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切り捨てたもの

かつての二人と結婚後の二人のお話。

※前半セリウス、後半ステラ視点です。



 「ところで、セリウス様は詩は嗜まれますの?これは今一番流行りの詩集でして..」


 見合いの席。

屋敷の客室にて、向かい合った令嬢が本を差し出して俺に尋ねる。


「いえ、存じません」


 正直、詩など読んだこともない。

俺が本を開くのは、騎士道、もしくは次期領主としての勉学をせよと命ぜられた時だけだった。娯楽の本など買い与えられたこともなければ、興味もない。


「本当に素敵な詩ばかりなのです!ご覧になって?特にこのマキャリテの“酸は甘く、銅は黄金へ。痛みを忘却させ、死を生へ導くのはただひとつ”...」


「いつかわたくしもこんな体験をしてみたいものだわ...。セリウス様もそう思いませんこと?」


 本に書かれた一文を指でなぞり、うっとりと読み上げる令嬢に共感を求められる。

酸は甘く、銅は黄金...?

謎かけだろうか。全く意味がわからない。


「...それに何の意味が」

「っ!」


 ぐ、と眉を寄せて見つめ返せば、令嬢は慌てて息を吸う。そして酷くショックを受けたような顔をした。

そのまま彼女は青くなり、気まずそうに黙り込んでしまう。


「何の意味が、とお尋ねしましたが。ご返答は」


 石のように固まって答えない令嬢に、伝わっていないのかともう一度問い掛ける。すると彼女はさらに喉を詰まらせ、怯えたように瞳を潤ませた。


「つ、つまらない、お話をして...、申し訳、ありません...」


 ぐす、と鼻声になって俯く彼女は、どうやら泣いているらしい。


「...、俺の対応にご不満がお有りか」


 また問いかけても、彼女は繰り返し「申し訳ありません」と震えて泣くばかり。全く意味がわからない。


 なんなんだ。俺が何をしたというのか。

勝手に怯えて、勝手に泣き出す。

その上、俺の問いかけにひとつたりとも答えない。


 俺が同じことをすれば、“泣くな”と父に襟首を掴まれしばらく視線も合わされないだろう。

目の前の令嬢はあまりに脆弱だ。もしや令嬢とは、すぐ泣くようにとでも躾けられているのだろうか。


 目の前でさめざめとハンカチを目元に押し当て震える令嬢に、俺は次第に苛立ち、ついに席を立ち上がった。


「...恐れながら。このお話は無かったことに」


 俺の言葉を聞くなり、令嬢はまたびくりとして目を見開く。


「失礼。アイネス、馬車までお送りしろ」


 俺が家令に言いつければ信じられないとばかりに令嬢は被害者じみた顔をする。俺はそんな視線に嫌気が刺して部屋を後にした。

本当に、嫌になる。女というのはいつもこうだ。




「...また見合い相手を断ったのか」


 夕食の席にて、父に呆れたようなため息をつかれる。俺は表情を変えぬまま、父へと向き直った。


「泣かれてしまっては会話になりません。怯える相手を娶るわけには」


 俺の言葉に、父はまたため息を吐く。


「だがそろそろ伴侶は持たねばならん。聞けばお前は夜会も避けているようだな」

「...夜会は性に合いませんので」


 華やかで喧しい夜会はどうにも好きになれない。

群がる令嬢達や、遠巻きに俺を眺める、多数の思惑の絡み合った視線。

 その全てが居心地悪く、ただそこに立っているだけでも俺にとっては苦痛でしかない。


「母から継いだものを無駄にするな。見合いは続けろ」


 父の低く言い含める声が俺の胃を重くする。

死んだ母の代わりに俺が受け継いだ、強大な全属性魔力。この血を絶やすことはおそらく罪なのだろう。


「...いずれお前も一人を見初める。この家の血はそういうものだ」


 代々一人の女に執着するという、執念深いこの家の血。目の前にいる厳格な父もまた、もう存在しない死んだ母ばかり想い続けている。


 だが俺にはおそらくその部分は受け継がれなかったのだろう。己が女を側に置き、愛を囁くなど想像もできない。なんなら俺は女どころか、自分自身にすら執着を持てないのだから。


 自室への階段を上がり、肖像画で儚げに微笑む母を見ても苛立ちしか感じない。

 この人は俺の代わりとなって死に、父に惜しまれてなお、俺へ生の苦痛を与え続ける。母親にすらそんなことを思う俺には、愛という感情はおそらく“無い”。


 いずれ家を継ぐ時に、誰かしらを見繕えばいい。

どうせ欲など生理現象に過ぎない。その時になれば相手が誰であれ、目を瞑り義務を果たすのだろう。


 おそらく結婚生活に期待もできない。何故ならば、そもそも俺は“女そのもの”が苦手なのだから。


 “女”とは、みな母のように弱さを尊ばれ、誰からもガラス細工のように配慮されると思い込み、思い通りにならないと全てを悲劇仕立てにする生き物だ。

 かと思えば俺にしつこくつきまとい、やれこちらを見ろ、愛がなんだと囀って存在しない俺を求めてくる。


 そんな“女”と同じ屋敷で過ごす事を想像するだけで胃が悪くなりそうだ。


 ...父は母の何が良かったのだろうか。

花が好きだった、歌が好きだった、美しかった。

そんなものに何の意味がある?

女にそれらを求めるなら、鳥でも飼った方がいい。


 俺は自室の机に並べられた見合い相手の絵姿を目に入れると、ばさりと床へ払い落とした。




————





 「父親ぁ?お前が産まれてすぐして、どっかに消えちまったよ」


 幼い頃に、父親という存在を知ったあたしに母さんはそう言った。


「ま、お前に星の名を付けたのはあいつさ。どこでも星を見て娘を思い出せるようにって。...きっと元気にやってんだろ」


 からりと笑った母は、地平線の先を見つめる。

寂しげでいて熱のこもったその視線に、あたしは少し胸が詰まった。


 母さんは父さんが好きだったんだろ?なんで一緒にいられなかったんだろう、とこっそり尋ねたジャックは

「...男ってのはそういうもんだ」

なんてあたしの頭をぽんぽん、と撫でた。


 よくわからないけど、男はそういうものらしい。

あたしは幼いながらにそう学んだ。




「嬢ちゃん、名前は?俺はネルガル。ネルガル・フォックスだ」


 15の春。

新しく船員に加わった男———

ネルガルは、あたしにとって鮮烈な存在だった。


 見上げるような高身長に、鍛え上げられた逞しい肉体。灰の鋭い瞳、顔の堀りは深く、斜めに走った大きな傷が一つと無精髭。深みのある渋くて低い声は、少しの茶目っ気と大人の余裕が滲む。


「ステラか。いい名前だ」


 穏やかに笑いかけられたその瞬間に、胸の内が跳ね上がるのを感じた。




「どうした。こんな所に座り込んで」


 皆が宴で騒ぐ夜。あたしは積み上げられた木箱の影に座り込み、酷く塞ぎ込んでいた。


「...お前に関係ないだろ」


 呟くように言えば、ネルガルは瞳を細めた。

それからあたしの側に座り込んで煙草に火をつける。


「なら、俺がここにいても関係ないな」

「っ、はあ!?」

「なんだ。やっぱり関係あるのか?」


 ふ、と微笑まれて、あたしはぐっ...と黙り込む。

ネルガルはそんなあたしに満足げに笑みを浮かべたまま、煙草の煙をふうと空に向けて吐いた。

白い煙が星空に燻って、じわりと溶けていく。


 ネルガルは喋らず、静かに煙草をふかしている。

彼の唇から吐かれた煙が空へと漂って、またゆっくりと溶けて消える。

 それが何度か繰り返されるのをじっと見つめているうちに、なぜだかあたしは自然と口を開いていた。


「...ホワイトが死んじまった」


 ホワイトサンダーストーム。あたしが皆の反対を振り切って名付けた船猫の名だ。幼い頃からあたしの後をついて回っていた、ふわふわの真っ白な毛が特別綺麗な猫。


「...まだ元気だったのに。...いきなりだった」


 いつのまにか孕んだ仔猫を倉庫で産んで、朝起きた時には血塗れで冷たくなっていた。

仔猫だけが隣でミーミー鳴いていて、あたしはその場に立ち尽くして、ただ呆然とするばかりで。


 後から降りてきた母さんはそんなあたしを見るなり後ろ頭をパンと叩いて

「お前は馬鹿か。ぼけっとしやがって仔猫が死んじまうだろ」

と震える仔猫だけさっと抱き上げた。


「床を掃除して、死骸は腐る前に処分しとけ。猫が死んだくらいで腑抜けるお嬢ちゃんにお前を育てたつもりはないよ」


 母さんはそれだけ言ってあたしは倉庫に残され、言われた通りに震える手で床を拭いて、猫は海に捨てた。




「...ずっと、そばにいると思ってたんだ。いなくならないって、思ってた...」


「猫、死んだくらいで、弱いよな...」


 自分の体を抱きしめるようにして、二の腕に爪を立て、漏れそうになる嗚咽を我慢する。

ネルガルはそんなこちらの話を黙って聞いていたが、ふう...と長く煙を吐くとそっとあたしの頭を撫でた。


「それは弱さじゃない。強がりと言うんだ」


 あたしは目を見開いて顔を上げる。


「家族が死んだら悲しむ。それの何が悪い?お前は今、大切な家族を心の底から弔っているんだろう」


 大きな手はあたしの髪をくしゃ、と撫でた。

その手の熱を感じた途端に耐えられなくって、ぽろぽろっと溜め込んだ涙がこぼれ落ちてしまう。


 ネルガルの手はゴツゴツしてるのに、触れ方はひどく優しくて、冷えた夜風の中でも温かい。

こんな寒い日は、ふわふわのホワイトを抱きしめていたっけ...。


 そして同時に、あたしは怖くなった。


「...ネルガルも、いつか死んじまうのか?」


 見上げて見つめれば、ネルガルは驚いた顔をする。

それから柔らかく微笑んで、あたしを強く抱き寄せた。


「俺は死なん。お前の側にずっといるさ」


 宥めるように背中を優しく叩かれ、大きな熱に包み込まれる。冷たい風も感じなくなって、なぜだか何もかもが大丈夫なような...そんな気がした。


 ネルガルはきっと父さんみたいに消えたりしない。ずっと、ずっと、あたしの側にいてくれる...。


「...朝になったら、あの小さな黒猫の名前を決めてやれ」


 低く穏やかな声の中で、あたしは「うん」と小さく頷いた————




「ネルガルッ!!ネルガル...!!」


「嘘付き!!死なないって言ったじゃないか!!!」


 砲撃を受けたネルガルはあっという間に吹き飛ばされ、船体の破片と共に波に飲まれた。

あたしに一言も残さず、彼はあたしの前から姿を消した。


 暗い夜の海面は、墨のように真っ黒で底が見えない。恐ろしいほど静かな海は、何度呼びかけても、どれだけ叫んだって何も返してはくれなかった。


「ずっと...側にいるって...、言ったじゃないか...」


 甲板にうずくまって震えるあたしに、母さんは歩み寄って背を撫でる。


「...何度も言っただろ。人は死ぬ。ずっとなんてない」


「夢物語の愛はお前を救ってくれたりしない。海賊でいる限り、女の子じゃいられないんだよ」


 母さんの優しく言い聞かせる言葉のひとつひとつが、鋭い刃のように胸を抉る。

でもそれは紛れもない事実で、現にネルガルは死んじまった。あたしの目の前で、あっけなく消えた。


 そうだ、いったいあたしは何を根拠に“大丈夫”なんて信じてたんだろう。

父さんも、ホワイトも、ネルガルも...愛はあたしのそばに留まらない。いつか突然消えてしまう。


 もう二度と、甘い夢なんか見たりしない。


“女の子”なんて、あたしの生き方じゃないんだから。




————




「ステラさん」

「んー...?」


 寝ぼけたあたしに覆い被さったセリウスが、こちらの鼻にキスを落とす。

何か、苦しい夢を見ていた気がする。

鼻先に触れたミントの香りで夢の記憶が薄れ、なんだったか思い出せない...。


「いま、なんじ...?」


 湯上がりらしい彼の上半身はまだ服を着ていない。

彼の朝の鍛錬がもう終わっていると言うことは、つまりあたしが寝坊しちまったってことで。


「6時半です。今日は休日ですし、時間はまだまだありますよ」


 彼の艶やかな黒髪がさらりとあたしの頬に落ちて、金の瞳が愛おしそうにこちらを見つめる。


「なんだ、そっか...」


 ほ...と息をついたあたしに、彼はふふ、と笑って頬を優しく撫でた。


「...俺を愛していますか?」


 あたしの頬を撫でながら、セリウスは甘えるように問いかける。彼がこうして聞くのは、もう毎日のことで。


「あいしてるよ」 

と寝起きで回らない口で返せば、彼は心底嬉しそうに微笑んだ。


 身体は昨夜の余韻でまだ気怠い。

うとうとと微睡んだ意識の中で、彼の親指が唇をなぞり、そっと口付けられた。


 彼はあたしの髪を撫でながら、柔らかく感触を確かめるように何度も口付ける。一層愛おしげに頬を撫でられると、唇を割って温かな舌が滑り込んだ。


「んうう...!?」


 口内をなぞられて、耳をくすぐる彼の指先に震えと声が漏れ出してしまう。


 まだ覚醒しきらない意識の中で、彼が与える熱はあたしを溶かす。送り込まれた彼の唾液が、呼吸すら忘れさせていく。


「...っは、ぁ...」


 ようやく唇が離され、銀の糸が伝う。

上がる息で胸を上下させるあたしに、彼は満足そうに微笑んだ。


「朝っぱらからはしないからな...」


 そう言って息を整えながらじとりと彼を睨みつければ、セリウスはおや、とこちらを見下ろす。


「俺の望みがお分かりなのですか」

「隠す気無かっただろーが。こちとらまだ疲れが抜けきってないってのに...」


 不機嫌にぼやくあたしにセリウスは嬉しそうに口の端を上げる。


「確かに、昨夜は随分乱れて...後ろからが余程気に入りましたか。突き込む度に声に濁音が混じって虐めがいがあった」

「っう、るさいな!!詳細に思い出すなヘンタイ!!」


 色々思い出してぶわりと顔が赤くなるのを誤魔化すように怒鳴ると、彼はますます嬉しそうな顔をした。


「ふふ、本当に貴女は可愛らしい。...さて、今夜はどうしましょうか。昨夜のあれも悪くないが、顔が見えない上にキスがしづらいのは考えものです。背に思い切り爪が立てられないのも張り合いがなくて少しつまらない...」


 ふむ、と顎に手を当てて思案する彼にあたしは未だ羞恥心で満たされつつも、ぞわりと引いてしまう。

 結婚するまでは“どうせこいつは真面目だから欲には淡白だろう”とてっきり思っていたのに。まさかここまでそういうアレコレに積極的だなんて想定外だった...。


 苦々しい顔をしているとセリウスはあたしを見下ろしたまま、にまりと笑う。


「貴女が俺との証が欲しいというから毎晩注いで差し上げているのに。なぜ不満げな顔をされるのか」


 彼のわざとらしい淫猥な言い方にかあっとまた火照るのを感じながらあたしはなんとか言い返す。


「それはあの時はお前の伴侶になれないって思ったからで...!別に毎晩したいってわけじゃない!」


 どうせ結ばれる事など叶わないなら、と子供という証が欲しかっただけなのだ。それを全部知ってるくせにこいつというやつは!

 しかし彼は私の言葉を聞くなり、すんと表情をいつもの仏頂面に戻して見せた。


「...大いに傷付きました。俺は求められて嬉しかったというのに。慰めていただかないと一晩泣き濡れますがよろしいか」

「繊細なお嬢ちゃんかお前は!」

「なんて酷いお人だ。俺はもう立ち直れません。伴侶ならば俺の愛を拒まないはずではありませんか」


 そのままあたしの身体を抱きしめて落ち込んだフリをする彼に、苛立ちと笑いが同時に込み上げてくる。

 まったく、あれほど女嫌いを表に出しておきながら“女特有のめんどくささ”をしっかり真似してきやがって。なのにセリウスがやればちょっとばかり可愛らしいとまで思わされるのだから、あたしもあたしだ。


 あたしは、はあ〜〜〜っとため息を吐くと彼の腕の中で「しょうがないな!いいよもう、すれば!」とより不機嫌に声を上げた。


 その途端セリウスは顔を上げ、心底楽しげにあたしにキスを落とした。


「立ち直りましたので、昼まで堪能させていただきます」

「そこまで許してねえ」





なーんかまとまらないなーと思っていた話をまとめ直して上げてみました。

お読みいただきありがとうございました!

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