懐旧
王都の大通りを歩くセリウスの白髪が冬の風に揺れる。晴れた寒空の下、一切の混じり気の無い純白の内から金の瞳がこちらを見下ろした。
「どうした?」
と見上げれば、彼はあたしの髪にそっと触れる。
「貴女の髪は変わらないのだな、と」
あたしの跳ねた夕焼け色の髪は、白髪ひとつ無く褪せもしない。この髪色は加護の証だそうだから、出口を閉じた加護が減らない限りきっと変わらないのだろう。
「いつまでも美しいのは嬉しい半分...、貴女の白い髪が見られないのは少し寂しい」
彼はそう言って、あたしの髪に口付ける。
薄い唇は昔よりもさらりと乾いているものの、彼の顔立ちは60を超えても耽美なままだ。眉間と目の下に刻まれた皺ですら彼の魅力を増している。
対してあたしは子供達が15の時から変わらぬまま。皺と言える皺もなく、未だ黒革のぴたりとした衣服と真紅のコートに身を包み、高いヒールも苦ではない。
これではまるで、本来年下のセリウスが二回り下の嫁でも連れているようだ。それについては正直不憫だと思っているし、原因を作ったあたしにも負い目がある。
「...ま、でもお前は100まで生きてくれるんだろう?流石にその頃には白髪の一つくらい見れるさ。言ったからには守り通せよな」
軽く小突いて言ってやるとセリウスは「ええ、もちろん」と余裕じみた顔で微笑んだ。
おや、意外だな。あれほどあたしと比べて自分の老いを気にしていたくせに、一体どうしたんだろうか。
「これ以上歳が離れて見えたら、夫婦に見えなくなってしまいますからね」
彼は苦笑して自らの右手を見つめる。
「愛する妻を置いて逝きたくもありませんし、貴女とルオーニ最高術師を見習って光属性魔法の使用をやめました」
あたしは彼の言葉に目を見開く。
いつの間にそんな事を。光魔法は彼の主力の盾だ。それをあたしの為にお前まで閉じなくたって...。
きゅ、と胸を締め付けられるのを感じつつも、慌てて笑顔を取り繕った。
「...へえ!そんなもんで効果あるのか。でも使わなきゃそれはそれで減るんだろ?何もそこまで...」
「ええ。ですから魔力を練る時間を倍にしました。ルオーニ術師の解析によると今のところ順調であると」
彼にはあたしの気持ちがバレているのか、こちらを安心させるように優しく背を撫でられる。
この暖かな手のひらの感触は、いつだってあたしの心を溶かしてしまうのだから敵わない。
「じゃ、最近毎晩寝る前にじっと動かずベッドに座り込んでんのはそれか。ぶつぶつ言ってボケたのかと思った」
彼が夜な夜な目を瞑り、組んだ指に額を当てる姿。それが魔力を巡らせる瞑想と知ってはいるが、空気を軽くしたいあたしは冗談めかして笑う。
セリウスははあ、とため息をついた。
「あれは魔力の増幅に必要な行いなのですよ。だと言うのに貴女は俺の膝に乗ったり、口付けてきたり...、おかげで結局中断してしまう」
「だって真剣な顔してると可愛いからさ。ちょっかいもかけたくなるだろ」
光魔法をやめるとまでは想像しなかったものの、薄々何かそう言う事じゃないかとは思っていた。
その姿が嬉しいけれど切なくて、ついつい構いたくなってしまうのだ。
近衛騎士となってなお日々の研鑽を欠かさぬセリウスは、依然としてしなやかな筋肉を纏い、魔力と体力も現役だ。
そんな彼にちょっかいをかければ、結局苛立ち混じりのキスで塞がれる。そうして限りある彼の熱を与えられるのは、噛み締めたいほど幸せだから。
「お前だってまんざらでもないだろ?」
「...それとこれとは話が別です」
にやりと笑って見せると少し赤くなる彼は、周囲の人目が気になったのかこほんと咳払いをする。
「貴女がそうやって中断させるから、近衛の暇な時間を使えばファビアンがひたすら喋りかけてくる...。俺は何の修行をしているのかと」
「あはは!お前勤務中にも瞑想してんのか!それは騎士の矜持的にはいいのかよ?」
「主君をお護りする為の魔力増幅でもありますから、むしろ勤勉な態度でしょう」
あたしが笑えば、彼はわざと騎士らしく真面目な顔を取り繕った。
「ふふ、騎士様も建前がお上手になったもので」
「俺は任務中に貴女を口説いたくらいには真面目な騎士ですので」
「ふっ!あはは!そりゃ間違いないな」
まったく、仏頂面でよく言うものだ。
出会った頃は冗談の一つも知らなかったくせに、すっかり軽口ばかりになりやがって。
「それにしたって、右でぶつぶつ言ってるお前に、左でひたすら喋るファビアンか...。ルカーシュは仕事が捗らないだろうねえ」
くくく、と口元を押さえて笑うとセリウスもつられたように笑う。それからこちらの腰に腕を回すと「貴女のせいですからね」とあたしを抱き寄せた。
「こら、歩きにくいって」
「どうせすぐ先に馬車を停めてありますから」
そんな事を言って年甲斐もなくじゃれる彼に「もう」と笑って角を曲がる。
すると曲がった先の薄闇の中、すらりとした黒いコートに燻銀の長い三つ編みを垂らした背中が目に入った。その奥で黒服達が壁に背を付けて震える男を囲い込んでいる。
「...おや、ステラ。こんな所で会うなんて奇遇だね」
振り向いた薄紫の瞳があたしを捉え、嬉しそうに細められた。
「なんだルードか。ちょうどこいつの仕事帰りでね」
仕立てのいいコートの上にワインレッドのマフラーを長く垂らし、黒革の手袋を纏う姿はいかにも“鴉”の長らしい。あたしは馴染みの彼に微笑んだ。
同時にセリウスがあたしの腰に添えた手にぐっと力を込める。
「...良からぬ折に出会したようだな」
セリウスがちら、と壁際の男を見やる。
ルドラーは「ああ」と答えると、あたしだけににこりと微笑んだ。
「ちょっとしたネズミ捕りだよ。阿片なんかに手を付けた馬鹿は駆除しなくちゃね」
ルドラーが笑みを浮かべたままひらりと右手を上げると、頷いた黒服達が強引に男の両腕を取って暗い路地へと引きずって行く。
すると男が焦ってこちらに向かって叫び声を上げた。
「嫌だ!!助けてくれ!!な、なあ、そこのあんたら英雄なんだろ!?」
あたしとセリウスは男を一瞥するが、すっとルドラーに視線を戻す。
「この前言ってた族の端くれか」
「そ。困っちゃうよね。羊の肉まで腐らせる薬は長期的に見て得が無いってのに」
肩をすくめるルドラーに、あたしとセリウスは顔を見合わせる。王都の人間を羊と言い切る彼は冷酷な実利に根ざしているものの、裏社会の秩序を長く守り続けてきた事に変わり無い。
「お前もご苦労だねえ」
「道を汚さぬよう気を付けろ」
そう言ってため息をつくあたし達に男は絶望的な顔をして、路地裏へずるりと引き込まれた。
ルドラーは何事もなかったようにあたしに微笑みかける。
「...ところで、ステラはいつ俺と隠居するのかな?」
「西のラウロア海岸にテラス付きのコテージも買ったし、図書館と落ち着いたバーも用意した。どう?最高のスローライフが君を待ってるよ」
ゆっくりと革靴の音を立ててこちらに歩み寄ったルドラーは、優雅に両手を広げて見せる。
セリウスは彼と張り合う様にあたしの前へと歩み出た。
「貴様も凝りん男だな。今世にお前の望みはない」
だがルドラーはまるでセリウスの威嚇に気付かないように、あたしを見つめて甘い声で囁きかける。
「ねえステラ、君の為にもう全てを整えてある。あとはこちらに来るだけだよ」
「ジジイがババア口説くんじゃねーよ見苦しい」
呆れて見上げれば、ルドラーは熱のこもった目で見つめ返した。
「ババアじゃないでしょ。ステラは俺の永遠なんだ」
「永遠にお前のものにはならんがな」
「ジジイの嫉妬も見苦しいぞ」
飽きもせずあたしを口説くルドラーと、ぐいとこちらを抱き寄せて勝ち誇った様にふんと息を吐くセリウスにやれやれとため息をつく。
まったくお互いすっかり歳食ったってのに会うたびこれなんだから、いい加減落ち着かないもんかね。
若い頃ならまだしも、この歳で往来で取り合われる気まずい立場も考えろよ。二人はこちらのそんな気も知らず、冷ややかに睨み合うばかりだ。
「屋敷に閉じ込める束縛男より、明るい浜辺で俺と過ごした方が彼女は幸せだと思いますけど?」
感情の読めない笑みでルドラーが挑発すれば、セリウスが「知らんのか。妻はこの生活をいたく気に入っている」と圧を込めて彼を見下ろす。
「はあもう、お前らはほんっとうに変わらないんだから」
埒が開かない二人のやり取りに、あたしは痺れを切らしてセリウスの腕を押し退ける。そのままルドラーに歩み寄って、トン、と指で胸を突いた。
「あたしは隠居しないって言ってんだろ。コテージとやらが勿体無いから遊びになら行ってやるけど。...そもそも海嫌いは治ったのか」
あたしが小さく伺う様につぶやいた最後の言葉に、ルドラーは柔らかく頬を綻ばせる。
「うん、...アスラが育ってくの見てたら、なんだか平気になったんだ」
「そんなわけだからさ。シェルブレ産のブランデー片手に海辺で君の帰りを待つ、なんてのも悪くないと思ってね」
穏やかな笑みを目尻に浮かべる彼はかつての喪失の傷も和らいだのか、少年時代に“海は嫌い”と吐き捨てた影は見当たらない。
あたしが彼を労るように肩をぽんぽん、と撫でれば、「ありがとね」とルドラーが瞳を細めた。
そんな彼の微笑みに少し寂しげな色を感じて、あたしは撫でた手でぐっと彼の肩を引き寄せる。
「それはさておき、シェルブレのブランデーとはいい響きだな。...せっかくだ、今からそのコテージとやらに一杯やりに行こうか!なあセリウス?」
眉を寄せて黙っていたセリウスは、あたしの言葉に目を見開いた。
「急に何を言い出すかと思えば。こいつと酒など」
「俺もこんなオマケは要りませんねえ」
「カリカリすんなよジジイども。余裕のない男は嫌いだよ」
「...あたしは昔話がしたい気分なんだ。付き合ってくれるだろ?」
あたしは睨み合う二人に、一番いい笑顔を作ってにっこりと微笑みかける。
二人は同時に「ぐう」と赤くなって怯むと、顔を見合わせて同時にため息をついた。
「...貴様には言っておかねばならん事が山ほどあるからな。反王派の情報をよこすにしろ、最近のアレはなんだ。書式がなっていない」
「悪いけど知りませんねえ、最近俺は書いてないんでさーっぱり。面倒な事はぜーんぶアスラに任せてるんであいつに言ってくれます?」
あたしを挟んでいがみ合う黒い外套とコートの背に、さらりと下ろした白い髪と燻銀の三つ編みが揺れる。
「はいはい、いい加減に血圧上がっても知らないよ」
あたしはそんな彼らの背中を押して、笑って路地を歩むのだった。
ルドラーのその後を書いていなかったな、と思ったので番外編を書いてみました。歳を取って渋くボスらしくなったルドラーですが、茶目っ気と熱は健在。
お読みいただき、ありがとうございます!
※時々書きたくなったら過去話も含めて番外編が追加されるかもしれません。




