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150.巣立ち




「おっ、ユリウスと姫さんの婚約は纏まったか。で、その本人は?」


 賑やかなパブのカウンターにて、遅れて現れたセリウスにあたしは笑いかける。


 あたしには王家や貴族の面倒な話は専門外なので、話し合いの全てをセリウスに任せていたのだ。

 ミラはリュシアンに誘われたからとさっさとデートに出掛けてしまったし、仕事終わりにここで二人と落ち合うことにしていたのだが。


 彼は一つため息を吐いて隣に掛けると、疲れた顔でこちらに笑みを返す。


「姫殿下のご希望で二人で夕食を共にすると。陛下の御前にて婚約を済ませ、殿下の成人と同時に式を挙げる事で纏まりました。あいつは緊張しきっていましたが、...あの様子なら問題ないでしょう」


「なるほどね。まあ、あの感じだとまんざらでもなさそうだったもんな。ユリウスの真っ赤な顔、いつかのお前にそっくりだった」


 あたしが置かれたエールを渡しながらくつくつと肩を振るわせれば、セリウスはそれを受け取りながらむず痒そうな顔をする。


「まったく。初恋の自覚と同時に相手側から望まれて婚約とは、なんとも贅沢な話です」

「ふふ、お前は苦労したもんな?」

「ええ。それはもう多大なる苦労をしましたね。貴女は俺を苦しめた事をもう少し反省なさるべきでは」


 悪戯っぽくちらりと目をやったあたしに、彼はわざとらしく上から詰めて意地悪な顔をする。

あたしは彼から出される威圧感に少しだけ怯みかけて、彼の手を取り指を絡める。


「反省してるよ、ほら」


 そのまま手の甲を引き寄せてキスを落とせば、彼はふふ、と嬉しそうに目を細めて「許しましょう」と微笑んだ。


「まーたやってるよこの英雄夫婦。おーい!いちゃつくなら別の店でやってくれよ!」

「モテない俺達への当てつけかあ〜?」


 常連の海賊達が面白がって囃し立てるのはいつものことだ。あたしは振り返って彼らに笑う。


「うるせえな、お前らもうちの傘下なら名前出しゃあそこそこいい思い出来るだろ。寄ってくる女を連れてくればいいだろうが」


「そんなダセー真似できっかよ!小者じゃあるめえし」

「天下のバルバリアがチンピラ集団だと思われちゃあな」

「女王様の名が廃るってもんよ」


 心底不機嫌な顔で返す彼らに、あたしは思わず目を丸くする。こいつらにそんなご立派な矜持があったとは。


「へえ、部下なりにいい気概じゃないか。よし、ここは奢ってやる!さあ飲め荒くれども!」


「よっ!そう来なくっちゃあ!」

「やっぱ女より酒よ、酒!」

「バルバリア海賊団万歳!!」


 にわかにワッと盛り上がる彼らに、現金なやつらめと笑ってしまう。


「船長殿は相変わらずの豪快さで」


 座り直せばセリウスにくすりと笑われ、あたしも笑顔のままエールに口をつける。


「ふん、結局いつも払うんだ。わかりやすく喜ばせておいた方がいい」

「その計算高さも変わりませんね。俺が落ちたのも、貴女に誘い込まれたのではとすら思わされる」


 さらにおかしそうに笑われて、あたしは彼の脇腹を軽く小突いた。


「馬鹿言え。お前があたしを絡め取ったんだろうが」

「...まあ、それはその通りで。何度も仕掛けた甲斐がありました」


 自慢げに口の端を上げる彼は、いつの間にかテーブルに置かれていたナッツの殻を割ってはあたしの側へ中身をカラ、と寄せていく。

 あたしはその姿に半分呆れながら、少し嬉しくなってしまう。


「こういうとこだよな、顔に似合わずマメなことで」

「...豆だけに?」

「オッサンかお前は、いやオッサンだったな」


 あまりにくだらない冗談につっこめば、彼はわざとらしく憮然とした表情で目を瞑る。


「妻の為に殻を剥く善き夫を傷付けるとは」

「ふふっ!いや、悪い悪い。“ナイスミドルの旦那様”」


 思わず吹き出してしまったあたしに彼は満足そうに微笑んで、「どうぞ」とこちらに皿を差し出した。


「ありがと。...あいつもこういうとこはお前に似たからなあ。姫さんもそこに惚れたのかもな」

「その上あれは俺より顔立ちも声も優しい。女好きのする要素でしょう」

「だなあ、しかしミラは大丈夫かね。あいつあたしに似過ぎてあっちの使用人を困らせないかな」

「まあ、愛嬌がありますから気に入られるのでは...」


 そこまで言った彼は、急に落ち込んでしまう。


「...ああそうか、あの子も家を出るのか...」


 途端にしゅん...と背を丸くするセリウスは、肩を落として剥き終わった殻へと視線を落とす。

あたしはそんな彼が少し不憫で、彼の側に少し身を寄せた。


「あたしはまだ船で一緒になるけど、確かにお前は寂しいな。逆ならよかったのに」

「子供の成長は、早すぎる...」

「もっとゆっくりでもいいのになあ」

「......」


 彼の背をゆっくりと撫でてやりながら、並んで静かにエールを傾ける。


 本当に子供の成長は早い。

産まれたのだってついこの間な気がしていたのに、気付けばよちよちと歩いていたあの頃は遠く過ぎ去って、つたない“とうしゃん”“かあしゃま”なんて言葉ももう頼んだって聞けやしない。


「...変な感じだよ、なんかさ」

「...ええ。まだまだ子供だとばかり...」


 かつての二人を思い出しながら、あたし達はしばらく喧騒の中に溶け込んだように沈黙する。


 かつては不器用過ぎるセリウスを怖がり、あたしにまとわりついていた小さな双子たち。


 それでも次第に彼の不器用に覆われた優しさが伝わって、今ではすっかりからかったり言い返すようになった。

 愛を知らず孤独だった彼にとって、純粋で真っ直ぐに向き合ってくる子供達は、きっとあたし以上に特別だったに違いない。


 あたしはそんな... 、年を重ねるごとに、より家族らしくなっていく彼と子供達を見ているのが何よりも幸せで、かけがえのない時間だった。


「赤ん坊のミラに髪を引かれ、ユリウスに肩へ吐き戻された事すら今となっては愛おしい。...親とはつくづく不思議なものだ」


 セリウスが懐かしむように言いながらエールの泡に目を細めた。あたしはその言葉に、彼が子育てに翻弄されていた情けなくも愛おしい姿を思い出す。


「ほんと、最初はガチガチに固まっておかしいったら。...でも途中から頑張ってたよな。あたしよりもおしめ替えは上手かった」


「“魔法とはこれほど便利なものか”とあの時ばかりは身に沁みましたね。己の魔力にあれほど感謝したことはない」


 冗談めかして笑う彼はすっかり父親の顔だ。

“ああ、好きだな”と思うと同時に、胸がきゅ、と締め付けられる。


 ...もし今の彼がまた赤ん坊を抱いたら、どんな感じになるのだろうか。

またあんなふうに狼狽えるのか、それとも...。


 想像してくすりと笑ったあたしは、はっとある事を思いついて顔を上げた。


 そうだ、赤ん坊!

あの子達が結婚するって事は、いずれ孫ができるってことじゃないか!


「なあセリウス、きっとあの子たちの子が産まれたら絶対可愛いよな」


「!」


 彼を見上げて笑えば、セリウスもはっと目を見開く。あたしはエールをぐっと煽ると、タン!と置いて彼に肩を軽くぶつけた。


「姫さんはこっちに住むんだろ?まだ先ではあるけどさ、孫ができたら屋敷がまた賑やかになるぞ!」


「...孫...!」


 セリウスは少し想像したのかじわじわと嬉しそうに口の端を上げ、咳払いをして誤魔化した。


「...それはいい。そうとなれば、こちらも準備をしておかなければ。姫殿下とその子の為に別棟を建てるには時間が要ります」


「じゃあ図書室も増設しようぜ!お前以外はみんな本が好きだし、そろそろ寝室の本棚もパンパンだからさ」


 ついでに自分の要望も追加するあたしに、彼は笑って頷いてみせる。


「ふふ、構いませんよ。...では明日から早速取り掛かりましょう。姫殿下にもご希望を伺っておかなければ」


 寂しげだったセリウスはすっかり気を取り直し、

「であればメイドも必要か...?殿下のお抱えも呼び込まれるだろうが、我が領地に耐えられる者を...。アイネスに面接させるか...」

などとぶつぶつと呟いている。


 ふふ、楽しそうでなによりじゃないか。


「...楽しみだな、セリウス」


 あたしが頬杖をつきにっこりと微笑むと、考え込んでいたセリウスはこちらをはっと振り返る。



「...まったく、貴女は...」


 そして柔らかく微笑み返し、セリウスはおもむろにあたしの手を取った。長い指がするりと絡まされて、大きな手があたしの手を包み込む。



「俺を喜ばせるのが上手いのだから」



 そう低い声で甘く囁き、指にそっと口付けた。

 


二人の婚約が決まり、親として子育てを振り返るセリウスとステラ。物語はいよいよ終わりへ。次回、最終話です。


いつもお読みいただきありがとうございます!

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