126.誕生日の夜 後編
※前半ミラ視点、後半セリウス視点となります。
「...お気に召すと良いのですが」
母さんは父さんの差し出した真紅の包みと黄金のリボンを目にすると、
「あたしの色か。...覚えてたんだな」
なんて頬を綻ばせる。
あたし達が見守る中で、母さんがするするとリボンを解いて包みを開いていく。
それから黒いベルベット張りの上等な箱に指をかけ、ゆっくりと開けた。
...どうかな、母さん喜ぶかな...。
あたしもなんだかドキドキしながら母さんの顔を見る。
しかし母さんはそこに納められた金の懐中時計時計を見るなり、息を呑んで言葉を失ってしまった。
「使っていた懐中が壊れたとお聞きして...」
父さんは気遣うように母さんの目を覗き込む。
「...ああ、うん。...そう、壊れちまってさ」
母さんは答えながら手の中の懐中時計をなぜだか痛みを耐えるような目をして見つめ、父さんは待つように黙っている。
どうしてそんな顔をするんだろう。あたしにはわからないけど、なんだか父さんはわかってるみたいだ。
金の蓋に飾られた、繊細に重なる四つの八芒星。
母さんは指先でそっと、星々を丁寧に数えるようになぞって、ふ...と柔らかく微笑んだ。
「四つの星か...」
そう呟いて蓋を開けて、蒼い文字盤に煌めく星座の数々を見ると、母さんはエメラルドの瞳を揺らす。
「...綺麗だな」
小さく声を震わせて、また黙り込む。
それからしばらく時計を見つめると、母さんは瞼を閉じてゆっくりと頷く。
「...うん、...うん。そうだよな...」
母さんは何かに納得するように声を詰まらせて呟いて、あたしとユリウスを順番に見つめる。
そして、じっ...と固唾を飲んで待っていた父さんに視線を移して微笑んだ。
「ありがとう、セリウス。...大事にする」
母さんは少しだけ潤んだエメラルドの瞳を細めて、父さんの手にそっと手のひらを重ねる。
まさか、あの母さんが涙ぐむなんて。
よっぽど嬉しかったのか...。やっぱり、今までずっと誕生日に贈り物が無いなんて寂しかったよな...。
...でも良かったじゃん、父さん。
あんなに悩み抜いて決めたんだ。母さんにこんなにも喜ばれてさ。父さんもつられて泣いちゃったりして。
なんて思って見上げたら、予想外にも父さんは金の瞳でまっすぐ母さんを見つめていた。
「どうか、お忘れなく」
父さんは重ねられた華奢な手を大きな手で上からぎゅっと強く握って、ものすごく真面目な顔で低く告げる。
母さんもそれを聞くと、心底嬉しそうに「...うん」と瞼を閉じた。
「...なに?どういう意味?」
意味がわからずユリウスと目を見合わせたあたしが思わず聞くと、二人は振り返って同時にふっと頬を緩める。
「ちょっとした約束さ。“何があってもちゃんと帰るよ”っていうね」
「...そういう事だ」
そう言ってあたし達に笑う二人はなんだか幸せそうだ。
確かに父さんは時計を選んだ時、“必ず生きて帰るように”なんてことを言ってたっけ。
だけど、“ちゃんと帰る”だなんてごく当たり前の約束にしては、さっきの雰囲気は妙に重い感じだったような。
...ま、父さんのことだもんな。
母さんへの愛がやたらと重いのはいつもの事か。
あたしがそうやって頷いていると、二人はすっかり付き合いたての恋人みたいに
「どうかな、似合う?」
「よくお似合いです。やはり貴女には華やかな金が映える」
だなんて甘いやりとりを交わしている。
「ふふ。常に着けられる物ではこれで二つ目だな」
母さんは幸せそうに懐中時計と薬指のサファイアを見比べて、父さんもその姿に頬を緩める。
「...もはや身につけるもの全て贈りたい」
「あはは!じゃあ次はスカーフでも頼もうか」
「お望みなら何百でも」
「しまいきれねーよ」
そんな見慣れたやりとりにあたしとユリウスは「またやってる」なんて笑い合う。
...うん。そろそろかな。
あたし達は二人で頷き合って、同時に懐から小さな包みを机の上へとずいっと出した。
「あのさ!実はまだあるんだよね」
「俺たちからも母上に贈り物です」
二人で少し悪戯っぽく笑いかけると、父さんが目を丸くする。
「お前達、いつの間にそんな物を...」
「父さんがめちゃくちゃ悩んでる間」
「時間ならいくらでもありましたから」
あたし達の言葉に父さんは少し気まずそうにして、母さんが「3時間戻らなかったもんな」なんてくすくすと笑った。
「さ、ほら。開けてみてよ」
あたしに促された母さんが包みを開く。
小箱の中には小さな金の錨のチャームが付いた赤金の刺繍リボンと、それから艶やかな孔雀の羽ペンがそれぞれ美しく収められていた。
「リボンはあたしから!お揃いで買ったんだ。あとひと月で社交界入りだからさ。その時に一緒につけてよ」
「俺からも揃いの羽ペンを。これで手紙を書きますので、母上も同じようにしてくれればと...」
それを聞いた母さんは、あたし達の顔を見て「っ...!」と言葉を詰まらせる。そしておもむろにガタンと椅子から立ち上がった。
「まったく...どんだけいじらしいんだお前らは!ほらもう、ハグさせろっ!」
並んで座るあたしとユリウスをぎゅうっと後ろから抱き寄せて、母さんはあたし達の頬に思いっきり頬ずりをする。
「わあっ、苦しいって母さん!場をわきまえるんじゃないのかよ!」
「うう、人前で恥ずかしいですってば」
あたしたちが照れるのを気にもしないで、母さんは髪をくしゃくしゃと長い指で撫で回す。
母さんの傷だらけの指で撫でられるとなんだかちょっとくすぐったくて。抱きしめられれば、ネロリの香りに包まれて胸がきゅっとするくらい嬉しいんだ。
「んーっ愛してるぞ、あたしの可愛い天使たち!」
「あはは!もういいってば!」
「くすぐったいです」
母さんから降らされるキスに笑い声を上げれば、父さんが穏やかに口元を綻ばせた。
————
「実は壊れた懐中時計は...母さんが昔くれた物でさ」
厨房で寝かせていた木苺のパイとバターケーキを取り出すと、隣の魔導炉で紅茶を煮出していた彼女が呟いた。
「...そうではないかと、思っていました」
ミラから懐中時計が壊れたと教えられ、“大切だけど海に沈めた”と聞いた瞬間に察しはついた。
ステラさんの母親は海に散り、遺体も残らなかったそうであるから...、おそらく時計も海に還したのだろうと。
「...だから驚いたよ」
彼女は小鍋の中の茶葉をゆっくりとかき混ぜる。
「自分では新しい物を買う気になれなかったから」
そう言って、寂しげに呟く肩に俺はそっと触れた。
彼女は気遣われた事に気づいて、少しだけ頬を上げて見せる。
「いや、壊れてもさ、手元に置いておこうかとも考えたんだよ。割れてたって綺麗だし」
またそうやって、すぐ軽くしようとする。
俺は微笑む彼女の肩に“わかっている”と伝える為、ゆっくりと何度か撫でてやる。
しばらくそのまま撫でられていた彼女は小さく笑ってこちらを見上げ、観念したように俯いた。
「...そう、うん...。でも...壊れた時計を眺めるたびに、“壊れた事”ばかり実感しちまって...」
「あの日に耳飾りもなくなって、身につけるものじゃ...最後だったから」
「...それで、海に」
俯いたままの、柔らかな彼女の髪を見下ろす。
湯上がりのふわふわと跳ねる髪が少し揺れて、彼女は頷いた。
「...ああ。どこかで母さんに届くんじゃないかって...。本当は認めたくなかっただけなのに、...馬鹿みたいだよな」
また少し笑う彼女に、俺は小さくため息を漏らす。
「...誰です、俺の妻を貶すのは。喪失の痛みに馬鹿も何もないでしょう」
俺の少し不機嫌な声にステラさんは少し震える声であはは、と笑う。
「敵わないね、お前には」
そう言いながらも彼女はわざと顔を背ける。
泣き顔なら何度だって見ているというのに、それでも彼女は隠そうとする。
俺には“甘えていい”なんていう癖に。
...まったく、しょうのない人だ。
俺は細い顎に優しく指をかけると、こちらを向かせて紅のない唇にキスを落とした。
「貴女の強がりは愛おしいが、泣くなら俺の胸になさい」
「その為に俺は居るのですから」
潤んだエメラルドの瞳に向かって低く諭す。
彼女は俺の手の中からこちらを見上げる。
少し息をこらえて、美しい顔でふわりと笑った。
「...今日は泣いてやらない。幸せだからさ」
そう言って背伸びをして、ちゅ、と俺の唇を塞ぐ。
「これからは何より大事な星が側にあるんだ。過去に寄り道したって、迷わず帰るよ」
「このケーキも食べたいしさ」
そう言って微笑む彼女がどうしようもなくいじらしくて、俺はぎゅうとしなやかな身体を抱きしめる。
腕の中にしっくりと収まる、眩い俺の明けの明星。いつだって彼女が笑っていれば、俺はきっと道を違えることはないだろう。
「こら、沸いてる沸いてる!煮詰まっちまうって!」
俺は腕の中で暴れる彼女の唇を強引に塞いで、噴き出す鍋の火を止めた。
壊れた懐中時計はステラが15の頃にカーラから「そろそろお前に必要だな」なんて買い与えられたもの。蓋に飾られていたのは大きな太陽。ステラはなんとなくその太陽にカーラを重ねていました。
あとパイとケーキ二つあるのは、誕生日までひたすらそわそわしすぎたセリウスのせいです。
来月はミラとユリウスのデビュタント!家族の一大イベントです。
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