29.実感
今日は1週間ぶりのステラさんとの仕事である。
あれから俺の不調は治ったのかというと、全くそんなことはなかった。恋愛感情だと知らされてからは、彼女の事を思い出すたびに(これが恋か...)と感慨深く、余計に気の緩みが悪化してしまっている。
廊下を歩きながら(これが、恋...)と柱にぶつかり、執務室へと向かいながら(これが恋か...)と壁にぶつかる。
ガン、ゴン、とどこかにぶつかる度に何事も無かったように表情を取り繕うのが日常茶飯事となる始末だ。
仕事はなんとか今まで通りこなしているが、ファビアンを筆頭に騎士団の部下達から生暖かい笑みを向けられているのが実にやりづらい。
果ては俺が女性について何も知らないのではと危惧したエルタスとヴィゴから“女体のしくみと男女の生殖”を懇切丁寧に説かれた際は、その場から逃げ出したくてたまらなかった。
彼らには悪いが、俺にも基礎知識ぐらいは備わっている...。その場を助けず、ただ笑いを押し殺していたファビアンをひたすら恨んだ。
そんな事を思い出しつつ港へ向かい、桟橋に降り立つ。聞いていた時刻通りに、地平線の向こうから白波を切って巨大な“緋色の復讐号”が現れた。
号令と共に碇が降ろされ、戦艦が桟橋に着けられる。そして潮風にその髪を巻き上がらせながら、彼女が降り立った。
たった1週間ぶりだと言うのにやけに久しぶりに感じる。陽光を受けて夕焼け色の髪が輝き、乱れる髪をかき上げて彼女のエメラルドの瞳がこちらを射抜いた。
「セリウス!1週間ぶりだな」
太陽のような笑顔で彼女が俺に笑いかける。
その瞬間に心臓がギュウと音を立てて締め付けられたような気がした。何か返したいのに、言葉が出ない。
「おい、会わないうちにまた元に戻ったか?まったく困ったやつだな」
言葉を発せない俺を見かねて、彼女が俺の胸元をつんと指先で小突く。彼女が触れたところが熱い。感情が元に戻ったどころか、むしろ進んでしまっていることを彼女は知る由もない。
「荷下ろしをしてしまうから待ってな。商船護衛の帰りにアガルタの戦艦をとっちめたから戦利品が大量でさ」
彼女は海上で一戦あった事をさらりと告げて、くるりと向きを変えると船員へと号令をかけ始める。 それが彼女の専門家業とはいえ、合わない間に砲弾飛び交う海戦に身を投じていたことにひやりと背筋が冷える。帰ってきたのなら無事なのだろうが、怪我などしていないだろうか。
船員達が慌ただしく大量の木箱や樽を船から運び出し始める。その中にいたコンラッド・ザカラムが俺を見つけるやいなや大声を上げた。
「あーっ!!ヴェルドマンの野郎!」
持っていた木箱を乱暴に置くとこちらにずかずかと歩いてきて俺の胸ぐらを掴んだ。
「前回のあれはなんだ!あ、あ、あのドレス...!すごく良かった...じゃなくて!!お前があんな格好させたのか!」
「俺ではなくマチルダ・アラクネスとその従業員です」
「だ、だからってあんな格好で連れ回して...!」
言わんとする事もわかる。俺自身が彼の立場なら、あの姿で男と帰ってきた彼女に激しい嫉妬に駆られるだろう。
だが今は恋敵である彼に優位に立っていると思うと悪い気はしない。
「くっ...なんだよ、すましやがって...」
「おい!コンラッド!またやってんのか!」
ステラさんに怒鳴られ、副船長が俺の胸ぐらから手を離す。俺は軽く襟元を正した。
「まったく、なんでお前は毎回セリウスに突っかかるんだ。見てないから知らんだろうが、片手でルドラーの部下を一掃できるぐらいには実力のあるやつだぞ。認めてやれ」
唐突に彼女に評価された事に驚き、どきりとする。何事もないように咳払いをすると、副船長が面白くなさそうにむくれた。
「ふん、俺だって今回の海戦ではかなりやったんだからな。向こうの副船長の首を獲ったのはこの俺だ」
誇らしげに親指を胸に突き立てて俺の前にずいと出る。
「だからなんで張り合うんだお前は」
彼女がはあ、とため息をつくとその後ろから壮年の屈強な男達が顔を出す。
「おっ!今回の戦の話か!?聞いてくれ騎士団長さんよ!うちの船長はそりゃあ凄かったぜ、マストから相手の船に飛び移って敵を投げナイフでサクサクっとな!」
「あれは若かりしアルカ爺さんを思い出したね」
「その上でカットラスの二刀流に鮮やかな鞭捌きと来たら!船長をあっという間に捕らえちまった!」
「こんなでかい戦闘は久々だったが、鈍るどころか増して磨きがかかってたってもんよ」
「やめろおっさんども!恥ずかしい!」
彼女の肩を抱きながら筋肉隆々な男達が心底嬉しそうに武勇伝を語る。鞭と投げナイフばかりかカットラス(※海賊仕様の湾曲した刀)まで使いこなすとは多彩さに驚く。
彼女はコンラッドを含む男達を「いいから仕事に戻れ!」と一喝し追い払った。赤面しているものの、若干自慢げに口角が上がっているのが可愛らしい。
「ま、そんなわけだ。それで...これをお前にやる」
若干照れをごまかすようにそう言って、彼女は俺の手のひらに何かを落とす。何かと見てみればそれは大粒の黄金に輝く魔石だった。
「商船護衛の謝礼の中にあったんだが、うちで魔石は使わないからな。高く売ってもいいが、お前の瞳の色みたいでぴったりだと思ってさ」
「...!よろしいのですか」
まさか彼女が贈り物をくれるとは。しかも俺の瞳の色を思い出していたなんて、喜びで舞い上がってしまいそうだ。
「...ありがとう、ございます」
あまりの幸福感に気持ちを抑えきれず、魔石を胸の前で強く握る。この人はどうしてこうも簡単に俺の気持ちを揺さぶるのだろう。
「使えそうなら何よりだ。さて!今日は王城で会議の後、夜会だったか?」
ふいに彼女に話を振られ、浮いた気持ちを急いで整え答える。
「ええ、ルスティノス伯爵家主催の夜会です」
「ああマリエラ嬢のところか。セリウス、よろしく頼む」
彼女が軽くぱちんと片目を瞑り、またも胸を撃ち抜かれる。
「ッ!...はい」
一瞬間が空いてしまったのを悟られないようドキドキと迅る鼓動を落ち着けながら馬に跨り、彼女を自分の前に引き上げた。あの柑橘のような爽やかな甘い香りが髪から香る。
「わ、あったかいな。魔法ってやつも悪くないもんだ」
「...何よりです」
気温上昇の魔法は使っていないのだが、そういう事にして馬を進める。
彼女を前に乗せている限り、この熱は冷めそうにもない。




