20.乗馬
王都への石畳の街道を緩やかに馬は辿る。
俺の前に俯いて顔を紅潮させて座るステラさんの姿は新鮮で、思わずその赤い耳をじっと見つめてしまう。彼女の頭上で揺れる帽子の飾り羽根が鼻先をくすぐる。
「...何見てんだよ」
「帽子が視界の邪魔だと思いまして」
俺がそう言うと、彼女は海賊帽を鷲掴んで胸の前に抱えて小さな声で呟いた。
「うう...屈辱的だ...」
よほど彼女にとっては不本意らしい。
「そんなにこの状況が気に入りませんか」
「ああ、気に入らないさ!船長張ってるあたしが、年下の男に小さなお嬢ちゃんみたいに抱えられて不満がないとでも!?」
そう言いながら彼女が勢いよく振り向き、彼女の形の良い鼻先に俺の唇が触れる。
「!」
「〜〜ッ!!」
彼女の肌から先ほどと同じ香水とも違うほのかな柑橘のような甘い香りが広がる。俺が体を強張らせると、彼女は鼻先を抑え急いで前を向いた。
彼女の耳は先ほどよりもさらに赤い。ただでさえこの状況に不満を抱いているらしいのにさらに不快な思いをさせただろうか。
「失礼しました。馬上で急に振り向かれませんよう」
謝罪のつもりでそう言うと、彼女は鞍の上で拳を握りしめた。
「くそ...乗馬さえできればこんな事には...」
騎士であればともかく、乗馬が出来ず相乗りをするのがそんなに恥じるほどの事だろうか。
当たり前の事を嫌がる彼女がよくわからない。
「海上で生きてこられたなら、馬に乗れずとも恥じることはないでしょう」
俺の言葉に彼女はキッとこちらを睨みつける。
顔を赤らめたままで睨みつけられても港でこちらを振り向いた時ほどの鋭さはなく、なぜだかやけに扇情的に感じる。
「セリウス」
「何でしょう」
内心を見透かされたようでドキリとする。
「乗馬を教えろ。毎回これじゃあたしの沽券に関わる。要するに覚えればいいんだろう!」
彼女の目は真剣だ。
自ら全てをやりたがる彼女はつくづく“女性”らしくない。その潔さはなんとも勇ましい。
「...承知しました」
俺がそう答えると彼女は細い指で手綱を握る俺の手を上から握った。
驚くが、あまりに堂々と握られたためか不思議と嫌な気はしない。彼女の手はおそらくロープ引きのためか傷だらけだ。まるで戦士のようだと思わされると共に、その指が非常に長く美しい事に気付く。
そして今度は俺の顔に触れないように、少し距離を空けて振り向いた。
「時間が惜しい。今からだ。王都にはまだしばらくあるんだろう?」
まったくステラさんの行動の速さには驚かされる。だが確かに道なりの街道は練習にはうってつけだ。俺は少し躊躇った後、彼女の手に手綱を握らせるとその上から自分の手を重ねて握った。
「こちらの方がやりやすいでしょう」
俺もこうして父に教わったのだ。しかし慣れないことをしたせいか心臓がうるさい。気づかれていないだろうか。
「ふむ、確かに」
ステラさんは気にも留めていないようだ。
これはただの乗馬指導。やましいことはない。
迅る心臓を落ち着けながら、俺は握ったままの彼女の手にトントンと薬指で合図をする。
「では一度止めましょう。このように少し上に向かって強く引けば馬は止まります」
彼女の手ごと手綱を引くと、馬が嘶いて足踏みをした後停止する。
「では、あぶみを貸しますから足を掛けてください。軽く腹を蹴ると歩き出します。どうぞ」
そろりと彼女があぶみに足をかけ馬の腹を蹴る。...が、実際はブーツの踵がちょんと軽く触れた程度。馬は動かず不思議そうに耳をこちらに向けてまた戻した。
「...動かないぞ」
ステラさんもまたきょとんとした顔をして、こちらをちらりと振り向く。
「優しすぎるのではないかと。もっと強く蹴らねば反応しません」
俺がそう答えると彼女はさあっと顔を青くする。
「お前、生き物だぞ...?これ以上強くしたらあざになるだろうが」
信じられないと言った顔をしてこちらを見る。それではまるで俺が非道な人間のようだ。
「馬の筋肉は分厚いので問題ありません。もう一度。」
俺がそう言うと彼女はもう一度ちょんと馬の腹にブーツを当てる。先ほどよりほんの少し強い気もしないではない。
馬はこちらをちらりと見やって「これってもしかして合図なの?」というような表情で一歩足を出した。そして「やっぱり違いましたよね?」とでも言うように足を戻す。
「...まだ強くしないとだめなのか?」
彼女は俺をおそるおそる振り向く。
「まだまだです」
俺が首を横に振ると、彼女は俯いて馬の首を撫でながらぶつぶつと何か呟き出す。
「嘘だろ...。船よりこんなに小さい体で人間を乗せてるだけでも不思議なのに、そんな力で蹴ったら可哀想だと思わないのか...生き物だぞ...」
何と言っているのかと思えばこの人は、あの巨大な戦艦とこの馬を比べているのか。確かに船に対して馬ではずいぶん貧弱な乗り物に見えるのかもしれないが。いつも堂々としている彼女にこのような面があるのは意外だった。
それから何度もやったが彼女は馬の腹を強く蹴ることはできず、見かねて俺が動かした馬の手綱を引くのも手加減しすぎて馬が木に激突しそうになったりと全くもって前途多難だった。
「わ、わあ!止まれ止まれ!」
「....ッ!!」
そして今も大岩にぶつかりそうになり、とっさに俺が手綱を引いてすんでのところで急停止し、彼女はへなへなと馬の首に体を預けた。
「だ、だめだ...乗馬...できない...」
「....ふ、ふふっ」
普段見ない彼女の様子に思わず笑いが込み上げてきて口を押さえる。こんなに笑わされるのは何年ぶりだろうか。ぷるぷると体を震わせて笑いを堪えているとキッとこちらを睨まれる。
「わっ、笑うな!あたしだって真剣なんだぞ!
でもこんな可愛い馬にそんな...!そんな痛そうな事できるわけないだろ!」
いたって真剣な目でそんな事を言う彼女がおかしくてたまらない。こらえきれず腹を抑えて震えていると彼女がこちらを肘でズンと小突いた。馬に対して俺には強すぎるのではないか。
「ゔっ!...失礼、あまりにも、意外な事を言うものですから...」
突かれた鳩尾をさすりながら笑みを堪えてそう答えると彼女はぷいと前を向き直す。
「もういい、あたしには馬の腹を蹴ったりなんてできない!乗馬は諦める!」
「それは...、これからも俺の前に座られるということで?」
俺がそう尋ねると、彼女は俯いたまま顔と耳を赤らめた。
「...しょうがないから座ってやる」
...可愛い。
つぶやいてむくれる彼女はきっと彼女にとってはこれも遺憾なのだろうが、なぜだかとても可愛らしい。不思議だ。女性に憎まれ口を叩かれて可愛らしいなどという感情を抱くなんて。
その可愛いらしさはあまりに衝撃的で、目の前にあるその体を抱きしめたいという思考にかられていやいや、と頭を振る。何を考えているんだ自分は。
「何ニヤニヤしてやがる!乗馬の一つもできなくて悪かったな!」
振り向いた彼女の悪態すらも今は一つも響かないどころか、ますます愛らしい。
彼女の言葉で自分の顔がにやけていることに気づく。急いで口元を抑えて元に戻すとごまかすように咳払いをして馬の足を進めた。
心臓がうるさく高なっている。
意外な面を垣間見たからだろうか。
何故だろう、彼女の事をもっと知りたい。