32.香水
会場のざわめきの中を主催のもとへ進んでいく。セリウスはというと、騎士らしくあたしの斜め後ろに数歩下がって付き従う。
ちらりと改めて目をやれば、腰まで流れる黒髪に黒い礼装用の軍服が似合いすぎているのが腹立たしい。
そしてその綺麗な顔が先ほどあたしに向かって慕っているだなんとかのたまった事を思い出す。とたんに顔が火照るのを感じ、慌てて前を向き直した。
「ああ、ステラ様!来てくださったのね!」
主催のマリエラ嬢がこちらを見つけて笑顔を向ける。あたしは心の乱れを悟られないよう表情をにこやかに整えた。
「マリエラ嬢、ルスティノス伯爵とその奥方。お招きいただき感謝する。改めて、緋色の復讐号の船長を務めるステラ・バルバリアだ。こちらは付き人のヴェルドマン騎士団長。王弟殿下の計らいで同行してもらっている」
彼女とその両親に胸元に手を当てきっちりと礼をすると、セリウスも慣れた動きで騎士然とした礼をする。あたし達のその様子を見て、ほう...と相手方がため息をついた。
「こちらこそ、招待に応えてくださり感謝します。娘に話は聞いていましたが男装の麗人とはまさにその通りの方ですな」
「お二人が並ぶと会場が華やかになりますわね」
両親たちの感想にマリエラ嬢は嬉しそうに声を上げる。
「ええ、ええ、そうなのです!ステラ様は本当に魅力的な方で...!外国のお話にとても造詣が深くいらっしゃいますの!」
「ははは、まったく落ち着きなさい。貴女とお会いしてから家でもずっとこの調子でね」
マリエラ嬢を宥める伯爵にあたしは笑顔で答える。
「美しく聡明な御息女に評価頂けるなんて光栄だ。前回お話しした時、彼女は特に海外の植物に興味を持たれてね」
「セルデア国のありふれた一種が庶民の食料事情の解決に繋がるのではと口にされた時は、その慧眼に驚かされたものだ。ぜひこちらも協力させて頂きたい」
あたしの言葉に伯爵と夫人は驚き、嬉しそうに顔を見合わせた。
「なんと、マリエラがそのような事を!」
「ああ、マリエラ!素晴らしいわ!最近熱心に領地の勉学に励んでいたのは貴女のおかげでしたのね」
「もう、お父様、お母様ったら恥ずかしいわ!ステラ様、騎士団長様、今日はどうぞごゆっくりお楽しみになって下さいね」
照れながらそう言うマリエラにあたしは微笑み返す。
「ああ、そうさせてもらおう」
その後も前回見知った令嬢達と挨拶を交わし、世間話に花を咲かせる。そしてさりげなく王弟の最近の働きや今後の政治の見通しの評価に話を繋げ、令嬢達の心を王弟派に傾けた。
「夜街が治安や経済に影響を与えていたなど存じませんでしたわ...!ただ規制すれば良いというものでもありませんのね」
「殿下は庶民の生活まで気に掛けておられるのですね...!」
「海路の確保のためにも殿下がご尽力を?」
「ああ、あたしは王弟殿下の呼びかけに賛同してね。現在の全ての船を帝国の脅威から海路を護る為に配備している。国のため、海賊にまで頭を下げて尽力される姿には感銘を受けたよ」
「まあ、殿下はそこまで...!ああ、ありがたいことです。私どもの商会も海路が復活すれば商品の安定した生産ができますもの」
「倉庫に溜まった小麦もやっと輸出できますわ!」
「わたくし、殿下のお働きとそのお心に感動しましたわ!このお話をもっと広めるべきです!」
「ええ、ええ!そうですわ!」
「サロンを開きますからぜひおいでになって!
ここに来ていない令嬢達にもお話をお聞かせくださいませ!」
「もちろん、お招きいただけるなら光栄だ」
ルカーシュを支持する声が令嬢達の繋がりの中で広まって行く。付き添いで来ている公爵や伯爵達も娘達の言葉に耳を傾け、あたしやセリウスに詳細を求めて集い始める。
うーん、順調、順調!この調子なら思っていたより早く王弟派の数を増やせそうだ。
ある程度貴族達との会話をこなし、休憩のため部屋の隅のソファに腰掛ける。
「喋り続きで喉が渇いたでしょう、飲み物をお持ちします」
セリウスはそういうと会場の人混みに姿を消す。馬車での事があったせいで、気まずくてしょうがなかったので少しほっとする。
さて、あとは現王派との接触だが、誰から手をつけるか...。目星をつけようと貴族達を探っていると、一人の貴族と目が合う。
「おやおや、貴女はかのバルバリア嬢ではありませんか。人だかりで近づけずに困っていたのですよ」
こちらに歩みを進めながら、黒髪にちょろりとしたあご髭の男がニヤニヤと笑いかける。
「私はジャヒールと申します。以後お見知り置きを」
ジャヒール...、ジャヒール伯爵。香水や化粧品の商売をしている王都東の現王派貴族だったか。あたしはにこやかな笑顔を作って応える。
「ジャヒール伯爵、お初にお目にかかる。芳しい香りを纏っておられるが、そちらも貴方の手がけたものかな」
「...?おや、よくお気づきで。こちらは我が商会の主力商品ですよ。まあ、貴女のような海賊には必要のないものでしょうが」
なぜ話し始めに一瞬困惑した?
ともかく、こいつはあたしが気に入らないようだな。ついさっきまで王弟派の勢力をこれ見よがしに広げていたんだ、現王派として面白くないのだろう。
「あたしも女だからね、これでも香りには敏感なんだ。他国にもその香りを求める人間は多いだろう、こちらでいい商船を紹介するが?」
あたしがそう応えると、ジャヒール伯爵は嫌味な笑顔で首を振る。
「いえいえ、結構ですよ。我が国でしか手に入らないからこそ希少価値もあるというものです。...もっとも、あなたが王弟殿下を籠絡されるなら、特別に媚薬効果のあるものをお譲りしますが」
こいつ、言ってくれるじゃないか。
あたしは笑顔のまま一歩踏み出す。
「あたしを娼婦か何かと勘違いしておられるなら今すぐ口を慎む事をお勧めしよう」
「ははは、ここで何をなさるおつもりで?その顔と身体はうまく使えても貴族の会話には不慣れでいらっしゃると見える」
「言わせておけば...!」
度を越した侮辱にあたしが肩を怒らせる。
その瞬間、ス、とセリウスがあたしの肩に手をかけ間に割り込んだ。
「失礼、戻りが遅くなりました。殿下に対する不敬な表現が聞こえましたが、伯爵殿にお心当たりは?」
「き、騎士団長殿!そのようなものには気づきませんでしたな。で、では失礼」
伯爵はセリウスを見るなり打って変わって体を萎縮させ後ろに後退りする。そそくさと挨拶だけして踵を返そうとする彼の肩をセリウスが掴んだ。
「ああ、お待ちを伯爵殿。一つ伝え忘れが」
「なんでしょう。...まだ何か?」
肩を掴まれた伯爵がセリウスを振り向き睨みつける。その瞬間セリウスがこめかみを抑える。
が、すぐに何事もなかったように手を離した。
伯爵が一瞬驚いた顔をする。
セリウスはかまわず伯爵をゆっくりと見下ろすと地響きのような低い声で告げる。
「彼女へのお叱りは付き人の俺が引き受けます。詳しくお伺いしましょう。さあ、どうぞ」
無表情のまま、じり、と迫る高身長のセリウスに伯爵はヒュッと息を漏らした。
「そ、そんなめっそうもない!私の言葉で気を悪くされたなら謝罪します!」
「...ステラさん、いかがですか」
「かまわん。怒気が削がれた」
あたしが応えるとセリウスは伯爵に向き直る。
「俺の勘違いだったようです。失礼致しました」
そう告げるなり伯爵は慌ててその場を離れ、セリウスは怒りを発散するようにフンと息を吐いた。令嬢達の前では借りてきた猫のようで全く役に立たないと思っていたが、喧嘩になるとなかなか迫力がある。ルドラーの時も思ったが、意外と喧嘩慣れしているな。
「お前、なかなかやるな!あたしを庇ったのか」
あたしが肘で小突くと、セリウスはこくりと頷きグラスを差し出した。
「俺が離れていた為に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
あたしはグラスを受け取り一口、ワインを口にする。
「なんでお前が謝るんだよ。あと一歩遅ければ殴ってたから助かった」
あたしがそう笑うとセリウスもくすりと控えめに笑う。おや、笑うとさらに男前なんだな、なんてふと思ってドキリとする。
...くそ、まだ引きずってるのかあたしは。
「それよりお前、気付いたか?」
あたしは気持ちを整えながらそう尋ねるとセリウスは頭の上にハテナマークを浮かべる。
「わからないようだな。あいつの付けてた香水、嗅ぎ慣れない匂いがする」
「と言いますと」
「あたしは精油...つまり香料も卸してると言っただろ。今世界で取引されてる香料には、花類、果物類、ハーブ類、香木、あとはスパイス、動物由来のムスクなどがあるんだ」
セリウスは聞いてもわかっていないようだが、あたしは話を続ける。
「だがあれはトップに薔薇とムスク、ミドルにチュベローズ、ラストノートに全く嗅いだことのない香りがあった。あんな独特で嫌な匂い、あたしは嗅いだ事がない。他国ならともかく、この国だけで賄われてるならあんな香料はないはずだ」
あたしがそう言うもセリウスは首を傾げる。
「嫌な匂い...?花の香り以外は感じませんでしたが」
あんなに強い残り香に気づかない事があるか?それにあいつの妙な表情も気にかかる。
「それからお前、何かされなかったか?こめかみを抑えてただろう。」
「そういえば一瞬、立ちくらみのようなものが...。気にも止めていませんでした」
立ちくらみ?偶然としてもやはり妙だ。
どうにもあの伯爵、引っかかる。
「あいつの周辺を調べたい。関わりのありそうな現王派に絞って近付いてみるか」
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