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138.姫君

※今回はユリウス視点です




 王宮の庭園はいつ訪れても美しく整えられ、季節の花々が咲き誇っている。


 姫殿下のお相手にと陛下にお呼び立てられた俺は、何冊かの本を片腕に抱えて殿下の待つ優美なガゼボの下へと足を踏み入れた。


 純白のティーテーブルにちょこんと掛けておられる小さな姫殿下こそ、今年で齢11才になられるイズガルズ王国は第一王女、エカテリーナ殿下。


 この国の王族の特徴である銀髪と紅い瞳は王妃殿下譲りの冷ややかな美貌も相まって、美少女ながらも近寄りがたい雰囲気を纏う。


「...今日も来てくれたのね」


 読みかけの本をぱたんと閉じて完璧に微笑む姫様にきっちりと礼をすれば、彼女は優雅に口元を押さえた。


「以前お話しした本をいくつかお持ち致しました」

「嬉しいわ。貴方の勧めてくれるものはどれも読み応えがあって気に入っているの」

「光栄にございます。前回の“光属性魔法における治癒浄化術実践書”は読み終えられましたか?」


「ええ、実に興味深かったわ。肉体治癒と穢汚浄化のアプローチの違いと、身体構造の把握と魔力診療による病状や損傷の可視化の重要性。その全てが実践として記述されていて実益的でいい本ね」


 淡々と難関な本の内容を静かに述べる姫様の言葉は、とても11歳の少女の言葉とは思えないほど大人びている。


 何を隠そう、エカテリーナ姫様は神童と名高きお方。まるで学者顔負けの頭脳の持ち主なのだ。


「お気に召されたようで何よりです。3章の“治癒と浄化の同時発動時による魔力構成の術式展開化”は実に面白い試みでしたでしょう?」


 なので俺も四つ年下であるからと言って、そのようには決してお話しない。聡明な姫様は子供扱いなど望んでおられない事は百も承知なのである。


「あの試みは確かに良かったわ。わたくしとしては同時発動時の魔力の偏りは光由来の特性が大きく出ていると思うのだけれど...」


 年上の俺に対し、議論や分析を次々に投げかけるお姿は実に生き生きとしてお可愛らしい。

 そんな姫様が俺と言葉を交わされ嬉しそうに小さく微笑まれると、俺の返答にご満足頂けているようで喜ばしい気持ちになるものだ。


 王陛下は冗談かいず知らず“ユリウスの元に嫁がせたい”だなんて仰っておられたが、意見交換に目を輝かせる姫様は純粋で美しく、とてもそのような邪な目では見れない。


 やはり俺にとって姫様は、“敬うべき小さな姫様”なのである。

 

 そうしていつも通りしばらくお話ししていれば、会話が落ち着いた途端、姫様は俺の事をじっとご覧になる。


 俺が不思議に思って首を傾げると、姫様はしばらく口を結んだ後、ぽつりと小さく溢された。


「...ユリウスも、こんな私のことが気持ち悪いかしら」


「それは...どういう事です?」


 予想だにしない言葉に俺が驚いてる聞き返すと、姫様は少しだけ視線を下げる。

そして震えた唇がおずおずと言葉を紡いだ。


「...学園の、同い年の子達はわたくしを変だと言うわ。よくわからない事ばかり言う、と」


「わたくしは子供らしくなくて、笑っても怖いのですって。“何を考えてるかわからなくて気持ち悪い、あれは皆を見下してる顔だ”って、階段下で言うのを聞いたわ」


「...お友達だと、思っていた子も、その場にいたの」

 

 ぽつぽつと溢しながら、本に落とされた姫様の紅い瞳はじわりと雫を纏って揺れる。

 その表情はまるで精巧な人形のようにほとんど変わらない。だが、姫様は確かに深く傷ついておられた。


 姫様は物心が付いた時から常に明晰な頭脳を持って大人びた受け答えをし、ひやりとしたお顔立ちは感情を表に出されない。


 しかし姫様はどんなに賢くとも、まだれっきとした11才なのだ。同じ学園に通う子供達に嫉妬混じりに揶揄をされ、心を痛めないはずがない。


「...お辛い思いをされましたね」


 俺は恐れ多くも姫様の瞳をじっとみつめて、ゆっくりと真摯に唇を開いた。


「俺は凡弱な人間の一人ですが、姫様が気持ち悪いなどと、一度たりとも感じた事はございませんよ」


「むしろ、姫様を誇らしく思っております」


 それを聞いた姫様は、さらに唇を結んで瞳に涙を溜め込む。


「でも、わたくしにあるのは頭だけだわ。お父様みたいに優しく笑えないもの。...お母様みたいに、楽しくお話できないもの」


 言葉を紡ぐたびに姫様は涙声になり、か細く声を震わせる。


「弟たち...エイリークやミハイルみたいに...子供らしく、なれないもの...」


 そしてついに、ぽろ、ぽろ、と涙を零す姫様はぎゅっと両手を握りしめて俯かれた。


 俺は小さな姫様の涙に胸が痛むのを感じながら、懐からシルクの手拭いを差し出した。

それから、姫様を見つめて口を開く。


「姫様...。恐れながら、それは間違いにございます」


「間違い...?」  


 大きな紅い瞳から涙が溢れては伝い、頬を濡らす。

こちらに顔を上げた姫様の幼い泣き顔に、俺は耐えかねて手ずから手拭いをそっと押し当てた。


「...確かに、今のご学友達は姫様のお話にもついていけず、お気持ちにお気づきにもなれないでしょう」


「しかし、それは姫様が変であるとか、子供らしくないからではありません」


 押さえて受け止めても、止めどなく落ちる涙が沁みていく。俺は姫様に視線を合わせて静かに問いかけた。


「...姫様は、ご学友がどこまでご自分のお話を理解できるのかご存知ですか?」


 姫様はしゃくり上げながら、ふる、と首を横に振る。


「だからなぜご学友がご自分のお話を理解できないのか、わからないのではありませんか」


 今度はこくりと頷いて、姫様は視線を落とす。

俺はそんな姫様の涙をまた押さえて、諭すように声をかけた。


「...もしも姫様が大人であれば、11歳の子供がどの程度の理解力を持っているか分かります。そして、難しい言葉を子供の言葉に合わせる事もできたでしょう」


「しかし幼い姫様はそれがまだわからない。お話もうまく出来ずに誤解され、傷ついておられますね」


 姫様は落ち込んだようにしょんぼりと頷く。

俺は手拭い越しにそっと顎を持ち上げると、なるべく優しく赤い目を見つめた。


「それを“子供らしさ”と言わずなんとしましょう?子供なのだから、完璧にできなくて当たり前ではありませんか」


 俺の言葉に姫様は驚いたように目を見開く。

俺はその目がこちらを見ている事を確認して、言い聞かせるようにしっかりと言葉を紡いだ。


「それから、誰がなんと申されようと、姫様の笑顔は天使のようにお可愛らしい事をこの俺が保証致します。異論は決して認めません」


 すると姫様の頬がじわりと染まり、同時にまた目尻に涙が溜まった。

 俺は姫様がまた泣いてしまわないように言葉を続ける。


「姫様。一臣下としてご提案申し上げます」


 涙を溜めたまま、姫様が目を丸くする。


「俺がお助け出来うる限りの事はたった二つ。姫様にそれをお選びいただきたいのです」


 いっそう真面目な顔をして告げた俺に、姫様はしゃくり上げながら「なにを選ぶの」とお返しになられる。

 俺はそんな姫様に、真剣な表情を変えずに堅く言葉を紡いだ。


「ひとつは、陰口を言った輩を俺が斬り伏せるのをお許しいただくこと」


「もうひとつは、“頭の足りない凡弱共にも伝わる易しい話し方”を俺と練習してみること」


「...俺はどちらでも構いませんよ」


 最後にそう言って微笑めば、姫様は小さく息を飲む。

そして溜め込んだ涙をぽろぽろっと溢して、ふわりと柔らかく頬を綻ばせられた。


「っ...ふふっ、...あなたが斬り伏せるなんて言うなんて」


 そしてしばらく肩を震わせ後、こちらを見上げられた。



「...では、練習に付き合ってくれる?ユリウス」



 俺を見上げる涙に濡れた笑顔はいじらしく、まさに年相応の少女そのもの。ようやく自然に笑えた彼女に安堵しながら、俺は恭しく胸元に手を当てた。


「仰せのままに、姫殿下」





————



おまけ


※前半セリウス視点、後半ステラ視点です



 夕暮れの執務室。

いつも通り職務を終えた俺が書類を纏めていると、コンコン、と扉が叩かれる。


「リュシアンです。軍備の申請書類をお持ちしました」


 静かに扉を閉めて入って来たのはファビアンの一人息子、リュシアン・ラングロワ。

丁寧に各騎士団ごとに書類を分け、未処理の束の上に整然と重ねていく姿は悔しい程にそつが無い。


 明るい金髪はふわりと優雅な癖を描き、琥珀色の瞳は16才らしからぬ落ち着きと知性を感じさせる。

そんな彼の瞳を熱を帯びた視線で見つめる娘の姿を思い出し、俺は気付けば口を開いていた。


「...貴様、ミラに瞳の色を贈ったそうだな」

「ええ、贈りました」


 にこり、と笑うリュシアンは俺相手に怯えもせず、なおさら腹立たしい。


「どういうつもりだ」


 あえて低く問えば、彼は細めた瞳からこちらを見据える。そして胸に手を当てて真っ直ぐに笑顔を向けた。


「団長殿のお嬢様を本気でお慕いしておりますので、できる事をしておこうと。奥方様を射止めた団長殿ならお分かりでしょう?」

「......」


 妻の事を持ち出されて、思わず言葉に詰まる。

過去の俺は彼女を振り向かせる事に必死で、隙を見つけるたびに出来る限りのアプローチを繰り返していた。男としての行動原理は同じである。


 リュシアンはそんな俺を見て言葉を続ける。


「可愛らしいお嬢様を狙う男共は多い。貴族令息のみならず、異国の商人の息子や海賊仲間まで」


「こう見えて僕は負けず嫌いなんです」


 深い琥珀の瞳が、捕食者のようにぎらりと光った。

俺はそんな彼がますます気に入らず眉を寄せる。


 リュシアン、こいつははたから見ていても一挙一動に令嬢達の人気を集めて回っている。女を選ぶ事には事欠かず、ミラは幼馴染とはいえリュシアンを好いていることは明らかだ。


 だが娘はただの少女では無い。こいつはその事をわかって、心を縛るようなものをあの子に与えたのだろうか。


「...娘は海賊だ。屋敷を開けるのは長く、ひとつ所に留まれず、ましてや令嬢のようには振る舞えん」


 試すようにじっと睨めば、彼は今までの笑みを消し去る。そしてこちらを真剣に見つめ返した。


「団長殿はその理由で奥方様を諦められましたか?」

「否だ」


 挑まれるような視線に思わず即答してしまってから、しまった、と彼を見る。

リュシアンはまた嬉しそうに頬を綻ばせた。


「そうでしょう。そんな事などどうでも良くなる程に、お嬢様は魅力的なのですから。僕はミラを振り向かせ、願わくば我が手にしたい」


「...!」


 俺の前で堂々とそう言ってのける彼に目を見開くと、リュシアンは俺を追い詰めるように歩み寄る。


「それに貴族令嬢の何が良いのですか!彼女ほど可愛らしい女性はおりません」

「貴様...ッ!」


 思わずガタンと立ち上がる俺に、リュシアンは挑戦的に口の端を上げた。



————


 


 夕暮れは落ちて空は翳り、そろそろセリウスの仕事が終わる時刻となった。

 王都に訪れていたあたしがミラを連れて兵舎の廊下を歩んでいれば、なにやら静かに口論するような声が執務室から聞こえてくる。


 低い声の主は、間違いなくセリウスだろう。

そしてそれに対するこの声...まさかリュシアンか!?


 なんだか嫌な予感がする。

 そもそもあれほど二人の関係に眉を顰めていたセリウスの事だ。リュシアンの余裕めいた振る舞いに、ついにミラの事で正面衝突してしまったのでは!?


 魔法騎士とは礼儀正しく無害に見えて、意外に短気で攻撃的な生き物だ。一度ぶつかって実力行使に出れば、親友の息子とはいえどうなるか。


 あたしとミラは顔を見合わせて、二人を刺激しないよう執務室の扉をそっ...と開く。



 するとそこには、意外すぎる光景が広がっていた。


「そもそもですよ!」


「最初から大人しくしおらしい令嬢達などあまりにもつまらない。あの憎まれ口や反抗こそ愛おしいと思いませんか」

「その通りだ」


 長机に腰をもたれかからせて並び立ち、両手を広げて力説するリュシアンと頷くセリウス。


「常に強気で堂々とした彼女が自分の前でだけしおらしくなる、あれがいいのではありませんか」

「言えている」


 リュシアンはいつになく情熱的な目で語り、腕組みをして頷くセリウスも妙に相槌に熱がこもっている。


「そして反応を崩すのは己のみと感じた時の快感と来たら...」

「ああ、頬を染めて俯く姿を引き出せた時はまさに...」


「あの昂ぶり、そして高揚感。これに勝る幸福などありましょうか!」

「分かるか、この気持ちが...!」

「これ以上なく分かりますとも!」


 そしてしばらく互いに沈黙の後、がしりと硬く手を握り合うセリウスとリュシアン。

まるで同志を見つけたかのような眼差しである。


 大真面目に視線を交わし、何を言ってるんだこいつらは。心配したのが馬鹿みたいじゃないか。


 あたしとミラは思わず呆れて扉を開け放つ。


「お前ら、そんな風にあたし達を見てたってわけ」

「...さいてー」


 二人はハッとしてこちらの存在に気がつくと

「あ、いや、これは...」

などと、もごもごと気まずそうに誤魔化した。




姫君エカテリーナはルカーシュの頭脳とエレオノーラの顔立ちを引き継いで不器用な才女でした。ユリウスはまだ11才の彼女に恋愛感情よりも主君としての敬いを感じ、エカテリーナはユリウスの優しさに心を動かされ...? そんな真面目なやり取りをしているのにセリウスとリュシアンはまさかの性癖で意気投合。推し語りをしていてドン引きされるのでした。


いつもリアクションが大変励みになっております!

お読みいただきありがとうございます!

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