141.自己否定
※セリウス視点です
結局その後も彼女に“別れてくれ”の意味を聞くことすら出来ず、「今日は船で仕事があるから」と彼女は着慣れた船長らしい装いに身を包み、馬から港へ降りてしまった。
幸いこちらも仕事が控えている。
落ち着かずどんよりとした気持ちのまま、悟られないよう騎士達の敬礼に応え、朝礼を済ませて執務室の書類の山へと向き合う。
しかし困ったことに、恐ろしいほど書類の内容が頭に入ってこない。
かろうじて通常通りの慣れた形式のものを選び取り、要点だけなんとか掴んでひたすらサインをしていくばかり。もうすぐ昼になるというのに、書類はさっぱり減らないではないか。
頭の中では相変わらずぐるぐると彼女の寝言を反芻し、胃が沈みきって行くのを感じる。
「おいユリウス、団長殿はなんであんなに落ち込んでんだ?」
「さあ、朝からずっとでして。俺にもわからず...」
先ほど書類を届けに来たライデンがこそこそと廊下の影でユリウスに尋ねているのを耳で拾う。無表情と言われる顔だけは変わらず取り繕えていると思っていたのに、俺はそこまで分かり易いのか。
「どうせステラ様にしつこくしてあしらわれでもしたんだろ?それ以外であの鉄仮面が落ち込む訳ないさ」
「それが母上も気遣っていつも以上に甘やかしてまして。普段ならすぐに機嫌が治るのですが...」
通りかかったザイツの笑いにユリウスがため息をついて答える。
いやお前、どこまで両親の話を赤裸々にするつもりだ。という焦りと同時に、ザイツの“しつこくしてあしらわれた”という言葉にまさかそう言うことか!?と血の気が引いて身動きができない。
「よしよしされてもあの調子かよ。なんだ、男として死んだか?」
「こらこらザイツ、なんと言う事を」
「いや、充分あり得ることではある。愛する人の前で男のプライドが折れれば誰とて絶望するだろう」
「それならいいのがあるぜ!南方のやつが効果テキメンでもうすんごいのなんの」
「俺、この話題に参加しないといけませんか...」
嗜めるエルタスと真剣に分析するヴィゴ、怪しいものを勧め始めるライデンに別の意味でまたげんなりとしてくる。
実際全く違う上に、上官のそんな内容を息子の前で、しかも廊下で話すな。
兵士が耳にして妙な誤解が広がったらどう責任を持つつもりなのか。
だがもはやいつものように一喝する気力もない。
俺はわざとらしく大きめの溜め息をついて、ゴン!!と真鍮製の重い印章を書類に叩きつけた。
同時に足音が散る音が聞こえ、俺は目元を押さえてまた深くため息をつく。
...やはり俺はしつこいのだろうか。
何でとは言わないが、実際ステラさんに「しつこい!」と言われたことは数えきれない。
ただその反応が可愛らしくてまともに受け取った事などなかった。
それが本当に彼女を摩耗させていたら...?
とうに嫌気が刺しているのに、“一度飼ってしまった獣を野に放てないから”と責を感じて側に置いているだけなのでは!?
それで今になって好いた男が他に出来ていたとしたら...俺のかけた術のおかげで離れられないのを苦にして、それであんな寝言を...?
このまま上手くなだめられ、俺が安心した頃にあの柔らかな囁きで丸め込まれて術を解き、その瞬間に鮮やかに捨てられる未来が見える。
もう俺はいらないのか...?
そうだ、そもそも彼女は俺を必要となどしていなかった。俺は何度も彼女を口説き、最終的には決闘で妻を勝ち取った夫であって、それまでずっと振られ続けてきた...。
...だめだ、悪い考えが止まらない。
ひたすら考えているうちに目眩すらしてきた...。
書類の文字がやけにぶれて、読むことすら難しい。
頭が重い。喉が詰まって息が乱れる、悪寒と共に耳の奥が刺すように痛む...。
「やっほーセリウス!ステラさんにしつこくした上にこっ酷くあしらわれて君が死んだって聞いたけど?」
最悪のタイミングでファビアンが現れ、満面の笑みでこちらに大股で歩み寄る。
奴の声がいつも以上に大きく響いて頭が割れそうだ。
「事実無根を声高に叫ぶな...」
ズキズキと痛み出した額を押さえてなんとか口を開けば、ファビアンが目を丸くして「どうしたの、キレがないね?もしかしてそんなに本気で落ち込んで...」と俺の肩にぽんと手を置いた。
「あっっっっつ!?!?ちょっとセリウス、君大丈夫!?酷い熱だよ!!」
「やめろ、叫ぶな...、頭が割れる...」
顔を上げられないまま朦朧として答えると、ファビアンが「衛生兵〜〜〜!!団長殿に体温計持ってきてー!!」と廊下に向かって一際大きな声を出す。
ぐうっ...叫ぶなと言っているのがわからんのかこいつは...!!!
バタバタと血相を変えてやってきた衛生兵長から口内にガラスの体温計を突っ込まれ、「失礼します!!」と手際よく上着をバッと脱がされ、流れるように脈を取られる。
戦場で磨かれた迅速な対処をこんな場面で無駄に発揮しないでほしい...。
「42度!?もうお風呂の温度じゃないか!!本当に君は自分の事には無頓着だな!」
すぽんと抜き取った体温計を見たファビアンに頭をパン!と引っ叩かれるが、突っ伏したまま頭痛と寒気で抗議すらできない。なすがまま衛生兵の差し出す冷却魔札を額に叩きつけられる。
「いいから今日は帰れ!馬車を出すから屋敷で安静にするんだ。いいね?後のことはやっておくから」
そして馬車に押し込まれると俺は揺れによって意識を失い、気がつけば屋敷のベッドの上に寝かされていた。
セリウス、不安と自己否定が限界突破。
続きます!
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