139.避暑地
※今回はミラ視点です
「なあ、あれ」
あたしは通りかかった扉の向こう、執務室で父さんに抱え込まれた母さんをくいっと親指で差す。
「なんです?いつもの光景ですけど」
ユリウスが首を傾げる。
父さんが執務室で書類仕事をする時に母さんを膝に抱き込むのは、物心ついてからずっと見慣れた光景だ。
サラサラと羽ペンを書類に滑らせていた父さんは、腕の中で本を読む母さんに愛おしげにキスを落とす。
母さんがくすりと微笑んで父さんの頬を撫で、父さんは満足そうな顔でまた書類へと視線を戻した。
...相変わらずうちの両親は仲がいいことで。
昔っからこんな感じで、父さんときたら屋敷の中ではここぞとばかりに母さんにべったりくっついている。
母さんはもう慣れているようで「はいはい」と笑って受け入れているけど、それにしたってよく耐えてるよなあ。
「前から思ってたけどさあ...。母さん、真夏なのにあんなにくっつかれてて暑くねーのかな」
そう、今は真夏なのだ。イズガルズの夏は涼しいと言っても今日の最高気温は30度。屋敷の中も暑いのである。
そんな中であのでっかい父さんに抱き込まれているなんて、絶対暑くてたまらないはずだ。
父さんはそんな事気にしないだろうけど、アレは相当辛くないか?
いくら母さんが父さんに甘いとはいえ、流石に止めてやった方がいいんじゃないのかな。
「ああ、まあ暑いでしょうけど母上が嫌がっていないのなら気にすることでは...」
「なあ母さんそれ暑くねーの?」
ユリウスが何やら言っているのを無視して、あたしは扉を潜って母さんに疑問をぶつける。
すると父さんが書類から顔を上げて眉を顰めた。
「父親を“それ”呼ばわりとはなんだ」
「いや、今叱られても怖くねーよ」
母さんを抱えた状態で睨まれたところで、威厳も凄みもへったくれもない。
「ってか、父さんもちょっとはくっつくの我慢したら?付き合わされる母さんが可哀想だろ」
「付き合わせてなどいないが」
「それはあんたの言い分だろ」
あたしが言い返せば、父さんは遺憾とばかりに眉を寄せる。
母さんはそんなやりとりに笑って、読みかけの本からこちらに視線を移した。
「ふふ、これが冷たくて気持ちいいんだよ。ここが屋敷の中で一番の避暑地なのさ」
「はあ?」
意味のわからないことを言う母さんに思わず怪訝な顔をする。すると父さんがにまりと口の端を上げた。
「魔法で俺の周囲は適温に冷えている。俺が妻に不快を強いる訳がなかろう」
「魔法ぅ?」
あたしが聞き返せば、父さんは自慢げに頷く。
母さんはまだ不思議そうなあたしを見ると、ちょいちょい、と人差し指で呼んで見せる。
「ここまで近づいて見たらわかるよ」
促されるまま父さんの机の前まで寄れば、ひやりとした空気が肌に触れた。
「うわっほんとにひんやりしてる!ずるいなそれ!」
暑い屋敷の中でもこんなに涼しくて快適だなんて、魔法ってのはどこまで便利なシロモノなんだ。
確かにこれは母さんが機嫌良く収まってる訳だ...。
「夏は冷たいし冬はあったかいからいいもんだよ。ミラもおいで、ほら」
母さんに手を広げられ、あたしは焦ってばっとその場から離れる。
「いかねーよ!子供じゃあるまいし!」
まったく母さんはあたしをいくつだと思ってんだか!
年頃なんだぞ!母さんの腕ならまだしも、父さんに抱きしめられるなんてまっぴらだ!
でもこの真夏にあの涼しさに包まれるなんて、正直羨ましい。くそ、あたしにも魔力さえあればおんなじことが出来たのに...。
あたしはそこまで考えて、はっと背後のユリウスを振り返る。
なんだ、ちょうどいいのがいるじゃないか!
「そうだ!おい、ユリウス!お前もどうせ出来るんだろ」
ユリウスはそれを聞くと、廊下から明らかな不機嫌な目を向けた。
「出来ますけど嫌です」
「なんでだよケチ!お前が厨房の開きの3段目に大事に隠して夜な夜なちょっとずつ食べてるクッキー缶がどうなってもいいのか!」
「なんでそこまで知ってるんですか!」
ふん、弟の隠し事をわからない姉がいるもんか!
まあ眠れない夜に厨房に向かうユリウスを見つけて、こっそりつけて行って気付いたんだけど。
そのあとバレないように一つだけ食べたけど、確かにめちゃくちゃ美味かったんだよな...。
絶対アレはルカーシュからエカテリーナの相手の礼で貰った王室御用達品に違いない。
「場所は割れてんだ。アレの命が惜しけりゃやるんだな」
意地悪な笑みでじりじりと歩み寄れば、ユリウスはわかりやすくどんどん青くなって行く。
「ご、極悪過ぎる...どちらにしろ俺のメリットが一つもない...!」
震える声で後退りするユリウスに、あたしはにやりと笑みを浮かべた。
————
「あーすずしー!これ最高だな!」
執務室の二人掛けのソファの上。
魔法を使わせたユリウスの背にあたしは半分乗り上げるように寄りかかって伸びをする。
「うう、重い...だから嫌だったのに...」
ユリウスは何やらブツブツ言っているが、知ったこっちゃない。あたしの快適の方が大事だ。
すると母さんがおもむろに本を閉じ、ひょいっと父さんの腕の中から抜け出した。
「ステラさん、どこへ」
「流石に冷えてきた。もう充分だよ」
名残惜しそうに手を宙に浮かす父さんは、母さんの言葉に焦ったような顔をする。
「でしたら魔法を切りますので...」
なんて言って引き留めようとする姿は、この国一の騎士団長らしさのかけらもない。
しかしそんな姿すら見慣れているあたしとユリウスは、またか、とばかりに本に視線を戻す。
すると母さんが一際優しげな声で父さんに笑った。
「ふふ、あったかいショコラでも淹れようかと思ってね。お前も飲むだろ?」
「!...ええ」
父さんは目を見開くと、立ち上がって嬉しそうに母さんの手を取る。
あたし達も母さんの言葉にばっと本から顔を上げた。
「うわ、いいなあ!母さんあたしのも!」
「母上、俺も頂いても?」
“真夏に涼しく冷えた中で飲むあったかいショコラ”なんて絶対格別に決まってる!
慌ててあたし達が声を上げれば、二人は振り向いてくすりと顔を見合わせた。
「はいはい、涼んで待ってな」
「せっかくだ。休憩ついでに菓子を出そう」
なんて微笑んで、睦まじげに階段を降りて行く。
戻ってきた二人は「ちょっと甘すぎたか?」「いや、このぐらいであれば」などと交わしながら湯気を立てるショコラをテーブルに並べる。
「昨夜のフール・サレが残っていて良かった」
「これ好きだよ。確かに塩気が合いそうだな」
あたし達の知らない時間の話をする二人に、なんだかちょっと妬けてしまう。
「ほら、ミラのぶん」
それでも柔らかく母さんに微笑まれて差し出されたカップに口を付ければ、そんな気も忘れちゃうほど甘くて幸せで。
ひんやり冷えた魔法に包まれて、クリームの乗ったショコラに、ちょっと塩気の効いた焼き菓子。
贅沢な時間で過ごす団欒は、なんだか特別で悪くなかった。
夏も終わるのにまだ暑いなあ、という事でセリウス達男性陣をひんやりクーラーにした家族団欒回でした。そしてヴェルドマン家の暑い日の過ごし方はこれが恒例に。
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