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142.看病

※今回はステラ視点です




 船上でマストの補強作業をしていたあたしは、港にいると言うのに王城から鳩が舞い降りたのを見て、何事かと慌てて包みを開いた。



 そこにあったのはセリウスの四角張った文字とは似ても似つかない、見覚えのある流麗な文字の並び。


“セリウスが珍しく高熱で倒れた為、早退させました。あいつは昔から体調を考えずに動きます。布団に縛り付けておいてください”


 わざわざファビアンが代わりに書いてよこすということは、それほどまでに酷い状態ということだろうか。


 そういえば、あいつが熱を出したところなんて出会った頃からこの十数年、一度たりとも見たことがなかった。

なんなら風邪を引いた部下に対して“嘆かわしい”と朝礼で言い捨てていた程だ。


 だがいくら屈強な男だって、流行り病でポックリ死ぬなんてままある事だ。

 今まで見てきた、病で為すすべなく命を落とした船員達の記憶が駆け巡り、あたしは急いで懐に手紙を収めた。


「悪い、今日は帰るよ」

「ええ?どうした急に」

「あいつが熱出して倒れたんだと。ビクター!強めの熱冷ましくれ!」


 怪訝な顔をするコンラッドに答えて船医のビクターへと声をかけると、ついでに港の馬車商へとリックを走らせる。


「あいつ熱出したりすんだなあ。そんなもんで血相変えちまって羨ましいこって」


 若干不機嫌に口を尖らすコンラッドの頬をリゼがぎゅ!とつねり、「いってえ!!」と叫ぶ彼に呆れながらビクターが薬の包みをあたしに差し出した。


「食後に一包、強い薬ですから吐き戻しても追加はしないで下さい」

「ああ、わかった」


 兵舎で倒れたなら既に医者にはかかっているだろうが、出来る備えはあって困らないはずだ。


「なに、父さんどうしたの!?」


 マストに登って釘を咥えていたミラが異変に気づき、こちらを見下ろして焦った声を出す。


「熱出しただけだ、お前は残れ!移る病だったら厄介だからな、何かわかるまで寝室には入るなよ!」


 あたしはそれだけ告げて甲板を駆け降りると、リックに手配された馬車に素早く乗り込む。


 思えば朝からあいつはおかしかった。

触れた時は熱はないように感じたが、既に兆候はあったのかもしれない。



————



 屋敷に戻れば、アイネスとラウール、ジェンキンスの三人が手拭いと氷水を満たしたタライに水差しを持ち寄って階段下に集まっていた。


「おや奥様、お帰りなさいませ」

「セリウスは?」

「38度まで下がりましたよ。城の医師によると咳もなくおそらく疲労熱との事で。移る心配はないかと」

「...そうか」


 彼らの言葉でようやく緊張が解けて、あたしは肺から大きく息を吐く。なんだ疲労か...。なんにせよ、病気でないのなら良かった。


「どうせ側にいるんだ。あたしがやろう」


 寝室の扉の前でタライと手拭いを受け取ると、彼らはそれらを差し出しながら優しく頷いた。


「奥様が戻られてほんにようございました」


 アイネスの言葉に視線を上げれば、彼らは感慨深そうに瞳を細める。


「旦那様は子供の頃から、熱があろうと倒れるまでご無理をなさいます」

「クラウス様に知られることを恐れ、我らに介抱される事すら“弱さ”であると拒まれたほどで」


「我らでは力及びませんゆえ...どうか甘やかしてやって下さい」


 彼らの少し眉を下げた微笑みに、あたしはちくりと胸が痛む。親代わりの彼らは、父親に応えようとするセリウスの無茶をすぐ側で見てきたのだ。

本来なら己を頼って欲しいだろう。


「ああ、任された」


 あたしは彼らに敬意を払ってそう答える。


 礼をして下がる彼らを尻目に寝室の扉を開けると、ベッドの上に乱れた髪のセリウスが、は、は、と浅い呼吸をしながら目を瞑って横たわっていた。


 肌は赤く上気して、纏うように汗が浮かぶ。

あたしは枕元にそっとタライを置いて、冷たい氷水に浸した手拭いを硬く絞る。


 汗で束になった黒髪を避けてこめかみを撫でれば、うっすらと同じ色の睫毛の内から金の瞳が覗いた。


「ス、テラさん...?」


 苦しげな息づかいの合間から彼がつぶやく。

あたしは冷たい手拭いをそっとこめかみに押し当てた。


「...大丈夫か?朝から辛かったんじゃないのか」


 「気づいてやれなくて悪かった」と髪を掻き分けて額にキスを落とすと、セリウスは瞳を揺らして声を詰まらせる。


「...なぜ、俺を気遣うのです...。貴女は、俺がいらないのでしょう...?」


 いらない...?なんでそんなことを急に言うんだ。

あたしがきょとんと目を丸くすると、彼は苦しげにまた目を瞑ってしまう。


「いらなかったら仕事を切り上げてくるもんか。どうした、嫌な夢でも見たか?」


 おそらく熱にうなされて悪夢が現実と混ざっているんだろう。頭を撫でてやろうと手を伸ばすと、彼はいきなりその手を掴んであたしをベッドに引き倒した。


「ならばなぜ、別れてくれなどと口走る...!?俺に不満があるのなら申し付ければいい!足りないものがあるなら命じてくれればいいでしょう...!!」


 セリウスは苦しげな呼吸で吠えると、彼に覆い被さる様に手をついたあたしの顔を縋るように見上げ、頬に手を伸ばす。


「貴女は俺の妻だ...、手放したくない...、お願いです...」


 金の瞳を熱で潤ませ、震える手であたしの頬を確かめるように撫で下ろす。覚えもないことを急に言われ、熱で弱りきった彼に懇願されてもさっぱり意味がわからない。


「...あたし、いつ別れたいなんて言ったっけ...?」


 そのままの体勢でおそるおそる聞き返すと、彼は悲痛な面持ちであたしをじっと見つめる。


「誤魔化すのはおやめ下さい。貴女は今朝方、俺の名を呼び“別れてくれ”と...。夢でまで声にする程だ、それほど俺が不要になったのでしょう...!?」


「夢ぇ...!?」


 問い詰めるような彼の口調に、あたしはますます混乱して疑問符をいくつも頭に浮かべた。


 いや、ええ...?別れてくれ...?しかも寝言で...?

ていうかそもそもあたしはどんな夢を見てたっけ...。


 急に夢の内容を思い出せと言われても、酷い悪夢でもない限り夢なんかすぐに忘れてしまうからなあ...。


 あたしは必死で今朝の夢の記憶を辿ろうと遡る。


 えーっと...確か、わりと楽しい夢で...こいつがそばに居て...、辺りは暗くて...、あたしはまだ20代で...。


 するとじわじわと夢が輪郭を取り戻してきた。

黒い隠密着に身を包んだ、あの頃の彼。

...そうだ!あれはあたしとこいつがルカーシュの元で組んでた頃の夢だった!


 うん、そうだ。夢の中じゃこれから何かに立ち向かうところで、緊張感があって...。


 そこまで思い出したあたしは不安げなセリウスの顔を見下ろし、夢の中の彼と重ねる。

 こいつと来たらあの時からやたらと心配症で、あたしのことばっかり気にかけて、それであたしは...



「ふふっ、あはは!!なんだ、そういう事か!」


 思わず思い出してピンと来た内容に笑ってしまうと、彼は意味がわからないとばかりにますます不安げな顔をする。


 そんな彼の勘違いがあまりにも馬鹿馬鹿しくて、頬を撫でつつ笑いを堪え、なんとか答えた。


「くくっ、ふふ!いや、うん、ごめんな...。確か工房に潜入する夢を見てたんだよ」


「夢のお前があんまり過保護で心配するからさ。“大丈夫だからセリウス、二手に分かれてくれ”って...。たぶんそれだろ」


 セリウスはその言葉に「へ...?」と間抜けな声を出して目を見開く。あたしはますますおかしくて、震えながら言葉を続けた。


「それでも離さないもんだから、歩きにくい!っつって振り払って...。それで起きたらこれなんだから...、ふふふ!夢より酷いじゃないか!」


 目を見開いたまま固まる彼の額や頬にキスを落として、耐えきれず彼を抱きしめて笑ってしまう。


「馬鹿だなあ、そんな勘違いなんかして熱まで出して。あたしがお前を捨てるわけないだろ!」


 そう言ってまた込み上がる笑いに肩を振るわせれば、セリウスは息を吸って唇を噛む。

そして思い切り強くあたしを掻き抱いた。

 

「まっ...紛らわしいのが悪いのではないですか...!!貴女のせいで、俺は一日...どんな思いで...っ!」


 そう言いながら彼はだんだんと喉を震わせ、押し殺すような小さな嗚咽を漏らす。

体温の上がった彼の体が一層熱を持ち、涙が触れ合ったこちらの頬をいくつも伝い落ちていく。


「泣くなよ、もう。大丈夫だから...。なんなら起きた時、お前が側にいて嬉しかったんだ。あれから夫婦になってて、子供もいてって...」


 思わず今の彼の姿と見比べて微笑んでしまうほど。


「悪かったよ。看病するから許せ、な?」


 セリウスの頭を撫でて微笑めば、彼は「下がり切るまで側にいないと許しません...」なんて涙声のまま拗ねてしまう。


「わかったわかった、側にいるよ」


 あたしはそんな彼を宥めるように笑って、頬の涙を指で拭って口付ける。

 しょっぱい唇を舐めて深くなぞれば、彼の舌が一瞬震えてこちらに絡みつく。


 吐息は苦しげだというのに、必死で唾液を飲み込み求める舌は、こちらの舌を溶かしてしまいそうなほど熱い。

 強く抱きしめられれば汗で濡れた彼の薄いシャツが密着して、こちらの肌までじわりと湿らせていく。

 そして何度も彼に応えて交わすうちにセリウスの息が欲を孕んでいくのを感じて、あたしはそっと唇を離した。


「こら。病人がその気になってんじゃないの」

「看病をしてくれると言うので...」


 あんなに子犬みたいに情けなかったくせに、すっかりこちらをねだる彼に呆れてしまう。

 ったくよほど不安だったらしいが、“倒れた”なんていきなり聞かされたこっちの心配をこいつはわかっているんだろうか。


「まったく、しょうがないな...」


 あたしはおもむろに彼のシャツの胸元をするりと開き...


———タライから掬った氷を流し入れた。


「ッ!?!?」

「体拭いてやるから大人しく寝ろ」

 




寝言の理由はセリウスの予想を裏切る“わかれてくれ”違いでした。久しぶりによわよわ暴走セリウスが書きたかったので作者は満足です。


リアクションを頂くたびに舞い踊っております!

いつもお読みいただきありがとうございます!

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