59.闇への陶酔
※セリウス視点に切り替わります。
魔獣討伐をつつがなく終えて、騎士団を率い王都へと向かう。
ここしばらくの賑やかな日常から解放された久々の任務は、ようやく自分が軍属である事を思い出させてくれた。
勤務時間のほとんどをイスティアに観察される事にはなんとか慣れたきたものの、ふわふわと喋る彼女につられるせいか、どうにも仕事に身が入らなかったのだ。
彼女は愛らしい美少女だと皆が口を揃えて言う。
しかし、女性というより研究者としての側面が強い為か、俺としてはその辺りはあまり気にならなかった。よく喋る妹が急に出来た感覚で、仕事中だというのにその場を貴族の学び舎のような空気に変えてしまう。悪い気はしないものの、どうにも仕事としては調子が狂った。
比べてステラさんはというと週に一、ニ度あるかくらいの頻度で顔を出すものの、俺が書類に追われている時は終わるまであの机に腰掛けるだけだった。
持ち込んだ異国の本を読んでいたり、静かに二人分の紅茶を淹れて武器の手入れに集中するので仕事のペースを乱される事もない。彼女自身が船長という立場で忙しく、部下を率いる仕事を理解している為だろう。
むしろ執務室のドアを開いても、俺の様子を見てあまりに忙殺されていると見れば「おや、悪いね。」とだけ言って去ってしまうので、こちらから引き留める事の方が多かったくらいだ。
イスティアが来てからは研究への協力で仕事が滞りがちになり、彼女が気遣って去る頻度もさらに高まった。そばに居たとしても常にイスティアが間にあり、新年の催しの後で夜会の頻度も落ち付いた為に、ステラさんと二人で過ごす機会は稀となっていった。
今朝は日が登る頃に討伐に出立した為、昼には任務が完了できた。この町外れの街道から王都に到着するのは遅く見積もって午後二時頃だ。
薬草摘みを終わらせた二人の馬車が戻っている頃だろうか。
王都に帰還したら、久々にステラさんを食事にでも誘おう。
最近の彼女は来るなりイスティアが独占してしまう為、そんな隙も無かった。
しかし昼間を二人で過ごしてきたのなら、その後の時間は俺の物としても許されるのではないか。
今回の魔獣討伐は非常に面倒な相手で骨が折れた。
今宵くらいはあのエメラルドの瞳を、俺だけに向けて欲しい。
王都の門前に差し掛かると、彼女に貸し出した馬車が停まっていた。
「おや、あれはバルバリア嬢達の馬車では?
丁度戻られたようですな」
斜め後ろで馬を走らせていたガトーが俺に声をかける。
ああ、よかった。
彼女達が戻る時間に間に合ったようだ。
二人はもう城内に戻ったのだろうか。
とりあえず、今回の報告書を早く書き上げ仕事を終わらせてしまわなくては。彼女に声をかける為には、この返り血や泥を受けた姿も整えなければならない。まずは兵舎に戻る事が先だ。
そのまま兵舎に向けて馬を並足で走らせ、馬車の隣を通り過ぎようとしたその時だった。
バン!!
激しい音と共に馬車の扉が蹴り開けられ、何者かがその場に降り立つ。
まるで塗料でも被ったように全身を赤黒く染めた、異様な姿の人間。いや、この凄まじい殺気に酷く生臭い、酸化した血液の匂い。人型の魔物か。
思わず俺は身構え、剣の柄に手を添える。
しかし、そのシルエットには見覚えがあった。
異様な光景に全員が馬を止め、俯いたその顔を何事かと見守る。そしてゆっくりと開いた瞼からエメラルド色の瞳がこちらを捉えた。
「ああ...。セリウスか」
力無いその声、その瞳。
信じられない事に、この異様な姿の人間は、つい少し前まで俺の頭を占め続けていた彼女だったのだ。
いつものコートや海賊帽を身につけず、髪の色すらわからぬほど赤黒く血に染め、その場に立ち尽くしている。
「な...何事です!その血は...!?」
馬から飛び降り駆けつければ、彼女は顔を腕で拭い、口の中の黒い血を地面に吐き捨てる。
そしてそれを見下ろしながら彼女は答えた。
「...あたしのじゃない」
拭われた頬の赤黒い血は落ちるどころか、べっとりと肌の上で伸びる。目には光が無く、何かを諦めたような面持ちで馬車の中を振り返った。
「中の女を引き渡したい。ラディリオの共犯者だ」
彼女に促され馬車の中を覗き込めば、小さな体に項垂れた白金の長い髪が目に飛び込む。その体は後ろ手にきつく鞭で縛り上げられていた。
「イスティア!?な、何が...、ラディリオの共犯者とは!?」
俺は混乱し振り返るが、彼女はこちらを一瞥もせず冷たい声で答えた。
「言葉のままだ。その女はあたしに魔術師を差し向けた」
衝撃的な言葉に俺が息を飲むも、彼女は淡々と続ける。
「森に奴らの死体を置いてきた。確認してくれ」
そう言い終わった彼女は振り返る事なく、兵舎の方向へと足を向けた。
「血を落としてくる。...後は任せた」
歩き去る彼女に向かって手を伸ばすも、“触れるな”と言わんばかりの強い殺気に気圧されその手を下ろす。
——あのイスティアが彼女に魔術師を差し向け、彼女がそれらを始末した。あれほどの返り血を受けて。
隣に立っていたファビアンが小さく
「...当たってしまったか」と呟く。
理解が追いつかず混乱する感情を置き去りにしたまま、項垂れて言葉を発さぬイスティアをファビアンに任せ、城塞地下の牢へ移送させる。
そして残った騎士達を再び率いて王都南の森へと急ぎ馬を走らせた。
ステラさんの告げた通り、森には複数の魔術師の死体があった。
「これは、なんと...」
その残虐な光景にヴィゴが言葉を漏らす。
微かに陽光が差し込むだけの暗い森の中で、荒らされた雪が一面鮮血に染まっている。血溜まりの中心には喉を切り裂かれた男が、囲むように額に彼女のナイフを受けた男達が無惨にも頽れていた。
激しい魔法が飛び交った痕跡、黒く焼けた木の幹、味方の氷撃を受けたのか蜂の巣状に穴の空いた男。強い力で思い切り引きずられたような血の跡。
どれだけむごい戦闘が行われたかをその惨状が語っている。
まるで魔物が暴れ狂った後のような光景に、俺を含め騎士達は言葉を失う。
自分も一騎士として戦に身を投じ、人を手にかけてきた自覚はある。しかし、あの快活な彼女がこの壮絶な現場を作り上げたと知れば、思わず背筋が凍った。
激しい怒りの痕。
返り血に塗れた彼女の、あのひりつくほどの殺気。
受け入れたくはないがつまり、そう言う事なのだろう。
死体を回収し兵舎に戻ると、髪を濡らしたステラさんが談話室の暖炉の前の椅子に座っていた。
兵士たちは彼女を遠巻きにし、畏怖の目でその様子を伺っている。おそらくあの姿の彼女を見たのだろう。
彼女はそれを気にするでも無く、ただぼんやりと暖炉の火を眺めていた。エメラルドの瞳にゆらめく炎が映り込み、表情が読めない。
ただ、先程の殺気はもう感じられない。暖炉の火の粉の弾ける音が聞こえる以外は、彼女の周りだけがしんと静まり返っている。
「...ステラさん」
俺がそっと声をかけると、彼女はこちらを振り向く。
「ああ...。戻ったのか。ご苦労だったな」
そう答える彼女の言葉には感情が込められていない。
「イスティアは残念だったな。まあ、気を落とすな」
まるで他人事のように零す彼女の肩に、俺は遠慮がちにそっと触れる。
「...貴女がご無事で、何よりでした」
彼女は「ああ」とだけ答えて、また火を見つめた。掛ける言葉に迷っていると、地下から戻ったファビアンがこちらに歩み寄る。
「イスティア・フィーエが自白したよ。ステラさんの言った通り、ラディリオ・エンファムの指示で彼女を襲わせたと。そこで仕留めるはずが偶然転がり込んだ君たちを利用し、無力化を狙って懐に入りこんだそうだ」
彼の報告に俺は眉に皺を寄せ、目を瞑る。
「...そうか」
正直、信じたくなかった。
仕事中は邪魔だと思う事が多かったものの、姉妹のように睦まじいステラさんとイスティアの関係を微笑ましく思っていた。また、俺自身も彼女を妹のように感じていたのだ。
「それで、これが彼女の受け取ったと言うラディリオからの手紙だ」
ファビアンが一通の手紙を差し出す。
受け取り簡素な封筒を開けば、優雅で美しい自体の文章が連なっていた。
“——親愛なるイスティア。
あれからしばらく経つね。僕はこの世から消えた事になっているが、存在を許されていないだけだ。
研究は認められず禁術とされてしまったが、僕はまだ諦めていない。どうか僕の為に、最も理解者であった君の力を貸して欲しい。僕がまた表舞台に戻る為、僕の存在を探る人間を排除しなければならない。
その人間の名はセリウス・ヴェルドマン。そしてステラ・バルバリア。今や王弟派の人間として名を知らぬ者はいないだろう。
彼らは今、僕を捉えようと画策している。彼らの存在がある限り、僕は表の世界に立つ事は叶わない。
抹殺できれば御の字だが、ただでさえ伝説的な存在だ。無理に殺す必要はない。君の魅力で彼らを無力化するのは容易いことだ。夜にはかつての仲間達も君を訪ねるだろう。
前王は認める事は無かったが、あれは禁術なんかじゃない。僕らには現王陛下が手を貸して下さる。表の世界に立ち返って、再び実用化を目指そう。今こそ僕らの念願を叶えようじゃないか。
ラディリオ・エンファム”
手紙には明確に自分達の名前が標的として記され、やはり彼女は最初から...とぞくりとする。
そして、禁術...、その実用化。
禁じられると言うことはおそらく危険な代物だろうが、彼らは一体何を目指しているのだろうか。
「イスティアはこの手紙を彼女の研究室の棚の中に発見した。そして陶酔するラディリオとその禁術の実用化実現の為、君達に近づいたようだ」
「ステラさんを襲ったあれらも身元を調べてみれば、全員が彼の研究室出身の者たちだった。禁術の内容が気になるが、王家の命で禁とされたのであれば、おそらく研究記録も抹消されているだろうね」
「とにかく、これでラディリオが間違いなく生きている事、未だ王都の魔研部署に出入りしている事が明確になったわけだ」
そこまで告げたファビアンがステラさんに目をやる。その姿をしばらく見つめた後、静かに彼女の隣へと歩み寄った。
「...最初から彼女には嫌な感覚がありました。僕はあれと同類の人間だから、なんとなくわかってしまうんです。しかし彼女は尻尾を掴ませなかった」
「あの時はっきりと“彼女は怪しい”と貴女に忠告するべきでした。...申し訳ありません」
そう言って胸に手を当て深く頭を下げるファビアンに、ステラさんはゆっくりと振り向き視線を移した。
「お前のせいじゃない。こういうのは騙された方が負けなのさ。今回は負けた。...それだけだ」
まるで遊びの博打にでも負けたように言い退けて、彼女は体を戻す。ファビアンはその様子を受けてしばらく瞼を下げ、ゆっくりと俺に向かって口を開いた。
「...彼女と話してみるかい。ステラさんには実感があるようだが、君はまだ受け入れきれていないだろう。厳しい事を言うようだが、将の立場でありながら敵を内部へ招き入れてしまった事を自覚するいい機会だ」
ファビアンの鋭い言葉が深く刺さる。
だがそれは紛れもない事実だ。仮にも王国の騎士達を預かる身で、敵の内部への侵入をこちらから許したのだから。もし彼女の手で香水を使用されでもしていたら、魔力持ちしかいないこの兵舎は壊滅していた事だろう。
「...しかと、銘肝する。俺の不始末で世話をかけた」
城塞地下の牢に繋がれたイスティア・フィーエは白金の長い髪を垂らし、力無く項垂れたまま視線は足先へと注がれていた。
「...イスティア・フィーエ。申開きはあるか」
鉄格子の向こう側の彼女を見下ろしながら、俺は意識して声色を堅く問いかける。ゆっくりと彼女の頭が持ち上がり、空色の目が俺の目を見た。
「ああ...セリウス様!」
そう嬉しそうに名を呼ぶ彼女の笑顔は、昨日話した姿と変わらない。
「えへ、こんな姿でごめんなさい。あのっ、今まで私の自作自演に騙されてくださって、ありがとうございました!」
にっこりと無邪気に笑って見せる、彼女の言葉に思わず怖気が立つ。
「あーあ、残念!もう少しだったのにな。お姉様ったらあんなに怖い人だと思いませんでした。私、怖くて震えちゃって」
「魔力の強いセリウス様は簡単そうだから、手のかかる魔力なしから潰そうと思ったんですけど、失敗しちゃったな」
俺は彼女のその不気味な言動に、整理できない感情に震えるのを抑えつつ、脅すように睨みつける。
「貴様はまるで害のない少女の皮を被り、邪悪な目で我々を品定めしていたという訳か」
イスティアは凄む俺に怯える様子もなく微笑む。
「ひどいなあ。私はラディリオさんの為に身を尽くしただけですよお。とっても素晴らしい方なんです!」
そう言った彼女はまるで実験でも思いついたかのようにぱん、と魔術封じの鎖に繋がれた手のひらを打つ。
「そうだ!私とラディリオさんの馴れ初めを聞いてくださいます?退屈させませんから」
俺が言葉を返さないのをどう受け取ったのか、彼女は世間話のように話を続ける。
「私、市井の産まれだって言ったでしょう?貴族でもないのに強い光属性の魔術を授かって、やれ神童だ聖女だって褒めそやされて育ったんです」
「学院に入るお金は無かったけど、噂を聞いて村を訪ねた魔研部署の方のおかげで研究員見習いとして最年少で入所して。正直、私ものすごーく調子に乗っちゃってました」
てへ、と彼女は舌を出し、頬に指を当てて見せる。
「見習いとして入った研究室のラディリオさんのことも正直舐め切ってました。だって精神系の闇魔法ですよ?不気味だし私と正反対じゃないですか」
「それで私、初日の挨拶の時にラディリオさんにわざと嫌味を言っちゃったんです。“光属性なのでお役に立てませんけど、闇を照らす事なら得意です!”なんて」
「そしたら目の前が真っ暗になって!倒錯感と酷い悪夢、上下感覚の消失、同時に訪れる絶望感と多幸感、もう、言葉に表せないほどすごい経験でした。そしてそれが消えた時、彼の闇の錯乱魔法だって知らされたんです」
「“闇をただの影だとでも思いましたか。光よりも複雑で美しいでしょう”」
「その瞬間私、彼の闇魔法に心底惚れてしまいました!彼の研究に魅せられ、それが目指す高みに貢献したいと!」
憧れる様に量の手のひらを胸の前で組み、彼女は目を瞑る。そしてゆっくりとその手を下ろして膝に置いた。
「...でも、前王陛下に研究結果をご報告に上がり、ついに実用化なるかと思ったあの時。陛下はその内容を危険視され禁術として研究は差し止め。ラディリオさんは東方支部へと追いやられ...、その一年後命を絶たれました」
「あの時の絶望感と来たら...!けれど、あの日セリウス様が初めて尋ねてきたすぐ後にあの手紙を受け、心が躍りました!あの美しい字、あの口調、間違いありません!今こそ彼の役に立てるのだと思ったら、私居ても立っても居られなくて!」
嬉しそうに両手を握りしめる彼女を、俺は冷え切った感情と共に見下す。
「...もう結構だ。貴様の異常さがよく分かった」
俺は吐き捨て、その場から身を翻す。
あまりの邪悪さに胃が悪くなりそうだ。
地上への階段を登る足取りが、まるで泥濘にでもはまったかのように重い。
ステラさんはイスティアの事を本当の妹のように可愛がり、心底から彼女を慈しんでいた。あの諦めに満ちた、まるで他人事ような表情はおそらく、乱れる感情を捨て去る為に築いた壁なのだろう。
鉛のような足を運びながら、俺はきつく拳を握り込んだ。
イスティア編が終了しました!
どんどこ終盤に向かっております。
よければ評価等ご支援お願いいたします〜!
時々誤字を修正しています、すみません!




