54.騎士の城
...ラ..さん!..を、てくれ...
セリウスが何か叫んでいる。
....だ...、くな...
何?よく聞こえない。
...かな...でくれ...
真っ暗闇の中、セリウスが何かをあたしに叫ぶ。
わかったから、そんな泣きそうな声出すなよ。
少し、眠いだけだから...。
頬を撫でる優しい感触。
固くて大きな手...。母さんの手だ。
ああ、こうして撫でられるのなんていつぶりだろう。
ロープ引きも、荷運びも、男みたいに上手く出来なくて落ち込むと、泣くなと叱り飛ばした後にこうやって撫でてくれた。
幼い頃の記憶...。寝る前に子守唄を歌って、あたしを優しく撫でて、深い緑色の瞳を細めて..。
なのにあたしはいつだって反抗して。
もっと素直に甘えれば良かった。
大好きだった。
もっと褒められたかった。
母さんみたいになりたかった...。
あたしはその手を抱きしめて頬擦りをする。
大きくて、温かい、優しい手...。
あれ、こんなにごつごつしてたっけ...?
ふと目を開ければ、ぼやけた視界に黒い髪の誰かが映る。何かに驚くように見開いた金の瞳。
「セ...ウス...?」
あたしは声を出そうとするが、かすれてうまく喋れない。身体中がだるい。口が重くて、上手く開かない。
セリウスがあたしの声に目をほそめ、泣きそうな顔をする。頬を撫でてあたしの手を取り、両手でぎゅうと握ると感極まったように俯いて震えた。
よくわからずも、少し躊躇した後であたしはその頭にもう片方の手を伸ばす。力が入らない震える手で、なんとか彼の頭をそっと撫でた。
「よし...よし、泣くな...。」
あたしが掠れた声でそう言うと、セリウスが顔を上げる。その目は涙こそ流れてはいないが、目頭が赤くなっていた。
「...俺が付いていながら、お護りできず...
申し訳ありません...!!」
強く手を握りながら絞り出すように言うと、あたしの目を泣きそうな目で見つめる。
「あなたを...、死なせてしまう所だった...!」
そう苦しそうな面持ちで肺から吐き出すように言うセリウスに、意味がわからずあたしはその髪を撫でた。
「なんか...よくわかんないけどさ...。
とりあえず、喉が渇いたな...。」
「3日寝ていた...?」
あたしはセリウスに身体を起こされその手で支えられながら水を口にした後、今聞いた彼の言葉を繰り返す。
「ええ。ステラさんはあの日路地裏で襲われ、闇魔法を込めた魔石をその胸に打ち込まれたのです。」
「酷く身は焼け爛れ、その息は止まり...
もう助からないかと...。」
そう悲痛な面持ちで言う彼の言葉にあたしは驚く。
確かにあの時、よく思い出せないが衝撃のようなものを胸に受けて膝をついた気がする。
あたしとした事が、全く殺気に気付かないなんて。
正直言って情けない。
だがあたしはそもそも不意打ちに弱い自覚はある。
海の上では先手必勝。こちらから仕掛ける事が圧倒的に多く、奇襲を掛けられる事に慣れていないのだ。
しかし、死にかけて3日も寝ていたなんて...。
喉に食事を流し込まれていたとしても、まともな栄養が取れたとは思えない。おそらく寝ている間に身体が衰弱してしまったのだろう。通りで身体が重く、怠いわけだ。
「...それで、ここは?」
あたしがそう言い、水のグラスを渡すと彼は受け取りながら答える。
「俺の屋敷です。魔研部署や王城内では貴女を狙う者が再び現れる可能性がある為、王都から離れたこちらでお護りしていました。殿下からも起きるまで護衛に着くようにと。」
そう言われ辺りを見回して見れば、見覚えのない景色だ。貴族の屋敷にしては装飾が少なく、調度品も質の良いものだが無駄がない。
壁紙も落ち着いた色合いで、絨毯も必要な場所に引かれているだけ。少し重々しい空気のあるこの屋敷が、お堅い上級騎士の住まいと言われれば確かに納得出来る。
「へえ、お前こんな感じのとこで育ったんだな。」
まさに質実剛健と言わんばかりのここで育てば、セリウスのような堅物の屈強な騎士が完成するのだろう。
「ええ。この屋敷は魔獣の巣食う森と王都の間の砦として建てられている為、造りが非常に強固で侵入者への仕掛けも多い。さらに結界が三重に張られ、武器も騎士達も万全に備えられています。」
「ですから、ご安心頂けるかと。」
そう真面目な面持ちで言うセリウスに、あたしは少し笑ってしまう。
「これから軍隊でも攻め込んでくるような口ぶりだな、将軍閣下。身を清めたいのですがよろしいですかな?」
そう茶化して言うと、セリウスもふっと口元を緩めた。
「直ちに湯を沸かしましょう。お待ちを、姫殿下。」
そう胸に手を当てわざと堅い礼を返して見せるセリウスにあたしはあはは、と肩を震わせた。
「ご用意出来ましたよ。殿下の浴場と比べれば質素なものですが。」
セリウスにそう声をかけられ、あたしはベッドから起き上がろうとする。足を床に下ろして立ち上がったその瞬間、力がうまく入らず倒れるようにしてベッドに座り込んだ。
「あ、あれ...?」
まさかここまで弱っているなんて。
あたしが驚いて自分の足を眺めると、セリウスがこちらに歩み寄ってあたしをひょいと持ち上げた。
「わあっ!?こら!いきなり持ち上げるな!」
いわゆるお姫様抱っこというものをされて、あたしは恥ずかしさに慌てて声を上げる。
そういえば、前にも急にこれをされたな。
「ご自分で歩けないのでしょう。」
そう見下ろし微笑むセリウスが妙に余裕があって腹立たしい。ついさっきまで泣きそうな顔をしていたくせに。
「肩を貸すだけでいいだろうが!」
「俺が肩を貸せば貴女は浮いてしまいますよ。結局持ち上げるのならこれで良いでしょう。」
まともに反論されてしまい、あたしは唇を噛む。
だって、あたしも身長があるってのにセリウスはそれに比べたって大きすぎるのだ。ヒールを履いていない今、あたしの頭の高さは彼の鼻までしか無いのだから。
セリウスはあたしを軽々と抱き上げたまま、階段を降りて行く。すると階下で洗濯物を抱え歩く騎士や、掃除をしていた騎士達がこちらを振り返り声をかける。
「おや、おはようございます!」
「遂にお目覚めになられたのですね!」
「喜ばしい限りですな、旦那様!」
「ああ、そうだな。彼女の為の着替えを頼む。」
セリウスは彼らにそう穏やかに答えるが、あたしはこの状況の情けなさにかあ、と頬が熱くなり彼の腕の中で身を隠すようにうずくまった。
姫抱きのまま通された浴場は、大きな石造りの浴槽に湯を張られた無骨なものだった。雇われの騎士達の浴場も兼ねているのだろうか。
壁には見慣れない魔道具が並べていくつか付いている。見て見れば、魔石の嵌め込まれたつまみと複数表面に穴の空いた金属の何かが壁から突き出ていた。
彼はあたしをそっと下ろし、手を取り腰を支えて浴場の中を案内する。
「いいですか。このつまみをひねれば適温の湯がここから出ます。これは髪や体を洗う時に使います。石鹸はこちらに。香油はありませんが、代わりに馬から取った油であればここに。」
「へえ、こんな魔道具初めて見た。」
あたしは見慣れないその湯が出るという魔道具に少し驚き興味を持つ。流石は魔法騎士の屋敷だな。浴場の他にも面白いものがあるのだろうか。
「では、俺はこちらでお待ちしますので。」
セリウスはそう言って脱衣所の衝立の奥の椅子に座り込む。
「はあ!?あたしがここで脱ぐってのに!?」
「そのような足取りで、中で倒れられたりでもしたら困ります。ここにいれば見ずとも風魔法でお助け出来ますから。」
「その上、一度耐えた身です。ご心配なく。」
またももっともな事を言われてしまい、ぐうの音も出ない。正直ふらついていて自分の足で歩くのが不安なほどだ。
「...いいか!絶対覗くなよ!」
あたしがそう言うと、彼は衝立の後ろで背を向けて手のひらを上げて見せた。
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誤字をちょこちょこと直しております、すみません!