38.怪我の功名
それからしばらくセリウスとあたしは、夜会に、サロンに、と足繁く通い情報を集めるも、特に成果の無いまま2週間が経とうとしていた。
セリウスはあれから会話は今まで通りにするものの、妙に距離を感じてやり辛い。
夜会では、暗いバルコニーであたしがちょっとつまづいてセリウスにぶつかっただけで大袈裟に引き剥がして距離を取られるし、馬車の中でつま先同士が少し当たっただけで明らかに足を引かれ目を合わされなくなったり、果てはあたしが後ろ向きが酔うのでセリウスの隣に座っただけで「そういう事は二度とするな」だとか説教までされて腹が立つ。
徹底してあたしが近づくのを避けやがって、そんな弱気であたしの心なんか手に入るかよ。
結局、セリウスともギクシャクするし香水の情報はなかなか得られないし完全に進捗は停滞してしまった。
くそ、やっと見つけた手掛かりだってのになかなか尻尾を掴ませない...。なぜ人によって効果に差が出るのかだってわかっちゃいないのに。
「なーに辛気臭い顔してんだよステラ。せっかくのエールが不味くなっちまうぞ。」
隣に腰掛けているコンラッドがあたしの顔を覗き込む。今夜は情報にありつけず苛立っているあたしを気遣ったコンラッドと飲みに来ているのだ。パブの騒がしい店内はいつもは楽しげに感じるというのに、今日ばかりはうるさくてかなわない。
「悪いな、どうにも仕事の件が気になって...。」
あたしがそう言ってエールを口にすると、コンラッドがむっと口をへの字にする。
「香水かなんだか知らねえけど、お前はもうちょっと副船長の俺を頼るべきじゃないのか?いっつも一人で突っ走って抱え込みやがって。俺はそんなに頼りないかね。」
「そう言う事じゃないよ。ただこれは社交界の話だからさ、船と荷の管理を任せてるお前に何を調べさせるってんだ。」
あたしがため息をつきながら笑うとコンラッドは不服そうにビールを煽った。
「俺に嗅がせてみたらまた違う反応が出るかもしれねえだろ?船員全員で実験したっていい。」
「お前らに嗅がせてまたあんな目に遭ったらさすがにあたしでも対処できる気がしないよ。」
「あんな目?どんな目だよ。」
「...ややこしくなりそうだから言わない。」
さらにへの字口を強く結ぶコンラッドを横目にあたしはジョッキを傾ける。
実際実験は悪く無い発想だとは思うが、セリウスに試した時みたいな事が複数人に起こった場合危険すぎる。縄で縛って嗅がすとか、やりようは無くもないが...あたしだって鬼じゃない。大事な船員達を実験動物みたいに扱う気はないのだ。
「どーせ、俺はあのクソ仏頂面騎士団長殿とは生きてる世界もちげえしお貴族様の事なんてわかりませんよーだ。」
コンラッドは口を尖らせてそう言うとエールをぐびぐびと飲み干した。そして、タン!とカウンターにジョッキを置いてこちらに灰色の目を向ける。
「でもな。俺はお前の右腕、お前の兄貴分で副船長だぜ。ポッと出のあの野郎より俺の方がお前を知ってる。だからしんどい時くらいちゃんと頼れ。このコンラッド・ザカラムをよ。」
やけに真剣な目で言われてあたしは少し言葉につまる。でも確かに、こいつとは十数年の仲だもんな。上手くいかない時は気持ちの面だけでも、もう少し頼っていいのかもしれないな...。
「ありがと、コンラッド。お前がいてくれてよかった。」
あたしが微笑むとコンラッドが目を潤ませる。
「うう...ステラぁ!やっとわかってくれたか!」
そのくらいで涙目になるなよ。こいつ、今の一杯でもう出来上がったのか。両手をがばっと上げ、調子に乗ってあたしに抱きつこうとしたコンラッドをひょいとかわす。そして行き場を失った彼の手があたしのコートに当たり、革袋がその場に落ちた。
あ、と思ったのも束の間。
革袋の口が緩み、とたんに悪臭が店内に広がる。
まずい、ここにいる奴らがもしあんな風になったら...全員引っ叩いて昏倒させるしかない。
あたしは鞭に手を伸ばした。
「くっさ!!なんだこれ!」
あたしの予想に反してコンラッドが鼻を押さえながら革袋をつまみ上げる。
「うわっなんだ、くせえ!誰だ酒場にこんな匂い持ち込んだやつ!」
「煮詰めたにかわとタールみてえな臭いだ!」
「お前屁こいたな!?何食ったらこんなん出るんだよ!」
酒場の客達も次々に異臭に騒ぎ出す。
狭いパブの店内だ、匂いが回るのも早い。
しかも全員が悪臭だと騒いでいる。ここにいるのは海賊だけだ。つまり、つまり...!
「ステラ、これもう早くしまえ!」
「コンラッド!これ、臭いか?臭いよな?」
「おいステラ!いくらお前でも俺の店で異臭騒ぎは...」
「おっさん!!あんたにもこれ臭いんだな!?」
「くせえから!!早くしまってくれ!」
あたしは興奮しながら革袋をきつく締め、窓と扉を全開にする。悪臭が薄まり、店内の空気が食べ物とエールの匂いに戻る。
「はあ、なんだったんださっきのは...」
「だからお前の屁だろ!誤魔化すな」
店内がざわざわと落ち着きのない様子に、あたしは振り返って響く声で問いかける。
「おい!この中に魔力持ちはいるか?」
あたしの言葉に客達が振り返り、首を横に振る。
「魔力があったら海賊なんかやってるかよ」
「魔法なんてくそくらえさ」
「一人もいないんだな?」
あたしが念を押して確認すると、彼らは面倒臭そうに顔を顰める。
「だからそうだって言ってるだろ、なんなんだ急に」
やはり、魔力のない人間には効かないんだ!
あたし達とこいつらに共通してるのなんて魔力がない事と海賊なことくらいだ。ならどう考えたって魔力の方に違いない。
「でかしたコンラッド!」
あたしがコンラッドの肩をパンと強く叩くと、よくわからずも嬉しそうに「お、おうよ」と返事をする。
もし魔力の強さに比例して香水が作用していたのなら、令嬢たちが酩酊した程度のものでルカーシュが意識を失いかけ、一番魔力の強いセリウスがああなったと理解できる。...待て、それならうちのビクターは?
「...おい、ビクターって魔力持ちだったか?」
訊かれたコンラッドはきょとんとして答える。
「ビクター?確かに魔力持ちだけど、そよ風を起こすので精一杯だったぜ。」
そうか!ビクターは元町医者だ。忌み子だから職にあぶれて海賊になったわけじゃない。それでも魔力がほんの微量しかなかったから、香りの効果が特に薄かったんだ。やっと全てに説明が付く。
ならばこの香水を使えるのは、魔力がほとんど無い人間かつ王城に入れる身分のある人間だ。早く魔力がない貴族を探さなくては。いや、まずはルカーシュ達に聞かせないと。
「悪い、コンラッド!先帰っててくれ!」
「はあ!?こんな時間からどこ行くんだステラ!」
「ちょっと王城!」
駆け足で王城の門を潜り、急いでルカーシュの部屋へと向かうと彼は食事の真っ最中だった。あたしが来たらいつでも通せと言付かっているらしいルカーシュ邸の衛兵が若干気まずそうにしたのはその為か。
「おっとすまん!聞いてくれ!ルカーシュ!」
あたしの突然の来訪にも、ルカーシュは口元を上品に拭いて優しく微笑む。
「ステラさん、そんなに急いでどうされました?
あ、良ければご一緒しますか?すぐに用意させますよ。」
あたしはそれを制して彼の机に手をつく。
「それより聞いてくれ、あの香水が何に作用してるのかわかった!魔力の強さだ!魔力が強い奴ほど効果を強く受けてたんだよ!」
ルカーシュは目を見開くと、立ち上がりあたしの手を取る。
「ステラさん...素晴らしい!詳しくお聞かせ願えますか?」
あたしは今日パブで起きた事と以前に試した船医のビクターに実は魔力があったことを踏まえて出た結論をルカーシュに詳しく説明した。座り直しワインを口にしながらルカーシュは真剣な表情をする。
「なるほど...そうなれば城内に入れる魔力無しの人間で大分絞れますね。まずは最も可能性のある貴族の中で調べてみる事としましょう。お手柄ですよ、ステラさん。やはり貴女に協力を頼んでよかった。」
そう言うとあたしに向かってにっこりと微笑む。
あたしはむず痒くなって首の後ろに手を置いた。
「いや、今回はうちの副船長の手柄さ。あたしも色々当たってみるよ。...そういえばセリウスはどこだ?」
あたしが尋ねるとルカーシュは少し考えて答える。
「セリウスなら彼の執務室ではないですか?まだ帰ってはいないと思いますよ。」
「わかった!あいつにも共有してやんないと。前のアレを気にしてたからな。」
それを聞くとおかしそうに口元に手を当ててルカーシュは笑う。
「ふふふ、気にしてましたねえ。でももう何回か仕事を共にしたのでしょう?まだよそよそしいのですか?」
「ああ、まあ仕事は真面目にするし会話も問題ないけどな。そばに寄るとすぐ避けて距離を置かれるのがめんどくさい。」
「あはは、なるほど。あの後、自制心がどうとか言っていましたからね。」
ルカーシュは何か思い当たる事があるように笑うとあたしを見送った。
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