30.会議
※今回は前半がセリウス視点、後半がステラ視点です。以降はしばらくステラ視点に戻ります。
馬に揺られながら、彼女のふわふわとした髪の揺れに目を奪われる。揺れるたびにステラさんのその芳香がこちらにふわふわと香るものだから落ち着かない。
俺の視線を感じたのか、彼女が振り返った。
「ん、どうした?」
「いえ、...何か香りを身につけておられるのかと」
「えっ臭いか!?すまん、船じゃタライで湯浴みがせいぜいだからなぁ...」
くんくん、と彼女は自らの匂いを嗅ぐ。
タライで湯浴み、という具体的な情報を突然与えられて一瞬彼女の湯浴み姿が脳裏に浮かびそうになる。慌てて思考から追い払い、ごほごほと咳き込んだ。
「咳き込むほど!?悪い、周りがもっと臭うから気付かなかった...」
「い、いえ!気管に空気が入っただけです。それに柑橘のような...良い香りです」
焦る彼女にとっさにそう言ってから、良い香りだなどと至近距離で男に告げられて不気味だったのでは、と血の気が引く。
「柑橘...?ああ!わかった、ネロリオイルか!」
彼女は俺の不安をよそに、ポンと手を打つ。
「ネロリオイル...?」
聞いたことのない言葉に思わず繰り返しつぶやくと、彼女はにっこりと笑って答える。
「オレンジの一種の花から取れる精油の事だ。酒の香り漬けに使うついでに卸してもらっててな。潮風で荒れた肌や髪に効くんだよ」
「なるほど...」
それで香水のような厭味さがないのに柑橘と花の混じったような芳香がしていたのか。飾るためでなく利便性で判断する彼女らしい理由に好感が増す。
「気に入ったなら今度特別に分けてやるよ」
「...ありがとうございます」
礼を言ってから、彼女の香りがするようなものを身につけようものならますます集中力が持たなくなるのでは...?と恐ろしくなったが、魔石をもらった時点で遅い気もする。
この感情に気づいてしまった己のせいかもしれないが、会って数時間もしないのに今日は彼女に心を奪われてばかりだ。
ファビアンにあれほど、彼女の心をこちらに向ける必要があると説かれたというのに、俺と言えば何一つ実行できていない。
確か“優しくする、褒める、話を聞く、贈り物”だったか?
そう言えば今日は朝から彼女に気さくに声をかけられ、戦闘能力を評価され、贈り物まで受け取った...。優しく、褒める、贈り物。まさか、彼女は恋愛のいろはをいとも簡単にこなしているのか!?
だからこんなにも俺はときめき、舞い上がり、まさに心を揺さぶられているのだろうか。それを無意識にやっているとすれば、恐ろしく無自覚に人たらしな女性だと言える。
このままでは自分ばかりが惹かれるばかりで彼女の心を得るなど夢のまた夢だ。
何か自分も動かなくては...しかし、一体何を。
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馬に揺られながら体を包む暖かさに身を委ねる。セリウスの前に座る事に開き直ってみると、案外快適でなかなかいいものだ。
しかし前回会った時に一悶着あったせいか、セリウスの表情は堅い。あたしから目を逸らさなくなったのはいいが、今度はすぐ固まるようになってしまった。
まあ、魔石をやった時は無表情ながらも喜んでいるらしい事が伝わったのでそこだけはよしとする。
あの魔石を謝礼の中に見つけた瞬間、セリウスの事を思い出したのは予想外だった。あの日、馬上で怒りを露わにした彼の金の瞳が印象的だったからだろうか。
正直、この立場になって敵に罵声を浴びせられる事はあれど、身内に本気で怒鳴られることなど無くなっていた。しかもあの無口なセリウスがということもあって余計に衝撃的だった。
最初は感情の読めない無愛想ですかしたやつだと思っていたが、実は女慣れしていないウブな堅物。 その上、意外にも怒りを全面に出せるのだと知って少し親近感を覚えたのかもしれない。
それにしても、先ほど匂いについて聞かれたのは正直焦った。精油の匂いだということでほっとしたが、昨夜の湯浴みを残り少ない石鹸でなんとかした事がバレたのかと思った。
どうせ夜会前に風呂に入れられるだろうから、なんなら石鹸も拝借してしまおうか。
王都の門を潜り王通りに差し掛かると、新聞屋が大きな声で新聞を売り歩いている。
「“高級娼館、王弟殿下の計らいにて国営化!経営顧問にサヴォワール夫人”さあ買った買った!大見出しだよ〜!」
どうやら国営化の件は上手くいったらしい。
これで娼婦達が処刑される事も減るだろう。これを通すために大臣達と一悶着ありそうなものだが、ルカーシュの仕事の速さには恐れ入る。
大通りを進み、城門を潜り抜ける。
ルカーシュの部屋へと着くと彼はいつもの穏やかな笑顔であたし達を迎え入れた。
「やあ、よく来ましたね。今日の会議のために特上の茶葉を仕入れておきましたよ」
ルカーシュがそう言うや否や、セルヴァンテがティーセットをカートに乗せて現れる。速やかに人数分の茶を注ぎ入れ、茶菓子や軽食を美しく持った3段の皿が用意された。
「さ、どうぞ掛けてください」
「今回はやけに豪華だな」
「二人のお話をゆっくりお聞きするのを楽しみにしていたものですから。ね、セリウス?」
「....!」
ルカーシュがあたし達に視線をやった後、にこりとセリウスに笑いかける。セリウスはなぜか焦ったような顔を一瞬見せてたじろいだ。
一悶着あった事が伝わっているのだろうか?だが確かに話す事が多いのは事実だ。あたしはソファに腰掛けて紅茶に手をつけた。セリウスもひと呼吸置いて隣に掛ける。
「そう言えば、国営化については上手くいったようだな」
「ええ、貴女達が迅速に動いてくれたおかげです。サヴォワール夫人が情報を伝えてくれるので内情を知るのもスムーズですよ」
ルカーシュがセルヴァンテから受け取った書類をあたし達の目の前に置いた。
「娼婦達の聞き込みで現王派である事が割れた貴族達の名簿です」
ずらりと貴族達の名が並んでいる。現王派だけでこの数とは、まったく男ってのはスケベなやつばかりだな。
「セリウス、今日の夜会参加者の名簿を」
こくりとセリウスがうなずき、書類を机に広げる。その名簿の中には先ほどの娼館の客たちの名がちらほらと見られた。
「なるほど、今回はこいつらと接触しろって事か」
「そういう事です」
「おい、ペンをくれ。今から覚える」
あたしは羽根ペンとインクを受け取ると合致する名前に印をつけていく。その様子にルカーシュはうんうんと微笑んで、セリウスに視線を移した。
「さてセリウス、順調かい?」
「はい。賭博場の遣いから報告書を預かり現王派の顧客名簿は既に控えています。そちらの紙も今...」
セリウスが紙を懐から取り出すと、ルカーシュは微笑んだまま手で制した。
「うんうん、それは結構だけども私が聞きたいのは君達の関係の方だよ」
「!」
セリウスはその言葉を聞いた途端、なぜか硬直する。こいつ今日固まってばっかりだな。そんなにあたしといるのが気まずいのか。
「前回ちょっと喧嘩したせいかすぐこうなるんだよ。なあ、もうあたしは気にしてないって」
「おや喧嘩を?内容を聞いてもよろしいですか」
「え?あたしがルドラーとの取引に色仕掛けを試したのが気に入らないとか...」
「すっ、ステラさん!帰港から何も口にしていないでしょう」
いきなりセリウスの魔法で小さなサンドイッチをすぽんと口に突っ込まれる。驚くが、確かに名前を記憶するのに集中して忘れていた。
しかも美味いなこれ。もぐもぐと咀嚼して飲み込む。
「ふふふ、あ、あのセリウスがそんな事を!私が心配しなくてもよさそうですね」
「いや、だから困ってるん...もごっ!...おいセリウス!自分で食える!」
「いえ、遠慮なさらず」
話の途中でまたサンドイッチを口に詰め込まれ文句を言うも、セリウスは聞く耳を持たず次は焼き菓子を浮かす。
「だからそれやめろって!」
「ふ、ふふっ!随分と砕けましたね」
ルカーシュはあたし達を見ておかしそうに笑う。
そうなのか?まあ、あたしからこいつへの苦手意識がなくなっただけ砕けたのかもな。
ちょっと手のかかる弟分といった感じか。生意気に大人ぶってるくせに、時々可愛い面もあると知ってからは別に嫌いじゃない。
「親友として、君たちの進展を応援しているよ。セリウス」
「......」
微笑むルカーシュにセリウスは黙り込んで赤くなる。喧嘩が気まずいのかと思えば、ひょっとしてこいつ、あたしにまた“女見知り”をしていたのか。前回少しは話ができるようになったと思ったのに難儀なやつだ。
ま、嫌われていないのなら仕事仲間として仲を深めるのは悪くない。こうも引っ込み思案なら、なおさら歳上がリードしてやんなきゃな。
「さて、セリウス。貴族達の情報を教えてくれ。敵と間見える前に万端にしておきたいからな」
セリウスはまだ少し顔を赤らめたまま、こくりと頷いた。
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