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125.誕生日の夜 前編

 



 そしていよいよ当日の夜。



 毎年恒例のちょっといい店にて。


 父さんから贈られた紅いドレスを身に纏い、髪を下ろした母さんは、名前の長い料理の数々にうっとりと目を瞑った。


「んーっ、やっぱ美味いな。なんだっけこれ、あとこれも好きなんだよなあ」

「イリエマスのフリット、無花果と鴨のロティール...貴女は言語に強いと言うのに、何故いつまでもここの料理名は覚えられないのですか」


 父さんが呆れたように笑うと、母さんはフォークを咥えたままにっこりと笑みを返す。


「だってお前に教えて欲しいからさ」

「!...、そうですか」


 父さんは返された言葉に少し目を見開いて、しょうがない、とばかりに頬を緩めてため息をつく。

 はいはい、すっかり甘い目つきしちゃってさ。見てらんないっての。


 はあ、それよりあたしも早くあんなドレスが着たいし母さんみたいにおめかししたい。まだ危ないからって男物ばっか着せられてるし、来月の社交界入り(デビュタント)が待ちきれないや。


 そんなことを思いながらあたしもフリットにナイフを突き立てれば、ユリウスが顔を顰めた。


「姉上...ナイフの持ち方が酷過ぎます」

「うるせえなあ、使えてるからいいだろうが」


 いちいちめんどくさい事を言うユリウスにあたしは口を尖らせる。すると母さんがあたしの手をぺん、と叩いた。


「こら。船では自由だが、場所をわきまえてちゃんとしろ」


 ...うう。ユリウスにはああ言い返したけど、ちょっと船での癖が出ただけなのに。

あたしの表情を見た母さんは「わかるが」とため息をついた。


「いいか?こんな高級店にお前らみたいな子供を連れて来れるのは、あたし達の信用があるからだ」


「行儀作法がなってなきゃ、お前はこの場で()()()()の人間だと思われる。真面目にやっとけ」


 母さんがこうやって低く咎める時は、本当に守らなきゃまずい時だ。あたしはフリットに突き刺していたナイフをそろりと抜いた。


「...はあい...」


 渋々正しく持ち直して、もぐ、とフリットを咀嚼すれば、父さんが母さんを見て微笑んでいる。


 そういや母さんに行儀作法を叩き込んだのは父さんだったんだっけ?

「厳しい上に言葉足らずで腹立つったら」

なんて笑っていたのを思い出す。


「...なんだよ、その笑みは」

「いえ、感慨深いと思いまして」


 訊かれた父さんが目を細めれば、母さんはふん、と息を吐いた。


「ま、おかげさまで。今じゃ所作が美しいってどこでも褒められるくらいさ」


 母さんは自慢げに細いドレスの紐が結ばれた右肩を小さく上げて見せる。


「ふふ、そこは昔から変わりませんよ。貴女はずっと美しい」


 父さんは愛おしげに笑うと、さらりと褒めて母さんを見つめ返した。


「...そうかよ」


 母さんはちょっとだけ赤くなって、グラスで顔を隠すようにワインを煽る。


 でも確かに、母さんは船では平気で机に足を上げるし、肉を手掴みで食べても妙に色っぽく見えるんだよな。他のやつがやったら卑しくなるのに、堂々と余裕たっぷりに見えるから不思議なところだ。


 どうやったらあんな所作ができるんだ?

あたしが首を傾げていると、母さんが言葉を詰まらせながら口を開いた。


「そ...それにしたって、お前達も大きくなったよな。ユリウスなんかずいぶんご令嬢達から人気だって聞いたけど?」


 母さんはさっきの照れを誤魔化すようにユリウスに向きなおる。しかしユリウスはそれを聞いても、はあ、とうんざりしたようにため息をついた。


「どうせ“英雄の息子”の肩書き狙いですよ。俺は寡黙な父上よりも取り入りやすいと思われているのでしょう」


 そう吐き捨てるユリウスに、父さんまで「この世は見目と肩書きに寄る女ばかりだ」なんて苦々しい顔で頷いている。

 なんだ、男のくせに女にモテるのがそんなに嫌なのかこいつらは。宝の持ち腐れってやつだな。


「いいじゃないか、ミレーユ達もこの前の剣技大会の応援に来てたぞ。“はあユリウス様♡すらりと高い背に流れる黒髪♡理知的な緑の瞳が素敵♡”だってよ」


「結局見た目ではありませんか...」


 あたしが茶化して言えば、ユリウスはじとっとこちらを睨む。母さんのサロン仲間の娘達とはあたしもよく遊ぶけど、みんな可愛いのにもったいない。

 すると母さんがつん、と不機嫌なユリウスの頬をつついた。


「大会で首位を取っといて何言ってんだか。顔も良ければなお良しだろうが。お前はあたしが惚れた顔によく似てるんだから誇っとけ」


 ユリウスはそれを聞くとちょっとだけ嬉しそうな顔をする。あたしもそんなユリウスの反対の頬をつんとつついた。


「そうだぞ、あたしなんかちょっと城内や兵舎を歩くだけで可愛い可愛いってちやほやされてんだ。社交界でも無双してやるからな!」 


「俺は姉上の将来が心配です...」

「...誰がお前に声を掛けたと?今教えておけ」


 何故だかユリウスが呆れ、父さんが身を乗り出す。

母さんはそんな二人にあはは!と笑って、今度はあたしの頬をつん、とつついた。


「でもお前、まず落とすのはリュシアンじゃないのか?」

「...っ!リュシィはいいんだよ!あいつは誰にだって優しいんだから!」


 なんで今リュシィの話が出てくるんだよ!

確かにあいつは顔もいいし優しいし、面倒見だっていいけど...それがあたしだけに向けられるもんじゃないってことぐらいわかってるのに。


「わかりやすくて可愛いなあ、お前」


 ぷにぷにぷに、なんて火照るあたしの頬をつつきながら母さんは笑っている。その横で父さんが眉根にぐっと皺を寄せた。


「待て、俺は認めていない。くそ、流石はあいつの息子だな...。人の娘をたぶらかしおって...」

「父上、リュシアン殿は誠実なお方ですよ」


 うるさいユリウス、もうその話広げんな!

あたしは顔がほてっていくのが耐えきれなくて、あわててばんっと机を叩いた。


「そ、そういや贈り物!今日は母さんの誕生日なんだから!父さんからちゃんと贈るんだろ!」


 照れ隠しついでに父さんをキッと睨みつければ、ハッとしたように父さんは胸元に手を当てる。


「そうか、選んでくれたんだったな」


 母さんが嬉しそうに微笑むと、父さんはこくこく、と頷いて押さえた懐から真紅の包みをいそいそと取り出す。


 そして母さんの目をおず...と見て、そっと包みを差し出した。




家族全員が揃った団欒は、素直じゃなかったりからかいあったりしながらみんな仲良し。感性が繊細なので父親と同じくあんまり令嬢が得意でないユリウス(でも応対が丁寧なのでモテてしまう)と、昔から世話を焼かれてきたリュシアンに淡い何かを感じているミラ。思春期真っ盛りです。後編へ続きます!


リアクションが大変励みになっております、ありがとうございます!

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