148.アプローチ
※ミラ視点です
「最近みつけた店でね、あまり混んでいなくて良さそうだったから」
馬を繋いであたしの隣を歩くリュシィは相変わらずかっこよくって爽やかで、通りの女の子達が次々に視線を奪われていく。
「君が喜ぶかなと思って覚えておいたんだ」
そんな彼があたしだけに優しく笑いかけているのは悪くないけど、ちょっと焦るのも否めない。
...けど母さんなら、きっとそんな不安は見せない。
あたしは彼の左腕にぎゅ、とわざとらしく抱きついてにっこりと笑顔を作った。
「ありがと、リュシィ」
「!、...やけに今日は積極的だね」
リュシィが少し驚いた顔であたしを見下ろす。
前を向き直した彼の腕に少しだけ力が込められたのは、きっとあたしがくっついたせいって思いたい。
ガラス戸を開けたリュシィに中に促されれば、落ち着いた店内は適度な客入りで過ごしやすそうだ。
カウンターに並べられたパイ菓子はどれも艶やかな果物がたっぷり焼き込まれていて、選べないくらい美味しそう。
あたしは思わず勝手に笑顔になってしまう。
「ゆっくり選んで。その顔を見ていたいから」
なんて柔らかく微笑まれて、思わずかあっと赤くなる。
...しまった!あたしが絆されてどうする!
気をしっかり持て、あたし!
カウンターで注文を済ませて席へと移る。
普段なら向かい合わせに座るけど、今日はソファ席を選んで彼を押しやり、わざと隣に座りこんだ。
リュシィにぐっと身を寄せてわかりやすく密着してやる。
目指すは母さんみたいに艶っぽくて余裕があって、相手を翻弄する女!あたしだってちゃんと“女”だってこと、もっとアピールしなくっちゃ!
「......」
なのにリュシィはいつもの笑顔のまま何故か少し目を瞑って、あたしから距離を空ける。
なんでだ!最愛の恋人がくっついて来てるんだぞ!?うちの父さんだったらわかりやすくにやけて、嬉しそうに母さんを抱き込むのに!
「...ミラ。苺、好きだろう?あげるよ」
「え、いいの!?」
甘い声につい喜んでしまってから、はっとしてあたしはまたむくれる。いやいや、まだだ!これからまだ巻き返せるはず!
「...じゃ、あーんして?」
身を乗り出して口を開けば、リュシィは笑顔のまま固まってしまう。
それからぐっと苺をあたしの口に押し込んで、ぱっとすぐ前を向いてしまった。
「それは、他の男にはしないでおくれよ」
なんて紅茶を傾けながら言う彼は若干不機嫌を滲ませる。何言ってんだこいつ、当たり前だろ。
あたしはお前を揺すぶりたくてやってんのに!
もぐもぐと苺を咀嚼しながら彼を睨んでいれば、ドアがカランとベルの音を立てて開かれる。
「おっ、ミラじゃない。てことはステラも来てたりして?」
薄紫の三つ編みを肩に下ろし、同じ色の妖しい瞳がこちらに嬉しそうに向けられる。
なんだ、誰かと思えばルドラーか。あの“鴉”のボスっていうけど、あたしにとってはやたら母さんを口説いてる怪しいオジサンにしか見えないんだよな。
「母さんはいないよ。あたしはこいつとデートなの」
「なーんだ、あっそ。じゃあいいや楽しくおやり」
急に興味を失ったルドラーはふいっとあたしから目を逸らし、カウンターで「コーヒーとドーナツ二つちょうだい、持ち帰りで」なんて注文をつけている。
早く帰ってくんないかな、じゃないとリュシィにアプローチできないんだけど。
そう思いながらあたしも紅茶を口にしようとした途端、さっき閉まったばかりのドアがまたバン!!と開く。
「ミラ!今ミラの声がしたけど!?」
飛び込んできた薄青の髪がさらりと揺れる。小さく纏められた後ろ髪に、ルドラーと揃いの黒い羽の刺青。
「やっぱミラだあ!!奇遇だね!俺とデートしない?」
あたしに人懐っこい笑みを向けるこいつは、ルドラーの部下で最近2番手になった“鴉”の組員。
狐じみた綺麗な顔はルドラーに少し似ていて、悪い噂が絶えない男。
幼い頃に母さんに連れられて街で初めて会った時から、ずっとあたしに纏わりついているやっかいなやつだ。
ルドラーがいるってことはもしかして、とは思ったけど、なんで今こいつと会わなきゃいけないんだよ...。タイミング悪すぎだろ。
そんな風に口を尖らせると、あたしの隣からリュシィがすっと立ち上がった。
「また君か。彼女は見ての通り取り込み中だ、お引き取り願おう」
「えっ、ミラ何食べてんの?チェリーパイなんて可愛いねえ〜!ね、俺がもうひとつデザート奢るからさ、こっちの席おいでよ!」
リュシィの苛ついた声を完全に無視したアスラは、ぐっとあたしの席の背にもたれかかってこちらを見下ろす。
「やだよ、お前はあたしを猫かなんかだと思ってるだろ!そんなんでついてくもんか!」
「君、いい加減にしないか。ミラが嫌がっているだろう」
「うるっせぇな金髪は黙ってろ。猫だなんて思ってないよ♡ミラは俺の運命の人なんだから♡」
くそ、ほんっとにこいつはめげないな。
あたしの将来を賭けた一世一代のデートだってのに邪魔すんじゃねーよ!
さっさと追い払ってやろうと顔を上げると、アスラの瞳と目が合う。透き通る冷たい薄青の瞳が、真剣な目でじっと見つめた。
「ねえミラ、こいつは君をちゃんと抱きしめてくれるの?愛を囁いてくれる?」
「俺ならキスだってなんだって君を満足させてあげるよ。不安になんて絶対させない」
「っ...!」
なんであたしの気にしてることがわかるんだ。
思わず黙り込んでしまったあたしに、リュシィが肩を怒らせて腰の剣に指をかけた。
「下衆な輩め。穢らわしいその喉、切り裂かれたいか」
「へえ、やってみなお坊ちゃん。こっちにはアガルタ製のチャカがあるんだ、剣なんか役に立つかね」
「アガルタ製だと?売国奴め、斬り伏せる理由に充分だな」
あたしは二人が低い声で威圧し合う中、呆然として皿のチェリーパイに視線を落とす。
...アスラの言う通りだ。
リュシィはあたしをハグしても絶対に手のひらは体に触れないし、すぐあたしから離れちゃう。
キスだって頬に触れるだけだし、愛してるって言うのも、...別れ際だけだし。
...あーあ。わかってたのに、もう最悪...。
今日こそリュシィとちゃんと進展して、最後はプロポーズしようなんて意気込んでさ...。
あたしが肩を落としてため息をつく側で、リュシィとアスラは「表に出ろ」なんて火花を飛ばしあっている。その状況がますます馬鹿らしくなってきて。
...あーもう、いいや。もうおしまい。
結局リュシィは幼馴染のあたしとお情けで付き合ってて、だからただ可愛がってくれてるだけなんだ。だから、あたしがどう頑張っても躱されちゃうんだ...。
「こらこら何やってんのアスラ。こんな堅気の店でやるな、チンピラかお前は」
「ああ"!?離しやがれこのジジイ!!この金髪を俺はころっ、———」
見かねたルドラーに首根っこを掴まれたアスラが怒鳴りながら振り返る。同時にトン、とうなじを叩き落とされ、彼はまるで眠ったようにがくりと項垂れた。
「いやー邪魔して悪いね。まあここは払っとくからこいつの言ったことは忘れてよ。じゃ、おふたりさん仲良くね」
などと言いながらポンと店員に金貨を渡して、ルドラーはアスラを引きずって行ってしまう。
リュシィは二人が消えるまで睨みつけ、それから表情を整えて向かいのソファに座り直し、こほんと咳払いをした。
...やっぱり、近くには座ってくれないんだ。
「...とんだ邪魔が入ってしまったね。紅茶もぬるくなったし、新しいのを頼もうか」
なのにそうやって優しい声で、あたしの顔を覗き込んで。...ずるいよ。今までずっと、勘違いしちゃったじゃんか。
「...いい」
「...え?」
「もういい、いらない!」
あたしはバン!と机に手をついて立ち上がり、振り切るように店を後にする。
後ろから「待っ...、ミラ!」なんて焦ったリュシィの声がしたけど、知らない!知るもんか!!
あたしなんて、どうせお前にとってそこまでの女じゃないくせに!
可愛がりたいだけなら、別にいらない!
年下の幼馴染なんてクソ喰らえだ!
もっと母さんみたいな大人の女なら、リュシィだってちゃんと応えてくれたのに。
もっとあたしに色気があれば、こんな思いしなくて済んだのに...!
無我夢中で走って、走って、走って、気がついたら港に来ていた。
すっかり夕日が落ちて来て、海は茜色に染まっている。見慣れた緋色の復讐号があたしの事を待ってた気がして、涙がぼろぼろと勝手に溢れた。
「うおっ、ミラ!?どうしたんだよそんなに泣いて!」
船上でロープの整理をしていたコンラッドがあたしに気付き、慌てて道坂を駆け降りてくる。
「っ、あたし、ダメだった...」
「ダメ!?何が!お前にダメなとこなんてあるもんか!」
コンラッドの言葉に、あたしはますます目頭が熱くなって、涙が溢れて止まらなくなる。
「ぅう、ダメなんだ、あたしじゃダメなんだよお〜〜〜っ」
そう言ってしゃがみ込んで泣けば、船員達がどんどん降りてくる。リックにフィズにジェイド、ジャックにエルドガ、アルカ爺さんまで。
「なんだよ、どうしたんだよミラ!?」
「お前を泣かしたやつは誰だ!お兄ちゃんがぶっ殺してやる!」
「だから泣くなよぉ、俺たちがそいつ海に捨ててやるからさあ」
「そうとも、原型無くすまで叩きのめしてマストに吊ってやる」
「ナイフの的にちょうどいいわい。のうジャックや」
「おう、砲手共の練習台にしてやるさ」
口々にそう言う彼らに抱きしめられて、それがすっごくあったかくて、泣きながらちょっと笑顔になってしまう。
こんな風に...リュシィにもちゃんと、抱きしめられたかったな...。
きっともう、叶わないけど...。
「あたし、たぶん恋愛してるって思ってたんだ...」
「でも、ただの片思いだったんだ...。リュシィにとってはあたし、そんな相手じゃなかったんだよ...」
「ちゃんと抱きしめてほしいとか、キスとか、そういうの、望んだのが馬鹿だったんだ...。結婚なんかに憧れて、プロポーズしようなんて、一人で浮かれて...!」
そうだ、あたしは思い上がりの馬鹿だ。
父さんと母さんの関係に憧れて、いつかあんな風になれるなんて思い込んで。
「リュシィのお嫁さんになんかなれないんだ...、あたしはただの、“幼馴染”だから...!」
「違う!!!」
思い切り叫んだ瞬間に叫び返され、あたしは驚いて声のした方を振り返る。
そこには、振り切ったはずの彼が立っていた。
「はあ、...っ、はあ...、ミラ、君は...僕にとってずっと眩しい存在だったんだ。明るくて、無邪気で...、いつだって僕に、本当の笑顔を向けてくれて」
「...リュシィ...!?」
馬を飛ばして来たらしい彼は、いつも美しく整えられた金髪が乱れ、激しく息を乱し、汗をかいている。
いつだって優雅で涼やかな、あのリュシィが。
「...君を守りたかった。君の前では常に、完璧な騎士でありたかったんだ。君の父上にも誓いを立てた。なのに本当に君は、無防備で、魅力的で...」
「僕がどんな気持ちで理性を保っていたと思う!!」
穏やかな彼から発されたとは思えない程の怒声に、あたしはびくっと思わず怯んでしまう。
彼はあたしへと真っ直ぐ歩み寄り、目の前に向かい合った。
「本当は、然るべき場所で、全てを整えて、最高の状態でこうするつもりだった」
何を、と言いかけるあたしの両肩を抱いて、彼はその場で目を丸くしていた船員達に視線を向ける。
「ご家族方、ご無礼をお許し下さい」
意味がわからず怪訝な顔をするあたしに彼は向き直る。そして「失礼します」と真面目な顔で言った彼に、ぐい!と思い切り抱き寄せられ———
——いきなり唇を塞がれた。
「ッ、んむ!?」
あたしは思わず両手を宙に浮かして、間抜けな声が鼻から抜ける。でも彼はあたしをしっかり抱きしめて離さない。
固く抱き込まれた身体に、彼の手のひらの熱が伝わってくる。薄く整った唇があたしの唇に重なって、彼の胸から鼓動がどきどきと激しく脈打ち、彼の香りが、音が、熱が、全部があたしを包み込んでいる。
胸の内がぎゅうっと締まって、でも指先まで幸せで、耳が熱くって、なにこれ、なにこれ、なにこれ...!!
全てが駆け巡って飽和した瞬間、彼が唇を離す。
ぽーっと昇り切った熱の中、琥珀の瞳があたしを見つめた。
「...ミラ、愛している。僕と結婚してくれ」
「必ず、幸せにする」
あたしは熱に浮かされて整理がつかないままに、こく、と頷いてしまう。
その途端固唾を飲んで囲んでいたコンラッド達が「うおお!!」と大きな歓声を上げた。
まって...、まって、これ、えっと...。
もしかして、プロポーズってやつ!?
リックやフィズが口笛吹いて騒いでるのに、なんだか周りの音が遠い。ふわふわしてて現実感がない。
これ、ほんとに、ほんと...?
夢なんかじゃ無いよな...?
「...ありがとう、ミラ」
頭上からの絞り出すような声にリュシィの顔を見上げれば、彼はあたしをいつになく潤んだ瞳で見下ろしていた。
そして呆れたように笑う。
「...まいったな。もっと気の利いた言葉で伝えるつもりだったのに...」
「すまない、...後でやり直させてくれ」
リュシィは彼らしくなく、耳まで真っ赤に肌を染めて、恥ずかしそうに目を覆った。
それがなんだか可愛くて、すっごくすっごく嬉しくて。
「...この、かっこつけの馬鹿リュシィ!!」
泣き笑いと一緒に、思い切り彼に抱きついた。
ミラの前でずっと完璧でありたかったリュシィは本当はプロポーズも準備万端に進め、いずれミラをめいっぱい喜ばせるつもりで黙っていました。裏目に出たけど。とにかくミラ、よかったね!ということで、ユリウスに続きます。
終わりに突っ走るぞー!
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