51.闇の所有印
「こ、この紋章は王立魔法研究部署の研究員、ラディリオ・エンファムによって施されたものだ...。」
ゴーセット卿があたしたちに怯えながらも、
そう言葉を零す。
「ラディリオ・エンファム?」
聞き慣れない名前にセリウスを振り返るも、彼も首を横に振った。あたしはゴーセット卿に続きを話すよう促す。
「...ラディリオは闇魔法に特化した魔導師だ。彼はレ・フィリアの特別な香水の原料に、彼のみが使える錯乱の闇魔法を付与することで、魔力持ちの心を操る効果を発見したのだそうだ...。その香水の名は“薔薇の雫”...。」
「そして、この印は...ラディリオの闇魔法の所有印...。これを身に刻めば、香水の影響を受けないのだ...。」
あの令嬢の元で嗅いだ香水と、この香水の匂いがわずかに違ったのは、闇魔法の付与によるものか。錯乱の闇魔法...、人の精神に影響を与え、酩酊効果と合わさって行動や記憶を操作できるということなのだろうか。
「魔法の所有印...。であれば確かに説明はつく。」
あたしがそう零したセリウスを振り返り首を傾げると、彼は詳しく説明する。
「同じ属性魔法でも、一人一人の魔力は別物です。その為、自己を傷つけず炎や電撃が使用できます。ステラさんの耳飾りに施された血の契約の所有印も血を媒介にしているものの、似たようなものですね。」
「魔法というものは、その所有者には害をなさないように出来ているのです。」
なるほど、それで所有印を体に施したのか。
この印で香水の効果が効かないのは、こいつもラディリオとやらの闇魔法の所有者と見なされる為らしい。
「ふうん。じゃあつまり、お前はそれを利用してレオニードを香水で操り、前王を殺させたってのか。」
あたしがそうゴーセット卿を睨むと、彼は椅子に縛り上げられたまま慌てて身を捩らせる。
「ち、違う!私はそのような事はしていない!月の精霊に誓おう!私は...、私は、リゼリア嬢を婚約者候補としてご紹介しただけだ!」
リゼリア嬢だと?
ジャヒールといい、レ・フィリアといい、確かに暗殺に関係はあるのだろうが、なぜ縁戚でもないゴーセットから紹介されるというのか。
あたしが手を出さないのを確認しながらゴーセット卿はゆっくりと口を開き、振り返るように話し始める。
「...まだ前王陛下がご存命であった頃、陛下は長子のレオニード殿下ではなく、ルカーシュ殿下に王位を継がせるお気持ちが固まりつつあった。」
「私は長らくレオニード殿下の教育係として務め、殿下が王になれず執政となるなどと認められず...。」
「そこで陛下を強くご説得したところ、学院で首席を修める聡明な我が娘を嫁がせ、支えとするなら王位の継承もありうるとお言葉を頂けた。」
そこまで言って、ゴーセット卿は苦々しい顔をする。
「しかし我が娘は殿下との婚姻に強く反発し、魔研部署の研究員となって家を出てしまったのだ...。」
「殿下の王位継承は絶望的になり頭を抱えていたところに、娘の上司であるラディリオからジャヒール伯爵とギレオン伯爵を紹介された。」
あたしとセリウスは、その二人の名前が出てきた事に目を見合わせる。
「彼らが言うには、香水を纏ったリゼリア嬢を殿下の婚約者候補として紹介さえすれば、香水の力で陛下のお心を変え、レオニード殿下を王位継承者に出来ると...!」
「私はその策に縋った。元々魔研部署にいたリゼリア嬢を、聡明な娘の友人として殿下と陛下にご紹介したのだ。」
「魔力なしと知られぬよう、リゼリア嬢はギレオン家に籍を移し、香水を使って資料を書き換え、そこに連なる人々の記憶までも消してしまった。」
「しかし晴れてレオニード殿下に王位をお渡しできると、リゼリア嬢をご紹介したその日、見合いの最中にあろうことか寝室内で陛下はお亡くなりになってしまった...!」
「私は何が起こったのかわからず、殿下は王位こそ継がれたものの、次第に呪いの狂気に飲まれ...。全てが終わってからしばらくして、ラディリオから香水と所有印を共犯の謝礼としてもたらされたのだ...。」
ゴーセットはうつむき、肩を落として震える。
「私が...、私がリゼリア嬢を紹介などしたばかりに...!問いただしても彼女は何も語らず、香水も効かぬ...。」
「関わったものは皆、所有印があるのだ。いまさらこんなもので何が出来よう?狂って行く殿下をお救いもできず、それを手引きした手前、恐ろしくて罪も告白できず...。」
「豚のようにひたすら私腹を肥やし、女遊びに憂さを晴らす事で私は、現実から逃げたのだ...。」
そう言いながらぼたぼたと涙を流してうつむくゴーセットの胸ぐらを、苛立ったあたしはぐっと掴み上げる。
「さっきから聞いていれば...!卑怯な策を講じておきながら、レオニードの為に罪を自白する忠義もなく、ただその場に甘んじるクズのくせに被害者面しやがって!!」
「その上、お前の現実逃避の為だけに、その汚い種を女達に撒き散らしただと!?いい加減にしやがれ!!」
あたしはそう言うとゴーセット卿をその場に椅子ごと引き倒した。激しい音を立てて地面に打ち付けられたゴーセットが、悲鳴と嗚咽を漏らす。
「あたしはお前を豚だと言ったな。撤回してやる。お前は豚なんかじゃない...、その醜く太った身体を肉の中に巣食わせる蛆だ!」
あたしがそう言ってその椅子をガン!と蹴り飛ばすと、ゴーセット卿は、ううっ、と情けない声で呻いた。
セリウスはゴーセット卿を酷く冷たい目で見下ろしながら口を開く。
「...しかし、これで主犯が分かりましたね。ラディリオ・エンファムとリゼリア嬢、この二人をなんとしても捕えなければ。」
あたしはそれを聞いて頷き、口元に手を当てる。
「リゼリア嬢は手が出しにくいが、そのラディリオとやらは魔研部署にいるんだろう。お前はあそこに出入りできたよな?」
その言葉にセリウスは頷く。
「ええ。早急に調査に向かいます。しかし、所有印については本人が施さねば発動しません。こちら側の香水の攻略法とはなりませんね...。」
あれを真似して描いたところで魔法の所有者とは見なされないのか。なら未だセリウス達には香水が効いてしまう...。それでは結局犯人が判明しても捕縛する事は困難だ。
「そうか...。対抗策が他にあるか探らないとな。」
あたしはそう言いながらゴーセット卿の椅子を起こす。彼の顔面は涙と鼻水が乾いてパリパリになっていた。
「さて、ゴーセット卿。興味深い話をありがとな。」
椅子の背もたれを彼の正面から持ちながらそう言って笑いかけると、ゴーセット卿は少しほっとした顔をする。
「も、もう許してくれるかね...?」
彼がそう言って表情が緩み切ったところであたしは背もたれに手をかけたまま、
パァンッ!!と思い切りその股ぐらを蹴り上げた。
「っぎゃあああああああああ!!!!」
ゴーセット卿が絶叫し、その場で激しく身悶えする。
「忘れたと思ったか?一発は一発だよ。」
ゴーセット卿の色々が明らかになりました。ゴーセット卿はこのまま失踪扱いで、全てが明かされる来たる時まで監獄塔に監禁されます。ルドラーはゴーセットとの取引をボスにバレないうちにうまく手を引けたことになりました。
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