24.賭場
賭博場の入り口には黄金の看板がかけられ、高価な魔導ランプがいくつも煌々と輝いている。ハイヒールをカツカツと鳴らして階段を上がり賭博場のドアの前に立つと、強面の黒服が立ち塞がった。
「失礼、お名前を伺っても?」
「ステラ・バルバリアだ。あと連れのセリウス・ヴェルドマン」
後ろにいたセリウスが一歩前に出る。
あたし達の名を聞いた途端、黒服が一歩下がり礼をする。
「ご無礼をお許しください、どうぞ」
重々しいドアが開けられ、眩しい店内の光に目が眩む。広い店内は豪華な赤い絨毯が敷き詰められ、天井には巨大なシャンデリアがいくつも下がる。赤と黒と金でまとめられたその絢爛豪華さは嫌味なほどだ。
店内には着飾った人々が賭博に興じ、非常に賑わっている。高級店なだけあって、その場にいるのは身なりのいい人間ばかりだ。
「一発当てたいところだが、ルドラーの奴が先だな」
あたしはボーイを捕まえると、その襟を持って引き寄せる。ボーイは至近距離であたしの顔を見ると顔を赤らめた。
「ルドラーの野郎にステラ・バルバリアが来たと伝えろ」
「は、はい!ただいま!」
ボーイが慌てて奥へと駆けていく。
あたしはそれを見届けながらバーカウンターの椅子に腰掛けて足を組んだ。
「おい、シャンパンをくれ」
すぐさまグラスにシャンパンが注がれ、あたしの前に置かれる。あたしはそれを一口煽り、セリウスも隣に腰掛けた。
「取引前に飲んで平気なのですか」
「ふん、シラフであいつと向き合えるか」
「...いったいどのような関係なのです」
訝しむセリウスを尻目に、あたしはもう一口グラスを傾ける。
「まあ見てな。今にわかるさ」
そうしていると奥の事務所の扉が開かれる。
そしてその扉の奥から、さらさらの前髪を額の真ん中で分け、長い後ろ髪を三つ編みにした紫の髪の長身細身の男が黒服を引き連れてこちらにゆっくりと歩み寄った。
「やーあステラ。やっと俺の女になる気になったのかい?」
薄紫色の瞳で笑う整った顔立ちのこの男は、若くしてこの賭博場を任された“鴉”の2番手だ。
一見優しげな好青年だが、目の下に入った羽の刺青が彼が堅気ではないことをわかりやすく告げている。セリウスが彼の言葉を聞いた途端、指先にメラ、と小さな炎が一瞬燃え上がり消えた。警戒しているのだろう。
「そうだな、お前の出方によっては考えてやろうと気が変わった」
あたしが口の端を上げてわざとらしく足を組み直すと、ルドラーはそれを舐めるような視線で追う。
こいつはこの賭場に訪れるたびしつこくあたしを口説いてきた。大方、本当に気があるわけではなくあたしの立場と身体が目的だろうが、娼館の女達が装備を整えてくれた事を無駄にしたくはない。
色仕掛けなんて真似事だが、今回ばかりは使ってやろう。目的のものが手に入ると期待だけさせて、こちらの要望を捩じ込んでやる。
「ほんとかい?嬉しいな。俺の為にこんなにめかし込んで来てくれたなら、ゆっくりもてなさないとね。今日の君は一段と綺麗だ」
ルドラーがあたしの手を取りその指に口づけようとしたその瞬間だった。セリウスがルドラーの手首を掴み、彼の紫の目を鋭い金の瞳で見据えると地を這うような低い声で告げた。
「失礼、挨拶が遅れてしまったようだ」
セリウスはその手を捻りあげるようにしながら言葉を続ける。セリウスの手の中からパチリと火花が散り、その熱さにルドラーも怒りの表情を露わにした。
「セリウス・ヴェルドマン。騎士として護衛の任を受けている。彼女に触れるなら俺を通してもらおう」
簡潔に告げるとセリウスはぱっと手を離し、ルドラーが掴まれた手首を抑える。
「...これはこれはヴェルドマン騎士団長殿。情熱的なご挨拶をどうも。国一番の騎士様が海賊の護衛とは一体どんな繋がりで?」
ギラリとセリウスを睨みつけながらルドラーが慇懃無礼に言葉を返した。セリウスの方も一寸たりとも表情を変えずルドラーと睨み合う。
おいおい、なんでお前らがいきなり火花を飛ばしあってんだよ。あたしはそこに割って入る。
「その“繋がり”に関わる取引をしにきた。セリウス下がれ。手を出すな」
あたしが目配せすると、セリウスはルドラーを睨みつけたまま渋々後ろに下がる。
「うちの番犬が噛み付いたことを謝ろう。なあルドラー、一年ぶりだ。あたし達には積もる話もあるだろう」
「...奥でゆっくり飲み直さないか?お前にとって悪くない話をつまみにね」
ルドラーもセリウスを睨みつけつつも、あたしの言葉に耳を傾ける。
「二人きりじゃないのは残念だけど、好いた女が誘ってくれるなら乗るしかないね」
「さあ、奥へ」
ルドラーはにっこりとあたしだけに笑いかけてから踵を返すと、黒服達に奥への扉を開けさせた。
長い廊下をルドラーの数歩後ろについて歩く。
あたしは視線をやつの背から逸らさないまま、小声でセリウスに囁いた。
「いいか、あいつの狙いはあたしだけだ。上手くやるからお前は護衛に徹してろ」
豪華な広い応接室へと案内され、ルドラーの向かいの黒革のソファにかけるように促される。
「さ、まずは一年ぶりの再開に乾杯と行こうじゃないか」
黒服により人数分のシャンパンが注がれ、薄紫の切長の瞳があたしを捉えて微笑む。あたしはこいつのこの読めない蛇のような視線がどうにも苦手だ。
軽く乾杯をして、シャンパンに口をつける。
セリウスは全く手をつけず、その場でルドラーを睨みつけながら腕を組んでいる。
そう、それでいい。これはあたしの勝負だ。
「まったく、君は会うたび驚かせてくれるね。
こんなに似合うならもっと前からドレスを送るべきだったよ」
「おや、贈り物とは堅実だな。いつも口先ばかりで口説いてくるくせに」
「ステラに隙がないのがいけなかったんだ。この俺の誘いを歯牙にも掛けない君とこうしてグラスを交わせるなんて夢みたいだよ」
よくもこう次から次へと軽い言葉が浮かぶものだ。あたしは面倒になってきてルドラーのネクタイをぐいと掴んだ。至近距離で圧をかけながら唇の端を上げる。
「お前の口説き文句は遠回りでじれったいな。
今日はあたしがリードしてやる」
ルドラーは心底嬉しそうな笑顔で手を広げて見せた。本当にどこまでも食えない奴だ。
だがあたしには勝算がある。
こいつの弱みを今日こそ握ってやる。
「さて、世間話でもしようじゃないか。このご時世にずいぶん儲かってるようだな」
「いやあ本当、うちは運良く陛下に目をつけられてないようで助かってるよ」
ルドラーは通りで声をかけられたような軽さでにこやかに答えて見せる。ここで逃がしてなるものか。
あたしは前のめりでネクタイをつかんだまま机に片足を上げた。
「運良く、ねえ。白き政治のおかげで商売敵が減って売り上げが上がったんじゃないのか?」
「ええ?やだなあ、商売敵だなんて。みんな《家族》の経営だったんだ、残念でならないよ」
そう残念そうに目頭に手を当てるルドラーに。あたしは机の上に体全てを乗り上げて近づく。
「残念?まさか。ざっと潰された店を数えてみたらお前の兄貴分、ラザンの請け持った店ばかりじゃないか。あいつは弟分のお前が先に出世した事を妬んで店の妨害を繰り返していたな」
机に乗り上げたあたしはそのまま天板に腰掛けるとするりと足をルドラーの両足の間に下ろす。
「そんな、ラザンは俺とじゃれあってただけさ...。身内にしかわからないノリってあるだろ」
そう答えつつもごくりとルドラーが唾を飲み、足の動きを目で追った。さあ、色仕掛けとやらがどこまで効くか試してやろう。
「そのじゃれてたラザンの店ばかりが面白いほど王の手で潰れて、本人もついこの間処刑されちまったらしいが?目障りな兄貴分がいなくなってさぞせいせいしただろう」
あたしは机に腰掛けた状態で、座ったルドラーの胸元に片足をすすす、と沿わせる。
「ッ...!」
いつになく積極的なあたしの姿に動揺したルドラーの視線が、その爪先を追ってかすかに熱い息を漏らす。
「なあ、どうにもさっきからお前にとって美味すぎる話だと思わないか。ルドラー?」
そう問いかけながら尖ったピンヒールで鳩尾をぐり、と思い切り踏みつけた。
「ぐッ...!なんだ...最初からお見通しか。ああステラ、君には敵わないな」
踏みつけられたルドラーは、なんとも言えない恍惚とした笑みを見せると自らの鳩尾ををえぐるあたしの足を愛おしそうに撫でた。
鳥肌が立ちそうになるが、顔には出さない。
あたしは踏みつけた足になお力を入れる。
「現王派の貴族と繋がってるな?《家族》内での殺し合いは御法度のはずだ。お前単独で内密に取引しただろう」
ルドラーは痛みに顔を歪ませなからもあたしの目を見て笑顔を向ける。
「ああそう、そうさ、その通り。買収させろとしつこいゴーセット卿をうちの共同経営者に据えて、分け前をやる代わりにラザンを消してもらった」
「マチルダ婆さんはしくじったようだが、俺なら現王派だってうまく利用できるってことさ!」
開き直ったように笑うルドラーは、一息に言い終わると黒服の男に向かってその指で合図を投げた。
黒服達が剣を抜き魔法陣が展開される瞬間にあたしは太腿のベルトからナイフを抜き放ち、座ったままのセリウスの右手から放たれた黒炎が黒服達を一気に燃え上がらせる。黒服達はまともに投げナイフと炎を喰らってその場に崩れ落ちた。
血と髪の焦げた匂いがあたりに充満する。
「あーあ...くそ、完敗だよ。どこで知った?自分の店の人間も定期的に処刑させてボスの目すら欺いてたのにさ」
観念したルドラーが頭をソファに預ける。
あたしはそれを見届けると、足の力を抜いてハイヒールをその胸から下ろした。
「ふん、あたしのでまかせの大博打に乗せられたな。来る途中、ラザンの店が2軒立て続けに灯りが消えているからカマをかけたら大当たりだ」
あたしはそう言って机に深く座り直し、シャンパンを一気に飲み干す。
「は?でまかせ?大博打?」
ルドラーはきょとんとした後、しばらくして目元に手を当てて大笑いした。
「あっ...あははは!嘘だろ!それだけの情報で普通やるかよ!」
「やたら運の強い女だとは思ってたが、やっぱりステラは“本物”の勝負師だ!なっんて女だ、まったく...あはは」
ひとしきり笑い終わると、ルドラーは一気に気が抜けたように長いため息をつく。
「あーあ、負けた負けた。私欲のために《家族》を殺したなんてボスに知れたら俺の首は即、胴体とオサラバだ。さあいったい何が望みだ?なんでも聞こうじゃないか」
「じゃああたし達もネタバラシと行こうか。セリウス、さっきの動きはなかなかよかった。こいつに説明してやれ」
セリウスを振り返れば、あたしを鋭い瞳でじっと見据える。固く握りしめられた拳の下の机が黒く焦げている。
どうやら非常に不機嫌らしい。なんだ?あたしの交渉の仕方が気に入らなかったのだろうか。確かに貴族の取引とはかけ離れた下品なやり方だったが。
「承知しました」
そう言いつつも拳が一瞬めらりと燃える。
なんだか知らないがとにかく珍しく非常に怒っている事だけは確かに伝わる。苛立ちつつもセリウスは気の抜けたルドラーを冷たい金の瞳で見下して静かに口を開いた。
「...我々はルカーシュ殿下の元、現王とその一派による前王暗殺の証拠を探っている。証拠が揃い王弟派の支持者の数が十分となれば、現王を罪に問い、殿下に正式に王位をお渡しする采配だ」
あたしはセリウスの言葉に続けて話す。
「そこでルドラー、お前も協力しろ。現王派の貴族達から暗殺につながる情報を集め、日和見の中立派貴族を王弟派へ移行させる。マチルダは王弟名義で店を国営にする事が決まったが、お前の状況を聞く限りではゴーセットを切るより上手く情報源として使う方が得策だろう」
ルドラーがあたしの言葉に目を見開く。
「えっ、マチルダ婆さん生きてんの?てっきり処刑されたもんだと思ったよ」
「今日の昼間に保護したところだ。たまたま発見できて運が良かった」
「ふーん、ほんとステラってば幸運の女神だね。命も握られてるしなんでも言うこと聞くからさ、結婚して俺の運も握ってよ」
その途端セリウスの拳がゴオッと火柱を上げ、突風が部屋に巻き起こる。
「言うことあるなら口で言ったらどうです〜?騎士団長殿〜」
ルドラーが冗談めかしてセリウスに笑いかけると、セリウスはそれを無視してこちらを向く。
「...やはりこの男、消しましょう」
「馬鹿かお前、有用な駒を捨ててどうする」
とにかく一波乱あったが交渉はあたし優位でなんとか強引にまとまった。慣れないドレスも色仕掛けとやらに少しは役立ったらしい。後でマチルダには礼を言わないとな。