149.所有宣言
※今回はユリウス視点です
それはいつもと変わらない午後のはずだった。
姫様の隣に掛けて持ち寄った本を読み上げ、意見を交わし合う穏やかな時間。
14歳となり、ますます美しく聡明になられた姫様は、いずれ俺の手を離れ立派な王女殿下となられる。
今日まで俺が姫様のお相手をお勤め出来るのは、側付きのお役目としてこれ以上なく誇らしいことだ。
そして何より姫様とこうしていると、面倒な社交界や、訓練終わりにご令嬢方から大量の差し入れを受ける日々から解放されて気が休まる。
英雄の息子である俺が18歳となりそろそろ結婚適齢期となった事で、ご令嬢方のアプローチは明らかに激化した。
今日の事も思い返せば、頭が痛いことばかり...。
・・・
「まあユリウス様!こんなところにいらっしゃったの!」
「ユリウス様、先日の差し入れはいかがでしたか?」
「ああ、タニス嬢、リリア嬢...。大変美味しく頂きました。しかし騎士として肉体形成の為、多量の甘いものは摂らないようにしておりまして、少しお控え頂けると...」
溢れ返る差し入れを捨てるのは流石に忍びないし、無理に食べるのも辛いのだ...。
今日こそなんとか断りたい...!
しかしタニス嬢たちは俺の言葉を聞くなり、しゅんと肩を落として瞳をうる、と潤ませる。
「まあ...そうですの?ご迷惑でしたわね...」
「っ...、申し訳ないことをしましたわ...」
しまった...!泣かれる!!
やめてくれ、俺は女性に泣かれるのだけは本当に苦手なのだ...!
「えっ、ああいや、申し訳ありません。そこまで落ち込ませる気は...!」
「でしたら次は塩気のあるものをお持ちします!」
「そうよ!鍛錬に塩分は必要ですものね!」
「...ああ、はい...」
こんな調子で城内のどこを歩いてもご令嬢方に見つかり、あっという間に囲まれて“ユリウス様、ユリウス様”と甲高い声で囀られる。
話の内容も大したものはないし、そんな時間があるなら高等魔術の研究をしていたいのに...。
しかし俺はどうにも女性には強く出れず、父上のように冷たく振る舞うこともできない。
父上には“そんな所まで母親に似たのか”なんて呆れられたが、父上のあの“母上以外の女性への対応”は礼儀こそ守るものの、大概酷すぎるので真似出来るわけもない。
比べて姫様は静かで落ち着きがあり、俺の容姿にもいちいち反応せず、臣下の俺に対等に話してくださる。そして俺の好む魔術の話を楽しそうに聞き、さらには新しい知見まで示してくださるのだ。
はあ、なんて穏やかで有意義な時間だろうか...。
...ずっとこんな時間が続けばいい、そう思っていたのに。
「ひっ、ひっ、ひ、ひめさま、な、何を!?」
あろうことか姫様は、衛兵も見ている目の前で俺の顔を持ち上げ——、なんと唇に口付けたのだ。
あまりの事に本を取り落とし、ぱくぱくと口を動かすばかりの俺に姫様は美しく微笑う。
「お父様がね、“欲しいものは必ず手に入れなさい”って」
「お母様に、“早めの根回しと行動が大事”と教わったの」
「は...?」
俺は言葉の意味がわからず固まってしまう。
しかし姫様は俺の頬に両手を添えてまっすぐこちらを見据えた。
「ユリウス、あなたが欲しいわ。わたくしと結婚して?」
姫様は薔薇の花弁のような唇からまるで俺をあやすように優しく囁く。
その途端、姫様の触れた指先から全身が燃え上がったように、ぼわわっ!!!と熱が駆け巡った。
「...おっ」
「お?」
「お戯れをッ!!!!!!」
気がつけば俺は耳が痛いほど裏返った声で絶叫し、「失礼致します!!!!!」と立ち上がって声を張り上げていた。
そこからは無我夢中で、どうやって屋敷に帰ったか覚えていない。
息を切らして屋敷に戻れば、玄関ロビーから階段へと父上に手を引かれていた母上が振り返る。
「おや、おかえりユリウス」と優しく微笑まれても、俺の口は震えるばかりで言葉を発せなかった。
「どうした?茹でダコみたいだぞ、お前」
母上が不思議そうな顔をする。
その瞬間、玄関の扉がバンと音を立て勢いよく開かれ、姉上が飛び込んだ。
「母さん聞いて!!!あたしリュシィと結婚する!!」
開口一番に姉上がそう告げて、俺の心臓までドキィッ!!と大きく跳ねる。
結婚、そうだ結婚...!姫様は俺にそう仰った...!!
「さっき港でプロポーズされたんだ!週末に挨拶に来て、それから瞳の色の指輪を贈ってくれるって!」
姉上は上擦った声で喜び、両の手で赤らめた頬を押さえる。
「そうか、ついにか!...よかったなあ、ミラ!!」
目を見開いた母上が階段を駆け降りて姉上を思い切り抱きしめ、姉上が「うん...!!」と涙ぐんだ。
階段に置いて行かれた父上は、母上の手を引いた形のまま固まっている。
「...結婚、するのか」
ようやく父上が震える唇から発した言葉に、姉上は「する!!」と力強く答える。
父上はしばらくまた固まって、「...そうか...」と消え入りそうな声を漏らす。そしてゆっくりと背を向けて、静かに寝室の扉の向こうに消えてしまった。
母上はそんな父上の姿にため息をつき、柔らかく微笑む。そしてもう一度姉上を強く抱きしめた。
「本当におめでとう、ミラ。...よし、今日はお祝いだ!料理番にご馳走を作ってもらおう!な、ユリウス!」
いきなりこちらに声をかけられ、俺はびくっと肩を上げて「え、ええ」なんてぎこちなく答える。
すると姉上も母上の腕の中からこちらを振り返った。
「なあユリウス、あたし、本当にリュシィのお嫁さんになるんだよ!信じられるか?信じらんないよな!」
涙目の姉上に笑いかけられ、俺は動揺したままとりあえずこくこくと頭を上下に振って返した。
——姉上が、リュシアン殿と結婚する。
そうか、姉上も俺と同じく先月で18歳。ならば結婚だっておかしな話ではない。そう考えてから、その事実に今日の姫様の言葉が重なる。
“わたくしと結婚して”
つまりあの言葉も事実、お戯れではない...!?
姫様は“あなたが欲しい”と確かに仰った。
だが姫様はまだ14歳、俺の四つも下なのだ。
そんな目で...女性として彼女を意識した事なんて一度もない。
そもそも臣下としてそのようなことを一瞬でも考えるなど畏れ多いし、デビュタントの日に陛下が口にした“君に嫁がせたい”などというお戯れも本気にしなかった。
だって俺は救国の英雄の息子とはいえ、地位としてはただの側付きの騎士なのだ。
準貴族にあたる騎士爵の身分で姫なんて娶れるわけもない。そう、普通なら全くあり得ない話なのだから。
...なのに。おかしい、姫様の言葉が俺の頭の中から全く消えない。
姉上を祝う夕食の席ですらも、頭の中は姫様の事ばかり。
あの愛らしい微笑みが、紅い瞳が、俺の顔を持ち上げた指の感触が生々しく思い出されて、姉上達に何を言われても右から左へ抜けていく。
なぜだ、俺は姫様に何を考えているんだ。なんで今更になって姫様のことをこんな邪な目で...、俺は頭がおかしくなってしまったのか...?
熱と冷や汗が交互に訪れ、ぐるぐると混乱に飲まれていく。
完全に上の空の俺の隣で、父上も魂が抜けた顔で“食事を口に運ぶだけの装置”と化していたのはある意味助かった...。
おそらく姉上達からは、二人揃って婚約にショックを受けているように見えただろう。
そして夕食後。
姉上が鼻歌と共に寝室に上がって行き、母上が未だ茫然としたままの父上の背をなでながら階段を登る。
...っ!!
そんな姿をぼんやりと眺めていた俺はようやくはっと我に帰って息を吸う。
こ、このままでは今日が終わってしまう!!
それを実感した途端、ざわざわと焦りが胃に満たされていく。
まずい、...まずい!このままでは頭の整理が全くつかないまま明日になってしまう...!!
明日を迎えれば必ず城内で姫様とお会いすることになる!その時俺は何を答えたらいい!?
幼い頃からの仲とはいえ、姫様は王族、俺はただの側付きの騎士。もし結婚に頷けば姫様への不敬罪で極刑、いや、断っても不敬罪で極刑...?
ど、どうしたら、何が正解なんだ!?
俺は慌てて、背を向けて去っていく母上達に視線を向ける。
いやだめだ、母上や姉上に話したところで「よかったじゃないか!」なんて笑われて終わるのが目に見えている。
だとしたら、今この件の解決に一番近いのは...
「ちっ、...父上!!!お話があります!!」
気づいた時には、俺は父上の背に向かって呼びかけていた。
————
「父上、俺...姫殿下に求婚されたかもしれません...」
自室の扉を閉め、未だ茫然自失の父上に俺はおそるおそる今日あった事を告げる。
「...姫殿下が...求婚...」
抜け殻も同然の父上は俺の言葉を繰り返し、しばらくそのまま黙り込む。
「......」
「......」
「...姫殿下がお前に求婚!?」
そしていきなり目を見開き、俺の両肩をがしりと掴んだ。
「それは確かな事か、事の詳細を全て話せ」
父上は俺の肩を掴んだまま、尋問するように厳しい口調で問い詰める。
「はっ、はい、本日姫様から畏れ多くも口付けを受けました。それから俺に...わ、“わたくしと結婚して”と仰られて...」
「...それで」
「姫様曰く、“お父様から欲しいものは必ず手に入れなさい、お母様からは早めの根回しが大事と教わった”と...俺が欲しいと仰られました...」
俺が冷や汗と共にそう言うと、父上はこちらの肩から手を離して目元を押さえた。
「あのお二人らしい...」
しばらくその体制のまま長く息を吸う父上に、俺はますます不安になってしまう。
それから父上はゆっくりと溜め込んだ息を吐き、俺を見下ろした。
「...姫殿下が間違いなくそう仰ったんだな?」
「は、はい」
「...腹を括るか...」
「父上...?」
父上は眉根に皺を寄せてもう一つため息をつくと、俺の目をじっと見る。
「...それで、お前の方は。やぶさかではないのか」
「えっ、いや、その...確かに姫様とは性格も合いますし、光栄極まりないお話とは思います。実際、口付けを受けてから今までずっと姫様の事ばかり頭を占めて、鼓動が治らず...」
「しかし、4つも下の姫様にですよ!?俺はどうしたら...!」
焦ったままに見上げれば、予想外にも父上は何か思い当たるように顎に手を当てて俺を眺めた。
「憎からず思っているのならいい。歳は問題ない、俺も妻と4歳差だ」
「あっ、えっ?...ああ、そういえばそうでしたっけ...」
完全に忘れていたが、信じがたいことにこの威圧感の化身のような父上はあの若々しい母上の4つも下だった。見た目では人間、わからないものである。
だが確かにこの二人が夫婦として成立しているなら、俺と姫様の歳の差でもおかしくないのか...。
「ともかく、明日俺も同行して陛下にお伺いする。おそらくお前は姫殿下と婚約する事になるだろう」
「へ...っ」
俺は突然の内容に間抜けな声を上げる。
しかし父上は俺にずい、と歩み寄り、こちらの胸に指を突き立てた。
「いいか、婚約が済んだとしてもお前は何があろうと自分から姫殿下に行動を起こすな。また、結婚まで何があろうと手を出すな。相手は王族だ、騎士爵のお前が迂闊な行動を取れば社交界全てが敵になると思え」
「密室で会うな、必ず衛兵の前で会い騎士としての仮面を剥がすな。籍を入れるまで男になることは許さん。わかったな」
「はっ、は、はい...!?」
低い声で次々に釘を刺され、思考が追いつかないままにとにかく返事をする。
「国王陛下と女王陛下は口にした事は必ず実行されるお人だ。姫殿下が兵の面前でお二人の名を出されたのであれば公認の行動に違いない。お前は殿下に見初められたのだ。覚悟をしておけ」
じゃああれは、本当に王家御公認のプロポーズだったという事か...!?
こ、婚約、結婚...!?本当に俺が姫様と...!?
かつてのセリウスのように動揺しまくるユリウスと、ミラの結婚を覚悟していたもののいざその時が来るとショックが大きすぎるセリウス。ユリウスの婚約話のおかげでようやく正気を取り戻しました。
続きます!
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