121.娘の疑問
前半ミラ視点、後半セリウス視点です。
「なあ、母さんってなんで父さんと結婚したの?」
「ん?どうした急に」
母さんは潮風に靡く夕焼け色の髪を耳に掛けながらこちらを振り向く。
「父さんって無口で無愛想な癖に説教ばっかじゃんか。ルカーシュだったらもっと優しくていっぱい褒めてくれるのに」
実際父さんは、容姿と実力はまあ母さんに並ぶとは思うけど、全然笑わないしすぐ怒るし、趣味だって一つもなくてつまんないのだ。
その上父さんは、母さんの誕生日に贈り物ひとつしないじゃないか。
リュシィの母さんは普段からいっぱい贈り物をもらってるって聞いた。
リボンに、ドレスに、首飾り。お姫様みたいなキラキラしたものたちは、きっと母さんにもとっても似合う。金ならあるのに贈らないなんてあんまりだ。
母さんくらい美人なら、ルカーシュみたいな、もっといつも笑顔で優しくて楽しくて、いっぱい遊んでくれて、たくさんの贈り物をくれる男くらい、いくらでも捕まえられただろうに。
あたしがそうやってぶつぶつ言うと、母さんはあたしの言葉にあはは、と笑う。それから地平線の先に近づいてくるイズガルズに目を細めた。
「贈り物なら充分貰ってるし、心配性で可愛いやつだよ。あの仏頂面でたくさん考えてんだ、かわいそうな事を言ってやるな」
「どこが可愛いのさ!あんなに“愛してます”なんて言う癖に、母さんが敵船を沈めても“また無茶をして”、“もっと良く考えて行動を”ってクドクドねちねち...!土産だっていつも母さんが贈るばっかりだし、手紙だってそっけないし!」
あたしが口をとがらせると母さんはくくく、と笑ってぽんぽんとあたしの頭を撫でる。
「ずいぶんな言い方だなあ。あれほど愛情深い男はなかなか居ないぞ」
「どこがだよ!」
「あはは、全部さ!...ま、ガキンチョのお前にはまだまだ男心のいじらしさってやつがわかんないってことだな」
なんだそれ。あたしだってもう13なんだ、男の良し悪しくらいわかる。
そりゃ父さんは生活で不自由はさせてないし、あんなにデレデレなんだ、母さんの事が好きなのは嫌と言うほどわかるよ。
でも母さんに甘やかされるばっかりで、何にもしてやらないのはサイテーだろ。
あと3日したら母さんの誕生日なのに、今年も絶対父さんは何にも贈らないに決まってる。
いつだって馴染みのちょっと良い店に連れてくぐらいで、それ以外はなんにもしない。
そんな父さんはどう見たって男の中のハズレなのに...母さんは父さんの事が大好きだ。
ユリウスだって最近は「父上は本当に立派な人なんですから、姉上も少しは敬うべきです」なんて父さんみたいに説教くさくなって意味わかんない。
魔法や剣がどんなにできたって、オットのギムが果たせてないのに尊敬なんかできるもんか。
あたしがはーあ、とため息をつくと、母さんはおかしそうに笑うばかり。
あーあ。もしかして母さんって、男を見る目がないのかな。“できる女はダメな男に惹かれる”ってなんかで読んだ気がするし。
うんうん。たぶん、きっとそうだ。
じゃないと納得できないもんな。
————
今日は待ちに待った帰港の日だ。
ひと月という長い航海から、彼女と娘が戻ることはこの上なく喜ばしい。
おそらくもう少ししたら、二人がこの執務室へ訪ねてくるだろう。早く顔が見たい。そして彼女をこの腕の中に収めたい。
だがしかし、愛しい彼女が戻ってきてしまうと言うことは今の俺にとって悩ましいことでもあった。
「父上、まだ悩んでおられるのですか?」
「......」
書類に向き合ったまま、言葉を返さず目を瞑る俺にユリウスは苦笑する。
「まあ、まだ間に合いますよ」
「...あと3日だが」
苦々しく返すと、ユリウスは書類の束をトントンと纏めながら笑う。
「3日も、では?」
「お前、母親に似てきたな...」
俺が肩を落としてため息をつくと、ユリウスはますます肩を震わせた。
だが正直俺としては気が気ではない。
そう、あと3日でステラさんの誕生日が来てしまうのだ。
そもそも俺は、彼女と恋仲になるまで“誕生日”という概念が無かった。おそらく父は、母を死に追いやった俺の産まれた日なんて、とても祝える気になどなれなかったのだろう。
家令に“本日で何歳ですね”などと言われる事はあったが、一年に一度、歳をとる日があるのだな。という認識でしかなかったのだ。
「今日が誕生日なんだって?はい、おめでとう」
ステラさんにそう言われて面食らっていると、
「知り合いの職人に作らせた。これなら仕事でも使えるだろ」
と銀製の愛馬を飾ったインク壺を渡された時には衝撃を受けたものだ。
なぜ、と聞いた俺に
「お前が産まれてくれた日を祝いたいだけだよ」
なんてキスを落とされ。
俺は言葉も出ずにただ抱きしめた。
初めて言われたその言葉が、俺をどれだけ満たしたか。知らなかったはずなのにずっと欲しかったような不思議な感覚に襲われて、俺は焦ってその場で彼女の誕生日はいつかと聞き返した。
太陽のような彼女が夏生まれと聞いて納得しつつ、必ず俺も同じようにしなければと思った。俺こそ、彼女の存在そのものにこれほど救われているのだから。
それからというもの、今も執務室で仕事終わりに銀の馬を拭く度に自分の存在を認める証拠のようで満たされた気持ちになる。
彼女にとってそこまでのものになるなんて思いはしないが、俺もなんらかの...喜ばれるようなものを贈りたい。
だが、“誕生日”を知らなかった俺には、贈り物を選ぶというのは予想以上に難しいものだった。
はっきり言って世界中を駆け回る彼女は物に困らない。そしてよくある女性への贈り物として選ばれがちな宝飾品については、既に陛下より賜った勲章の首飾りと王家の印象入りの耳飾りがある。
どちらも彼女の身元を確実に保証する物だ。別のものに付け替えたりなどしない。そして腕輪や指輪などをごちゃごちゃ付ける事を“邪魔だ”と言って彼女は好まない。
では俺に残されたものとしては衣服だが、ドレスについては“俺が着せたいもの”だし、彼女が普段着にと欲しがる衣服はシンプルなシャツやズボンばかりで安価過ぎる。
彼女がくれた櫛に及ぶ品質の物はこの国にはないし、香水も付けたりしない。化粧品は俺にはわからず、香油も愛用のものがある。花はどれも彼女に似合いだと思うが、本人に興味がない事も知っている。
結局いつも何も思い浮かばず正直に告げると
「じゃああれが食べたい!ほら、無花果と鴨の...なんだっけ」
などといつもの店で食事をして、質の良いワインがあればご機嫌になってしまう。
「あー、しあわせだ。ありがと、セリウス」
だなんてすっかり上気した頬で寄りかかって微笑まれ、こちらばかりが嬉しくなって。
俺としてはそれくらい毎週だろうと連れて行くので、なんだかきちんと祝えた気がしないのだが...。
後は子供達が寝静まってから、焼いておいたケーキと紅茶をかたわらに、思い出話や未来の話なんかをするくらいで。俺にとっては特別な時間だが、やっている事は普段とそう変わらない。
その点、彼女は普段から多数の顧客を抱え、商売に関わっているおかげか贈り物を選ぶことに長けている。
俺が今まで彼女から贈られたものはどれも実用的で美しいものばかり。
このインク壺に、黒壇の櫛、深青の星屑が流れる砂時計、魔石が嵌め込まれたカフスボタン、冬生まれの俺へ、と彼女の衣服と同じ海獣の黒革であつらえた手袋。
子供たちにはいつも二人の好みを考えて、ぬいぐるみに美しい絵本、大きくなるにつれて髪留めや刺繍入りの揃いの剣帯など。
俺は手を出していないというのに“あたし達からだ”なんて贈っては毎度喜ばせている。
だからきちんとした贈り物を受け取っていないのは、家族の中で彼女だけなのだ。
これではいけないと思っているのに、いつも何も思い浮かばないのだから...俺は本当に無力である。
いっそ貰った物と同じ、飾り付きのインク壺でも返そうか...?
だが彼女に相応しい装飾とはなんだろうか。やはり船か錨か...いや人魚か、動物のモチーフを貰った事を考えて...彼女を喩えるなら気高い獅子や虎、いやしなやかな狐か?
だがここまでいくと、もはや飾りに込めた意味がわからなくなってくる。
と言うかそもそも、俺と同じものをもらっても喜ぶのだろうか?
明朗快活な彼女の事だ、なんだってきっと笑顔で受け取るとはわかっている。だが、そうなると己の不器用を理由に甘えているようで納得できない...。
そんなことをどうどう巡りで考え続けた結果。
結局俺は“妻に贈り物一つしたことがない夫”を毎年更新し続けている。
彼女は不満なんて一つも言わないが、いっそ世の女性達のように夫を責め立てて、高価な贈り物をいくつもねだってくれないものか。
それならば俺は喜んで、今まで贈れなかった数々を彼女が満足するまで捧げるというのに。
騎士見習いとして兵舎に通うようになったユリウスは父の側で過ごし、騎士団の皆のおかげでセリウスの内面を割と理解しています。
ステラと過ごす事が多いミラはあんまりその辺よくわかっていません。ついでに未だにルカーシュが大好きなので比較してしまいがち。




