31.表明
「このジャヒール伯爵というのは?」
「確か、王都より東に領地を持つ貴族です。香料の産地で香水の商会を持っていますね...。ギレオン伯爵家と化粧品会社の共同経営もしているそうです」
セリウスが貴族要覧と書かれた分厚い本を引いて答える。
「ふむ...、よし!全員覚えた!ところでさっきから王周辺の人物以外はその本で調べてるが、実はあんまり詳しくないのか?」
「お恥ずかしながら...。俺はあまり夜会には出ていなかったので、社交界には疎いのです」
セリウスは本を閉じて気まずそうな顔をする。
「ま、その性格なら想像もつくな。でもお前も20歳ならそろそろ見合いが必要なんじゃないのか?夜会嫌いなんて言ってられないだろう」
あたしがそう言うとセリウスは眉根に皺を寄せて苦々しげにつぶやいた。
「見合いですか...」
「はは、露骨に嫌そうな顔だな」
あたしが笑いながら皿の焼き菓子を口に放り込むと、セリウスも紅茶を一口上品に含む。
「今まで何度かありましたが、俺は女性特有のかしましさが苦手なのです。かといって大人しすぎても扱いに困りますし、向いていません」
静かに左手のソーサーにカップを戻すセリウスに、あたしは菓子をもぐもぐと咀嚼しながら言葉を返す。
「お前、意外に選り好みするんだなあ」
「そんなつもりは。ステラさん以外の女性が合わないだけ...で.........」
そこまで言いながらセリウスはじわりと赤くなってそっぽを向く。
「またかよ、すぐ照れるなお前は。そんなに照れてばっかりってことは、まさかあたしに惚れちまったか?ほらほら、おねーさんの方を向きやがれっ」
そう笑って肩をつんつんと小突くとセリウスはボッと湯気が出そうなほど顔を赤くした。
「あはは!ちょっとからかっただけだろ!」
あたしが笑いながら真っ赤な顔のセリウスを手のひらで仰いでいると、一部始終を見ていたルカーシュが腹に手を当てて苦しそうに笑い出す。
「ふっ、ふふふ...!ああおかしい、親友のこんなやり取りを間近で見れる私は役得ですね」
「殿下...」
振り向いたセリウスが顔を赤くしたままルカーシュを不機嫌に嗜める。「いやすまない」とルカーシュはティーカップを手に取るが、笑いに耐えきれずカタカタと紅茶が激しく波打った。
メイド達に夜会の支度を整えてもらい、セリウスと馬車に乗り込む。今回の男装はジャケットと髪を結い上げるリボンを赤で揃えられている。うちの海賊団と同じシンボルカラーのおかげか少し気合いが入った。
出がけにメイド達に約束していた手土産のカメオ細工を選ばせると、きゃあきゃあと喜んでいたので何よりだ。
セルヴァンテに東洋の美しい果物ナイフを、ルカーシュには北国の鮮やかな漆器を渡したところ王室御用達の石鹸を箱で船に贈ってくれるという。
さすが王弟、これでしばらく石鹸には困らないな。
皆に手土産を渡す中、なぜかセリウスだけ肩を落として考え込んでいたが。
お前には一番高い魔石をやっただろうに。
...馬車に乗って半刻は経っただろうか。
セリウスはあたしがからかいすぎたのか、あれからあまり喋らない。
ガタガタと揺れる馬車の窓に肘をつき、夕陽をぼんやり眺める。ふとセリウスに視線をやるとセリウスの整った顔も夕陽に照らされていた。
彼の目とあたしの目が合う。陽光を受けた瞳が虎の目のように深く光を反射する。
「...綺麗だ」
ぼそりと聞こえたその声に、うん、確かに綺麗だなあ。と思わず納得するとセリウスがその目をすっと逸らした。
...ん?まさか今、こいつが喋ったのか?
「え、何?」
あたしが聞き返すとセリウスがこちらをもう一度じっと見る。そして何かを決心するように目を瞑り息を吸った後、口を開いた。
「綺麗だ、と言いました。...夕陽の中の貴女が美しかったので」
セリウスらしくない直接的な物言いにドキリとして思わず言葉に詰まる。
「なっ、なんだよ急に。さっきからかった仕返しか?」
あたしがそう返すもセリウスはこちらから目を逸らさない。先ほどまでなら真っ赤に染まりそうなその顔も夕陽のせいで表情が読めない。
そうしてしばらく黙り込んだ後、セリウスがやっと口を開いた。
「...仕返しになるのかもしれませんね。今から伝える俺の言葉は、あなたを困らせるでしょうから」
どう言うことかわからず言葉を返せずにいると、彼はあたしに向かってその薄い唇をゆっくりと開いた。
「数時間前の貴女の言葉を肯定しましょう。...俺は、あなたに惚れています」
その言葉と共に、艶やかな黒髪越しの金の瞳があたしの目を真っ直ぐ捉える。
突然の告白に頬がかあ、と熱を持つ。
「は、はあ!?急に何を言い出す...」
あたしが思わず後ろに身じろぐも、セリウスは逃がさないとばかりにあたしの右手を取った。
「今日一日、貴女と共にいて確信しました。このままでは貴女は全く、俺を男と見ることなど無いのだと」
そう言うとひと呼吸置いてセリウスは続ける。
「しかし俺は、一人の女性として貴女を見ています」
「そ、それって...」
あたしが言いかけた言葉に、セリウスは静かにうなずく。
「俺はファビアンのように器用でもなければ、口説き文句や小手先の賛辞も知りません。だが、貴女に男と思われぬまま終わるつもりもない。...ですから、先に貴方に伝えておきます」
この手を握る大きな硬い手に、一層力が込められる。
「ステラ・バルバリア嬢。一介の騎士として、貴女をお慕い申し上げます」
セリウスは真剣な眼差しでそう告げると、
主人に忠誠を誓うようにあたしの手の甲にそっと口付けた。その部分がとたんに熱を持ち、腕へ伝い、頬までじわりと達する。
「...な、なっ、なん、なんだよさっきから!!そんな事急に言われても困る!」
自分でもびっくりするほど言葉を詰まらせながら、あたしは口付けられた手を押さえて後ろに引き下がる。が、狭い馬車の中では逃げ場がない。胸がドキドキと激しく脈打っている。
さっきまで照れてばっかりだったくせに、なんでこんな急に積極的に。しかも女性として見るとか慕ってるとか、いきなり言われたってわからない。
「まだ貴女が俺になど靡かない事くらいは承知しています」
そう言ってセリウスは目を伏せる。
そして瞼を開けるともう一度あたしの目を見つめて続けた。
「しかし、この告白はいずれ貴女の心を手に入れるという表明です。...どうぞお覚悟を」
セリウスはそう言葉を切る。
は...、は、はああ!?
意味がわからない、なんで急にこんなことに...!!
手に入れるってなんだ、覚悟ってなんだよ!?
鼓動が耳に響くほどうるさく、頬が、耳が、指先が、燃えそうなほど熱い。
酒場で酔った男に愛してると叫ばれたって、ルドラーに散々口説かれたってこんな風にはならなかった。なのに、あたしともあろうものがこの視線に耐えきれない。
思わず座席に足を上げ両頬を押さえて縮こまっていると、馬車がガタンと大きく揺れて停止する。最悪なことに、なんとこのタイミングで目的地についてしまったらしい。
こんな顔で夜会に出ろと!?
馭者により扉が開けられ、セリウスが先に降り立つ。そして振り向くと、まだ縮こまっているあたしに手を差し出した。
「...行きましょう。ステラさん」
夕陽が落ちかけ空は暗く、魔導ランプの白い灯りで彼の耳が赤く染まっているのがわかる。なかなか出てこないあたしに馭者が不思議そうな顔をした。 このままいつまでも降りないわけにはいかない。あたしはまだ鼓動がおさまらないままセリウスのその手を取った。
「この野郎、タイミングを測ってやがったな」
あたしの悪態にセリウスは赤い頬を隠すようにわざとらしいすまし顔で答える。
「...そう言うことにしておきましょう」
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