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129.幸福な朝

※セリウス視点です




 甘やかなネロリの香りに包まれ目を覚ます。


 鼻先にくすぐる髪をふわりと撫でて視線を下に下ろせば、閉じた長い睫毛にやわらかな唇、覗く豊かな白い胸元。俺は赤い痕が残る彼女の肩に毛布を掛け直し、そっと起き上がった。


 枕に広がる夕焼け色の髪は柔らかで、小さく寝息を立てるステラさんはあの頃から変わらず美しい。

 

 思い返せば、初めて港で言葉を交わしたあの日。

俺は彼女を年下であると思い込み“娘”と呼び掛けた。


 その後、やむなく気絶させた彼女が鑑定結果で俺より四つも年上であった事を知り、寝顔と書類の文字を見比べて“やってしまった”と思ったものだ。

 呼びかけただけで彼女にあれほど凄まれたのは俺の無礼ゆえであったか...と内省し、慌てて言葉を改めたことを思い出す。


 そんな彼女は未だ俺と並び立っても年相応にはとても見えない。


 三十路になった俺が眉間に皺が刻まれ目元が窪みますます威圧感を増すのに対し、彼女は依然はつらつとして若々しいままだ。


 しいて変化を挙げるなら二重が広がり溝が深くなったが、むしろ瞬くたびに妖艶さを増して悩ましい。

 本人は“出産したら尻がでかくなった気がする”と落ち込んでいたが、すらりとした脚に程良く肉感が増して俺としては好ましいばかりだ。


 ...こう言うことを漏らすとまた“ヘンタイ”と睨まれてしまうだろうか。


 そんな事を思いながら頬を撫でれば、彼女は小さく微笑んで頬を擦り寄せる。

 俺は口元が勝手に緩むのを感じながら、唇に触れるだけのキスを落として静かにベッドから足を下ろした。


 枕元に置いた銀のボウルで軽く顔を洗い、着慣れた訓練着に袖を通して壁に掛けた剣を取る。


 それからシーツの中で微かに上下する愛しい膨らみを見つめ、そっと寝室の扉を閉めた。


「おはようございます、父上」


 廊下の先から同じく訓練に起きてきたユリウスに声をかけられる。昔はこの時間に起こしてもまだ眠そうな目を擦っていたものだが、すっかり習慣付いたものだ。


 挨拶を返し共に階段を降りると、並んで訓練場へ足を運ぶ。


「母上はまだ眠っておられるのですか?」

「そうだが、どうした」


 彼女が起きるのは1時間後だ。この時間に眠っているのは普段通りなのだが。尋ねるユリウスに俺は首を傾げた。


「いえ、昨夜眠れず厨房に降りたら母上がいらして」

「!」

「共に紅茶を頂いたのですが、汗だくなのにガウンを着込んでおられたので風邪でも召されたかと...」

「っ...」


 それを聞いて思わず言葉に詰まる。

おそらく俺が力尽きた後で喉を潤しに降りたのだろう。ガウンを羽織るようにと普段から口煩くしていたおかげで、見られなかったのは幸いだったな...。


「父上?」


 ユリウスに見上げられ、一瞬の内に慌てて思考を巡らせる。


「...熱はなかった」


「寝覚めが悪かったのだろう。後で労っておくから案ずるな」


 彼女が起きれば治すのは事実だ、嘘は言っていない。ユリウスが「そうですか」とほっと息をついたのを見て、俺も内心で同じく息をついた。




 ユリウスは俺の魔力を全て受け継いだゆえに、俺の魔法攻撃に正面から直接対抗できる唯一の人間である。

 

 氷撃には炎、雷撃には土の壁、闇には光の盾...教えた通りの対抗属性魔法を全て駆使し、こちらの攻撃をいなし耐えるユリウスに笑みが漏れる。


 俺と揃いで鍛えさせた大剣を振るい、連撃に打ち返し隙を狙って苛烈に斬り込んでくる。

まだ太刀筋は甘いが、その意気は悪くない。

 熱心に攻めの手を緩めぬまま、冷静にこちらの動きを見極めようとする姿には確かな向上心を感じさせる。


 あえてしばらく剣戟を受け止めていた俺は、ガン!と一際強く打ち合った剣を振り飛ばし、後ろに倒れ込んだユリウスに切先を突き付ける。


「...ここまで。握りが甘い、腰を引くな」


 見下ろして告げれば、ユリウスはぐっと悔しそうに飲み込んで「...はい」と答えた。

 ジャリ、と地面に爪を立てゆっくり立ち上がる口元には煮え立つ苛立ちが滲む。

ああ、喜ばしい。この子は打ち倒されてもめげず腐らず、青い火のような対抗心を持ち続けているのだ。


「だが、良くなっている。精進せよ」


 かつて父から与えられた言葉を、息子に向ける。

ユリウスは剣を鞘に収めながらこちらを見据え、力のこもった声で「はい!」としっかり頷いた。



「旦那様、ユリウス様、おはようございます」

「ああ、お早う」

「ありがとう、アイネス」


 アイネスの差し出す手拭いを受け取り、流れ落ちる汗を拭く。...そろそろ6時前か。墓前への挨拶と湯浴みを済ませて、彼女の元に戻らなくては。


 彼女の眠る部屋に目を向ければ、ユリウスが俺をじっと見る。


「...なんだ」

「いえ、父上が女性に興味がなかったなどと、信じられないと思いまして」

「誰から聞いた。...いやいい、わかった」


 大方、ファビアンや騎士団の面々だろう。

ステラさんに心を奪われるまでの俺は、強制される見合いや夜会を疎ましく思い、女性を遠ざけていたのは周知の事実だ。


 しかし今や妻である彼女に魅入られ続け、人生のすべてに彼女が溶け込んでいる。そんな俺しか知らないユリウスが信じ難いと感じるのもおかしくはない。


「...お前もいつか分かる日が来る。何しろ、ヴェルドマン家はそう言う血筋だ」


 父は亡くなった母を常に想い続け、祖父はセルデアから遊学に訪れた魔力無しの祖母を反対する親族と縁を切ってまで迎え入れたと聞いている。また、曽祖父は妻の死が受け入れられず、妻に向けた恋文が何百と死後の部屋から見つかった。


 揃って妻達は短命であったが、彼らが最期まで一人の女性を愛し抜いた事実は変わらない。なんとも我ながら執念深い血を引いたことだ。


 そんな話を端的に伝えれば、ユリウスはなぜか目を輝かせた。


「俺にも、そんな伴侶が見つかるでしょうか」

「...見つけるだけではいかんがな。俺は骨が折れた」

「?」


 ステラさんを手にする為、口説いた数はもはや数えきれない。幾度も躱され翻弄されたあの頃の苦しくも甘い記憶を思い出しながら、俺はもう一度寝室の窓を見上げた。


 


夫、騎士、父親のそれぞれの顔がシームレスにこなれて来たセリウスと、まだ子供らしさが抜けず荒削りなユリウスの朝でした。

双子の朝に続きます。

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