144.アイザックと理想 後編
ゴトゴトと石畳に音を立てる馬車の中、俺は団長殿から手渡された書類に目を通す。
ミケリア特命全権大使、シェーラ・アルテナ、27歳。
資料に付随する胸から上を描かれた姿絵は整った顔立ちの女性だが、こういったものに珍しく瞼を閉じている。なになに...?元女王付き筆頭巫女、身長168㎝、後天性の盲目。...盲目!?
目が見えないのに異国の地で大使を務めるのか!?
俺が気にかけるような事ではないのかもしれないが、その状態で上手くこなせるのだろうか。
ましてやご案内となれば、あれやこれやと街並みを紹介しても意味がないのでは...。
俺はそんな状態の人間に掛ける豊富な語彙力なんて持ち合わせていないぞ!?
途端に手汗がじわりと滲み、書類にわずかな皺が寄る。
団長殿〜〜〜!?!?お聞きしてませんが!?
お、俺はこの任務、全うできるのでしょうか...!?
港につけばミケリア式の優雅な帆船が錨を下ろし、降り立ったらしき女性がなにやら兵士とやりとりしている。
なんだ、誰かと思えば王都港関所の警備兵長、ジョン・ワトキンズか。
俺より二つ上の彼はこの王都港を任されて15年程。城へと毎月の手形通行書留を納めに来る彼とは度々顔を合わし、世間話をする仲だ。
穏やかで人好きのする性格で海の荒くれ達と上手く付き合い、時に諍いを仲裁する苦労人。
腰の低い彼なりの柔和な話術は、港に船を任せるあの奥方様からも厚い信頼を得ているらしい。
「ジョン!その方は?」
歩み寄りながら声をかけると、振り返った栗毛のジョンが俺に気付き、おや、と眉を上げる。
「アイザックか。先ほどご到着されたミケリア大使殿だよ。手形の確認が今終わったところだ」
ジョンの肩越しに立つ女性が振り返る。
金から薄い朱へと移り変わる、淡い夕焼け色の長い髪が潮風にさらりと靡く。彼女は閉じた瞼のまま、こちらに端正な顔を向けた。
その瞬間俺は何故か息が止まり、慌てて我に帰って口を開く。
「...きっ、騎士団長殿より大使殿のご案内役に任命されましたアイザック・テンバーと申します!どうぞお見知り置きを!」
騎士らしく胸に手を当て礼をすれば、彼女はこくり、と表情を変えずに頷く。
「シェーラ・アルテナ。女王陛下の命により特命全権大使の任を預かった。...アイザック殿、世話になる」
返された予想以上に明瞭なイズガルズ語と、女性らしからぬ淡々とした口調に驚いてしまう。
本当に見えていないのだろうか?と疑ってしまうほど、彼女の閉じた瞳はこちらを真っ直ぐ見据えた。
同時に受ける、何か既視感のある引き締まる感覚。
その感覚がなんだったか、と疑問を持ちかけた俺にジョンが声をかけた。
「アイザック、団長殿に任されたと言ったが。君が彼女をご案内するのかい?」
「ああ、団長殿はご多忙でな。定時退勤の為に俺が駆り出された」
「あはは、なるほど。シェーラ女史、こちらのアイザックはこれでも国一の騎士団において“赤鷹”なんて異名を持つ名うての魔法騎士でして。話はつまらんやつですが、ご安全は確かかと」
一言余計なやつめ、とジョンを睨むと彼は肩を震わせる。シェーラ女史はこちらに顔を向けたまま、ほう、と一言感嘆して口を閉じた。
なんとも無口なお方であるらしい。
「えー、その。俺はあまり女性のエスコートに慣れておりませんのでご不便をお掛けするやもしれません。ご体調の事もあります、何かあればすぐお申し付け下さい」
気を遣って伺えば、彼女は黙ってしまう。
そして何か思い至ったように「ああ」と小さく呟いてこちらを見上げた。
「目のことであれば、問題ない。我は音や空気で健常者と同じく認識している。...赤毛の騎士殿」
彼女は瞑った睫毛を動かすことなく唇を少し上げて見せる。赤毛と当てられ目を見開いた俺の驚きを、この女性は楽しんでいるらしい。
「そっ、それは。何よりです。はい」
思わず言葉に詰まる俺に、彼女は「では、案内してくれるのだろう。始めたまえ」なんて命じてみせる。
俺は焦って彼女の手を恭しく取り、桟橋から馬車へと先導した。
「で、では早速!この王都港は王都より西に位置する港で、主にこちらが戦艦の船着場としてかの有名な陛下御直属のバルバリア海賊団、緋色の復讐号が...あ、ちょうど右手に見える大戦艦がそれですね...」
慣れない案内に必死に舌を乾かす俺を、ジョンはにこにこと笑顔で見送った。
————
「それでこの王都はルカーシュ陛下の名君たる治世力と、騎士団長殿と奥方様のお働きによって平穏とさらなる繁栄がもたらされ...、あっあれがお二人の行きつけのカフェテリアですね、カルリエと言って王都きっての老舗の...、あっその店のショコラというのが」
「...君の話は随分とあちこちに飛ぶのだな」
馬車の窓から見える王都の街並みに指を指して案内していれば、シェーラ女史がぼそりとつぶやく。
俺はその刺すような無表情の呟きに「あっ...」と声を上げ、慌てて取り繕った。
「えっ、いや、申し訳ありません。ご案内というものに慣れておらず...、ご不快でしたか?」
「いや、面白い。特に“団長殿”の話になるとえらく饒舌だな。いい上司なのだろう」
頷く彼女にほっとしつつ、団長殿を褒められて思わず体温が上がる。そう、そうなのだ!俺の団長殿は誰もが認める最高の上司、語らずにいられるものか!
「団長殿は救国の英雄かつ、人間的にも実に魅力的なお方ですからね...!俺はあの方に憧れてこの髪を伸ばし、剣を重く作り替えた程です!強大な魔力を使いこなし、戦においてはまさに静かなる修羅!端正なお顔立ちに見上げる長身、立ち姿はもはや神話のようで...!」
「なるほど。女王陛下からお聞きした事がある。...君とは違って寡黙な男らしいな」
夢中で語っていればそう言って静かに微笑まれ、あまりの美しさにどきりとしてしまう。
なんだ、この人の笑みは。自信に溢れた、威厳すら纏う雰囲気...見学に来るご令嬢達とはまるで違う。
「そっ、その...。シェーラ女史は女王陛下付きの筆頭巫女であられたそうですが、なぜ巫女から大使に?」
動揺を隠すように思いつきの話題を振れば、彼女は表情をまた無に戻した。
「...我の巫女としての力は、終わりを迎えていてな」
「我が国では夕焼けの髪は太陽神の加護による証と言われているが、この淡さを見ろ。元は濃い色だったが、目を失うと同時に加護も薄まってしまった」
彼女はさらり、と淡い色の髪を指で掬って肩に落とす。
「強大な加護に溺れ、戦で過剰に振いすぎた。無理な奇跡が祟ってな。20歳で幸運と視力を失い、代わりに戦績と地位を得た」
返す言葉を思いつかず、息を吸って黙り込む。
実際にミケリアを訪れた団長殿によると、幸運の奇跡とは、ミケリアの巫女に与えられる人智を超えた加護であるらしい。その力は望めば大地震を起こし、洪水を起こすほどとか。
かの奥方様にも巫女の血が流れておられると言うが、ご本人によれば使い方がわからないらしく、妙なところで勝手に発動するという。
だがシェーラ女史のように自ら自在に発動できるとなれば、大きすぎる力の代償もあるのやもしれない。
そしてそれが祟って、瞳まで失ったと...。
言葉を失う俺に、彼女は淡々と「今この目に入っているのはガラス玉だ。見ない方がいい」と言い退けてしまう。
「なに、左遷ではない。巫女としても女としても生きられぬ我には有り難きお役目...陛下のご高配だ」
その言葉に嘘はないのだろう。彼女に落ち込んでいる様子は見受けられず、毅然としていた。
しかしそれでも、もし俺が戦力と視力を失い、その上で団長殿に異国へ移り住めと言われたら...。
己の無力ゆえに騎士団を離れるなんて耐えられない。おそらく派手に絶望し、食事も喉を通らないだろう。
...それに比べ、なんて強いお人だろうか。
「我の話は終わりだ。君の話を教えてくれ」
突然話を振られて、慌てて俺は意識を戻す。
そんな彼女に比べれば俺の話など大したものではない。
「俺は田舎生まれの成り上がりの騎士ですよ。酒飲みで口だけ達者な父親に嫌気が刺して、町外れの元王国騎士の爺さんに弟子入りさせろと転がり込んだんです」
「それが偏屈爺さんで、くすんだ金の目で睨むばっかで何も喋らないし、厳しいくせにきちんと教えない。見て覚えろって言うのを必死で覚えて...。晴れて14の年に見習い騎士として王都で騎士学校になんとか滑り込み、15で魔法剣技大会に出場したんです」
「俺はがむしゃらに師匠の技使って、なんとか首位を得ました。そんで喜び勇んで報告に帰ったら、師匠、家の裏の墓から動かないんですよ」
「...事切れてました。それもおそらく随分前に。掠れた奥さんの名が刻まれた墓の前で、剣を突き立てた姿勢のまんま、跪いて」
俺が苦笑して目を逸らせば、彼女は俺をじっと“見る”。ああ、まずい、...喋り過ぎた。
俺はどうにも昔から夢中になると喋りすぎる癖がある。
予想外に少し重くなってしまった空気を和らげたくて、俺はにっ!と笑い返した。
「そう!それで!その後、3日経っても子供みたいに泣いてぐずぐずでボロ雑巾みたいな俺の元に、団長殿が訪ねて来たんですよ!」
「忘れもしません、雨の中現れたあの堂々たる立ち姿、見下ろす金の瞳、冷厳な威圧感...!!」
「おかしな話、“師匠だ、若返って戻ったんだ”と思いました。まるで稲妻に撃たれたみたいに...“この人は全盛期の師匠だ、俺の敬愛するお方そのものだ”って...」
「それから接する度に、口調から何からもうあまりにも似てて!その上痺れるほどかっこよくて!誰よりもお強くて、まさに伝説で...!!それで、俺は団長殿に憧れ続けて、今度こそご恩返しがしたくて...えーっと、こうなりました」
上手くまとまらない不器用さに少し恥ずかしさを覚えながら言い切ると、彼女は静かな面持ちから一転して、堪えるようにぐっと目元を押さえた。
「シェ、シェーラ女史...?すみません、話、長かったですよね」
焦って顔を覗き込めば、彼女はますますぐっと何かを堪えて顔を背けてしまう。
「...っ、いや、見るな。目に埃が入った」
「えっ!?義眼にゴミがついたら衛生的にまずいのでは!取りますよ、ほら!」
「やかましい、黙れ。見るなと言っているだろう!」
「いや見ないと取れませんって」
ぐっとまた目を瞑る彼女の目元の手をやんわりと退ければ、淡い夕日の睫毛が...濡れている?
そしてこの反応、どこかで見覚えがある。
寡黙で仏頂面で、普段は氷のように感情を閉ざしているのに案外涙もろくて、それを隠そうと必死に威厳で取り繕うとする...。
「...もしかして、泣いてます?シェーラ女史」
「否だ」
「俺のために、泣いてくれたんですか?」
「否だと言っているだろう!」
そんな風にこちらに怒鳴った瞬間、開いた彼女の瞳と目が合った。...濡れて透き通った、“黄金の”玻璃の玉。
師と団長殿、そして目の前のこの人が一つに重なる。
なんだ...、なんだよ、そう言うことか!
この人はどうにも似ているんだ。
俺が追いかけ続けたあの人に。
「ふっ、くく、あはは!なんか見覚えがあると思ったら!」
「なんだ、何がおかしい!」
シェーラ女史は俺に向かって不機嫌な声を上げる。
「君の身の上に感化されたのではない。予想以上の理由に驚いただけだ」
「...師への敬愛は我にもよくわかるのでな」
ああ、やはりそっくりだ。俺の愛する人たちに。
誇り高く、高潔で、顔に似合わず驚くほど愛情深い...、俺の敬愛してやまない———
———どうにも不器用な“優しい強さ”。
まったく...俺はどうにも“これ”に惹かれる性分らしい。
俺は息を吸って彼女に向かい合うと、その手をがしりと取って瞳の中の玻璃を見つめる。
そしてしっかりと見据えたまま、口を開いた。
「...シェーラ女史。一介の騎士として、貴女をお慕い申し上げます」
「どうか、我が妻となって頂けませんか」
かつて奥方様に想いを告げた団長殿に倣うように、そっと薬指に口付ける。
その途端、彼女はわかりやすくぼわっ!と全身を染め上げた。
「な、何を!貴様、我を揶揄っているのか!!」
「いいえまさか。俺は本気です。この瞬間、貴女に惚れました」
「なっ!?なっ、なっ、軟派な事を...!!盲目の女を口説いて何がしたい!!」
「結婚したいです。是非、何卒」
「君は頭がおかしいのか!!」
ああ、この人だ。間違いなくこの人だ。
団長殿、俺にも運命の愛が舞い降りてきましたよ...!!
アイザック、理想の伴侶をついに発見!
アイザックがかつてセリウスの愛妻ぶりを見てさらに敬愛を深めたのは、師匠の最期を思い出して“そこまで同じなのか”と嬉しくなったからでした。
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