーシュはあたしの社交界入りに際して最初にふさわしい舞台を用意したのだ。
音楽が奏でられ、和やかに夜会が始まる。
ルカーシュは夫人の手を取るとあたし達二人に「では、頼みますね」と言い残して親密さをアピールする為にダンスホールへと連れ立っていった。
さあ、いよいよだ。




