34.練兵場
「うー、さむっ!」
秋の終わりの潮風は冷たい。航海で海水の染み込んだロープは冷え切って硬く、手に痛い。号令をかけながら船員達と共に力を込めて引き上げると、マストがゆっくりと折り畳まれた。
この1ヶ月、王都港からの海路の確保は上手くいっている。前の海戦で戦艦を一隻奪取してからというもの、アガルタ帝国の船はしばらく領海内に現れていない。
奪った船は塗り直し、乗組員にはセリウスに保護されたものの船を失い飲んだくれていた海賊を割り当てた。彼らは海賊としてのやる気を取り戻し、王都港海域の外で戦果を上げている。
海域から帝国の船が退いたことで商船の護衛もずいぶんと楽になり、また夜会で商会を持つ貴族達に情報が回った事で顧客が大幅に増えた。
年間単位の護衛契約を結ぶ商会も多く、船員達は忙しさに嬉しい悲鳴を上げている。
主艦の“緋色の復讐号”にも新しく砲台を増やし、孤児院から里親の現れない13歳以上の体の強い子供を数人引き取り砲手に割り当てた。
基本的に新人の子供は主艦に乗せられる。力のない子供が目の届かない場所で不当な労働を強いられないよう、あたしや古株の元で一人前の船員として鍛えられてから他の船に旅立たせるのだ。
眼帯姿の屈強な砲手長のジャックの前で少し怯えながらこくこくと必死に頷く少年達の姿は微笑ましい。あれでもジャックは怖がらせないように気を遣っているのだが。
あたしは船から降りると、荷運びをしているコンラッドに声をかける。
「コンラッド、王都に行きたいやつがいたら声をかけろ。幌馬車で荷を運ぶついでに乗せてってやる。三台あるから五人ずつな」
「おっ、今回は割と乗れるな。俺もたまにはエールでも飲みに行くかな!ステラもどうだ?」
「悪いな、今日もご令嬢のサロンとやらに行かなきゃならん。お前が飲んでる間あたしはティータイムさ」
ティータイムと聞いたとたんコンラッドが目を輝かせる。
「令嬢のティータイムと来りゃたんまり菓子が出るんだろ?土産に包んでもらってくれよ」
そういえば若衆を差し置いて菓子に一番に飛びつくのはこいつだったな。
「お前甘党だっけか。頼んでみるよ」
子供も増えたことだしちょうどいいか。
こちらからの手土産も何か見繕わないとな。
適当に女好みのする異国の手土産を選び、幌馬車に乗り込む。幌馬車の中でコンラッドや若衆と上機嫌に歌い騒ぎながら王都への街道を抜け、王都で荷下ろしを終えて彼らと別れた。
王城へと続く大通りを歩きながら街や道ゆく人々を眺める。この一月で罪人の処刑が減ったおかげか、少し街の雰囲気が明るくなった気がする。海路の回復のおかげか市場の商品も種類が増え、人々で賑わっている。
あたしの傘下以外が街に現れなくなったおかげで海賊に対する印象も良くなったのか、あたしの姿を見ても怯えるより好奇と敬意の入り混じった視線を感じる事が多くなった。
王弟に対する感謝の言葉を預かる事も少なくない。庶民の中にも王弟派を推す声が高まっているのがわかる。
王城に着くと別邸にて身支度を済ませ、きっちりとした男装姿に身を包む。何度も着ているうちにさすがにこの服装にも慣れてきた。
メイド達に身を任せるにも次の動きが分かっている為随分とやりやすくなったと笑われた程だ。
今日は令嬢の屋敷内で開かれる小さなサロンに赴く為、ルカーシュとの話し合いはない。女性のみの集まりなのでセリウスも付き人の役目はない。
そうなると馬車が迎えに来る時間まで暇だな。
...せっかくだから練兵場でも覗いてみようか。
練兵場の高い塀の前に差し掛かると、塀の向こうから男達の勇ましい掛け声と金属のぶつかり合う音が聞こえる。眩しい光が塀のアーチ状の入り口を照らす。魔法特有の光が漏れ出しているらしい。
入り口から覗いてみると、騎士達が訓練の真っ最中だ。激しく剣を交わし合い、様々な魔法を打ち合っているらしい。
よく見れば騎士達は皆持っている武器や放つ魔法が違う。
真っ白で目立つ軍服のファビアンは優雅な細い刀身のレイピアを巧みに操り、氷のつぶてや光の弓矢、鋭い風の刃のようなものまで放っている。あの絵物語の王子のような爽やかな笑顔とは裏腹に、なかなか容赦のない戦い方をする。
紺色の軍服に身を包む五人もそれぞれ異なる武器や魔法を使用しているようだ。長い槍、片手剣の二刀流、メイスと大きな盾、戦斧、胴体ほどもある大きな弓。
前に会った時は帯刀していたはずと思い見てみると、腰に揃いの剣があり補助武器として使い分けているようだ。
炎を扱う者、雷撃を放つ者、地割れを引き起こす者、禍々しい力をその武器に込めるものなど多種多様で見ていて飽きない。
突然眩しい光が放たれる。その光の出所を追うと彼らの奥、一番広い練習場に黒い軍服のセリウスの姿があった。
セリウスの周囲には騎士ではなく、光る人影のようなものが複数囲んでいる。不思議に思っていると人影がそれぞれセリウスに向かって切り込んだ。
セリウスがその手を向けると人影が激しく燃え上がり、地に手をつくと離れた地面からボコボコと巨岩が飛び出て吹き飛ばす。
右手を上げれば雷撃が雨のように降り注ぎ、左手で軽々と大きなバスタードソードを振るう。その隙を狙って飛び込む人影を砲弾のような光の光線が貫き、氷を巻き込んだ竜巻が巻き上げる。
禍々しい闇の力で捉われた人影は枯れるように崩れていく。
人間を相手にせず広い練習場に立っている意味がわかった。
こいつはもはや竜クラスの歩く天災だ。
というか一人でいくつ魔法を使っているんだ。
あたしも魔法は詳しくないが、地・水・火・風・雷・光・闇の七つの属性があり、複数の属性を持つ人間が希少な基本知識ぐらいは持っている。
しかしこいつの先ほどの戦いぶりを見れば、全属性を使っている上に全てが強大だ。
魔法が全てのこの国で、騎士より格上の地位を持つはずの伯爵や公爵がセリウスをやけに恐れるわけがわかった。全属性持ちの人間なんて存在自体がおかしいレベルの脅威なのだから。
そうして眺めている内に、うずうずと思わず身を乗り出していたらしい。ファビアンがこちらに気付いて手を上げる。その瞬間、騎士達が動きを止めた。あたしは観念して入り口から姿を現す。
「ステラ嬢!いやあその姿、初めて拝見しましたがよくお似合いですね!僕と並ぶくらいの美男ぶりですよ〜!」
ファビアンがにこにこと手を差し出し、あたしも握手に応える。
「彼女をお前のような軟派者と一緒にするな」
セリウスが奥から黒髪を靡かせながら現れる。
戦っていた姿を見た為か、いつもより男らしく見えるような気がする。
「訓練中にすまないな。戦いぶりが気になって隠れて見ていたつもりだったんだが、あんまり面白くてつい」
あたしがそう頬をかくと、セリウスが静かに微笑む。
「貴女の見学なら歓迎です。流れ弾に当たらぬよう、観覧席にご案内しましょう」
そうしてあたしを先導しようとしたその手をあたしはぐいと引き止める。セリウスが一瞬間を置いて振り返った。
「なあ、あたしと一戦してくれないか。お前の魔法は面白い。見てたらどうしても戦いたくなった」
そう言った途端、全員の目が見開かれる。
ファビアンが珍しく慌ててあたしの前に立ち塞がった。
「ええ!?いやいや、ステラ嬢!それはおすすめしませんよ!先ほどのセリウスを見ていたんでしょう?」
「そうですとも、大怪我では済みませんぞ!」
「我々とて危険すぎて団長には簡単な稽古を付けてもらうのがせいぜいですよ」
「どうかお考え直しください」
騎士達もあたしに焦って声をかける。
でもその気になってしまったんだから仕方ないだろ。セリウスが困り顔であたしを見つめる。
「彼らの言うとおりです。俺も貴女を傷つけたくはありません」
「ふうん...。そんなに女と戦うのが嫌か?騎士団長様ともあろう者があたしなんかに怯えてるんじゃ理想の男とは言えないな」
あたしがそう言うと、セリウスが「なっ...」と声を詰まらせる。
「あーあ!あたしは真っ向から本気で打ち負かしてくれるような男が理想なんだけどな。戦いぶりを見てちょっとときめいたのは思い違いだったかなー」
あたしがそう言うと騎士達が青い顔をする。
セリウスはしばらく目を瞑り考え込んだあと、
あたしの目を見て答えた。
「...いいでしょう。一戦だけですよ」
ファビアンがため息をついて目元に手を当てる。よしよし、狙い通り乗ってきたな。
最強の魔法騎士との戦いなんて、最高に燃えるじゃないか!
広い練習場にセリウスとあたしは離れて向き合う。あたしの右の腰に鞭、左の腰にカットラスが二本。太ももには投げナイフがずらりと巻かれている。対してセリウスはその背に背負ったバスタードソード一本と、その身に宿した強大な魔法。
男装した女海賊のあたしと国最強の魔法騎士。
その異様な光景に兵士たちがざわざわと辺りに集い始める。
「本気で倒して良いのですね」
「本気じゃない相手に惚れる訳ないだろ」
睨み合ったあたし達にファビアンがもう一度ため息をつき、号令をかけた。
「戦闘始め!」
セリウスの右手がマントの内側から出され、指先からあたしに向かって一直線に炎の球が放たれる。それを避けると次々に炎が放たれるが指の方向を見極めながら避け、彼めがけてすばやく走り込む。
足元に地割れが生じ、ボコボコと地面から土の柱が激しく盛り上がる。瞬時に足場を見つけそこを駆け上がり、一番高い所から腰のカットラスを引き抜いて飛びかかった。
彼のバスタードソードがカットラスを受け止める。右手から電撃が漏れ出すのを確認したあたしは、宙でくるりと身を翻しセリウスの後ろに回るとそのまま切りかかる。
しかし咄嗟に振り返ったセリウスの電撃があたしの右手のカットラスにビリリと伝い、あたしは手に伝わる前に投げ捨てた。
大型の魔法を使わせないためにもこいつと距離を開ける訳にはいかない。そう考える間にも地面をつたってぬらりとした闇魔法があたしの足を掴もうとする。
すばやく避けて残った左のカットラスを投げつけるが瞬時に凍りつき、セリウスの大剣で打ち返された。あたしは地面を蹴って返されたカットラスの上に手をつき、くるんと彼の頭上まで跳ねるとそのまま鞭を引き抜いて彼に向かってしならせる。
セリウスが一瞬驚いた顔をするも、光の盾で鞭を弾いた。弾かれたままの鞭で地面を掬い、砂を大きく撒きかけると、セリウスが一瞬目を覆う。
この瞬間を待っていた!
セリウスの体にすばやく鞭を巻きつけると、太もものナイフをその顔に投げつける。決まった!
しかしその瞬間、爆風が吹き上がりあたしは宙に吹き飛ばされる。
「うわあっ!?」
地面に投げ飛ばされ、後から鞭が落ちてくるのをはしっと掴んだその瞬間、地面から湧き上がる氷の切先が首元に突きつけられた。
「戦闘止め!」
ファビアンの声で、突きつけられていた氷がさら、と粉のように崩れる。
...あーあ、もうちょっとだったのにな。
そう思った瞬間、辺りからどっと歓声が沸いた。セリウスがふう、と一息ついてあたしに手を差し伸べる。
「お怪我はありませんか」
あたしはその手を取らず、彼の頬に優しく手を当てた。セリウスがびくりと震えその場で固まる。
そのままするり、とその頬を撫でるとあたしの指に血の跡がすうと伸びる。あたしが放った投げナイフが、最後に彼の頬に傷をつけた証だ。
「怪我をしたのはお前の方だったな、セリウス」
にっと口の端を上げてみせると、セリウスは自らの頬に手を当てる。傷がある事を悟って目を見開くと少しの間の後にため息をついて笑った。
「...一本、取られましたね」
一番間近で見ていたファビアンと騎士達がおお、と声を漏らす。あたしはセリウスの手を取って立ち上がると、大きく伸びをした。
「あー!楽しかった!魔法って面白いな、またやろう!」
あたしがセリウスの肩をパンパンと叩くと、彼は困ったように微笑む。練習場から出た途端、騎士達がわっとあたし達を囲んだ。
「いや素晴らしい戦いぶり!あのような戦法は見たことがありません!」
「団長に接近戦を強いるとは侮れぬお方だ!」
「しかも傷まで負わせるとは信じられん」
「私どももぜひお手合わせ願いたい!」
口々にあたしの手を取り握手を求める彼らに気を良くしていると、突然甲高い声が響き渡る。
「な、何をしていらっしゃるのですかー!!!!」
はた、と振り向けば声の主のメイド長がはあはあと息を切らせてこちらを睨みつけている。あまりの剣幕に自分の姿をふと見てみれば、豪華な礼装が砂埃まみれだ。
「う、わ、悪い...」
あたしがしどろもどろにそう言うと、メイド長は怒りを露わにずんずんとこちらに向かい、騎士達がさあっと道を開ける。
そしてあたしの腕をむんずと掴むと、女の力とは思えぬ力強さでぐいと引っ張られる。
「1時間かけてご用意した礼装をこんなにしてしまわれて!!今から着替えても馬車が来るまであと半刻ですよ!?一体何をお考えなのです!」
激しく捲し立てられて、返す言葉もない。
「貴方達も!!なぜお止めにならなかったのですか!騎士団長様ともあろう方がご判断もできないとは!」
「いや、一応止めたのですが...」
「お黙り下さい!!」
騎士達やセリウスまでが彼女の迫力に思わずうっと後ろに引き下がった。
「さあ、行きますよ!まったくこんなにしてしまって髪も全てやり直しです!本当に...!」
怒り続ける彼女にあたしは腕を掴まれ、ずるずると引きずられていく。盛り上がっていた兵士たちは残念そうな顔であたしを静かに見送った。