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133.母娘として





 その日はセリウス達が仕事で居らず、あたしはミラを連れて王都へと訪れていた。



 活気のある王都は多くの人々が大通りを行き交い、数えきれないほどの店々が建ち並ぶ。


 アガルタの脅威も減り、ミケリアとセルデアとの国交回復のおかげで経済の回りも向上するばかり。

自分が子供の頃よりもさらに華やかとなった王都の繁栄は、間違いなくルカーシュの政治力の賜物だろう。


 賑わう通りを抜けて裏路地の夜街へと足を進め、高級娼館の裏口を開く。すると見覚えのある女達があたし達を振り返って駆け寄った。


「あらステラじゃない!」

「ミラもよく来たわねえ!」


「マチルダは息災か?足りない物があれば言ってくれ」

「ママはまだまだ元気よ〜!」

「ねえ聞いて!この前の紅、ローズに貸したら取られちゃったのよ。また仕入れてくれない?」

「構わないよ。真珠粉の入ったやつだったな」


 そんな言葉を交わしている隣で、ミラは目を輝かせて女達の姿にきょろきょろと大きな目を動かす。


「デイジーのドレス、すっごく綺麗だなあ!リリーの髪飾りも、マーガレットの化粧もきらきらしてて...!」

「うふふ、ミラも着てみたい?」

「着たい着たい!」

「ねえステラ、いいでしょ?」


 女達とミラに期待を込めた眼差しで振り向かれ、あたしはやれやれとため息をつく。


「ちょっとだけだぞ。帰りには化粧も落とすからな」

「やったあーっ!」


 しばらく事務所でマチルダと近情報告をしながら待っていれば、女達の黄色い歓声と共にミラがパウダールームから現れる。

 白髪の混じった赤毛を纏め上げたマチルダは、重い身体をゆっくりと向けて頬を綻ばせた。


「おやまあ、さらに瓜二つになったねえ。これはいい女になるよ」

「えへへ。なあ見て母さん、この瞼!お姫様みたいだろ?」


 自慢げに瞬きをしてあたしを見上げるミラは確かにとても可愛らしい。金の輝きを纏った瞼に、少女らしくふわふわとしたオレンジ色の短いドレス。長い足がくるくるとその場で回って、白く若い肌を見せつける。

 

「...ああ、可愛いよ。本当にお前は可愛い」


 あたしはそう言いながらミラに優しく微笑みかける。


 この子は見た目もさながら、自然と誰もを惹きつける愛嬌と魅力を持っている。


 だからこそ、夜会では“大丈夫だよ”なんて言ったものの、愛しいこの子を危ぶむセリウスの気持ちがよくわかる。まだ純粋で輝くようなミラが、ずっと明るい場所にいて欲しいと願わずにいられない...。


 ...ならこれは、母親(あたし)の仕事だろうな。


 あたしは意を決して、華奢な両肩をぐっと抱き寄せる。

もうデビュタントも済ませたんだ。これから“女”になっていく事を認めて教えておこう。


 ...実際に怖い思いをしてからじゃ遅いんだ。


「お前が誰よりも可愛いからこそ、話すべき事がある。もう年頃だからいいタイミングだろう」


 金の瞳をじっと見つめると、ミラは困惑したように少したじろぐ。


「マチルダ、この場を借りるよ。ついでにあんたからも話してやってくれないか。包み隠さずにな」


「いいともさね。こういう事を話すには、ここほど打ってつけの場所はないだろう」


 マチルダがキセルをカン、と打って頷くと、ミラはますます首を傾げた。




————




「...つまり男ってのはそういう欲求があって、娼館はそれを発散する場所なのさ。ここにいる娘達はそうして稼いでんだ。煌びやかで楽な仕事じゃないんだよ」


「...っ」


 マチルダの静かな言葉にミラは息を飲む。

あたしもそんなミラの目を見て、言い聞かせるようにゆっくりと告げた。


「ここの男は金を払うが、世の中には自分の欲だけ満たしたい男も溢れてる。無理矢理手籠にされたら、女は痛いだけじゃ済まない」


「女として生きるって事は、同時に危険が付き纏う。あたしも今まで何度も怖い思いをして来たよ」


 あたしとマチルダに“現実的な性知識と男の危険性”について教えられたミラは、ぱくぱくと口を動かして呆然とする。


「そ、そんな怖いコトで...、こ、子供ができちまうってワケ...?男はそれがしたいもんなの...?」


「そうだ。だからお前は今まで船員や家族から護られて来た。大人になれば自覚して、自分の身は自分で守れるようにならなきゃならない」


 あたしが告げるとミラは分かりやすく顔を青くする。それからあたしの顔を見て、心底怯えたように声を震わせた。


「で、でもさ...。それってさ...、そんな怖いの、母さんもしたって事だよな...?」


 ...やっぱりあたしの話になるか。

思わず怯みそうになるが、ここまで言ってしまってから隠すのもおかしな話だろう。

 あたしは少し伝え方を考えてから口を開く。


「...世の中の母親は皆“そう”だ。犬も馬も全部な」


「ただ、それは自分が子を産みたいって思えた相手だからだ。そのために自衛するんだよ」


 こくこくこく、とミラは必死に頭を上下に振る。

そして青くなったまま「...男ってこえーんだな...」と小さく溢した。


 そんな姿を見て、マチルダが目尻の皺をさらに深くした。


「...とまあ脅かしたが、人間の愛情表現でもあるからねえ」


「それに、騎士団長様みたいに誠実な男もちゃんといるんだ。そういう大事な相手のためにとっとけってだけの話さ」


 ぷか、と煙を吐いてからりと笑うマチルダに、ミラは不思議そうな顔をして「愛情表現...」と繰り返した。


「そう。本来、望んでいる相手となら幸せなことでもある。ただ、それを強いられるんじゃなくて、選べるようになれって事だよ」


「...母親として、お前には幸せな経験であってほしいからさ」


 あたしが頭を撫でて微笑めば、ミラは少し肩にこもっていた力を緩める。そしておそるおそるあたしをじっと見つめた。


「...母さんは、父さんとは幸せなの...?」


「っ...!」


 ミラの言葉があまりに直球過ぎて言葉に詰まる。

あたしはじわりと頬が熱くなるのを感じながら、あえて目を逸らした。



「...じゃなきゃお前は産まれてねーよ」





————




 ドレスから普段着に着替えさせ、化粧を落としたミラを連れて馬車へと続く路地を歩く。


 すると後ろから走ってくる何者かの気配を感じて、あたしはミラの身体をすっと右に抱き寄せた。


「っとと、うわあっ!!」


 叫び声を上げてつんのめった何者かが、びたん!!とミラのいたところに倒れ込む。


 石畳に両手を伸ばして倒れているそいつを見下ろせば、おそらくミラと対して歳の変わらない少年のようだ。


「おいアスラ!いきなり走んな!」


 聞き覚えのある声に振り返れば、薄紫の三つ編みを靡かせルドラーが慌てて駆け寄ってくる。


「ルードじゃないか。なんだこの子は」


 あたしが声を上げると、ルドラーはぱっと顔を明るくして笑みを浮かべた。


「ステラ!いやあね、最近うちの組に拾ったんだけどすげー跳ねっ返りでさあ。名前もあげたのに逃げ回って困ってんの」


「おいこら、良い加減起きなよアスラくん」


 つま先でちょんちょん、と蹴られた少年が

「アスラじゃねえ!!俺は“アーサー”だし、組に入ったつもりもねえよ!」

 なんて怒鳴りながらがばっ!と起き上がった。


 さらりとした薄青の髪に、少し吊り上がった青紫の瞳の美少年。その上、孤児として拾われたのに組から逃げ回っているとは。

 どこかルドラーの少年時代を思わせる彼にあたしはへえ、と口元を綻ばせた。


「なんだか出会った頃のお前に似てるな。気概のありそうな子じゃないか」


 そう言われたルドラーは、思うところがあるのか照れくさそうに首の後ろに手を当てる。


「...似た境遇っていうか、ちょっと弟に顔も似ててさ。拾うつもりなかったのに、ボロボロでなんか見てらんなくてね」

「誰が弟分だ!!はいんねーっつってんだろ!!」


 キャンキャンと喚く少年の頭を上から抑えながら、ルドラーは「はいはい、ちゃんと挨拶しよーね」なんてさらりと流す。


 少年は不機嫌な顔のまま鮮やかにくるんと回され、目の前で向き合ったミラがたまらず吹き出した。


「ふふっ!懐かねえ猫みてーな顔!」


 けらけらと笑い出すミラの言葉が妙に言い得ていて、あたしもつられて笑ってしまう。


 いきなり笑われた少年はミラの顔を呆然と見つめて黙り込んでいる。

まあ驚きもするだろうな、そろそろ嗜めるか...と口を開こうとしたその時。


 少年はミラの両手をぎゅっと握りしめた。


「君、名前は?オレは“アスラ”、12歳」


「いずれ鴉でトップになる男なんだけど、よかったらお嫁さんにならない?絶対後悔させないからさ」


 いきなり何を言い出すかと思えば。


 ついさっきまで“組に入らない”なんて叫んでいたくせに、なんつう調子のいい子供だ。

どっかの目の前にいる誰かさんを思い浮かばせる。

...なんて呆れた顔をしたその瞬間。



パァンッ!!



 こ気味良いくらい高く澄んだ音を立てて、ミラが少年の頬を思い切り張り飛ばした。


「あたしの身体に気安く触れんな。安い口説きでどうにかなると思うなよ!」



 そう言い退けたミラは、あたしを見上げて

「できた」とばかりに褒められたそうな顔をする。


 いや確かに自分を守れとは言ったが。初対面でいきなり振りかぶって平手打ちたあ可哀想に...。


「やり過ぎだ。少年、アスラだっけ?悪かったな...」


 あたしが頬を痛めただろう少年を気遣う。

しかし見下ろした少年は、頬を押さえたままなぜか真っ赤になって恍惚とした表情を浮かべていた。


「...かわいい...」


「は?」


「...怒った顔も可愛いなあ...」


 はたかれた頬を撫でさすってうっとりと見つめられ、ミラが「な、なんだこいつ」と怯えて後ろに引き下がる。


 その途端ルドラーが青くなってガッと少年の肩を掴み、ゆっさゆっさと揺さぶった。


「ダメだ!お前この子だけはやめとけ!!絶っっっ体つらい思いしかしないから!ホント悪い事は言わないから!」


「うるせーな、人の恋路の邪魔すんな拗らせジジイ!」

「あ"あ"?俺は流行りのイケオジだろうが!」


 言い争う二人がなんだか本当の親子のようで、あたしは耐えきれず肩を震わせてしまう。


「ふふっ、本当によく似た子を拾ったもんだ。隠し子じゃないのか?」

「「どこが!?似てないし!!」」


 振り向いて同時に叫んだ二人にまたくすくすと笑えば、ルドラーはあたしの顔をじっと見つめて薄紫の瞳を切なく細める。


 それからあたしの肩をそっと抱いて、いつもの感情の読めない薄ら笑いを浮かべた。


「...でさ、ステラ。そろそろアイツに飽きた頃でしょ。ボスになった俺に嫁ぐ気ない?」

「んー、ない」


 ポン、と軽く突き飛ばすあたしにルドラーは

「よく考えて?俺ならステラがしわっしわになってもずーっと愛してるよ?」

なんてしつこく食い下がってくる。


「唆られねえ口説き文句だなあ」

「じゃあやり直すね。俺なら永遠の愛を誓うよ?」

「二番煎じだし、ちょっと文字数足りねーな」

「けっ、クソ騎士団長め。ていうか足りないってどんだけクサい台詞言ってんのあいつ!?」


 慣れた様子で躱していれば、あたしの後ろに隠れていたミラが「なるほど、こうすんのか...」と納得するような顔で呟いた。






“女の子”として生きていくのなら、と自分の母と違ってちゃんと教えた上で危険を回避させたいステラ。そして危機回避しよう!と意気込んだミラに引っ叩かれたアスラ少年は、ルドラーに似た執念深さで裏社会への素質がありそうです。

セリウスが知ったら青筋を立てる事間違いなし。


いつもリアクションが大変励みになっております!

お読みいただきありがとうございます!

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