143.アイザックと理想 前編
※今回はアイザック視点です
「...と言うわけで、また破談になってしまい...」
大衆酒場にて飲みかけのエールのジョッキを下ろした俺がぼやけば、先輩方が「あ〜〜〜...」なんて一堂になんとも言えない相槌を打つ。
「そりゃお前、ご令嬢に決闘ふっかける方がおかしいだろ...」
「もし弓程度の嗜みがあったとて、お前の実力と並べると本気で思っているのか?」
ライデン殿が呆れ顔をし、ヴィゴ殿が俺に困惑した顔を向ける。しかし、俺はそもそも一般的なご令嬢と結ばれたいなんて微塵も思っていないのだ。
それなのに見合い話をやたらと持ちかけられるものだから、俺の基準で“見合う”条件を付けているだけで。
「そうはいっても俺はやはり団長殿のように、強く美しい女性を伴侶に選びたいのですよ!」
俺は上座で静かにエールを傾ける団長殿に熱い視線を向ける。見習い時代から憧れの、王国一の魔法騎士であり最高指揮官。さらには陛下の付き人も兼ねる救国の英雄殿。
その実力は言わずもがな、切り立った氷のように孤高で冷徹、立ち居振る舞いから威厳を纏うお姿はまさに完全無欠!
その上女性を見る目も超一流なのである!
なぜなら団長殿の奥方様は、女だてらに海を統べる大海賊の船長殿。そしてかつては団長殿と共同任務にて、命懸けで国を救ったもう一人の英雄でもあるのだから。
そのお姿は華やかで堂々として美しく、頭脳明晰。さらには多様な武器の扱いに長けた近接戦闘における練達の士。けれども性格は快活で飾らず、俺にも実にお優しい。
かつて彼女に教わった投擲技術は、今や“赤鷹”と呼ばれるようになった俺の魔法照準精度の核となり続けている。
「俺の理想は奥方様です!驚くほどの美貌と実力を兼ね備え、時に叱り、時に導き、そしてあれほど甘やかしてくれるような...!」
そこまで言うと満足げに頷いていた団長殿はエールを吹き出しかける。
厳しく冷たい面持ちの団長殿のお心を一瞬で溶かすほど、素晴らしい包容力と魅力を持った奥方様。
俺はお二人のやり取りを拝見するたび、まるで神話のような美しい夫婦愛に憧れてきたのだ。
「背中を任せ合える程の信頼関係!毅然として自立した強さ!俺もそんな女性と巡り合いたいのですよ!!」
拳を握って力説すれば、団長を含む先輩方が何故だか俺に真底呆れ返った目を向けた。
「お前なあ、あんな女性はそうそう居るもんじゃねえよ」
「普通の女性にあれほど過酷な生き様を求めるなよ。そもそもが海賊の叩き上げだぞ?」
ライデン殿がため息を吐きながら細く揚がった芋をかじり、ザイツ殿がフォークでこちらを軽く俺を指して言い聞かせる。
「それにだよアイザック、君は今年で30歳だ。流石に現実を見たほうがいいのではないかな」
「そうそう!こいつに憧れ過ぎるのもどうかと思うよ〜?君には君の生き方があるんだからさあ」
エルタス殿と団長補佐殿が肉料理を皿へと取り分けながら優しげな視線で俺を促した。
「そもそも我々は騎士なのだから、伴侶を護るべきではないか」
「そうとも。団長殿とて、奥方様があれほど奔放でなければ自らお護りしたいのだよ」
ヴィゴ殿が少し諌めるように軽く眉を寄せ、白髭のガトー殿がゆっくりと頷いてみせる。
なんだ皆、寄ってたかって俺を宥めて...これではまるで俺が駄々をこねる子供のようじゃないか。
伴侶とは一生を預ける相手。俺にだって選ぶ権利はあるはずだ。
そもそも俺は元々尊敬に値する人物でなければ、下に付くのも我慢ならないタチなのだ。騎士団に配属されるまでは、腑抜けた教官に噛みついて罰を受けた事も少なくない。
今では先輩方それぞれがまごう事なき実力派揃いで恵まれたが、護るべき“姫”が俺より下などと耐えられない。
「しかしですよ!見合いの為に見学に来るご令嬢達はみな俺に黄色い声で騒ぎ立てるばかりで、強さのかけらもないではありませんか!」
「やれ“なんて精悍なお顔立ち!”、“燃える赤毛が男らしい!”、“あの逞しい腕で守られたい!”...きゃあきゃあと俺を褒めそやすばかりで並び立つ気がそもそもない!」
皆に諌められて苛立った俺がそう言えば、先輩方が「だめだこりゃ」とばかりに天を仰ぐ。
その様子を黙って見守っていた団長殿がため息をついて口を開いた。
「...その感情もよく分かるが、お前の強さの定義は狭過ぎる」
「強さの定義、ですか?」
思わず眉を上げて聞き返すと、団長殿は金の瞳で俺を見据えて頷く。
「何も俺とて、戦闘力で妻を選んだ訳ではない」
「他人に揺るがされぬ芯のある精神、思考力、行動力。...内面こそ人の強さではないのか」
団長殿は低い声で告げると、また静かにエールを傾けた。
...か、かっけえ〜〜〜...!!!!!
くうう〜...ッ、流石は団長殿...!!
粛然としたそのお姿はさながら、お言葉一つ一つに重みがあって恐ろしいほど様になる...!!
あまりの風格に両手を合わせて震えていれば、先輩方がにやりと目を合わせた。
「まるで余裕で選び取ったような言い草ですなあ」
「ステラさんに撃ち抜かれただけなのにね」
「微笑まれただけで赤面していた人とは思えませんな」
などといつものように茶化し出し、団長殿が「黙れ貴様ら」と低く一喝する。酒か照れか、少し赤くなった団長殿は出会った頃から変わらず奥方様を愛してやまない。
常にお心を冷たく閉ざし、毅然とした振る舞いで騎士達を率いる“魔狼”に相応しき気高く強き団長殿。
それをまるで子犬のように翻弄し、あれほど甘い笑みを向けられるのは、あの奥方様ただ一人。
ああ、俺もそれほどまでに心を狂わす女性との出会いが降って湧かないものだろうか...。
————
「俺がミケリア大使のご案内役を?」
朝一で執務室へと呼ばれた俺は、予想外の団長殿の言葉を思わずそのまま繰り返した。
「そうだ。俺は月末で全騎士団の報告書諸々を纏めねばならん。さらに大使は27歳の女性だ。アイザック、歳の近いお前の方が話し易いだろう」
頷いた団長殿は、長机に積み上がった書類を種別で選り分けてサインをするばかり。こちらに視線をやる余裕も無さそうだ。
さらりと流れ落ちる黒髪を耳にかけ、書類の文字を追う真剣な金の瞳の凛々しさたるや。
いやいや、今はそれどころではなかった。
俺は外交任務などした事ないのだ、ましてや異国の女性のご案内役など務まるとは思えない。
「しかし団長殿、俺はミケリア語は...」
「あちらが喋れる、問題ない。これが事前に渡された大使の資料。目を通せ。大使館の場所は知っているな?内部施設の詳細と地図を渡す。馬車を出してやるから使うといい。あちらの到着予定は10時。王都港から王都市街地、大使館までを丁重にご案内しろ、以上だ」
言いかけた俺に対し、まるで戦場の作戦指示のように淡々と全てを言い渡されてしまう。
俺はその言葉を必死で頭に収めながら、ずいと突きつけられた資料を受け取り、「はっ、はい」と答える事しかできなかった。
団長殿は忙しく羽ペンを動かし、サラサラ、ビッ、サラサラ、ビッ、と書類に書きつけてはインクを切って書類を次々に重ねていく。
普段なら余裕で済ませる書類作業も、後期賞与前の月末となれば管理職の仕事は倍以上になるという。
毎年この期間の団長殿は、団長補佐殿と遅くまで残業されているのをお見かけしている。
しかし団長殿は奥方様が寄港されていらっしゃる間は、何があろうと定時で退勤する事に命をかけておられるのだ。
それも並々ならぬ愛ゆえ、誠実さにかけてもこの方は非の打ち所がない。
そんな状況が重なってしまった今回の切迫たるや、俺の推し量れるものでは無いのだろう...。
ふむ。ならばこのアイザック・テンバー。団長殿の代わりに見事ご案内役をこなして見せようではありませんか!
「拝命致しました!お任せ下さい!」
踵を打って敬礼する俺に、団長殿は「うむ」とだけ頷いた。
やっぱりセリウスへの盲信が止まらない、どうしても背中を追いかけたいアイザックです。
そして絶対定時に帰りたいセリウスに、初めての外交任務にドキドキのアイザック。果たしてうまく務まるのでしょうか?続きます。
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