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47.雪に隠れて




———どくん、どくん、と背中にセリウスの心音が伝わる。


 辺りは雪がふわふわと舞っているというのに、背中から伝わる熱はあたしをじわじわと火照らせていく。


 握った大きな手の甲がそっと裏返り、あたしの手のひらをゆっくりとなぞるように撫でる。


 ただ撫でられただけなのに、なぜかその感覚がぞくぞくと背をくすぐるようだ。思わず手を引くも、しっかりと、しかし優しく包み込まれてしまった。


 剣を握るその左手はひどく固いのに、触れ方はあまりに優しく、羽根が触れるようでこそばゆい。


「へ、変な触り方するなよ」


 あたしが怯んだ声で言うのに、セリウスは聞こえないフリをして、する、とこの手をなぞった。


「...美しい手ですね」


 まるで心底そう思うかのように言われて、意味がわからずあたしは眉を顰める。


「どこが...、傷だらけの汚い手だろ」


 ロープ引きで消えない傷が手のひらに残り、潮風でささくれだったこの手はガサガサで、とても美しいなんて言えない。世辞を言うにも下手くそ過ぎる。


 セリウスはそんなあたしを見下ろすと、柔らかく微笑んだ。そして親が子に教える様にゆっくりと口を開く。


「長い指...俺の手に合う、女性にしては大きめの手のひら。そこに残る、何度も裂かれたようなこの傷は、貴女が海で懸命に生きて来た証でしょう」


 傷をなぞるように指で撫でられ、思わずびくりとする。


「薬指と人差し指の内側が固くなっているのも、ナイフの鍔を何度も握り込んだから。そしてこの傷は、鞭に編み込んだ鋼が、長く食い込み擦れた跡だ。...戦女神のように勇ましく、美しい」


 うっとりと、まるで見て来たかのように見事に当てられ、かあ、と頬が熱くなる。


「わかったから、撫でるな...!」


 くす、と頭上でセリウスが笑う。

なんで手のひらひとつでこんな目に遭うんだ、やっぱり絆されるんじゃなかった。




「あなたの強く美しい生き方が、俺は好きです。

誇り高く、自由で...とても眩しい」


 ぎゅ、とあたしの手を握り、伝える彼の声にはほんのりと熱がこもっている。


「もう、どんなに振り回されても...貴女しか見えないのです。海の女神に一度焦がれてしまえば、陸の只人など目に入らない...」


「...どうか、俺を選んでは下さいませんか」


 少し震えるその声は切なく、なぜだかあたしの心に刺さる。背中から伝わる熱が、まるで溶かすようにあたしを包み込む。

 その熱に、思わず全てを委ねたくなる———


「....っ、い、...いやだっ!!」


 あたしはぎゅっと目を瞑って、振り切るようにばっ!と彼から離れた。



 駄々をこねる幼い子供のように叫んだ自分に恥ずかしさを感じながらも、離れた途端、冷たい空気に体が冷やされ少し震える。


「あっ...、あたしはそんな世辞と色仕掛けで落ちない!」


 頬が燃えるように熱いのに、体が冷えていく。

セリウスはわかっていたと言うような、どこか悲しげな笑みを浮かべた。


「そう言うところが、愛おしいのです。...あなたは罪な人だ」


 静かに言った彼はす、とこともなげに目を伏せる。


 なんでそんな顔をするんだ。

あたしはそんな事言われたって...!

ぎゅう、と胸がなぜかひどく痛む。


 もうこれが、意地なのかなんなのかわからない。

けど今は、これで落ちたくない。こいつの胸に収まってめでたくハッピーエンドなんて、今は違うんだ。


「さっさと終わらせて、あたしは母さんの仇を取るんだ...!」


 あたしは吐き出すように言い切って、乱れる息を整える。


「...夜会が疲れたなんて、泣き言言ってる場合じゃなかった。戻るぞ、セリウス。あたしの供をするんだろう」


 あたしが振り返らずに言うと、セリウスはもう一度目を瞑り、頷いて扉に手をかけた。





「ステラ様!どこにいらっしゃったの?お探ししたんですのよ」

「セリウス様も!お二人とも長身で目立ちますのに、すぐいなくなってしまうのですから」


 令嬢達があたし達を囲み、くすくすと笑う。


「そう言えば、マリエラ嬢がようやく領地の地質調査を終わらせて夜会に復帰なさるのですって!」


 確かにそう言えば、マリエラ嬢をしばらく見ていなかった。


 最初の夜会で知り合った彼女は、あたしの話した北方のセルデア国の植物の話に反応し、その中でも、寒く枯れて乾燥した土地でも育つタデ科の植物に強く興味を持った。


 セルデアはそれを挽いて、薄いクレープ状にしたりと小麦の代用品とする話をしたところ、自分の領地でも育てたいと頼み込んで来たのだ。倉庫に残っていた種を送ったところ、大層喜んだ手紙が戻って来たが、それから夜会に顔を出さなくなっていた。


 そうか、領地で必死に励んでいたのだな。


「教えてくれて感謝するよ。手紙でも出してみるかな」






 彼女に久しぶりに会えないかと手紙を送ったところ、快諾する返事がすぐさま返ってきた。


 夜会よりもゆっくり話したいと言う彼女の希望に沿って、屋敷に向かう為馬車を走らせた。

国の北側に位置する彼女の領地は王都の何倍も雪が積もり、確かに小麦が育つには難しそうな寒々しさだ。


「ああ、ステラ様!よく来てくださいました!」


 耳が凍るような外気に反して、しっかりと暖められた屋敷の中に通され彼女が笑顔で迎える。

寒い土地のためかドアも窓も二重の作りで、煉瓦造りの中に硬い木張りの屋敷の壁は重々しい。


「冷えましたでしょう、温かい紅茶をお持ちしますわね」


 客室の暖炉の前に用意されたソファの上には毛足の長い毛皮がかけられ、あたしはそこに沈むように掛けた。向かい側に彼女もゆっくりと掛け、こちらに微笑みかける。


「ステラ様のおかげで、あの植物...ソバの育成は非常に順調ですのよ。今は寒く少し時期がずれますけれど、このまま行けば、来年に蒔いた種は問題なく収穫できますわ!」

「それはよかった。あまり夜会に顔を出さないからどうしているかと心配していたんだ」


 あたしが微笑み返すと、彼女は嬉しそうに手を両頬に当てる。


「気にかけてくださったのね、嬉しいわ。私もお会いしたかったのですけれど、両親が驚くほど夢中になってしまって...。王都では何か目新しいことはありましたか?」


 彼女がそう聞き返すので、あたしは頷いて答える。


 単刀直入にレ・フィリアの香水の件からリゼリア・ギレオン伯爵令嬢について順を追って説明した。

彼女はリゼリア、と名前を聞くと驚いて目を見開く。


「リゼリアって、あのリゼリアですの?」


 心当たりがあるかのような反応に、あたしは身を乗り出す。


「知っているのか!?」


 マリエラ嬢はええ、と頷いた。


「リゼリアは、わたくしの従兄弟。元、リゼリア・ジャヒール伯爵令嬢ですわ。ギレオン家の養子に入り、陛下のご婚約者となったことは知っていましたけれど...まさか、暗殺に関与しているかもしれないだなんて」


 リゼリア・ジャヒール!?

まさか、ギレオン家の娘ではなかったとは。

ジャヒール家も確かにマリエラ嬢の夜会に参加していたが、縁戚関係だったとは予想だにしなかった。


「なんでもいいから、彼女について知っている事を教えてくれないか」


 あたしが焦って懇願するも、マリエラは少し困った顔をする。


「なんでも...。困りましたわね、なにしろ彼女はほとんど夜会にも出ず、親戚の集まりにも顔を出しませんでしたから。居たとしても大人しくて、いつも端の方に身を隠して...」


 そうして彼女は言いづらそうに言葉を濁す。


「何しろ彼女は貴族であるというのに、...魔力に恵まれませんでしたから。ステラ様は、魔力が無くとも実力で海を統べるお方で、王弟殿下の覚えもめでたくあられますが...。社交界で、何の後ろ盾もなく魔力もないと来れば、いい顔はされません。」


 リゼリア嬢が魔力なしだと?

ではルカーシュ達の記憶や、あの貴族要覧の記載はいたいどういう事だ。

 

「しかし、貴族要覧には風魔法持ちだと...」


 あたしが困惑して言うも、マリエラ嬢は首を横に振った。


「いいえ。彼女に魔力は一つもありませんわ。わたくしと彼女は5歳の頃、同じ日に同じ教会で魔力測定をいたしましたもの」


 彼女はそう答えるとため息をついた。


「元々ジャヒール家は香水商が生業でしたが、時代の流行とともに廃れ、困窮しておりました。その上5歳の彼女も魔力なしと判明してしまったのです。...当時の絶望感は、子供ながらによく覚えておりますわ」


 彼女は辛い面持ちで目を伏せて、当時を振り返る。


「しかし、ジャヒール伯爵は彼女を孤児院には送りませんでした。その為縁戚からの金銭的支援も受けにくくなり、繋がりがあるのは我が家だけとなったのです」


 そう溢すと紅茶を少し傾けて、ソーサーに戻しながら彼女は続きを話す。


「そして、彼女が15になる頃には我が家の支援も虚しく、このまま数年で廃業となるかと思われておりました。令嬢としての婚姻を諦めた彼女は、王立魔研部署の...それも、東方支部の研究員として務めることを選んだのだそうです」


 あたしは眉を顰めてカップを置く。

今の状況とさっぱり一致しないじゃないか。


「それが何故、王の婚約者に?レ・フィリアの香水も廃業どころか大人気だ」


 マリエラも首を小さく傾げて、困ったように微笑んだ。


「さあ...、わかりませんわ。3年と少し前に、いきなり商売敵であったはずのギレオン家に彼女が養子となったかと思えば、前王陛下の崩御のすぐ後に陛下とのご婚約が決まり...、」


 そして彼女は少し寂しそうな顔をする。


「ジャヒール伯爵はというと、ギレオン家とレ・フィリアを立ち上げ、何を振ってもその話しかしなくなりました。魔力の無いリゼリアを社交界から遠ざけるほど大切に育てていたのに...、人が変わってしまったのですわ」


 あたしはその話を聞いてしばらく考え込んだ後、彼女に向き直って膝に手を当てると、がばっと思い切り頭を下げた。


「マリエラ嬢、頼む!なんとかしてリゼリア嬢に合わせてもらえないか。従兄弟を追い詰める形にはなってしまうが...どう考えても、彼女が犯人に最も近い」


 あたしの行動にマリエラ嬢は慌ててカップを置く。


「ス、ステラ様!そんな振る舞いはおやめくださいませ!どうかお顔をお上げになって!」


 マリエラがあわあわと両手を上げてそう言うので、あたしは顔を上げて彼女の目を見る。すると彼女はわかりやすく眉を下げた。


「わたくしもぜひお役に立ちたいのですけれど、ジャヒール伯爵はリゼリアの話を避けているようですし、ギレオン家は元々血の禍根がある我が領の政敵...。養子となってしまえば、とても手を出せませんの...。申し訳ありません、ステラ様」


 そして彼女の方が膝の上に手を重ねて頭を下げるので、あたしも慌てて上げさせる。


「何を謝る!...いや、無理を言って悪かった。

十分マリエラ嬢の話には価値があったのに、つい急いてしまって...。余裕がなくていけないな」


 あたしが苦笑すると、マリエラ嬢も眉を下げたまま、膝の上の手をやんわりと開いて微笑んだ。


「王弟殿下の命を受けていらっしゃるのですもの、私もお気持ちは同じですわ。...これには何もできませんけれど、領民の食糧事情が解決致しましたら。ステラ様、ひいては王弟殿下の御協力あってのものとご報告させていただきますわね」


 あたしは彼女の手を取ると、目を瞑って真摯に応える。


「重ね重ねすまない。恩に切るよ」




どんどんメインの話を進めるべきか、合間合間に日常話や番外を入れるべきか悩みつつ筆を進めています。もしご意見あればぜひお気軽にお願いいたします〜!

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