43.既成事実
「...お前、今日は非番なんだっけ。あたしはルドラーのとこに行くつもりだけど、どうする?」
気を取り直したあたしが皿を片付けながらそう言うと、隣でカップを重ねるセリウスが少し不機嫌な顔をする。
「それを聞いて供をしない選択肢があるとでも?」
「へえ、せっかく教えてやったことに感謝しないのか」
あたしが腰に手を当てて彼を見上げると、セリウスも「ほう?」と腕を組みこちらを見下ろす。
「事後報告で苛立った俺に迫られたいならお好きに」
「...それってあたしのせいなのかよ」
「俺を振り回す気なら、そのくらいの覚悟はしていただかなくては」
そう言って口の端をわずかに上げるセリウスに、あたしは返す言葉が思い付かず彼の腹を軽く殴る。
「ったく、化粧するからちょっと待ってろ」
あたしは鏡台の前にかけると髪をかきあげ、引き出しから美しい細工の貝殻に入った紅を取り出す。蓋を開け、橙に近い朱色の紅をとんとんと指に取る。淡く目元に乗せてぼかし、爪の先にすくった紅を目尻からつう、と少し跳ね上げて伸ばした。
仕上げに薬指で下唇をなぞるように紅を塗って上下の唇を合わせると、マントを肩に留めながら鏡越しにこちらを見ていたセリウスと目が合う。
つい悪戯心が沸いて、そのままんーぱっ!と手を添えてキスを投げてやると、まるで胸に見えない矢でも刺さったように「ぐっ」と呻いて赤くなった。
...これ、面白いな。
「すぐ、そういう事を...」
誤魔化すように袖口を直しながらそう言うセリウスに、あたしはからからと笑って香油の瓶を手に取る。跳ねた髪を適当に香油を広げた手櫛で梳かし、口に咥えた革紐できゅっと毛先を縛ってしまえば、最後にばさっと髪を背に跳ね除けて立ち上がる。
「はいおまたせ」
あたしがくるりと振り向いてにっこりと微笑みかけると、セリウスは少し顔を赤らめる。
「...随分身支度が早いのですね」
「男の中でやってくならこんなもんさ。色々塗りたくってられないよ」
あたしはそう言いながらセリウスに近づき、彼の顎にする、と手を当てる。
「お前こそ、一晩経ったのに髭一つ生えないんだな。コンラッドだって情けない無精髭くらいは生えるぞ」
セリウスはそう言われてあたしの手を取る。
「残念ながら。...髭の似合う男がお好みでしたか」
若干気落ちしているらしい彼がなんだか可愛らしくて少し笑ってしまう。
「そうだな。でもお前には似合わないからやめとけ」
あたしがぱっとセリウスの手をほどいてぺちぺち、と彼の頬を軽く叩くと、セリウスは複雑そうにその頬を抑えた。
机の上の懐中時計を見ると、もうすぐ六時半だ。
そろそろ起き出した船員達が朝食を取り始めている頃だろう。そう思った矢先に、コンコン、とドアが叩かれる。
「おーい船長いるか、飯だぞー」
コンラッドの声だ。あの後戻しておいた幌馬車で丁度朝帰りして来たのだろう。
「ああすまん、早く起き過ぎてもう食っちまった」
あたしがドアを少し開けてそう言うと、コンラッドが呆れたように笑う。
「なんだ、俺より先に帰ってんじゃねえか。
まったく昨日は俺を置いていっちま.....って、....」
喋りながらコンラッドはあたし越しにセリウスが立っていることに気付く。
「なっ...、は...?ゔぇっ...ヴェルドマンの野郎...!?ステラ!?な、なんでそいつがお前の部屋に...!!」
激しく困惑して詰め寄るコンラッドにあたしは片耳を小指で塞いで、いかにも面倒そうに聞き流した。
「あーあーあーうるっさいな、潰して連れ帰ったんだよ。そんだけ。じゃあな」
そのまま扉を閉めようとするも、ガッとコンラッドが手を掛けて止める。
「ッいや待て待て待て!!なんだそれ聞き捨てならねえ!おいヴェルドマンてめえ!まさかステラに手ェ出してねえだろうな!?」
コンラッドの怒鳴り声にセリウスは顔色一つ変えずに目をやる。そしてふ、と鼻で笑って見せた。
「ッなああ!?!?お前このやろッ...」
わかりやすく激昂し部屋に乗り込もうとするコンラッドの頭をあたしはゴン!と思い切り殴る。
「何もないよ馬鹿!お前も何誤解させてんだセリウス!」
あたしはそう怒鳴ってセリウスを振り返るも、セリウスはすんとすまして答える。
「同衾したのは事実ですから」
「どっ、どどどどどうきんんん!?!?」
頭を抑えていたコンラッドが叫び声を上げてあたしを見やる。
「嘘だろステラ、なんであいつなんだよ!!こんなに近くに俺がいるってのになんで」
「ああもううるっさい!!!違うっつってんだろ馬鹿!こいつは完全に潰れてたんだ!!あたしは介抱してやっただけ!」
ゴン!!ともう一発コンラッドを殴り、そばにあった鉛の文鎮をセリウスの顔にぶん投げるも顔の前でパシッと受け止められる。
「いってえ!!!俺がほんとに馬鹿になったらどうすんだ!もうなんでもいいからあいつを殴らせろ!!」
コンラッドが涙目であたしに訴える。
ああもうこいつめんどくさいったら...!!
「うるせえぞ!朝から何騒いでんだコンラッド!」
騒ぎを聞きつけたのか、黒い口髭を蓄えたエルドガが中甲板から顔を出しこちらに怒鳴る。
「だってよお!!ステラがあの男を部屋に連れこんでっから...!!」
コンラッドがそう叫び返すのであたしは乱雑に中甲板に蹴り落とし、慌ててコートと帽子を引っ掴んで外に出た。
「ったく!大騒ぎするんじゃない!これ以上ややこしくなる前に行くぞセリウス!」
声をかけられたセリウスが文鎮を机に置き、衣服を軽く整えながらあたしの後に姿を現すと、コンラッドを受け止めていたエルドガが目を丸くする。
「ステラお前...そことくっついたのかよ」
「違...っ!」
あたしがそう返そうとするも、騒ぎを聞きつけた船員達がぞろぞろと甲板の下から顔を出す。
「うわっ、あいつ騎士団長じゃねえ?」
「まじかよ船長やるなあ!」
「うぇえ、男ぉ!?嘘だろ女王様...」
「そうか、ステラももうそんな歳か...」
「カーラん時を思い出すなあ。あいつもいきなり男を連れ込んで『あたしの旦那だ!』つったかと思えばステラを身籠って...」
「ふぉふぉ、血は争えんってやつだな。孫はまだかのう」
若衆達が感心したり悲しんだりする隣で、エルドガとジャックとアルカ爺さんが感慨深く頷き合っている。
「だから違うっつってんだろ馬鹿ども!引っ叩くぞ!」
「おお、照れとる」
「祝いに羊でも締めるか〜」
「うう、ステラ...なんでだよ...!」
あたしが大きな声で怒鳴るも全員が全く取り合わないので、諦めて幌馬車に乗り込む。
動き出す馬車の中で頬を抑え、長いため息の後にセリウスを見れば、彼はどことなく機嫌が良さそうに見える。
「なんでお前は平気なわけ...」
あたしがじとっ...、とセリウスを見るも、
彼は瞼を閉じたまま満足そうに口の端を上げる。
「...一人減ったなと」
ステラには誠実な騎士でありたいセリウスですが、若くて意外と血の気が多いので恋敵のコンラッドに勝てそうなら手段を選びません。これで外堀が埋まるなら都合がいい、とか考えてしまうくらいには独占欲が強かったりします。
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