37.効果抜群
王城に着き、ルカーシュの部屋を訪れると既にそこにはセリウスも同席していた。机の上に重なった書類を見るに仕事をしていたらしい二人は、突然のあたしの来訪に驚いた顔をする。
「おや!今日はサロンだったのでは?こちらには顔を出されないと思っていましたよ」
ルカーシュがそう言うとセリウスが立ち上がり、あたしをソファにかけさせる。こういう所作が一々貴族的で若干むず痒いんだよな。まあいい、本題を話さなくては。
「そのサロンで話題の香水について確認してほしいことがあって来た。」
「香水、ですか?」
ルカーシュはきょとんとするが、セリウスは前回の夜会を思い出したのかわずかに目を細める。
「妙な香りがするという...あれから何か進展が?」
あたしはセリウスに頷いた。
「ああ、シュリー嬢が珍しい香水を手に入れたと披露してくれてな。異性を虜にする香水ということだが、それを嗅いだ令嬢達が全員酷い酩酊状態になった」
あたしの話を聞いてルカーシュが眉を顰める。
「香りを嗅いだだけでですか?」
「ああ、そうだ。さらに彼女達は薔薇に似た花の香りだと言っていたが、あたしには悪臭にしか感じない上、何の効果もなかった」
その言葉にセリウスが顎に手を当てて尋ねる。
「花の香りがステラさんには悪臭に...伯爵の付けていたものに似ていますね」
「まさにジャヒール伯爵の関わっている香水だ。
ギレオン商会と共同事業のレ・フィリアという銘柄でごく少数だけ販売されている貴重なものらしい」
名前が発されると同時にルカーシュがぴくりと反応する。
「ジャヒール家とギレオン家、どちらも現王派ですね。酩酊状態は長く続いたのですか」
あたしは首を振って答える。
「いや、窓を開けて香りが消えたらすぐ正気に戻った。うちの船医にも嗅がせてみたが、いい香りだが酩酊するほどではないと言うんだ。だがもし、これが限定的な人間に作用するなら暗殺の証拠に繋がるかもしれない」
ルカーシュが興味深そうに口元に手を当てる。
「ふむ...調べる価値がありそうですね」
そろそろいいだろう。ことの重大さは伝わったようだ。あたしは懐から革袋を取り出す。
「その香りが染み込んだハンカチがこれだ。確認してくれ」
ルカーシュは静かに頷くとセルヴァンテを振り向く。
「大人数が一度に酩酊するといけませんね。セルヴァンテ、メイド達を下がらせて」
「直ちに」
セルヴァンテが指示をすると、メイド達がこちらに一礼しながら慌てて捌けていく。扉がしっかりと閉められ、部屋に残るはセルヴァンテ、ルカーシュ、セリウスとあたしだけとなった。
「では、お願いします。もし酩酊した場合は...」
「ああ、すぐ全ての窓を開けるから安心しろ」
あたしがそう言って革袋の紐を緩める。
少し緩んだその瞬間から悪臭がもわりと部屋に広がった。やはり薄まってなどいない...思わず鼻を手で覆う。
「ああ...これは....。なんと....」
ルカーシュの目がとたんに虚になり、ぼんやりと何もない壁を見つめる。言葉少なにふらふらと体を前後にゆっくりと揺らすその姿は令嬢達よりも明らかに強く効いている。
「おお、なんと芳しい...」
セルヴァンテもうっとりと目を瞑り、音楽にでも聴き入るかのように立ったまま壁に背を預ける。つねに完璧に控える彼が家令としてあるまじき行動を取るほどとは、かなり効いているようだ。
「.........」
セリウスのその目も空虚を見つめ、心ここにあらずといった様子だ。あたしが名前を呼んで揺さぶるとゆっくりこちらを向くが、いつものように顔を赤らめたりすることもなく、こちらをぼんやりと定まらない目で眺める。
その様子は正気がなく、不気味だ。どうやらこいつに一番効いているらしい。
早く窓を開けなくては。あたしは革袋の口を急いで閉じると立ち上がり窓へと向かう。大きな窓を閉じているつまみに手をかけようとしたその瞬間、強い衝撃と共に壁に押し付けられた。
「!?」
背中が壁に当たった痛みに思わず目をつぶってしまった。瞼を開くと、金色の虚ろな瞳がすぐ目の前であたしを見つめていた。
「っ、セリウス!?」
彼は呼びかけても反応をまるで返さない。慌てて横を見るが、壁に押し付けられた彼の鍛えた腕が逃げ道を塞いでいる。
どうする、と考える間にぐい、と顎を持ち上げられ彼の整った顔が至近距離に迫る。
「ッ!!」
思わず怯むと、太ももの隙間に膝を捩じ込まれ完全に身動きが取れなくなってしまった。
これは非常にまずい...!だがすでに腕は窓に伸びている。あとは指がつまみにかかるだけだというのに!
セリウスの目は虚ろなまま、顔が近づき通った鼻筋が眼下に迫る。自分の顔がみるみると熱を持つのが痛いほどわかる。
まずい、まずい、まずい、はやくはやくはやく!!
カチャン
窓が開き、秋の冷たい風がびゅうと部屋に流れ込む。セルヴァンテが瞬きをして姿勢を正し、ルカーシュが眠りから醒めるように目を見開く。
よかった、間に合った!
セリウスを向き直すと、彼はあたしの目の前で姿勢そのままに顔を真っ赤に染めて固まっている。そして視線が合った瞬間、ぶわっとその顔に汗を浮かせた。
「せ、セリウス...君...」
ルカーシュの声でセリウスがバッとあたしから離れる。そしてそのまま背を向け、がばっと両の手で自らの顔を覆ってしまった。
「..........申し訳ありません...」
耳を赤くし指の隙間から消え入りそうな声でそう言う彼は、大きな体を縮こまらせている。
「気にするな。正気じゃないのは目で分かった」
あたしも熱を持ったこの頬を悟られないように、片手で顔を隠しながらセリウスに声を掛ける。
セリウスは答えず、こちらを向く事もできないようだ。その様子を眺めていたルカーシュがあたしに向かって頭を下げる。
「申し訳ありません、ステラさん。私も完全に夢見心地で...」
「ああ、全員によく効いていたようだな。セルヴァンテはともかく、ルカーシュとセリウスは令嬢達の比じゃなかった」
ルカーシュは口元に手を当てる。
「では人によって効き目の差があるのは間違いないようですね。私は酷く酩酊したような感覚で何もかもが美しく夢のように感じたけれど...セルヴァンテはどうだった?」
尋ねられたセルヴァンテが深く頷く。
「わたくしにもほろ酔いのような感覚があり、その瞬間が素晴らしいものに感じました。しかしセリウス殿はいったい...」
セルヴァンテが心配するような目でセリウスを見ると、セリウスはまだ赤い顔でこちらになんとか向き直りながら後ろ手に手を組む。そして俯いて言いづらそうに言葉を絞り出す。
「...激しい酩酊感、うねるようなめまいと共に...同じく全てが輝くようでした...。彼女が俺の肩に触れ...名を呼び、いざなわれたように、感じました...」
そう言ってこちらをちらりともせず黙り込んでしまう。ルカーシュとセルヴァンテが確認するようにこちらを見るのであたしは焦って答える。
「あたしは名前を呼びながら肩を揺さぶっただけだ!どう見てもこいつが一番おかしかったからな」
ルカーシュがそれを聞くとふむ、と顎に手を当てる。
「この即効性、そして効果の強さ...。あまりにも危険な代物ですね。すぐ効果が消える事で依存性もあるかもしれません。王族としては直ちに生産販売を禁じるべきでしょう。しかし...」
腕を組み眉根に皺を寄せるルカーシュに、あたしは頷いて続ける。
「効果の差の規則性もわからず、暗殺の糸口として可能性が高いならば泳がせるべきだろう」
「下手に手を出すと情報が全て闇に葬られてしまいますからね...。被害が出るのは恐ろしいですが、致し方ありません」
ルカーシュはそう言うと大きくため息をついた。
あたしはソファに座り直して紅茶を一気に飲み干すと、セリウスを振り返りぽんぽんと隣のソファを叩く。
「なあ、もう気にするな。あれは毒みたいなものだ。思考を奪われた人間に責任なんて問わないさ」
セリウスはあたしの言葉に答えづらそうに口を開く。
「しかし...俺は操られていたわけでは...。その..記憶も...ありますので....」
セリウスの言葉にぴくり、とルカーシュが反応する。
「記憶...確かに、これは夢見心地にさせるけれど皆記憶はしっかり残っている...。もしこれが暗殺に使用されたなら、父の寝室に向かった犯人を近衛達が覚えているはずです。しかし誰も犯人を見ていない...。そこも詰めて考えねば暗殺の証拠としては弱いですね...」
うーむ、とまた腕を組み考え込むルカーシュをしばらく眺めていたあたしはふと思い出す。
「そう言えば伯爵の付けていたものは非常に良く似ているがまた別の嫌な香りだった。ジャヒールが犯人と仮定して、暗殺に使った香水をそのまま売り出すとは思えない。もっと効果の強い...それこそ記憶を消せるようなものがあると見ていいんじゃないか」
ルカーシュがはた、とあたしを見る。
「確かに、そんなリスクの高い物を簡単に売るはずがありませんね。私とした事が視野が狭まっていたようです」
「さて」とルカーシュがあたしとセリウスを順番に見て真剣な面持ちで膝に手を当てる。
「...セリウス、ステラさん、この糸口は何があっても逃したくはありません。できる限り急いで、ですが慎重に情報を集めるように」
彼の言葉にあたしが頷き、セリウスが敬礼の姿勢を取る。
「もちろんだ」
「承知致しました」
私事でしばらく更新が遅れます_(:3 」∠)_
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