132.余韻
机の上に山積みに買った本をかたわらに、あたしはケーキを小さく切って頬張り、熱い珈琲を傾ける。
「はあ...しあわせだ...」
思わず目を瞑ってため息をつけば、セリウスがくすりと微笑んだ。
「味の差は感じませんが、そうまで言われると甲斐がありますね」
「つくづく残念な舌だねえ」
呆れつつも笑えば、彼は「安上がりでは」と口の端を上げて見せる。
割と今までこいつには世界各地の質のいいものを飲ませてきた筈なのだが、茶葉の違いも気付けないどころか、東国の麦を炒った茶や発酵茶を飲んで「えらく薄い珈琲ですね」なんてのたまうほどなのだ。
高級店の食事も形式的に名前を覚えているらしいものの、感想はいつも「美味ですね」だけ。
塩味のみの質素な食事で育てられた彼にとって、食事とは“肉体形成の為の栄養摂取”であり、興味を持つのが遅すぎたのだろう。
「お前って何食っても“美味”か“それ以外”の二択だもんなあ」
「俺はどうにも舌が乏しいようで。貴女は複雑な味まで楽しめるのが羨ましい」
セリウスは辛いもの、酸っぱいもの、苦いものが大概苦手で、それが組み合わさるとおもしろいほど渋い顔をする。
だが育ちの為かどんなに不味かろうと吐き出すような真似は絶対にせず、えずいてでも必死に飲み込む。ただただ耐える姿は不憫でなんだか可愛いらしいので、ついこちらも調子に乗ってしまうのだが。
「でもお前、意外に菓子は好きだよな。色々作るし、土産菓子も割と“美味”判定が多いし」
「甘みはわかりやすいですから。まあ、程度にもよりますが」
それなりに好評だった土産はナツメヤシやショートブレッド、切り株のような焼き菓子など。甘ったるいキャラメルやヌガーなんかは好まないようだが、菓子は彼のアタリを引きやすい。
特に、東国の“ヨーカン”という豆菓子を出した時は「重くなくていい」とかなり気に入ったようで、珍しく「またあれを所望しても?」なんて言うから驚いたものだ。
「ここのケーキも悪くない。濃い珈琲に合いますね」
「おや、食べ合わせに言及できるようになったなんて成長したな」
「おそらく貴女のおかげでしょうね。今となっては、油物にエールがないと少し物足りない」
パブや家での晩酌に付き合ううちに、いくらか酒と肴にも味覚が開き始めているらしい。あたしはなんだか嬉しくなって彼の鼻をつついた。
「ふふ、ずいぶん大人になったもんだ」
するとセリウスは口の端をにまりと上げる。
「ようやく俺を大人と認めて頂けるのですか」
なんてわざとらしく余裕の笑みを浮かべて見せるので、少し悪戯心が湧いてしまう。
「そうだな、そろそろ甘やかしも卒業するか」
「っ!」
あたしがさらりと告げてカップを口に付けると、彼は打って変わって焦ったように目を見開いた。
それからあたりを見回してから小さな声で
「...それは、困ります」
なんてあたしの目を見るものだから、思わず吹き出しそうになってしまう。
「ふっ!くくっ、...じゃあ永遠にガキンチョだな」
「甘んじて受け入れましょう」
まったく、なにが“甘んじて”なんだか。
「俺はいくつになっても甘えん坊です、の間違いだろ」
「...ッ、声が大きい...」
————
「ふふふ、懐かしい本がこんなに...」
あたしは馬上で体の前に抱えた山積みの古書の包みを撫で、にまにまと上がりっぱなしの頬を抑える。
最初はセリウスと会話をしていたものの、途中から夢中で読み込んでしまったというのにまだまだ分厚くページが残っているのだ。
店内のひしめく本棚にもまだ見れていない所が多く残っていたから、絶対にまた連れて来てもらわなくては。ああ、考えるだけで楽しみだな...。
「よくもあれだけの文字量を楽しげに読めるもので」
後ろのセリウスに半分呆れたように笑われ、あたしは振り返って彼を見上げた。
「実際、本は別世界に旅するみたいで楽しいよ」
「お前もたまには読書でもしてみたらどうだ?見た目はあたしよりよっぽど似合うだろ」
彼の落ち着いた風貌で本でも開けば、さぞ知的な雰囲気で魅力が増すことだろう。おそらくアイザックの陶酔も3割り増しだ。
しかし彼はあたしを見下ろして渋い顔をする。
「仕事で大量の文字に向き合っておりますので、これ以上は。眉間の皺がさらに深まっても困ります」
「あはは、それが原因かよ。て言っても、もう17年目じゃ慣れたもんだろ」
「いえ、未だに難解な書類に当たると思考停止しますよ」
彼が書類を持ち上げて眉を寄せ、じっと目を凝らして疑問符を浮かべる姿がありありと想像できる。
思わず笑ってしまったあたしに、セリウスも釣られたように笑みを漏らした。
「本については、貴女が読む方がいい。俺はそれを見ていますので」
軽くあたしを抱きしめて髪にキスを落とす彼の言葉がくすぐったくて、肩をすくめる。
「ふふ、ったく何が面白いんだか」
「...でも、連れて来てくれてありがとな。なおさらこの国に早く帰りたくなっちまうよ」
彼を見上げて笑えば、セリウスは満足そうに口元を綻ばせた。あたしはそれを確認すると、前を向き直して本の包みをまた撫でる。
「ユリウスにも教えてやりたいな、あいつも本が好きだから」
「おかげで魔法の仕組みを学術的に尋ねられて困ります。俺は感覚派だと言うのに」
「ふふふ!お前、魔法も脳筋なのか」
「その点、ミラはやり易い。一目で剣技を覚えられるのは癪ですが」
「逆に遺伝しちまったなあ」
彼の言葉にくすくすと肩を震わせていれば、石畳の道の先から見覚えのある馬車が現れる。
艶やかな大きな車体に金で描かれた馬と剣が交差する紋章、それを引く二頭立ての漆黒の巨馬...あれはうちの馬車じゃないか。
ちょうどミラとユリウスも王城から戻って来たのだろうか。それにしては方向が逆向きだが。
馬車はこちらのすぐ横で停車すると、こちらに会釈する御者によって扉が開かれる。
おそらく子供達が笑顔で出てくるのだろう、と思いきや、背の高い男が優雅にその場に降り立った。
「やあ、お二人とも。デートは楽しかったかい?」
長く編み下ろした銀髪に、額に沿う繊細な白銀の冠。イタズラっぽく細められた紅い瞳。
「ルカーシュ!?」「陛下!?」
思わず声を上げたあたしたちに、ルカーシュはにこやかに笑みを浮かべる。
「ちょうど観劇帰りでしてね。やはり何度見てもいい出来です」
「そして新規の反応というのは、実に素晴らしい」
うちの馬車で観劇...新規...、まさか!?
焦って馬車の中を覗き込めば、うちの子たちが気まずそうな笑みでぎこちなく
「ごめん、観ちゃった」
「...すみません」
なんてあたし達から目を逸らした。
「み...ッ!?」
「観せたのか!?アレを!?」
「観せました。せっかくなので貸し切りで」
にっこりと満面の笑みで微笑むルカーシュに、セリウスは石像のようにガチンと固まり、あたしはさあっと青くなる。
嘘だろ!?あっ、あれを、あんなものを我が子に観られちまう日が来るなんて...!!
つーことはあの告白とか、あのバルコニーのやりとりとか、あの最後の口付けとか色々が全部...全部、余すことなく子供達に知られてしまったってわけか...!?
途端に血の気が引いていた肌が燃えるように熱くなり、自分が赤くなっていくのが嫌でもわかる。
「...なっ、なっ...、なんつーことしてくれてんだ!!!おい二人とも今すぐ忘れろッ!!いいな!?」
詰まりながらなんとかそう叫ぶも、ミラとユリウスが
「いや無理だろアレは...」
「...右に同じく」
と返してくるので耳まで熱い。
ルカーシュはおかしくてたまらないとばかりに口元を押さえて震えている。このクソ国王、またクーデターでも起こしてやろうか!
ああくそ、最悪すぎる...!
ただでさえ色々あたし達のものが溢れる王都で、今までなんとか隠し通して来てたってのに...!!
「まあ、でも、二人ともすげーんだってことはわかったよ」
「ますます誇らしく思います」
ちよっと照れたように頬を掻くミラと、真面目にこっちを見つめてくるユリウス。
ううう、やめろ二人とも...!!そう言うのが一番効くんだ、そんな純粋な目でこっちを見るな!!
「そっ、そうか!そりゃ良かったな!じゃ!!」
子供達の視線に耐えきれず、あたしはそう言うとセリウスの固まった右手を思い切りバシン!と引っ叩く。
「いつまで固まってんだ、帰るぞセリウス!!」
はっとしたセリウスが慌てて頷き、手綱を引かれた馬が嘶いて勢いよく走り出す。だが逃げ帰ってもどうせ屋敷だ、子供達とまた顔を合わすことになる。二人の前でどんな顔をしろというのか。
「ど、どうしよう...どうしたらいい!?」
「ひ、久々に光学迷彩でも使いますか...!?」
「アレは一晩持たねえだろうが!」
屋敷に向かって馬を走らせながら、あたし達はひたすら現実逃避の策を探すのだった。
幸せ書店デートから一転、合流してめちゃめちゃ動揺からの本気で逃げたい二人でした。
この後、夕食の席で子供達から「実際母さんってどこから父さんが好きだったの?」「あの後どうやって結婚を?」など質問攻めに遭い、二人して赤面して黙り込みます。そしてまたルカーシュに聞きに行って「婚約決闘...!?」「やっべえ...」となる双子。
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