46.色の無い花
「リゼリア・ギレオン伯爵令嬢?」
ルカーシュが令嬢の名前を繰り返し、不思議そうな顔をする。
「ああ、知ってるか?」
「知っているも何も、現王派のギレオン伯爵家の令嬢で兄上の婚約者ですよ。しかし、彼女は魔力なしでは無かったはずです。それに...、」
そう言いかけてルカーシュは黙り込む。
「それに、なんだよ?」
あたしが聞き返すとルカーシュは口元に手を当てる。
「おかしいですね...彼女がどんな人だったか、何を会話したか思い出せない...。濃紫色の髪の目立たない女性だったことは覚えているのですが」
「王の婚約者だってのにそんなに影が薄い事があるか?セルヴァンテは何も知らないのか」
そう言うとセルヴァンテも「もちろん存じて...」と言いかけて、怪訝な顔をする。
「...はて、お姿と陛下のご婚約者である事は覚えているのですが...。わたくしとした事が、申し訳ありません」
セルヴァンテは釈然としない言った面持ちで深く考え込んでしまう。王家の家令として長く務める彼が覚えていないなんてありえないことだろう。
メイド達にも尋ねて見るが、皆同じ反応を返す。
聞いていたセリウスが分厚い貴族要覧を取り出し、パラパラとめくって目当てのページで止めた。
「...リゼリア・ギレオン伯爵令嬢。ギレオン伯爵家の次女ですね。姉が居ますが、辺境伯に嫁いで家を出ている様です。さらに、リゼリア嬢は風属性の魔力持ちとの事ですが...」
魔力持ち。それでは自分自身にまで香水が効いてしまう。しかし、やはり不可解だ。王の婚約者という重要人物が誰にもその記憶に残らないなど怪しいにも程がある。
「ふむ、これは黒と見ましたね。ステラさんが言った通り、記憶を操作できる香水が存在すると見ていいでしょう。しかし、兄上は私が会わせてくれと言ったところで了承はしないでしょうね...」
ルカーシュはうーんとうなって腕を組み、天井を仰ぐ。
彼の言う通り調べる価値はありそうだが、王弟でも手を出せない相手にあたしが直接会えるとも思えない。
...となると、やはり頼る所は令嬢繋がりか。
「はあ、また夜会にサロンか。セリウス、お前もその顔でなんとかしてくれよ。早く終わらせるんだろ」
あたしが目をやるとセリウスは渋い顔をする。
「...善処します」
どんだけ女が苦手なんだか。
あたしが肩をすくめると、ルカーシュがぽんと手を叩いた。
「女性と言えば、娼館の方から妙な話がありましてね。」
ルカーシュはおもむろに机の引き出しから、封蝋が既に割られた手紙を取り出す。
「サヴォワール夫人によると、数人の娼婦達が立て続けに月のものが止まったそうで。娼館では客による行為の交渉を禁じるために、部屋内にベルが用意されているようなのですが鳴らされた形跡も無いと」
「娼婦にも色々居るだろうからな、多額の金でも受け取ったんじゃないのか」
あたしが呆れて自分の爪を眺めるも、ルカーシュは続ける。
「そう問い詰めたところ、娼婦達は『行為をした覚えがない』と皆酷く狼狽えているとのことです」
「覚えがない、...か」
「記憶の話と来れば、先ほどの話にも繋がりますね」
あたしとセリウスは目を見合わせる。
「そして調べてみればその娼婦達は皆魔力持ちであり、かのゴーセット卿と関係を持った者ばかりだと判明したそうですよ」
ゴーセット卿と言えば、現王派であり娼館の権利を買収しようと画策した人間だ。賭場では共同経営者として権利を一部買収し、代わりにルドラーの邪魔な人間を処刑した経緯もある。
「娼館の買収に失敗した腹いせか?惨い事をするな。しかし、貴族ならあいつも魔力があるだろうに...」
あたしが顔を顰めて呟くと、ルカーシュも頷く。
「この件を受けて、彼と関係を持った魔力なしの娼婦達に気づく事がなかったか探らせる様に返信を出しておきました」
先ほどのリゼリア嬢の件といい、魔力があっても香水を使用できる仕組みがあると言う事だろうか。思い出して見れば、ジャヒール自体もそれらしい香水を纏っていたが本人に影響はなさそうだった。
「くそ、何か一つ掴むたびに謎が増えるな。近付いてる感覚はあるのに」
あたしが拳を握って溢すと、ルカーシュはこちらの顔を見て頷く。
「ええ、間違いなく近付いていますよ。焦らず突き詰めましょう」
確かに彼の言う通り、無駄に焦っても出るものでもないか。あたしに出来ることをやるしかないようだ。
———ひと月後。
「ううう...、もう嫌だ...!もう豪華な食事も菓子もドレスも見たくない...!」
人気のないバルコニーに寄りかかりあたしがうんざりして叫ぶと、同じく隣に背を寄りかけたセリウスも天を仰ぐ。
「同感です...」
秋が終わり冬が来て、暖かい大広間からバルコニーに出る者はそうそう居ない。だがもうあたし達は限界だった。
ひと月のうちに何度も夜会に出るも、新しい繋がりも減り顔見知りばかり。令嬢達の活躍のおかげで既に王弟派の派閥は固まりつつある。相変わらず現王派はこちらを取り合わず、目を惹く情報もない。
件のジャヒール伯爵と言えば、稀に顔を合わす事があってもセリウスの威嚇の経緯あってかそそくさと逃げてしまう。
そしてあの香水の香りもしないとなれば、何かを試す手段などもない。完全にお手上げだ。
「探る所が間違ってんのか...?リゼリア嬢はどの夜会にも顔を出さないし、誰も彼女の事を詳しく知らない」
「彼女の父親のギレオン伯爵もです。商会を持っているというのに表に立つのはジャヒール伯ばかりだ」
はああ、とあたしは肺の中の空気全てを吐き出すようにため息をつく。
「毎晩高いワインで胸焼けして、息抜きに飲みに行く気にもならない...」
「こちらも...、令嬢達が俺に慣れて来たのか距離が近く...。さえずるような高い声で耳鳴りがします...」
体が冷え切って来たが戻れば賑やかな喧騒が待っている。さっさと馬車で帰りたいが、待ち構える人間が居れば足を止めないわけにいかない。
「おい、雪降って来たぞ...。寒いわけだ...」
はら、はら、と雪の結晶が手の甲や鼻の上に落ちて溶けていく。セリウスがうなだれたまま軽く指を鳴らし、火花と共に隣がふわりと温かくなる。
「うわっ、ずるくないかそれ」
あたしが睨むとセリウスが軽く片腕を広げた。
「どうぞ。どうせ誰も来ません」
「ばっ、馬鹿か!凍えてる方がましだ!」
あたしが慌てて背を向けると、後ろから腕をぐいと引かれる。
「わっ!?」
バランスを崩して後ろに倒れ掛かると、セリウスの広い胸にとん、と寄りかかる形となった。
「背が触れるだけなら問題ないでしょう?」
そう言う彼の胸は暖かく、正直言って心地良い。
寒い空気の中に戻る気も失せてしまう。
「...ちょっと寄りかかってやるだけだからな。お前はただの背もたれだ!」
あたしがそう言って口を尖らせると、頭上でセリウスがふっと笑って「光栄です。」と答えた。
しばらく黙ったまま彼の胸に寄りかかっていると、だんだんと体が温まってくる。じわりと暖かいこの魔法と、彼の心音に自分の心臓の音が重なるのを感じる。
「...もうすぐ、年が明けてしまいますね」
セリウスが静かに口を開く。
ふと思って見れば、イズガルズに戻ってルカーシュ達に結託してからもう3ヶ月になる。
秋の初めから冬となり、あと数日でこの国の暦は次の年を迎えようとしていた。おかげで毎晩浮かれた夜会ばかりだ。
「長いようで早かったな」
あたしがそう言うとセリウスがゆっくりと頷く。
「ええ。ずいぶんステラさんも振る舞いがまともになられました」
「あはは!テーブルマナーとダンスは完璧だろ。宣言通り、お前の執務室の机にしか座ってないぞ」
「もはやあの机が貴女の椅子に見えて来ましたよ」
セリウスもおかしそうに口元に手を当てて笑った。
「そう言うお前も少し融通が効く様になったんじゃないか?あたし一人で賭場に行っても文句を言わなくなったな」
「それは、不満ですが耐えているだけです。俺はまだあなたの何者でもないので」
苦々しく答えるセリウスにあたしは目を丸くする。
「なんだよ、諦めたのかと思ったのに」
「貴女を縛っても手に入らないと学んだのです。貴女は迫られるのはお好きなようですが、理屈で縛ると途端に逃げてしまう。しかし無理矢理迫っても貴女を手に入れたとは思えませんし」
ため息をつくセリウスの言葉が的を得ていて、あたしはむず痒くなって黙り込む。
「俺は貴女を諦めてなどいませんよ。おかげさまで、こうして機を狙う卑怯な男になりました」
わざとすまして言うセリウスに、あたしは何でもないように口を開く。
「じゃ、今は色々耐えてくれてるってわけ?」
「そういう事です。抱き寄せたいのを堪えている俺に感謝していただきたい」
「背もたれにして下さってありがとうございます、の間違いだろ」
「それは先ほど伝えました」
真顔でそんな事を言ってのけるので、あたしは思わず笑ってしまう。
「ふはっ!そうだった!」
あたしの笑い声にセリウスもふふ、と釣られて笑う。見上げればその笑顔があまりに優しくて、あたしを温めるだけの健気さをいじらしく感じてしまう。
...ま、このくらいはいいか。
すう、と深く息を吸い込んでから彼の空いている手のひらをきゅっ!と握ると、セリウスが小さく息を吸い込んだ。
「待てが出来た褒美に、手のひらなら貸してやる」
進展する話と話を繋ぐ話に苦戦しております。
読んだよ〜!という方がいれば評価や感想をいただけますと泣いて喜びます_:(´ཀ`」 ∠):




