35.サロン
「ステラ・バルバリアだ。シュリー嬢の招待で来た」
馬車から降りたあたしが屋敷の家令に伝えると、奥の部屋に通される。品のいい調度品で揃えられた客室に入ると、既に令嬢達が円形のティーテーブルを囲んで待っていた。
「ステラ様!時間通りですわね!」
今回のサロンの主催者であるシュリー嬢がこちらを振り向いて花のように微笑む。それに次いで座っていた令嬢達も立ち上がって優雅にカーテシーを見せた。
よかった、なんとか時間通りに着いたようだな。怒り心頭のメイド長にこんこんと説教を受けながら急いで着替え直し、馬車に詰め込まれたなんてとても言えない。
「ああステラ様、本日も素敵な装いですわ!」
「本当に!女性でいらっしゃるのがもったいないくらいですわ。」
「はは、男だったらこうして集まれないよ」
「あら、それは困ります!」
あんなに怒りながら、その上短時間でもメイド長はしっかりと着付けてくれたらしい。戻ったらちゃんと礼をしないとな。
「そういえばステラ様、本日は私の友人達がぜひ殿下のお働きに参与したいとサロンに来てくださったのです!ご紹介してもよろしくて?」
「なんと、それは嬉しいな」
令嬢達の屋敷で開かれるサロンでは大っぴらな夜会と違い、少数の仲間内だけで現王による前王暗殺や、ルカーシュの政治の理念について詳細に説くことができる。
そうして王弟派の令嬢達の中で主催を変えつつ、今回は五回目のサロン開催になる。
彼女らのコミュニティの広さは凄まじく、また誰に何を話すか等の話題の忖度に長けているため、現王派に怪しまれることなく水面下で王弟派の令嬢達を増やし続けている。
また令嬢達の説得により王弟派に移行した貴族も多く、続々と現王廃位を支持する署名が集まっている。令嬢達に目をつけたルカーシュの狙いはほぼ達成に向かっていると言えるだろう。
あとは問題の暗殺について。明らかに不審な点がありながら、証拠が見つからないこの状況を早くなんとかしなければならない。いくらルカーシュの支持者が増えても、理由なく王を引き摺り下ろす事など不可能だ。
あたしとしてはそれこそ現王を暗殺してもいいのではないかと思ったが、あのいつも笑顔を崩さないルカーシュが
「それだけはなりません」
と強い語気で諌めたので口を慎んだ。
なんでもルカーシュによると、情だけではなく兄弟を手にかけられない大きな理由があるのだという。彼はその話を詳細に説明してくれた。
「そもそもこの国は、代々王位継承のたびに流血を伴ってきました。元来、月の精霊の加護で銀髪銀瞳であった王家の目が赤く染まったのは、およそ300年前に精霊の怒りによって受けた呪いの為です」
「この目は血族を手にかけ王位についた者の心を徐々に狂わせます。当時の王は自らの行動を深く悔やみ、王位を譲ったのち血族同士の諍いを固く禁じました」
「しかし、おそらく兄は禁を破ってしまった。きっと誰かに唆されたのでしょう。元来兄は極端に潔癖ではありましたが、悪人ではありませんでした」
「しかし王位に着いたあの日から、兄は日を追うごとに性格が破綻し、心を病んでいきました。このままではいずれ廃人となり、現王派の都合のいい傀儡と成り果てるでしょう。私に出来る事は、血を流すことなく哀れな兄を退位させる事のみです」
王族にのみ伝えられてきたというその話はにわかには信じ難かったが、レオニード王に謁見した日の事を思い出す。
確かに彼の目は血走り、頬は痩せこけ酷く衰弱していた。レオニードを無理矢理排除してもルカーシュがああなってしまっては意味もないか。地道に情報を集めて暗殺の証拠を掴まなくては。
「そういえば今日は皆いい香りをさせているね。なんの香りか聞いてもいいかな?」
あたしが訊ねるとシュリー嬢が嬉しそうに胸の前で手を合わせる。
「あら!お気付きで?レ・フィリアの最新の香水ですのよ!」
「レ・フィリア?」
「ジャヒール商会とレギオン商会が手がける今一番人気のブランドですの」
ジャヒール商会。やはりな。目当ての名前が出てきて心の中でよし、と呟く。令嬢達はとたんに盛り上がった。
「わたくしもレ・フィリアのものを付けておりますの!桃とフランキンセンスのものを選びましたわ」
「ああ、本当にうっとりする香り...!」
確かに桃やフランキンセンスの香りはするが、極々薄くあの妙な香りを嗅ぎ取る。あまりにも薄い為言われなければわからない程だが、決していい残り香では無い。
「ところで、レ・フィリアの特別な香水を知っていらして?」
「数量限定品のあれですわね?」
一層興味深い話題が振られる。これは逃すわけにはならない。あたしは前のめりになり意欲的な姿勢を見せる。
「何かな、詳しく教えてくれないか」
シュリー嬢はあたしが興味を示したことに嬉しそうな表情を見せてこそこそ話をするように続ける。
「ふふ、ステラ様も興味がおありなのね。実はレ・フィリアには...異性を虜にする特別な香水がありますの」
彼女がそう言った途端、他の令嬢達も前のめりになり囁くように会話に加わる。
「大変貴重でほんの少量しか作られませんのよ。効果が非常に強い為、意中の男性と二人きりの時にしか使ってはならないのだとか!誓約書まで書かされるのですって」
「本当に小さな小瓶で、3回分ほどしか無いそうですの」
「はあ、手に入れてみたいものですわ...」
彼女らがそうこぼして肩を落とす様子をシュリー嬢はゆっくり眺め、待ってましたとばかりに含み笑いをする。
「うふふ、私がなぜこのお話をしたと思いまして?」
彼女の言葉に令嬢達が目を見開く。
「まさか!手に入れられましたの!?」
その反応に満足そうにシュリー嬢は頷いた。
「ええ。私もまだ開封しておりませんの。皆さま、こっそりここで嗅いでみませんこと?」
「まあ!ぜひ!」
「お願いいたします!」
令嬢達が目を輝かせわっと湧き上がる。
シュリー嬢は小さく頷くと戸棚の引き出しを開け、宝石箱のような豪奢な箱から小指ほどの大きさの小瓶を取り出した。非常に小ぶりだが美しいガラス装飾のされたそれは怪しい赤が目を惹く作りだ。
令嬢たちがほう、と感嘆する。
「では、いきますわよ...」
彼女がレースのハンカチを取り出し令嬢達と頷きあうと、ひと吹き香水を吹き掛ける。その途端、あの独特で嫌な香りがふわりとその場に広がった。なんて強い匂いだ。これが異性を虜にするだと?
「まあ...なんていい香り...」
「本当...!薔薇のようでどこか違う...」
令嬢たちがうっとりと目を細める。どことなくその表情はぼーっとし、視線がうつろに見える。薔薇?似ても似つかない。あたしには悪臭にしか感じないぞ。
あたしは恍惚とした彼女の手からハンカチを取って鼻を近づける。強い香りが直接鼻を刺して思わずうっと顔を背ける。...だが違う。これはジャヒール伯爵の付けていたものと同じものではない。非常によく似ているものの、あれは何かもっと癖のある悪臭だった。
令嬢達はぼんやりしたままうっとりと会話を続けている。あまりに異様だ。良くない物に違いない。あたしはハンカチを手持ちの革袋に入れ強く口を結び懐にしまうと、立ち上がって窓を全て開け放った。
冷たい空気が入り込み、香りが外気に薄まっていく。ぼんやりとしていた令嬢たちの目は正常に戻り、ぱちぱちと瞬きをした。
「あら...わたくしとした事が!あまりの芳香にぼうっとしてしまいましたわ」
「わたくしも...。本当に強い効果があるのですね」
すっかり正気に戻ったようだ。どうやら効果は長く続く物ではないらしい。
「...とてもいい香りだったね。お嬢さん達があまりに色っぽい表情をするものだから心配になってしまったよ」
あたしがそう取り繕うと令嬢達は頬に手を当てる。
「あら、そんな表情を?お恥ずかしいわ」
「ステラ様が虜になってくださったらよかったのですけれど」
「そんなものがなくても君達は十分魅力的だよ」
「まあ!お上手なんですから」
その後も適当に会話に花を咲かせ、土産を渡すなどして話題を移した。つつがなくサロンを終えて馬車に乗り込む。
彼女達が恍惚としている間に仕舞い込んだ為かハンカチに触れられる事はなかった。しかし、あの香り...令嬢達もセリウスもあの悪臭を花の香りだと言った。そしてあたしには何の効果も感じられなかった。
やはり妙だ。あたしと彼女達で何が違う?
幸い香りを染み込ませたハンカチはここにある。戻ったら詳しく調べなくては。