44.兵舎
王都に着くと幌馬車から降り、馬宿に預けていたままのセリウスの馬を引き取る。
馬は一晩預けられた事がよほど不満だったのか「すまなかった」とセリウスが首を軽く叩くも、ブルル、と不機嫌に嘶きそっぽを向いてしまった。その姿がなんだかいつかのセリウスに似ていて思わず吹き出すと、セリウスも気まずそうに苦笑いした。
主人を乗せようとしない馬を引きながら、たまたま通りかかった市場で人参を買い与える事でなんとか馬の機嫌を治す。お前の主人が怒った時もそれくらいで治れば楽なんだがな。
「さて、賭場が開くまで時間もあるし、朝飯も食っちまったし...どうするかね。」
あたしが腰に手を当ててそう言うと、セリウスは王城へ続く大通りの方に足を向ける。
「少し兵舎に寄ってもよろしいですか。」
「ん?忘れ物か?」
「いえ、...身を清めたいので。」
少し言いづらそうに答えるセリウスにあたしはあっ、と口に出す。
「そっか、お前そのままだっけ。」
城の門を潜り練兵場に足を踏み入れると騎士や兵士達がセリウスに気付き、動きを止めて敬礼するのをセリウスが軽く手を上げて緩めさせる。
「少し待たせますが、その間兵舎を好きに見て回って構いません。貴女なら皆歓迎するでしょう。」
セリウスがそう言い、兵士達に目をやる。
あたしも彼らを見やると、兵士たちの視線がそわそわちらちらとあたしに注がれているのに気付く。言うまでもなく、前回ここでセリウスと派手に刃を交えたおかげだろう。あの日の男装姿から一変して、海賊らしい装いで訪れたのも目を惹くと見える。
練兵場を抜けた先の兵舎の中は、堅牢な石造りで重々しい。壁の所々に、城壁にも見られる呪文らしき物が刻まれているのはおそらく魔法で強固に護られているのだろう。
「団長!今日は非番ではなかったので?」
セリウスの姿に、見覚えのある騎士達が椅子から立ち上がる。
「いや...、...。しばらく彼女の相手を頼む。」
セリウスがそう言葉を濁して“浴室”と札の掛けられたドアの向こうに消えると、二人の騎士は顔を見合わせる。そして二人してあたしの方をちら、と見ると何か合点が行ったように、にこーっと微笑んだ。
「これはこれは!久方ぶりです、バルバリア嬢。改めましてライデン・ギャツビーと申します。」
「ザイツ・エッケンフェルドです。むさ苦しいところですがどうぞごゆっくりなさって下さい。」
ライデンと名乗った黄金色の髪に明るい茶色の瞳を持つ快活な騎士は、おそらくあたしと変わらない歳だろう。ザイツという騎士はもう少し年上のようだが、あまり見ないオリーブ色の癖毛が蛇のような印象を与える。
「いや、仕事中に邪魔して悪いね。」
あたしがそう気を使うも、二人はにっこにっこと満面の笑みで手を広げて見せる。
「なあに、貴女にかこつけて休憩できるなら大歓迎ですとも!」
「そうです!あの一戦以来、皆があなたに興味津々ですからな。」
「ならいいんだけどさ。ていうか、騎士って皆普段からその喋り方なのか?セリウスといい、堅っ苦しくて疲れないか。」
あたしがそう言うと二人は一瞬目を丸くしてから浴室を振り返り、こそっと口元に手を当てる。
「そんなわけないじゃないすか!疲れますよ。」
「団長がいるからこうなだけで、俺らはもっと砕けてますとも!」
「あっはは!だよなあ!やりにくいからあたしの前では敬語なんてやめろよ。」
あたしが笑って拳を出すと、目を合わせた二人も軽く拳をぶつけ小声で笑う。
「うぇい、いいね!海賊って感じ!」
「団長が落ちた理由が一つわかったな。」
お堅い敬語を解かせて見れば、ライデンは思ったよりノリの良い奴で、どうやらザイツは人を揶揄うタイプのようだ。
「あいつが勝手に惚れたんだよ。なあ、なんとかしてくれよすごい執念だぞ。」
「それは無理って話っすわ!」
「堅物の初恋は重たいからな〜」
ライデンがからっと笑い、ザイツはわざと意地悪な笑みを浮かべる。
「ま、でも軍服のまま朝帰りって事はまんざらでもないんでしょ?頑張ったじゃん団長!」
「やっとあの団長も身を固める時が来たかー。」
「あのな。潰した責任取って船に泊めてやっただけ。残念ながらあいつは清い身のまんまだよ。」
あたしがため息をついてそう答えるとライデンは「まじかーっ」と肩を落とし、ザイツはぶふっ!と吹き出して口元を抑える。
「だ、団長!だめだ面白すぎる。絶対ファビアンに教えないと!」
ザイツが震えながら引き笑いをするのを見て、ライデンが慌てて隣の部屋に向かって彼の背中を押す。
「おまっ、聞こえるって!“バルバリア嬢、どうぞ!ご案内いたします!”」
浴室にあえて聞こえるようにライデンはそう叫ぶとあたしに目配せする。移動した先は武器庫らしく、さまざまな武器が壁や大量の木箱に立てられている。
「はあ〜圧巻だな。どれもよく磨かれてる。」
あたしがそう感心すると、ライデンが眉に皺を寄せセリウスの真似をしてみせる。
「“武器を最善に維持する事は騎士たる基本だろう。”」
「こいつが一回補助刀を錆びさせたら怒るのなんの。“騎士を名乗るな”とまで言われてたもんな。」
「年下のくせにこえーんだわ...。」
「夜会では借りてきた猫みたいに可愛いのにな?」
「もっと普段も年相応であれよ〜!」
この様子。
てっきりセリウスはその見た目と魔力の強さから部下達にただ恐れられているのかと思いきや、意外にも一人の若造として可愛がられているようだ。ファビアンもあの調子だったし、彼らは長く過ごす分あいつの年相応の幼さもよく知っているのだろう。
「そうだ、バルバリア嬢。俺は双剣士なんだが、この前の君のあのカットラスの持ち方はかなり特殊で気になった。もう一度見せてくれないか?」
ザイツがそう言うと自らの双剣をあたしに差し出す。
あたしはそれを受け取ると、扱い慣れた持ち方をして見せる。
「そう、それだ。普通は双剣を逆手に持つ時は親指を鍔に向けて、残りの手で握り込むだろう。それをたった人差し指と中指だけで握るのは何故なんだ?安定しないだろ。」
まったく疑問だとばかりにあたしの手を見るザイツにあたしはその手を持ち上げて見せる。
「ああ、これ?そうだな、実際この双剣は直線で重さが均等だから、握り込んだほうがきっとやり易いだろう。」
そう言ってあたしは中指でくる、くる、と双剣を手の中で回す。
「でもあたしのカットラスは刃先に行くほど重く出来てる。だからこうして親指を支点に回してやれば、重みで簡単に相手の喉や腱を掻き切れるってわけ。」
くるくると回転の速さを上げ、風を切る音が聞こえたところで、ぱし、と回転を止めてあたしは双剣をザイツに返す。
「船の上は乱戦になりやすい。女だてらに重い剣を何度も振るう為の工夫だよ。」
そう言うとザイツは「はあー...」と感心したように双剣を受け取る。
「なるほど...。確かによく見るカットラスに対して刃先がやけに広いと思った。いや面白い。為になったよ。」
腕を組んで満足気に頷くザイツに、ライデンが身を乗り出す。
「えっ、じゃあ槍は?俺槍使いなんだけど使えたりしないか?」
あたしはライデンの持っていた槍を思い出す。
柄も太く、その先に付いた円錐状に鍔のあるヴァンプレイトは巨大で実に重そうだった。
「あんなに太い槍は触った事ないし、あれの扱いは苦手だろうな。よくある細い奴なら敵のを奪って投げる事はあるけど。」
「ちぇー、じゃあ団長のバスタードソードも無理か。」
「俺の剣が何だ?」
突然、低い声がしてその方向を見れば、音もなくセリウスが武器庫の入り口に寄りかかっていた。
「だっ団長!?い、いつからそこに...」
ライデンが冷や汗をかき後退りする。
「双剣の話辺りからだが、随分楽し気だったな。
騎士としての言葉遣いも忘れるほどか。」
セリウスは地響きのような声で迫りながら、ぎろり、と金の瞳で二人を見下ろす。
「も、申し訳ありません...。」
「話しやすさについ...。」
苦笑いで後ずさる二人の前にあたしは軽く両手を上げて出る。
「いいじゃないか。あたしが無理に頼んだんだ。それ以上叱ってやるな。」
な?と笑いかけるあたしに圧を緩めてセリウスはため息をつく。
「貴女がそうおっしゃるなら...。」
その様子に二人はほっと胸を撫で下ろす。
それにしたってやけに戻りが早い。
男とはいえ、その髪は腰まであるというのに。
「ほんとに洗ったのか?髪が乾いてる。」
彼の髪をつい、と持ち上げて見せるとセリウスがやんわりと手でやめさせる。
「風魔法がありますから。」
「ふうん。...てことはもう兵舎見学はお終いか。
あーあ、まだ見たかったな。」
もう少し時間があると思ったのに。
あたしが残念そうにがっくりと肩を落とすと、セリウスは先ほどの剣幕と打って変わって優しく微笑んだ。
「構いませんよ。ご案内しましょう。」
その後はセリウスについて兵舎内の談話室、作戦会議室、資料庫、講義室、食料倉庫などを見て回った。
寝所は二段ベッドが所狭しと並べられた簡素な物だけかと思いきや、各騎士団の等級ごとにいくつか部屋が割り当てられているらしい。
特等級である剣牙の魔狼騎士団に至っては一人につき一つ部屋が割り当てられ、まさに特別扱いだ。最奥のセリウスの部屋は高価な調度品で揃えられ、もはや貴族の寝室と変わらない。彼の執務室へと繋がっている為、城内へもそこから出入りできるのだという。
「お前って本当にお偉いさんだったんだなあ。」とあたしが感心すると「団長になったのは3年前ですので、まだ驕れるほどではありません。」と控えめに溢した。
17歳で団長に成り上がるだなんて、いくつの時にどんな戦績を上げたのだろう。
兵舎の食事に興味があると言ったあたしをセリウスは食堂に連れて行き、せっかくなのでそこで昼食を取った。
そこでも兵士と騎士の等級で食事の格差があるらしく、セリウスの食事は貴族が口にするような見た目と内容であるのに比べ、あえてあたしが頼んだ兵士用のものはパンにチーズ、野菜と肉のごった煮、りんごという簡素なものだった。味自体は少し濃いめで悪くはない。
「嫌味な制度だな」とあたしが茶化すと、セリウスが騎士見習いであった頃から変わらないのだと言う。そこにライデンにザイツ、残り3人の騎士達も合流してしばし和やかな時間を過ごした。
ザイツと変わらない歳らしいがおっとりとした白熊のようなエルタス、野生的な見た目だが落ち着いた五十路のヴィゴ、白髪を後ろにきっちり束ねた老紳士のガトーは皆穏やかで、騎士団は彼らのおかげでうまく纏まっているらしい。
ファビアンはというとセリウスが非番である為に、補佐らしく書類仕事に追われているのだと騎士達が笑った。
その後、練兵場で軽く彼らと手合せをしていると、それを見ていた別の騎士団の騎士達にその戦技は何か、どのように身につけたものか、と質問を受ける。
それに答えて見本を見せてやったりしていれば、他の騎士達も集まり出して次々と質問や手合せを願う声が殺到してしまった。困り果てたあたしに、見かねたセリウスが止めた事で、ようやく王城を後に出来たのだった。
日常回が続きましたが、次で話が進みます。
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