40.泥酔
「おーい、セリウス、セリウス〜」
「...う....」
セリウスが懐から差し出した財布で会計をし、ウェイターからコートと帽子を受け取る。帰り支度を済ませたあたしがセリウスの肩を揺さぶるも、セリウスは座ったまま赤い顔で小さく唸るだけだ。
...まずい、飲ませ過ぎた...。
あたしにボトルを開けさせるならお前も開けなきゃフェアじゃない、なんて売り言葉に頷くから相当強いのかと思えば...まさかボトル一本で潰れてしまうとは。
そもそも、こいつが今まで酒に手をつけているところなんて見た事なかった。仕事中だからと本人が拒んだのもあったし、あたしが勧めるまま何杯も飲むものだから、まさか潰れるだなんて思わないだろ。
4杯目くらいから赤くなり始めて、5杯、6杯、と減ってくあたしのボトルの中身を見ながら「問題ありません」だなんて同じ様に飲み続けるから...。
そういえば、年下、年下、とは思っていたけどこいつまだハタチなんだよな。法律じゃ18から飲めるんだったか...でも普段から晩酌するタイプとは到底思えないし。じゃあもしかして、自分の強さや酒の飲み方自体、よく知らなかったとか...?
もしそうなら、完全にあたしの責任じゃないか。
「おい、立てるか。帰るぞ」
「....はい...」
なんとか立ち上がり、自分の足で歩いてくれてはいるものの、2m弱のこのでかい身体をあたしの肩で支え続けるのは無理がある。
こいつの馬...いや馬の上にこの体を持ち上げるなんてもっと無理だ。運良く乗せられたとしても落馬したら目も当てられないし、ていうかあたしは乗馬出来ないし、セリウスの家だって知らない...。
これ、完全に詰ん...
そうだコンラッド!
コンラッドがまだ帰っていなければ男手も幌馬車もある!船に連れて帰る事にはなるが、この際しょうがない。
セリウスを引きずって馴染みのパブの近くに来ると、見覚えのある幌馬車が停まっていた。よし、あとはコンラッドさえいれば...!扉を開けると海賊達が酒盛りをしているものの、コンラッドの姿はない。
「あれ、コンラッドは?」
あたしが話しかけるとドアの目の前で飲んでいた知り合いの男が振り向く。
「ステラに置いてかれた〜っつっておねーちゃんのいる店に行ったよ」
「はあ?ちっ、肝心な時に役に立たねえな...」
「それでステラは誰を背負って...って騎士団長殿!?お前潰す相手くらい選べよ!」
驚く男にあたしは慌てて男の口を塞ぐ。
「あんまり騒ぎ立てるなよ、...ところで馭者を頼まれてくれないか。港に送ってここに幌馬車を戻すだけでいい。銀貨一枚やる」
銀貨一枚の響きに男の目がきらりと光る。
馬車の往復で力仕事1日分の給料ともなりゃ食いつくだろう。
「おっ、それだけでいいならお安いご用だ。ちょっと風に当たりたいと思ってたとこさ」
よし、これでなんとかなる!
早速小遣い稼ぎに乗った男の手を借りてセリウスを幌馬車へと運ぶ。
「しっかしでっけえな、この団長殿はよ...。これを潰すってどんだけ飲ませたんだよ」
「うるさいな、あたしだって潰れると思わなかったんだよ」
よいしょ、と二人がかりで幌馬車の荷台にセリウスを寄り掛からせる。あたしもそのまま荷台に乗り込んで、男が馬車の手綱を握った。
ぱしん、という鞭の音と共に馬車がゴトゴトと動き出す。
「...あの、この馬車はど、こへ...」
かろうじて意識を保っていたらしいセリウスがあたしに話しかける。若干舌が回っていなくて思わずあたしは笑ってしまう。
「ふふっ、あたしの船だよ。ちょっと揺れるけど我慢しな」
「....はい....」
そう言ったきりセリウスは大人しくなる。
まあ、揺れてる間に吐かれるよりずっといいか。
港に着くと、船の前でなんとかセリウスを降ろし、背中に背負ったまま引きずって上甲板に上がる。
真夜中の船は、波の音とマストが軋む音がするだけでひたすらに静かだ。
船が港にある間は、あたしと古株の数人、あとは見習いのチビくらいしか船内で寝泊まりしない。その皆もずっと階下の貨物室で寝入ってしまっているので甲板には人っこ一人いないのだ。
セリウスも貨物室に...と考えたが、天井から下がるハンモックにこいつを上げるなんて到底不可能だと気付き、仕方なく船長室の扉を開けた。
自分の大きなベッドの上にセリウスをどさっと降ろす。そしてあたしもそこに腰掛けまま、やっとため息をついた。
「はあ、めちゃくちゃ重かった...。感謝しろよ、この野郎」
そう話しかけるもセリウスは答えない。
チラリと見れば、赤く火照った顔に艶やかな黒髪が乱れてかかり、長いまつ毛が吐息と共にゆっくりと上下している。ったく、酔い潰れても絵になるなんてもはや尊敬するよ。
はー...と思わず見惚れていると、少し身じろぎした彼の体からチャリ、と金具の音がする。
よく見てみれば、かっちりした軍服に分厚いマントも留金でついたまま、固そうなベルトが二本、重い革のブーツにきっちりプレスの掛かったズボンがしまわれていて、とてもじゃないが快適に寝れる格好ではない。
あーもう、...仕方ない。これは別にやましい事じゃなくて、こいつの為だからな!
あたしは冷え切った船長室を温める為、薪ストーブに火を入れる。分厚い鋳鉄製の扉の中で火が徐々に燃え上がり、部屋に暖気が広がっていく。
そしてあたしはセリウスに向き合うと、気合いを入れるようにふーっ、と息をつく。
そして彼の肩の留金を外し、マントを自分の椅子にバサッと掛けた。軍服の前のボタンを開けていくと、中には見覚えのある黒いタートルネックが見える。これ、私服じゃなかったのかよ...。
重たい腕をよいしょと持ち上げ、袖をうーん、と引っ張ってなんとかばさりと軍服の上着を脱がした。
そしてそのまま腰の位置まで下がり、少し躊躇してからベルトの金具を外し、えい!と二本まとめて抜き取る。
少し余裕の出来たズボンの内側で衣服がめくれて、腹から下半身へ続く鍛え上げられた筋肉が見えた。盛り上がった筋骨隆々の船乗りとは違う、硬く引き締まった身体。うわ...と思わず感嘆して、我に帰りさっと服を戻す。
最後にブーツの留金をぱちぱちぱち...と全部外して、これまた力尽くでなんとかすぽんと抜くとその辺にポイポイと投げる。投げられたでかくて重たいブーツがゴトン、ゴトンと音を立てた。ついでに靴下も抜き取ってそれも投げてしまう。うわっ、足でっか...。
....あーーーー、疲れた!!外側だけでなんっつう重装備なんだこいつは!毎日毎日これを着てんのか?こんなんじゃ肩が凝って仕方ないだろうに。
はあ...、と一仕事終えた長いため息を吐くと、セリウスが目を覚まさないことをじっと確認して、あたしも海賊帽を脱ぐ。
セリウスの黒いマントが掛かった背もたれの上に真紅のコートをばさりと掛けると、しゅるりと赤いスカーフを取った。革の上服の留め具をパチン、パチン、と二つ外してするんと脱ぎ、胸を縛った布だけが残る。
ブーツの編み上げを解き、ぴたっとした革のズボンも両サイドで編み上げた革紐をするりと解けば、バサリと簡単に床に落ちてしまう。
セリウスに比べて実に簡単な装備を脱いで、下着だけになったあたしはうーんと伸びをした。
いつもはこのまま寝てしまうが、流石に下着姿で隣にいたら驚くか...。痴女だと思われたくもないし、とあたしは壁にしっかり打ち付けられた優美なクローゼットから、お下がりの男物の大きなリネンシャツを取り出して上から羽織る。これでよし、と。
枕元のサイドテーブルに置いたネロリの香油で軽く化粧を落とし、ルカーシュにもらった石鹸と、薪ストーブで沸かしたぬるま湯で顔を洗う。そしてまた香油を数滴肌に塗ってしまえばもう終わりだ。
はあ、やっと寝れる。
あたしはセリウスをぐいぐいとベッドの奥の壁側に押しやると、空いた隙間に身体を潜り込ませる。 寝相が悪い自分の為にベッドを広く作ってよかった。ふかふかの羽毛布団をかぶって、天蓋を降ろし暗くしてしまえば意外と快適だ。
セリウスの身体は酔っているせいかあったかくて、秋の終わりの夜には悪くない。さらさらの黒髪が時々顔にかかるのは若干うっとおしいけど。そして髪から石鹸のいい香りがするのがちょっとばかりむかつく。
にしても、あんなにあたしに余裕な顔で迫っておいて、結局酔い潰れるなんてやっぱガキだな。
ほら、だからこんなガキと添い寝したってなんともない。あの時は驚いただけだし、こいつの顔が無駄にいいから照れただけだ。絶対に恋とか愛とかそんなんじゃない。
きっとセリウスは明日起きたら真っ赤になって焦ってそれからこの状況に怒るんだろうな。一緒に寝るなんて何事ですか!なんつって。
でも次は絶対に迫られて説教されても怯んだりしない。このあたしをドギマギさせた仕返しに、めちゃくちゃにからかって喋れないくらいにしてやろう。
そんな事を考えていると、急にセリウスが寝返りを打つ。そしてその腕でぐっと身体を抱き寄せられ、耳元に彼の息がかかった。
「...っ!!」
思わず声にならない声を上げる。急に鼓動が激しく脈打ち、体温が上がっていくのを感じる。
「せ、セリウス?」
小さな声で恐る恐る声をかけるも、彼の寝息しか返ってこない。
...こ、こいつ...このあたしを抱き枕にして寝ようってか!ならあたしだって緊張なんかしてやるものか。ふ、普通に寝ればいいんだろ!
あたしは必死に息を整えて、なんでもないようにぎゅっと目を瞑る。
その時、セリウスが小さく呟いた。
「父上...」
「...お救い、出来ず...」
悔しそうな途切れ途切れの言葉と共に、セリウスの奥歯がきり、とわずかに軋む。
あたしは瞑っていた目を開けて、はた、と闇の中の彼の顔を見つめた。彼の影は苦しそうな呼吸をし、あたしを抱き寄せた手は堅く、強張っている。
...そうか。そう言えば、こいつもあたしと同時期に父親を失っていたんだったな。
同じ王城内にいるのに救えなかったらしいその最期は、目の前の母を救えなかったあたしと少し似ている。
あの時あたしが気付けていれば、状況が違えば母は無念の死を遂げることはなかったと、何度同じ夢を見た事か。
...セリウスもきっとまだそうして苦しんでいるのだろう。こいつも元々片親らしいし、この歳で天涯孤独か...。
ふ..、う、と苦しそうな息遣いと共に彼はあたしをぎゅうと掻き抱く。締め付けられる苦しさが彼の心を映しているような気がして、あたしは腕の中から、セリウスの頭にそっと手を伸ばした。
艶やかでさらりとした黒髪は手に心地いい。
漉くように何度も彼を優しく撫でると、彼の腕の力が緩み、次第に寝息がすう、と深くなっていく。
...少しは落ち着いただろうか。悪夢から脱せているといいが。...ああいう嫌な夢は、朝まで残る。
彼を見つめれば、寄せられていた眉の力が抜けていて、何故だかあたしまで少しほっとする。
そしてそのうちに、彼の寝息が一定のゆっくりとしたリズムを刻み出す。そのやわらかな寝息に、こちらまでつられるようにふわりと眠気に誘われていく。
ったく、ガキのくせに重いもん抱え込みやがって。
こいつがあたしに惹かれているのも、ひょっとしたら得られなかった母親の愛情なんかを年上のあたしに期待してるのだろうか。
...明日の朝起きても、からかうのは勘弁してやるかな...。
そんな事を微かに思いながら、あたしはゆっくりと目を閉じた。
強気だったセリウスは実はかなり背伸びをしていました。見た目こそクールなイケメンですが、剣と鍛錬に生きてきたので色々不器用です。
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