57.イスティア
「ステラお姉様〜!」
練兵場に訪れたあたしにイスティアが名を呼んで駆け寄る。
「イスティア。進歩はどうだ?」
あたしはイスティアの頭をぽんと撫でると彼女は嬉しそうに笑った。
「はい!とてもいいデータが取れました!セリウス様はその魔力の練度を上げる為に訓練前に瞑想のルーティンを作っていらしたんです!その瞑想で精神統一をする時に溜め込んだ魔力が循環してまるで東洋の気のように...」
「わかったわかった、楽しそうで何よりだ」
笑うあたしに彼女もえへへ、と笑って見せた。
あれからおよそ1ヶ月。
イスティアはすっかり城内に馴染んだらしい。
セリウスについて兵舎に何度も訪れる為か騎士達ともずいぶんと親しくなり、天真爛漫な少女らしい振る舞いを可愛がられている。
「ステラさん、来てくださったのですね」
彼女の後ろからセリウスが歩み寄り、遅れてあたしに声をかける。鍛錬後の為か彼の頬に煤のようなものがついている。
「ああ、王都の仕事があったからついでにな」
あたしがそう言って彼の頬を指で拭うと、セリウスは小さく息を吸った後に少し頬を赤らめた。
「はわっ!?セリウス様の魔力が激しく揺れましたっ!!どうして!?お姉様!もう一度それをやってください!」
「ん?こう?」
イスティアがかけていた大きな眼鏡の縁を両手で抑え、興奮して言うのであたしが頬を指でもう一度撫でれば、セリウスがさらに顔を赤くして後ろに下がる。
「お、おやめ下さい!イスティア、君もだ」
嗜められたイスティアはぷーっとむくれる。
「もう少しで新しい知見が得られそうでしたのに...」
そう言って眼鏡を掛け直す小さな彼女をあたしは身を屈めて覗き込む。
「その物々しい眼鏡で魔力の動きが見れるのか?お前の顔より大きいじゃないか」
「はいっ!そうなんです!この魔道具はすごいですよ〜!若き日のルオーニ最高術師が発明されたもので、これを通して見た対象の魔力の動きが完全に可視化されるんです!見てみますか?」
「へえ、どれどれ」
重い眼鏡を借りてセリウスを眺めてみれば、無表情な彼の体を覆い満たすような青く透ける魔力の波が見える。そしてそれは、まるであたしの視線に動揺するように波打った。
「へえ、揺れた!面白いな!」
あたしがそう笑うと、セリウスは顔を赤らめて気まずそうに目を逸らした。魔力がゆら、と揺れる。
「イスティアはまだしも貴女に見透かされるのは耐えられません。外して下さいますか」
「はいはい、わかったよ。はい、ありがとな」
イスティアは眼鏡を受け取り掛け直すと、じいっとセリウスを見つめて首を傾げる。
「おかしいですねえ。鍛錬中も会議中もあれほど揺れることはなかったのに...いったいどんな現象が...」
「...もういいだろう。十分だ」
セリウスはそう言うと眼鏡についていたつまみをカチリと切って見せる。その瞬間にイスティアはあーっ!!と声を上げた。
「もうセリウス様!!あんまりですう!これは一度落とすと起動までに半刻かかるんですよお!?」
「そうか。ではあと半刻は落ち着けると言うことだな」
セリウスの体をポカポカと叩くイスティアに彼はふふっ、と微笑んで見せる。おや、女相手だと言うのにこの一ヶ月で随分と砕けたようじゃないか。二人は同年代のようだし、仲が深まるのは良いことだ。
「そうだステラお姉様!良ければ今日も買い物に付き合ってくれませんか?この前セリウス様に連れてもらったのですが、何を見せても反応が変わらなくって」
あたしはこちらを向き直って不満気に頬を膨らませる彼女の言葉に思わず笑ってしまう。
「あはは!想像がつくよ。もちろん構わない。お前の買い物は変わったものが多くて面白いからな」
「わあ、良いんですかあ!?お姉様大好き!」
無邪気に抱きつかれ、あたしは胸の上までしかない彼女の頭をぽんぽんと撫でた。まったく、可愛い奴だ。
「そうしていると本当の姉妹のようですなあ」
通りかかった穏やかな白くまのようなエルタスがこちらの様子を見てにこやかに笑う。
「ふふ、こんな妹がいたら楽しいだろうね」
あたしはそう言ってイスティアに微笑んだ。
「そう言えば、ラディリオさんの事って何かわかったんですか?」
店内に並べられた魔道具の一つを手に取りながら、彼女があたしを振り向いて見上げる。
「いや、あたしもセリウスも色々当たってみたんだが空振りばっかさ。イスティアは何か覚えてるかい?」
あたしも眺めていた魔道具から目を離し、イスティアを振り返る。イスティアはあたしの問いかけを聞くとむう、と口元に手を当てた。
「ラディリオさん...。わたしが見習いで研究室にいた時の印象はとっても気難しい人でした。精神作用系の闇魔法の使い手はあんまり好かれませんからねえ。...私も最初は怖いって思ってましたもの」
彼女は言いながら眺めた魔道具を元あった場所に直す。
「でもとっっっても優秀な方でした!わたしは光属性なのでラディリオさんの使う魔法がとてもおもしろくて!研究材料の整理や掃除みたいな雑用でも、間近で闇魔法を見れて、お話も聞けて。とても楽しかったのを覚えてます」
「けれど...まさか東部に移動になって...、命を、絶ってしまうなんて。わたしはその時、もう自分の研究室を与えられていたので後から知って...。もう、前みたいに研究のお話ができないなんて、と...」
しょんぼりと肩を落とし、悲しそうな目で言う彼女の肩にあたしはそっと手を置いた。
「...辛いことを話させちまったね」
その言葉にイスティアはふるふると頭を横に振る。
「いいえ、気にしないでください。今はせっかくのお買い物ですし、楽しまなくてはもったいないです!」
振り向いてにこっとわざと笑って見せる彼女がいじらしくて、あたしは微笑んだ。
「そうだな。後で何か甘いものでも食べようか」
「それでセリウス様ったら“その記録は必要ない”とか言って!せっかく私の取ったメモを取り上げてしまわれたんですよ!?信じられません!」
彼女はぷんぷんと怒りながら、砂糖のたっぷりかかった揚げ菓子をぱくっと頬張る。もぐもぐと頬をいっぱいにして咀嚼する姿はまるでリスのようだ。
「ふふ、あいつのやりそうな事だな。ほら、まだあるからお食べ」
あたしはそう言って揚げ菓子の乗った皿を彼女側に寄せる。すると彼女は手に残っていた揚げ菓子をぱくぱくぱくっ!と食べてごくん、と飲み込んでから目を輝かす。
「こんなにたくさん、いいんですか!?わたし、これ大好き!ふわふわで甘くって...最高です!」
頬を抑えてきゅっと目を瞑るように笑顔を見せた彼女が愛らしくて、あたしの頬が緩む。
「いいよ、お食べ。あたしもこれが小さい頃大好きでね。よく母さんに連れてきてもらったものさ」
微笑んだあたしは自分の揚げ菓子を頬張り、珈琲を口にする。彼女の言う通りふわふわに揚げられた生地は舌に懐かしく、甘みが珈琲によく合う。
「ステラお姉様のお母様は優しい方だったんですね。わたしのお母さんはいつも小言が多くて細かくって...ちょっとセリウス様みたいです!」
そう言って無邪気に笑う彼女にあたしは吹き出しそうになる。
「セリウスみたいな母さん!?あはは!想像したら笑える」
「そうなんです!セリウス様みたいに気難しい顔で“掃除くらい出来なくてはお嫁に行けませんよ、家事の基本なのですから”って!」
「あっはは!あいつの“騎士たるもの”みたいだな!」
「ふふふ!そう!そうなんですよお!」
セリウスは今頃くしゃみをしているだろうか。
まさか無邪気な彼女にこんなふうに弄られているだなんて想像もしないだろう。
その後もあたしたちはそんな他愛の無い話で何度も笑い合い、ふわふわとした揚げ菓子の甘さを満喫するのだった。
イスティアの身長は146cm。イズガルズの女性の平均身長が165㎝なのでとっても小さい女の子です。




